第95話 あとは諸々良い感じに
「──ノックぐらい、して下さってもよろしいのではなくて?」
「悪いわね。こっちは田舎育ちの礼儀知らずなもので」
理事長室の、来客用のテーブルの上。そこに転移したわたしたちの真正面に、アドレア・バルバニアの姿はあった。執務用の机に座ったまま、悠々と紅茶なんか飲んでる。
「それもそうでした。して、他の面々は置いてきてしまって良かったのですか?」
「まあ、上手い事やってくれるでしょう」
「それはそれは」
まずは口で牽制し合うアーシャたち。わたしはだんまり。カップを置いた理事長が、ゆるりと視線をわたしに移した。
「……見たことのない雰囲気の装いですね。血族の……民族衣装?のようなものでしょうか?」
「さて、どうだろうねぇ。うちのメイドさんは死装束みたいって言ってたけど」
「そのような白く無垢な衣装が死装束とは、よほど死を神聖視していると見えますね」
「どうかなぁ」
何とも実のないやり取りを数言。挨拶なんてこんなもので良いだろう。アドレア・バルバニアがもう一度紅茶に口をつけようとしたその瞬間に、アーシャの魔法がわたしの背中を押した。
「──!?」
一瞬で、余裕をかます女の眼前へ。今までのアーシャの助力とは比にもならないくらいの急激な加速に乗って、執務机ごと部屋の主を蹴り飛ばす。カップが宙を舞い、赤茶けた液体が飛沫を上げた。
「んじゃ、あとは諸々良い感じに」
「ええ」
アーシャと短く言葉を交わしてから、背後の壁を粉砕し屋外へ吹き飛んでいったアドレア・バルバニアを追う。理事長室はそれなりの高さがあるけれど、今更この程度でどうこうなる相手じゃないことくらい分かり切ってる。屋外訓練場の辺りまですっ飛んでいったその気配に、大きな揺らぎはない。
「前回の──えーっと……」
「リベンジ」
「そうそれ。りべんじといこうか」
もう隣にはいないその声が、風に乗って聞こえてきて。アーシャの魔法のお陰でふわっと着地できたわたしは、土煙を上げるアドレア・バルバニアの落下地点へと駆け出していった。
◆ ◆ ◆
「──来るのが遅かったわね」
「先日も言うたじゃろう。霊峰の血族とやらの相手は、わしには荷が重いと」
壁に大穴が空いた理事長室に、一人の老人が入ってきた。
ご丁寧に入り口から、私の背中を取るように。小規模であれば転移魔法だって使えるだろうに、わざわざその足で出向いてくるとは。こいつも余裕ぶっているという事だろうか。前回の逃走によって、如何に私達が甘く見られているかが窺える。まあ、油断してくれているのならそれに越した事はない。その分、楽ができるから。或いは私のこれも油断なのだろうか。イノリなら「親譲りの傲慢さ」なんて言うだろうけれど。
イノリ。
忌々しいほどに白い帷子を纏い、蹴り抜いた壁の穴から飛び出して行ってしまった、私のイノリ。もう見えないその背中を、まだ追っていたい気持ちは過分にあるけれど……
「……私一人であれば、問題は無いという事かしら」
「左様。アーシャ嬢が実力を隠しているのは知っておった。じゃがそれを加味しても、わしには及ばぬよ」
「そうかしら」
背後で膨れ上がったカミの気配へと、ゆっくりと振り向く。イノリは黒い影や波動として視認できるようだけど、私は『アイリス』を手にしてもなお、それを目に見える形で捉える事はできない。ただ、感じ取れるようになるだけ。妖精共と似たように、まるでこちらとは半分ズレた世界に住まうかのような、その存在を。『学院』の誰かが付けたんだろう『相違次元生命』という呼称は、おそらくそう間違ってはいない。神様を生物として扱うのなら、だけれど。
「随分な余裕じゃが、それはその手に持っている趣味の悪い杖のお陰かの?それとも、君の周囲に集まる妖精の数が理由かの?」
「どうかしらね」
私の周りで騒いでる妖精共は、四十を超えた辺りからもう数えていない。そして、一見して同数程度の別の妖精共が、その老人──オウガスト・ウルヌスの周囲にも存在していた。カミの力に呑まれた魔法使いの妖精は苦悶の表情を浮かべていることが多いけれど……この男に集る妖精共は、こっちの奴らほどではなくとも楽しげで、自らの意志でこいつに手を貸している事が窺えた。
「ふぅむ……若き無謀とは痛ましいものじゃ。先日のまま逃げ帰っておれば良かったものを」
「お生憎。あんた達を捕らえるのが、今の私達の仕事なのよ」
「それはわしも同じじゃ。バルバニアがイノリ嬢を、わしがアーシャ嬢を、そして──おっと。また喋り過ぎてしまう所じゃったわい」
今も開心魔法──イノリの言うところの口が軽くなる魔法(言い方が本当に可愛い。本当に)を、隠蔽しつつ最高出力で使ってはいる。範囲は『学院』全域。けれどもやはり、『プロテクト』とやらを完全に突破する事はできていないようだった。逆に言うと、不完全ではあれども干渉自体は可能という事でもあるけれど……何にせよ、その防護の原理が分からないのは厄介だ。叩きのめして心を折れば、多少は口が軽くなるだろうか。そんな事を思いながら、握った右手の指で『アイリス』を軽く撫でる。人の心を読むなんて芸当は、魔法にも魔術にも成し得ないけれど。色々と条件さえ整えれば、自ずと心の内を語らせる事は可能だ。
「じゃあお望み通り、私があんたを捕縛するわ」
「言いおるのう」
杖の上端、時折、頭蓋骨が乗っている様すら幻視するそこを、オウガスト・ウルヌスへと突きつける。個人的な恨みなんかは、そう無いけれど。これは仕事であり、そして、私の主人の為だから。精々興を乗せようと、少し前に見た彼女の勇姿をなぞる。
「──霊峰の血族当代が妻、王立政府直属神霊庁神伐局副局長(予定)、徒 アーシャ。血族に寄り添う者として、お上より賜りし命を遂行する」
「……長ったらしい肩書に、大仰な物言い。何より奇特に過ぎる姓名の組み合わせ。粋が足りぬのう」
前言撤回。たった今、個人的な憤りが生まれた。
この老人は、一発と言わず殴っておこう。
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