35話
連れ戻されてから三日。
私は何をするでもなく、ただ部屋に放置されていた。
それはある意味でありがたいことでもあったけれど、かなり私としては肩透かしというか……身構えていた分だけ、疲れてしまったというか。
寝る時でさえ、夜中に誰か来ないかを心配してドアの前に物を置いてみたりもしたけれど、そんな私の行動を咎めることすらなかった。
食事もお父様が亡くなって以来、水とくず野菜のスープくらいしか出てこなかったっていうのが嘘みたいにまともなものばかりだったし……なんとデザートまであったことには驚きが隠せなかった。
味付けも妙な感じはしなかったし、まったく食べないというのも体がもたないから食べたけど……歓待ってほどではないにしろ、まっとうな対応をされることに落ち着かない。
(いや、これが普通なんだけど!)
だって私、正真正銘の伯爵令嬢だもの。
むしろこの家は私の家なんだから客間を使わされている状況もおかしいのに、私の中の基準があまりにも低すぎてこれで好待遇とか思っちゃったらだめじゃない!!
ちなみに、あれからいろいろと部屋中探してみたけれど、残念ながら武器にできそうなものは一つもなかった。
なんなら文房具すらなかった。徹底している……。
食事の際にカトラリーを拝借なんてできるわけもなく、使用人(?)に見守られながら食事を摂るという日々だ。
しかし、とうとうその日はやってきた。
朝方にメイドがやって来て私の身支度を普段より丁寧に調え、グレッグが執務室で待っている、と。
執務室。それはこの館の、主人のための部屋。
それなのに、招かれるのが私という屈辱に打ち震える。
「おや、まあ。お待たせしてしまいましたか? お嬢様」
小馬鹿にしたような物言いで部屋に入ってきたグレッグは、我が物顔で私の前に用意された椅子に座る。
それはかつて、私のお父様が――お祖父様が、代々の当主が座っていたであろう年代物の椅子。
ぎしりと軋む音がしたのは、古さからか。
あるいは手入れがされていないからなのか。
「少しは考えもまとまった頃だろう。話し合う準備はお済みで?」
「……」
「ははっ、睨んでるばかりじゃあ交渉は始まらない。そいつは当主になってからも代わりませんよ、お嬢様?」
グレッグの物言いは失礼だけれど、確かにその通りだった。
私にとって不利なことばかりなこの状況で、それでも交渉のテーブルについて何もしないというのは結局何も手にせずに終わるということ。
そうすることが正しい場合もあるだろうけれど、私にはこれ以上失う物がない以上、少しでも得られるものを得なければならない。
それが私にとって屈辱に繋がることであっても、僅かでもいいから情報を得る。
伯爵になった後に、グレッグや彼の手下が及ばないところで助けを求めるその日まで……泥水を啜るような気持ちで、生き抜こうと決めたのだ。
(それでも、悔しい)
テーブルの下でぐっと手を握りしめる。
こんな状況下でも、この男に勝てる要素を見出せない愚かな自分が、情けない。
領主としての財政の推移は知っていても、領地民とのやりとりや商人たちに対しての指針発表、領地の産業についてなどは知らない。
私に与えられたのは、あくまで方針を決めたグレッグが楽をするために彼の決定に基づいた方向でできあがった物を処理していただけなのだから。
そういう意味では私は領主としても足りない。
圧倒的に、足りないことだらけだ。
「……交渉、と言ったわね」
「ええ、ええ、さようですともお嬢様。決してアナタにとっても悪い話じゃあないことはお約束しますよ」
「私を傀儡の伯爵として、今と同じ暮らしをする……それが貴方の望み?」
「まあ端的に言えば。できれば末永くそうありたいと願っておりますが……ねえ。フフ」
「その気取った話し方を止めて。いつも通りにしたらどう?」
「おやおや。きちんと貴方に忠誠を誓う使用人としての対応をしようとしているというのに!」
「どの口が」
楽しげなグレッグは、私の反抗的な態度にも今日は腹を立てる様子もない。
随分とご機嫌なようで――それは、彼がこの〝交渉〟に対して絶対の自信を持っているということを示していた。
だけどその余裕こそが、私のつけいる隙になってくれるかもしれない。
(諦めるな、リウィア)
交渉の場についた。
相手はイカサマ師で、負け濃厚どころか確定の勝負だからテーブルについてくれただけ。
でも以前、グレッグ本人が言ったのだ。
酔っ払って偉そうに私に講釈を垂れたのだ、人を操るにはどうするべきかって。
少しいい目を見せれば、相手は態度を軟化する。
そしてそこから引きずり込むのだと。
グレッグの手口が毎回同じかは知らない。
だけど――もしもそうならば、彼は私に譲歩してくるに違いない。
(ここが、踏ん張りどころなんだから……!)




