16話
ある日、テオから呼び出されて何事かと思った。
この館には執務室として扱われる部屋があるのだけれど、みんなが使う仕事部屋だから私には入らないで欲しいって言われていたのだ。
機密があるから仕方がないと思っていた部屋に、初めて足を踏み入れるこの緊張!
「失礼します……」
「いらっしゃい、リウィア!」
本がたくさんあって、書き込みされた地図が貼ってあって……なんだかよくわからない書類が、積み上がっていた。
机がいくつも並ぶ中、その一番奥に座るのがテオだった。
といっても、この時はテオしかいなかったのだけれど。
彼は持っていた書類を机に伏せて、私のところに歩み寄る。
「今日はね、リウィアに感謝を伝えようかなと思って。みんな感謝しているんだ、このたった一ヶ月ちょっとで、君にはたくさん助けてもらっているからね」
「え? そ、そうかな……?」
そんなことないと思うんだけど。
使節団の人たちはこの少数精鋭の一団に選ばれるだけあってみんな優秀だ。
個人個人の武力もさることながら、メギドラとは異なる言語を日常会話以上に使いこなすことができるし、多少の不器用さはあっても全員が自分の分の家事をこなすことだってできる。
医療に関しても専門的な……それこそ大きな病気とか、骨折とか、そうしたものでなければ簡単な治療も自分でできるって言うし。
そんな彼らに対して私ができたことと言えば、身の回りの世話をきちんとして、掃除をして、彼らの健康を考えて料理をしたりだとか。
(……それから繕い物を頼まれたり、ご近所への買い出しに一緒に行って周りの人たちとの間に入ったこともあったっけ)
ああ、それにテオが書類の手伝いをして欲しいって、私が見てもいいものを任せてくれるようになったから?
(字が綺麗って褒められるの、嬉しかったな……)
他にも、メギドラで暮らすユノス人たちの手紙を持っていくためにその土地がどこかを調べ、領主に訪いの手紙を書く代筆だとか……。
あとはその際の手土産選びなんてお手伝いもさせてもらったっけ。
「私のやったことなんて、微々たることだわ」
「そんなことないよ。リウィアがいてくれたから、円滑に物事が進んだんだ」
「……そう言ってくれるのは、嬉しいわ。でも」
でも、私がやったことなんてやっぱり大したことはない。
そう言葉を続けようとしたけどそれはできなかった。
テオが、私の口元に指を突きつけるようにして黙らせたから。
「これまで」
「……テオ?」
「これまで、リウィアと一緒に過ごして、君があまり自己評価が高くないってことは気づいているよ。でも、僕らの……特に僕の言葉は、そのまま受け取って欲しい」
頭の中に、こびりついている〝お荷物〟という罵り言葉。
貴族というだけで生かしてもらっているだけありがたく思えと義母のラモーナに言われて、反論すれば私が謝るまで鞭で殴られた。
『見た目も地味で生まれがいいだけの愚図を養わなきゃならないなんて……ああ、忌々しい!』
何もできなくて可哀想とせせら笑う義妹のカトリンは、私が見窄らしくなるほど喜んでいた。
『ただ飯ぐらいの能なしってみんなに言われているのよ、知っていた? 可哀想なお姉様! あたしみたいに可愛く生まれていればよかったのにねえ、あはは!』
ラモーナの愛人、グレッグは……私に仕事を押しつけては終わらないと怒鳴りつけた。
『このくらいのこともできねえのかよ、使えねエなあ!』
……だから、きっと。
私にできることなんて、誰にでもできることばかりで。
自分のことを否定なんてしたくないのに、頭に浮かぶのはそればかり。
「リウィアがいてくれて、すごく僕らは助かっている」
テオの言葉は、声を張り上げているわけでもないのに力強くて。
そう言い切られてしまえば、私はもう〝違う〟とは言えなくて口を閉ざすしかできなくて。
でも、認めてもらえて、褒めてもらえて、感謝してもらえて。
それがとても嬉しくて……嬉しくて、泣いてしまいそうだった。
泣き顔を見られたくなくて私は俯いたけれど、きっとテオにはバレていたと思う。
「……今は僕しかいないから、泣いていいよ」
ああ、こんな風に安心したのはいつぶりだろう。
ずっと泣くもんかと耐えてきた。
オルヘン伯爵家を継ぐ者として、負けてなるものかと歯を食いしばってきた。
でも何度も心が折れそうになった。
私が頑張っても何の意味もないんじゃないかって、そう思ったこともある。
けど、今それが報われた気がした。
「ありがとう、テオ……」
私には、彼に言えない秘密ばかりなのに。
迷惑をかけてしまった分だけ恩返しをするつもりが、今日もまた彼に救われてしまった。
でも、すごく……すごく、温かい気持ちになったのだった。




