32話
馬車が止まる。
馬車の護衛についていた人間が、ドアを開ける。
「それじゃあさっきも言ったけど呼ばれるまでそこで大人しくしているんだよ。どうせ逃げ場はないんだ、引きずり下ろされたくなきゃいい子にするのが一番だからね」
フォーレ様が僅かに私を見て口元を歪めるようにして笑い、先に馬車を降りた。
意気揚々としたその姿に苛立ちを感じたけれど、ここで抵抗してもいいことはないと私はただそれを静かに見送った。
馬車の外には幾人かの気配がする。
フォーレ様の斜め向かいに座っていた私の見える範囲では外の様子は窺えず、ただ声が聞こえてきただけだ。
「フォーレ」
「グレッグ殿、急ぎの理由があって帰参しましたがそれに足る土産を――」
どうやら馬車の到着を聞いてグレッグが出迎えたらしい。
いつも家の中でふんぞり返って人からの挨拶を受けることを望んでいるあの男にしては珍しいこともあるものだと思ったけど、そうね、フォーレ様にお使いを頼むくらいだからその結果を早く聞きたいんだろうな。
私を捕まえて戻ったと聞けばきっとご機嫌になるに違いない、そう思うととても悔しい気持ちがする。
どうにもできないこの気持ちを小さなため息でやり過ごそうとしたところで、悲鳴と誰かが倒れる音がした。
「てめえ! よくもうちの商品に手を出しやがったな! 貴族の端くれだってのに分別の欠片も残ってねえのか!?」
「ひっ、ひぃっ……!」
「止めて! フォーレ様を傷つけないで!」
「カトリン、あんたは黙ってなさい!」
響き渡る怒声と悲鳴。
状況がわからないけれど、どうやらグレッグが怒っていて……フォーレ様が殴られたのだろうか?
この機に乗じて逃げられないかとも思ったけど、開いているドアから飛び出して走ったところでたかがしれている。
かといって馬に飛び乗って逃げるなんてことは私にできるはずもなく……今はただ、彼らの間で起こった問題に耳をそばだてるしかできない。
「このくそったれのただ飯ぐらいが……! よりにもよってカトリンを落として孕ませただと? 近いうちに金持ちのジジイに売りつけようと思っていたってのにご破算じゃあねえか。傷物ってだけでも値が下がるってのに、こぶ付きだなんて誰が買ってくれるんだよ。ああ!?」
「にっ、妊娠……!?」
私もその言葉にびっくりだ。
カトリンがフォーレ様に声をかけたきっかけは、おそらく私が悔しがる姿を見たいとかその程度の話だったんだと思う。
私に婚約者が先にできたってだけで、気に入らなかったみたいだったしね……。
中身は最悪だけど、見た目だけは素敵なフォーレ様。
女性の扱いが上手いらしい彼が、オルヘン伯爵家の財産を自由に使っているカトリンをお姫様扱いしていいようにお金をせびっていた光景を思い出すとなるようになった結果だとしか思えないんだけど……。
(なんだろう、いきなりとんでもない状況の中に連れ戻されちゃったな……)
フォーレ様とカトリンの問題に気を取られて私を逃がしてくれ……るとはやはり思えないけど、ラモーナの八つ当たりがすごそうだと今から想像できて辟易する。
しかしながらこの状況で意外と冷静な自分にも驚いた。
(……なんだろう、他人のことで思わず冷静になるってあれなのかな……)
私のことだけだったらきっとラモーナやグレッグたちの声を聞いただけで、また恐怖を思い出して震えていたかもしれないんだけど。
その前にフォーレ様の情けない声を聞いてしまったからこう、冷静になれたって言うか……嬉しくもなんともないなあ。
(でも、確実にあの人たちの中に不和が生まれている)
カトリンは勉強が嫌いだった。
まさかとは思うけど、フォーレ様の子を身ごもればそのまま私の位置……つまり次期当主の座につける、もしくはフォーレ様の子だから跡取りにできるとか考えていたりしない?
(いやいや、まさかね……?)
ラモーナだってそこのところを知っていたからこそ私を閉じ込めて自分の手駒にしようとしたんだから、あの子にだって説明を……。
うーん、わからない。
(仲の良い親子に見えていたけれど、先程のグレッグの発言をラモーナが否定しなかった辺りを考えると……)
カトリン。
私にとって、半年程度しか年の違わない、血の繋がりのないいもうと。
おしゃれが好きで、ちょっと気が強くて、寂しがりで……負けず嫌いだった。
「カトリンの子は僕の子じゃない……ッ」
「フォーレ様!?」
あの人たちは、カトリンを愛しているわけじゃなくて、利用価値のある綺麗な女の子としてしか見ていなかったんだと思うと私の中で複雑な思いが生まれる。
ざまあみろとか、どこかでスカッとしているような。
でも悲しくて、あの子を抱きしめてあげたい……自分でもよくわからないどうしようもない気持ちになった。
(自分もそれどころじゃないってのに、他人のことばかり気にかけるから騙される馬鹿なお人好しだって言われるんだわ)
今更になって、かつてカトリンが私に向かって私と父のことをそう言ったことを思い出して――この複雑な気持ちは、私の中でぐるぐると渦巻くのだった。




