20話
ヨアヒムさんからテオのことを頼まれてしまった。
でも実を言うと、それとなく同じようなことを他のみんなも言ってくるのだ。
私がいるとテオの機嫌がよくなるとか、気にかけてあげてとか……彼の好意がみんなには筒抜けなんだろうなって思うけど、そう思うと恥ずかしくてたまらない。
(……私はまだ、何も考えがまとまってないのに)
テオから向けられる好意。
オルヘン伯爵家を継ぐ重責。
義母と義妹、そしてあの悪徳執事をとっちめたい気持ち。
両親との思い出。
何もかもから逃げ出したい気持ち。
全部がバラバラに、私のことを責め立てる。
あっちこっちから責め立てられて、私は全部になんて対応できなくて、ただため息を漏らして今月分の支出計算をまとめる手を止めた。
「リウィア?」
「……テオ。お帰りなさい」
「うん。どうしたの? 疲れているなら少し休憩する?」
テオは優しい。
彼は決してやらなくていい、なんて言わない。
あとでやろうとか、手伝うとか……やらなくちゃいけないことっていうのを理解して、後に回せるかどうかをすぐに判別して、それでいて私に逃げ道をくれるのだ。
もし私の体調がどうしても優れないとか、私では対処しきれない……なんてことであったら、彼がさっさと処理してしまうのだろう。
一緒に暮らし始めてわかったのは、テオはとても優秀だってこと。
この館には表からは見えない中庭があって、そこで使節団のメンバーは自主練に励んでいる姿を私は見たことがある。
それこそレウドルフさんやヨアヒムさんのような大男相手にも、テオは負けていない。
負けていないというか……余裕がある、というか。
私は武術なんてからっきしなので、何もわからないけど。
わからないなりに、そう感じるほどに彼は『特別なひと』なんじゃないかなって。
「……テオは、どうして私にそんなに親切にしてくれるの?」
誰にでも親切なのかと思っていたことがある。
勿論、私が思い出の幼馴染みだからってことも含めて、彼は優しい人だから困っている人間を放っておけないのかなって。
でも一緒に暮らしていてわかったのは、私以外の人間とは距離がある……ように思うのだ。
メギドラ人ということで周囲の人たちからそれこそ私が着た頃は距離を取られていたかれらだけど、誰も気にしていなかった。
多分、それは慣れていたから。
でも私が間に入るようになって、イェルクさんやクルトさんのように人に好かれやすいタイプの人たちは、割とすぐに周囲と打ち解けていたように思う。
少なくとも顔を合わせたら挨拶できる程度に。
ヨアヒムさんとレウドルフさんは、まあ……私でもびっくりしちゃう時があるくらい、大きな人たちだからまだ難しいんだけどね。
ちっちゃい子たちがキラキラした目で彼らの後ろをこそこそ追っかけている姿はとても可愛いと思う。
そしてそんなちっちゃい子たちが転ばないかって涼しい顔して実はハラハラしている二人も可愛い、なんて思っているのは内緒だ。
レネさんは……あんまり構われたくない人なので、話かけられたくないからちょうどいいとか思っていそう。
(でも、テオは)
テオは違う。
話かけられれば丁寧に対応するし、笑顔を浮かべてみせることだってある。
メギドラ人だって言われなかったら見た目ではちょっと判別ができないっていうか……綺麗な顔立ちなので男女問わず目を引くテオは、声をかけられることも元々それなりにあったみたい。
けど、なんていうか……一線を引いている、というか。
誰にでも同じ態度で、冷めた目線で、平坦な口調で。
私がそれを知ったのは、たまたま買い忘れを思い出して出た先でのことだった。
いつもは誰かしらと一緒に買い出しに出るのだけれど、たまたま忘れてしまったものがあって……そこでテオを見かけて、本当に私の知るテオと同一人物なのか疑うほどだったのだ。
思い出の幼馴染みだから、親切にしてくれた。
思い出の幼馴染みだから、好意を持ってくれている。
そう言われたら私は納得できるのだろうか?
「ごめん、なんでもないわ。忘れて、何聞いているんだろね、私ったら」
自分でも答えがわからないくせに質問をしてしまって、笑って誤魔化すように手を振ってみせる。
でもテオはそんな私を許してくれなかった。
私の手を掴んで、指先に口づけられる。
その光景に思わず手を引こうとしたけど、びくともしなかった。
指先に触れる吐息が熱くて、私の頬も熱くなる。
「忘れないよ」
「テ、テオ、離し……」
「折角リウィアが僕のことを意識してくれたんだもの。忘れない。絶対に」
ちゅ……っと音を立てたかと思うと、テオはそのまま私の指先を噛んだ。
爪先に感じる固い歯の感触。
決して痛みを与えないけれど、意識せざるを得ないその状況に私は目が離せない。
「そのまま、僕のことをたくさん考えて? 書類をしている時も、買い物をしている時も、料理や掃除をしている時も、それから悩んでいる時も。いつ、どこで、誰といても。僕のことで頭がいっぱいになったらいいなって、いつも思っているよ」
「ひえ……」
それって相当なんですけどっていう抗議の声はあげられなかった。
じいっと見つめてくる金色の目が、甘く甘くまるで蜂蜜みたいに見えたせいかもしれない。
「リウィアに事情があることはわかっているし、話してくれるのをいつまでだって待つよ。でも、助けてほしくなったら僕を頼ってね」
きっと役に立つよ。
そう言ってテオが私の手を離す。
「今、コーヒーを淹れてきてあげる。リウィアはそのままゆっくりしてて」
上機嫌でその場を後にする彼を見送って、私は書類に突っ伏した。
彼に食まれた手の熱はすっかり自分のそれに戻っているのに、顔の熱は一向に引かない。
恋愛経験もないし世間知らずだって自覚している私でもわかるくらい、テオの愛情は一途で重たいとわかってなお、嫌じゃない。
その感情に名前をつけることはまだ怖くて、今はとりあえずテオが戻ってくるまでに早鐘を打つ心臓が落ち着いてくれるのを祈るばかりだった。




