37話
(グレッグの余裕の理由はこれだったんだ)
私は自分の迂闊さに愕然とした。
この数日を、グレッグは無駄にしなかった。
私が戻った、それだけで満足なんてしなかった。
私の足取りを追って、私がどこで何をしていたのか。
どうすれば私が最も従うようになるのかを、この男はよく知っている。
『優しくしてくれた使用人たちの安全を保証してほしかったらいい子にしろよォ?』
『躾けの邪魔をしたあの使用人。あいつ解雇した。オジョウサマがいい子で使用人たちと距離を置かないから、働き口なくして困る人間が出ちまったなア?』
私の大切な人を、私を案じてくれる人を、私に親切にしてくれた人を、そしてその家族を標的にすることを躊躇わず行う男。
そんな危険な男が、何も調べないはずがないのだ。
どうするか、どうしたらいいかなんてことにばかり気をとられていた自分の迂闊さが恨めしい。
「王都じゃあ例のメギドラ使節団に世話になってたらしいじゃあないですか。由緒正しいユノス王国の伯爵令嬢が、ケモノ連中に交じってメイドの真似事とは恐れ入る!」
高笑いをするグレッグの目はあからさまに私を見下していた。
伯爵令嬢である私が、誰かの世話になるのではなく、使用人のように生きていたことを。
隠れるために、身分を偽って労働に勤しんでいた私を、嘲笑っていた。
(元々……元々あなたたちが!)
そう怒鳴りつけたいのに、それすらできない無力さを痛感する。
ここでグレッグを怒鳴ったところで、現実は変わらない。
私が弱かったから、こんなやつにいいようにされてしまったのだ。
まだ周りに味方がいる内に勇気を出していたならば。
きっとラモーナとカトリンが改心してくれる、あれは嘘だったと言ってくれると淡い期待なんて抱かなければ。
誰かが助けに来てくれる、なんて甘えた考えでいなければ。
この家の外で暮らして、いかに自分が世間知らずだったかを知った。
書類上で知っているだけの数字ではなく、実際に使うお金の重みや市場の賑わい、人々の暮らし、それを守る立場にあるのが貴族だと気づかされるものだった。
そして貴族という特権階級は彼らを守るために、どうあるべきかを教えてくれたのはメギドラのみんなだった。
どんなに詰られようと堂々と振る舞い、気遣い、快活に笑い飛ばして――親族となった相手に礼を尽くし、謝罪をし、故国に来てくれた人たちの現状を伝える強さがあった。
彼らのようになりたいと思った。
彼らが故郷に戻る時、胸を張って帰れる自分でありたいと言っていた姿を自分に重ねた。
故郷に戻った時に、胸を張れる自分でありたいと……。
(ああ、ああ、リウィア・オルヘン! この間抜け!!)
幸せを夢見る余り、詰めが甘い。
これが世間知らずの結果なのか。
私がもっと、きちんと、自分の身分を意識していさえいれば。
自分だけが悲劇の主人公かのように思い悩んでいる場合ではなかったのに!
そこから目を逸らさなければこうはならなかっただろうに!
「彼らには何もしないで!」
「そいつはオジョウサマの態度次第だなア?」
グレッグはおかしそうに嗤う。
この状況を、私を見下して楽しんでいるのだ。
なんてやつだと思うけど、私のせいで彼らに迷惑をかけられるのはいやだ。
「王国の貴族令嬢をメイド扱い、それも正規の手続きというよりごり押しだ。妙に距離感が近いと思ったが……どうせメイドになりたがるやつがいないのと、擦れてない世間知らずがちょうど良かったんだろう? オジョウサマはオジョウサマで、メギドラ人に紛れてりゃあ確かに王都の連中なら何も見なかった、聞かなかったことを決め込むだろうからな。お高く止まってるがやつらは小心者で、自分に都合の悪いことは一切無視を決め込むからなア!」
饒舌に、しかも早口で私に勝ったと言わんばかりに告げてくるその姿の醜さに私は表情を取り繕うのも忘れてしまった。
だけどそれを見てもグレッグは喜ぶだけだ。
「跡取りの、しかも未成年を知っていて働かせたならこの国じゃあ有罪だし、知らずに働かせたとしてもメギドラ人の迂闊さとしていい笑い物になるだろうなア!」
悔しいけれどグレッグの言う通り。
私の身分はともかくとして、年齢はどうあっても未成年。保護者が必要であり、守られて然るべき年齢と定められている。
親の事業を手伝うような話ではなく、住み込みで賃金までもらっていた家出娘――それが私だったのだからその話が広まれば彼らに迷惑がかかることはわかりきっていた。
もし私が意地を張って対抗すればこの話題を噂として広め、事実の確認に国がやってくる前にグレッグは逃げ出すことだろう。
オルヘン家の財産の、殆どを持ち出して。
そしてグレッグは知っている。
私が、こうした場面で――簡単に、折れてしまうことを。
(テオ……!)
鳴らない鈴を握りしめる。
諦めたわけじゃない。
でも、何かに今は縋り付きたかった。
「いいことを教えてやるよ、リウィア・オルヘン」
グレッグのその言葉に、私はゆるゆると顔を上げる。
ああ、幾度となく見てきた、この男の勝ち誇った顔。
私の尊厳を踏みにじり、優しかった使用人たちとその家族を苦しめる度に自らが上なのだと嘲笑うその姿。
その後ろでラモーナやカトリンが笑っていたことを知っている。
「結局、真面目に生きるヤツより賢いヤツが生き残るんだ。お前や、お前の父親みたいにくそ真面目に、前を向くしか知らない世間知らずは利用されるしか価値がねえんだよ」
「……そんな、そんなこと、ない……っ!」
腹が立った。
なんでそんなこと言われなくちゃならないのかと。
この後のことなんて何も考えられなかった。
ただ――私は、鈴を握りしめたその手を、勢い良く握りしめたままグレッグを殴りつけたのだった。




