もう一人の伯爵令嬢
オルヘン家のもう一人の令嬢、カトリン。
社交的で愛らしく、血の繋がりのない姉を慕う健気な少女――それがカトリンの演じてきた〝カトリン〟だ。
カトリンはラモーナと豪商の間に生まれた娘だ。
だがその豪商はすでに息子もいれば娘もいて、新たに増えた子供に興味など持たなかった。
それでもラモーナのことは大事にしてくれていたのか、金だけは惜しまず注ぎ込んでくれたおかげでカトリンも乳母や使用人に囲まれ、何不自由なく、そして寂しさを感じることもなく暮らしていた。
だがそれも実父が亡くなったことで、あっという間に転落人生が始まる。
ラモーナの散財ぶりにうんざりしていた他の子供たちは、父の後妻をそれはもう疎ましく思っていたらしい。
葬儀が終わったかと思うと、それなりにまとまった金を渡してあっという間にカトリンはラモーナと共に追い出されてしまった。
カトリンの記憶に残るのは、最初で最後に見た兄たちがカトリンを冷たい目で見下ろしていたことだけだ。
それまで従業員か何かだと思っていたのが実兄だと知らなかったカトリンは、結局兄たちと言葉を交わすことはないままに縁は途切れた。
そうして母親と二人暮らしが始まったが、町のそこそこランクが高いホテルに住まう母親は金遣いの荒さに拍車がかかっていて、幼いながらにカトリンはそれを冷めた目で見ていた。
何かを言えば八つ当たりをされることも理解していたので、黙って好きなようにさせておいた。
そのうち、グレッグという怪しげな男に入れ込むようになっていよいよ自分も逃げ出すべきか……とカトリンが思っていると、貴族の男と再婚すると言い出したではないか。
そうしてカトリンは姓を持たない平民から、カトリン・オルヘン伯爵令嬢となったのである。
優しく実直な父親と、優しく穏やかな義姉。
カトリンはラモーナと違い、最初からオルヘン家の二人を嫌ってなどいなかった。
むしろ家族としての温かさを教えてくれたことに感謝したほどだ。
確かにこれまでのような贅沢はできなかったし、放任してくるラモーナに比べてあれはだめこれはだめ、勉強をしろと口うるさく言われることはたまらなく面倒ではあったけれども、それでも空虚さはだいぶ薄らいでいたのも事実だった。
そうしている中でオルヘン伯爵が急死し、姉妹の運命はまた歪む。
ラモーナが激昂し騒ぎ立てるようになったのを見て、カトリンは昔に戻ったようだと冷めた目を母親に向ける。
虐げられるリウィアを哀れに思う気持ちは僅かにあったように思うが、それでもカトリンの中で、地べたに這いつくばる見窄らしい姿のリウィアを見ることは、何物にも代えがたい愉悦を覚えさせた。
あの哀れな義姉は信頼していたラモーナに裏切られ、大半の信頼できる使用人たちを失い頼りないことこの上なく、カトリンがほんの少し彼女に寄り添っただけで大仰に喜んだ。
それがまた滑稽で、カトリンはぞくぞくとした喜びを味わう。
(生粋の令嬢が、将来を約束された伯爵令嬢が、わたしの一言に一喜一憂している。ああ、なんて素敵なのかしら!)
だがその喜びは長く続かない。
オルヘン伯爵家の血など一滴たりともないカトリンがこの家で令嬢扱いを受けるのは、あくまでリウィアが成人していないからだ。
ラモーナが彼女の保護者を名乗っている間、その娘であるカトリンもそのおこぼれに預かっているだけだ。
父親を亡くし塞ぎ込む姉に寄り添う健気な義妹、けれど周囲の目は一年めは同情的でも二年目以降、そうはいかない。
リウィアに対して跡取りの自覚がないのかという声が上がりその非難が行くのはカトリンも面白がって見ていられたが、その目はカトリンたちにも向けられた。
当然と言えば、当然であった。
(なによ、お姉様がお母様に気に入られるような、わたしみたいに可愛くないのがいけないんじゃない……!)
リウィアは可愛くもなければ真面目で、ただ血筋の良いお嬢さんだとカトリンは思う。
加えて言うならば善人で、お人好し。
普通に生きて、普通に幸せになる人間。
それが、カトリンにとっては無性に許せなかった。
周囲の令嬢たちも婚約話が出て、リウィアの成人と共にその後カトリンはどうするのかと水を向けられる度にイライラした。
(お姉様は婚約者まで用意されるのに、どうしてお母様はわたしのことを放っておくのかしら)
姉が先に結婚しないと外聞が悪い。
そうカトリンは聞いていたが、リウィアとカトリンは同い年だ。
半年ほどしか誕生日に違いはない。
つまり、カトリンも適齢期なのだ。
それもリウィアの結婚を成人と共に……と言うならば、婚約者の一人や二人、それもリウィアよりも上の相手を見つけてきてくれたって良いではないかと思うのだ。
それだけの価値が自分にはあるとカトリンは思っていた。
ラモーナもグレッグも、そう言っていたのだから間違いない。
(どうして、リウィアにはあんな素敵な人がいるのに)
まるで王子様のように容姿の整ったフォーレ・ビアント。
生粋の貴族令息で、こんな田舎の貴族たちと違って優美な振る舞いにカトリンは一目で恋に落ちてしまった。
グレッグが商売の関係で知り合ったという点には引っかかるところもあったが、カトリンはすっかりフォーレに夢中であったために気にもならなかった。
自分も貴族令嬢なのだから、フォーレの相手はリウィアではなく自分でも良いのではないか? と次第に思うようになる。
カトリンは自分の身分について、よく理解していなかった。
オルヘン伯爵の死後、ラモーナがリウィアを閉じ込めるために家庭教師を解雇したせいで何の勉強もしていないせいであった。
カトリンは、知らなかったのだ。知る気もなかったのだけれども。
平民であるラモーナが、何故貴族の後添えになることができたのか。
どうしてリウィアが跡目を継いだ後、自分が家を追い出されるのか。
今でこそオルヘン伯爵令嬢と呼ばれてはいるが、本来はその資格がないことも。
彼女は何も知らなかったのだ。
(フォーレ様はわたしを可愛いって、恋人だと言ってくれたわ)
リウィアよりもわたしがいいって。
口の中で呟きながら、彼女は下腹部にそっと手を添える。
もう、後戻りはできない。
自分は選ばれたのだ。
町に行って遊んだついでによった医者からの証明書を持って、カトリンは意気揚々とラモーナの部屋へと足取りも軽やかに向かったのであった。




