今日という日
「……やっぱりおかしい」
リュエルは呟く。
この作戦会議用の小部屋を借りてから数日が経過した。
三人で集まって話し合って狩猟祭の準備をして……。
ただ、ここ最近のクリスの様子は、どこかおかしかった。
「……何がだ?」
何時もの発作に対しユーリは適当な返事を返した。
そう、何時もの事である。
リュエルがクリスの事でおかしな事を言うのは。
「最近、付き合いが悪いと思うの?」
「そうか? 昨日もあんたらずっと一緒に居たじゃないか」
「お昼は別だったんだよ」
「……だから?」
リュエルは「はぁ」と小さく溜息を吐きやれやれと言った態度を取る。
ユーリは若干イラっとしたが気にしない事にした。
「この三日で二度もお昼が別だったし、一回はあろうことか放課後も一緒に居られなかった。これは由々しき事態……なんよ!」
きりっとした顔で、リュエルはそう言い切る。
心配して欲しいのだろう。
だからまあ、ユーリの返事は……。
「そうか」
適当な、どうでも良い雑誌を読みながら、それだけを返した。
「……酷い。仲間であるまじき態度」
「俺としちゃ、かなり優しい態度を取っていると思うぞ? もう少し周りに目を向けたらどうだ?」
「冷血漢が何か言ってる」
ユーリはそっと苦笑する。
実の事を言えば、クリスの変化の理由にリュエルは心当たりがあった。
というかほぼ確信している。
リュエルと別行動を取り、戻った来た時毎度同じ様な甘ったるい香りに包まれている。
時折ニタニタしたりお世話になった人の居場所調べたりしている。
ついでに言えばリュエルにだけは見つからない様秘密めいた動きを見せている。
だったらまあ、ほぼ確定と言って良いだろう。
ユーリはアナスタシアの為に、あらゆる努力を重ねて来た。
自分自身が凡人で無能というコンプレックスがそうさせてきた。
そのあらゆる努力の中には外見の身だしなみから気の配り方、男女の機微も含まれる。
ファッション雑誌は当然、女性の流行についてもこまめに情報をチェックしている。
だから当然、バレンタインなるイベントの事も知っていた。
「……やっぱり、クリス君寝取られているんじゃあ……」
「寝てから言え」
「でも、親しい女性が居るって私の直感が……」
「それが事実ならあんたが寝取り側だ」
「私の直感は外れる事もあるから」
リュエルはそっと顔を反らした。
ユーリはそっと溜息を吐く。
普段持ち込まない雑誌をわざとわかりやすく置いているのに、こいつは気付きもしない。
数冊あるそれぞれ別のジャンルの雑誌で、表紙全てにバレンタインの事が見えている。
ユーリが持って読んでいるフリをしながらリュエルに向けている雑誌なんて『大切な相手に甘い気持ちと贈り物を、バレンタインまであと僅か!』とまで書かれているのに、リュエルは何も見えていなかった。
「……あんたが他人に興味がないのはわかっている。それでももう少し視野を広げてみろ」
遠回しな……いやもうほとんど直接的なアドバイス。
ちらちらと自分の持っている本を見せながら、目線を机に転がる雑誌に向けながら、気づけとアピールしてみる。
だがリュエルに気付くそぶりはなく、それどころか……。
「ちゃんと片付けておいてね。そういう雑誌」
ユーリは盛大に、溜息を吐いた。
「……まあ、安心しろ。俺の予想が正しかったら、そろそろあんたに幸せな事が起きるから」
「何か、あんたにそう言われるとちょっと気持ち悪いんだけど」
「まあ待ってろ」
そうして無言の時間が数分程経つと、何時もよりも遅刻しクリスが現れて……。
「リュエルちゃん! デートしよう!」
唐突にそんな事を叫んだ。
「不束者ですがお願いします!」
直立不動でリュエルは答える。
ユーリは盛大に、溜息を吐いた。
「やるじゃん。預言師名乗って良いよ」
リュエルの言葉にユーリはまた溜息。
「ちげーよ。お前らがわかりやすすぎるだけだよ、ほら、さっさと行って来い」
しっしっと追い払う様にして、ユーリはクリスとリュエルを外に出す。
仲良く手を繋いで消えていくその背を見てから、ユーリはこれ見よがしに置いていて雑誌を片付けた。
「……俺の方も用意しないとな。……あいつらのデートとやらに遭遇しない様に」
そう呟き、ユーリも明日の準備の為移動を開始する。
マメな男はモテる。
そういう行動原理から、ユーリはイベント事には事細かく気を配っていた。
モテたいという欲求はない。
