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夜の扉を開く鍵  作者: 悠井すみれ
水底の鍵
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本日2回目の更新です。

「――あなたが送ってくださったの? ご親切に」


 そんなことを言いながら、月牙(ユエヤア)と向かい合ったお姉様はなんだか怒っているようだった。ダーリャはお姉様の後ろに隠されるようにされてしまったから、どんなお顔をしているかは分からないけど。


「そう。人魚の子供がひとりきりでは何があるから分からないから。送った方が良いと思って」

「何があるか分からない。そうね、子供を騙すなんて簡単だもの。そう言われたら妹は信じてしまったでしょう。悪者だなんて気づかないで、言われるままにあなたについて行ってしまうのよ」


 お姉様の言い方はとげとげしていて、まるでしびれクラゲの触手みたいだった。ダーリャを背中にかばっているのも、危険な生き物から小さい妹を守る格好にそっくりで。ダーリャは月牙が疑われていることに気付いて、あわててお姉様に訴えた。


「お姉様、本当よ。月牙は私を助けてくれたの。私、売られてしまうところだったの!」

「ダーリャ。あなたは黙っていなさい」


 お姉様に睨まれたけど、それで黙るなんてできなかった。月牙は本当にダーリャを助けてくれたのに、こんな風にひどい態度を取られるなんておかしいもの。


「本当だって。声も取られてしまったのに、月牙が買い取って返してくれたの。(ドラゴン)の爪とか、大事なものを出してくれたの!」

「……本当なの?」


 ダーリャが必死に説明したから、お姉様も少し心を動かされたみたい。それでも信じきれないようで、目を細めてダーリャと月牙を見比べているけど。


「僕を疑うのは当然だけれど、妹の言うことは信じてあげたら?」

「……そうね」


 それでも月牙にからかうように言われて、お姉様はやっとうなずいてくれた。とてもとても嫌そうにではあったけど。


「妹と違って、私はあなたが優しいだけだなんて信じないけど。人魚の取引を持ち掛けられるような人ですものね。でも、人魚の評判のためにはお礼をしなければならないのね」


 お礼。そのひと言に、ダーリャはさっき月牙が言っていたことを思い出す。


 君からもらうのはこれくらいで良いかな……。


 あれは、こういうことだったのね。ダーリャを送り届ければ、お姉様からお礼がもらえるから。お姉様が取り出して月牙に渡しているのは、大粒の人魚の真珠が幾つも。普通なら地底の小人(ドワーフ)にしか卸さないはずのもの。月牙が支払っていた竜の爪や一角獣の角と、人魚の真珠と、どちらの方が価値があるのかしら。

 いえ、月牙はダーリャからも助けたお礼をもうもらっている。ダーリャから女の子の好きなことを聞き出して――その上お姉様からも真珠をもらうなんて、ずるい……のかしら。それとも、これが夜の市場のやり方なのかしら。


 真珠を受け取る月牙をじっと見ていると、ダーリャの視線に気づいたかのようにこちらを見下ろしてにこ、と笑いかけてくれた。その通りだよ、とでも言いたいのかしら。とても綺麗な笑顔なのに、やっぱり何を考えているかは分からない。真珠を手に入れて喜んでいるようにも見えるし、ダーリャがお姉様のところに帰れて良かったね、と言ってくれてるような気もする。ダーリャがそう思いたいだけかもしれないけれど。


「元気でね、小さな人魚姫。もう知らない人についていってはダメだよ」

「ええ。ありがとう」


 小さく手を振って月牙を見送ってから、初めて気づく。あの人はとうとうダーリャの名前を聞かなかった。お姉様には呼ばれてたから、覚えられないということもないと思うのだけど。でも、たまたま出会った人魚の名前なんか、あの人にはどうでも良いことなんだろう。


 そう思うと、ダーリャは少し寂しい気もした。




 海辺のお屋敷に着くと、荷物はもう海の底に送られているということだった。大きな(クジラ)や賢い海豚(イルカ)の尾ひれや背びれが幾つも波間に浮かんでは消えて、女王様のところへ夜の市場の品々を届けてくれているのが分かる。


 そして、お姉様たちも浜辺でダーリャを待っていた。みんなもうドレスを脱ぎ捨てて、海に入るだけの格好だった。


「あとは私たちだけよ。月が沈む前に帰らないと」

「はい。ごめんなさい、お姉様」


 ダーリャもドレスを脱いで、浜辺に靴を置いていく。月はもう水面に触れそうなところまで沈んでいる。海に映る影の月、人魚の世界に帰る扉も、もう少しでなくなってしまう。


 海に足をつけて、何歩か歩く。最初は砂に足が沈みこんでいく感触がするのに、やがてそれもなくなって――ダーリャはいつもの尾ひれを取り戻していた。そうなると、後は早いもの。お姉様たちに従って、月の扉を目指して泳ぐ。先頭のお姉様が鍵を掲げて、月の影に入っていく。丸く輝く月の形が乱れると同時に、あのかちゃりという音がして。


「戻ってきたのね……」


 振り向いて月を見上げるけれど、あの月はきっと夜の市場の月ではないんだろう。今から海面に上って顔を出してみても、市場のあの甘い香りもざわめきも、きっともう感じられない。


「ええ。こちらが私たちの世界なのよ」

「でも、次に行くこともできるわよね?」

「そうね、でもまたあなたの番が来るのはかなり先よ、ダーリャ。他の妹たちも行かせてあげないと」

「……分かってるわ」


 ダーリャは小さくつぶやくとお姉様の後に続いて海の深くへと泳いでいった。夜の市場への鍵を持っているのは女王様だけだし、鍵を預けてもらえるのは歳上のお姉様たちだけだから。

 月牙の()()がうらやましかった。その人は、自分だけの鍵を持ってるらしいから。それに、月牙の愛はその人のものだということだし。夜の市場でも売っていないものを持ってるなんて、とても素敵なことじゃないのかしら。

 お姉様が月牙に渡していた人魚の真珠。あれは、きっとその人の手元に渡るんだろう。

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