44話
束の間の日常に心が癒やされたけど、それはそう長い話ではなかった。
テオがブティックに連れて行ってくれて『既製品でごめん』なんて言いながらドレスを買ってくれた。
王城に上がるのに、相応しい服装が求められたのだろう。
シンプルで綺麗なドレスだった。
黒にも見える濃紺の生地でできたドレスは、裾が波打つ度に光沢を放っていた。
裾に施された細やかな刺繍が品の良さを引き立てる。
こんなに仕立ての良いものを身に纏うのは、幼かった頃以来だ。
「どんなものでも似合うね。……次もまた、リウィアに似合うドレスを贈らせて欲しい」
「……ありがとう、テオ」
きっとそんな日は来ない。
だけど、彼のその気持ちが嬉しい。
「本当はもっと余裕を持って、リウィアが落ち着いてからにしたかったんだけど……そうも言っていられなくて。ごめん」
「いいのよ、テオ。……ありがとう」
たくさん助けてくれたテオには感謝しかない。
幼い頃の出会いを大切にしてくれて、思い出を忘れずにいてくれて。
それどころか私を助けてくれた。
何も聞かずに支え、そして導いてくれた。
その中で私は自分の至らなさも、弱さも、改めて認識することになったけど……でもきっとそれだってここに至るまでの、大切な時間だったに違いない。
(これだけ思い出があれば、私は大丈夫)
私は貴族でなくなるのだろう。
爵位を返上したところで、頼れる親戚は……たとえラモーナが間に入っていたにしろ、拗れてしまった関係を考えれば頼ることはできないと思う。
そうなれば、寄る辺のない小娘一人、貴族という身分に拘ったってどうしようもない話だ。
不幸中の幸いというか、ラモーナやグレッグのおかげで私は自分の事は自分でできるし、テオたちのところでメイドとして過ごした経験もあるからきっと市井に下りても暮らしていけるに違いない。
王城が近づくにつれ、緊張から握りしめる手は白くなっていく。
だけど、心は意外なほどに凪いでいた。
(テオにエスコートされて王城に足を踏み入れるなんて)
状況が状況でなければとても素敵なことなんだろうけど……それでも一生の思い出と呼ぶに足りる出来事だ。
貴族令嬢として、大好きな人の手を借りてお城の中を進んでいるんだもの。
「陛下、メギドラ国王テオバルド・イル・ユェール・メギドラ様並びにオルヘン伯爵家ご長女リウィア様がお越しにございます」
案内してくれた侍従さんの声に、重厚な扉の奥から『入ってくれ』という声が聞こえた。
重たい音を立てて開く扉の向こうには、優しい面差しに鋭い眼光を讃えた男性と、その隣で柔らかな笑みを湛えた女性が並んで座っている。
大きなテーブルには傷一つ無く、私たちは勧められるままに椅子に座った。
室内には警備のための騎士たちが幾人かいるけれど、それだけだ。
(……聴取ではないの?)
私はてっきり、オルヘン家の人間として彼らと同列とまではいかなくても、厳しく咎められるとばかり思っていたのに。
それともテオが働きかけてくれたのだろうか。
ちらりと隣に座るテオを見ると、彼はにこりと嬉しそうに微笑んだ。
(うん?)
なんで嬉しそうなんだろう、そう思うけどテーブルの下ではエスコートしていた手をそのまま繋がれて、困惑してしまう。
しかし国王陛下の手前テオに文句をつけるわけにもいかず、私は大人しく彼にされるがままでいるしかなかった。
「呼び立てて申し訳なかったね、オルヘン伯爵令嬢。リウィア嬢と呼んでも構わないかな?」
「は、はい。王国の父たる国王陛下に拝謁できましたこと、真に光栄と思います。どうぞ私のことはお好きに呼んでくださいませ」
「ああ、ああ、そんな堅苦しくなることはない。とはいっても無理な話ではあろうが……今日は査問でもなければ尋問でもない。ただそなたの身に起こった出来事について、我らに包み隠さず話してくれればそれでいい」
国王陛下は柔らかな笑みを浮かべている。
そしてその隣で女性……王妃様も微笑んでいた。
「これまでさぞ大変だったことでしょう。わたくしたちの目が行き届かぬばかりに苦労をかけました。今後のためにも、協力していただきたいの。辛いでしょうけれど、語ることはできるかしら……?」
「は、はい、もちろんです!」
王妃様の優しい言葉に、私は改めて自分がどのようにして今に至るのかを語り始めたのだった。
……テオに、手を握られたまま。