だけど、隣に居てせめて相手に恥をかかせない程度にはなりたいと常日頃から思っていた。
天上の世界より、それは見られていた。
それを見つめるは白き――筋肉。
マッスルのマッスル煮込みとも言うべき化物がマッスルポーズを取りながら、地上を眺めていた。
この筋肉の名前はホワイトアイ。
こんなでもこの世界の神の一柱であり、勇者の守護者である。
そんな彼は今『鏡』を通じクリスとリュエルのデート現場を見守っていた。
「それで、状況を説明して貰えますか?」
楽しそうな表情で、彼女はそう尋ねる。
彼女の名は海洋神エナリス。
世界の神の一柱であり、大神と呼ばれる主神に等しい立場にいる存在。
彼女、エナリスは自らが貸した『写し見の鏡』を使うホワイトアイが見ている光景が随分と面白そうで、興味が惹かれていた。
「そう……これはアテクシの筋肉がまだワールドビューティークラスであった頃の話で……」
「いやあんたの話じゃなくて見ている物の話よ。取り上げますわよ?」
「ちょっとしたマッソゥジョークよ。そんな怒ると皺が増えるわよ?」
「……で、何があったのですか?」
「大した事じゃないわ。明日バレンタインでしょ? それで美しき人はリュエルちゃんの好みを調べているところ」
「なるほど。私の臣下である彼と女性が一緒に居るのはそういう……。で、どんな感じなんですか? 上手く行きそう?」
「……貴女には面白くないと思うわよ」
ホワイトアイの言葉は嫌味ではなく単なる事実。
神にとっての面白い面白くないは人のそれとは大分異なる。
神にとって地上世界の出来事は映像の一片に過ぎず現実味が薄い。
故に、壮大な事件や事故が起きない限り神にとっては『退屈』と言う言葉で済まされてしまう。
何も起きない単なるデートを楽しめるなんてのは人の感性を知るホワイトアイ位な物だろう。
「……じゃあ、面白くすれば良いという事ですわね。私の臣下ですもの。その位の褒美は与えてあげないと」
「いや、ちょっと待って! そうじゃない。そうじゃ……」
止める間もなく、エナリスは愛すべき信徒クリスに祝福を授ける。
良い事をしたという風な満足気な吐息を吐くエナリスと、『やっちゃった』という顔で困惑するホワイトアイ。
そう、これが人と神の感性の違い。
神が直接人の世界に干渉する事はあまり許されていない。
例えば、罰する時。
もしくは……試練を与える時。
他にも色々あるし条件さえ満たせば人を助ける事もあるにはある。
だけど基本的に神と人は存在の尺度が異なって……つまるところ、どの様な事情であろうとも余計なお節介と言う事である。
「……違う理由で、眼が離せなくなっちゃったわね」
ホワイトアイはそう、申し訳なさそうな顔で呟いた。
冒険者学園発の馬車でおよそ三十分。
若者が多く最も発展した中央の方ではなく、普段行かない様な商店街をクリスはデート場所に選んだ。
理由は簡単で、中央の方は流行に鋭くバレンタインに合わせた店があるからだ。
特に若い女性が良く行く辺りは露骨にチョコレート商品が増えている。
バレたらサプライズできない。
だから比較的流行を追わない様な場所で、尚且つお洒落で女性が多く『デート街』としてスポットされた商店街をクリスは選択していた。
「……ちょっと、大人な雰囲気だね」
リュエルはぽつりと呟く。
普段よりもデートスポットとして適しているから、リュエルにはそう見えていた。
このまま夜までお持ち帰りもありかと思える位に……。
「大丈夫。どっちかと言えば学生デート向けの場所だから。お値段もそう高くないんよ」
「そか。でも二人の時は奢らせてね」
「うぃ……。申し訳ないけど、まだお金の用意がね……。流石にそろそろ用意出来ると思うんだけど……」
「大丈夫。気にしないで。むしろ私が出したいから」
そう力強くリュエルは口にする。
実際驕るというか貢ぎそれを悦ぶ事がリュエルの中では日常の一つとなる位には当たり前な事となっていた。
「うぃ……。デートでそれはみっともないけど今日はお世話になるんよ。次は私がお金出すからね」
次の約束まで受けられ、リュエルは幸せを噛みしめる。
まあデートと言っても単なるお買い物だとリュエルは理解している。
そう、これは何時もの事で大した事でもないのだが……。
「それでクリス君。今日は何を見に来たの?」
「ん? 特にないよ。気になる物をブラブラ見る感じ。強いて言えば気になっている喫茶店があるからそこで一緒に甘い物食べようって位かな」
そう言って、クリスはてくてくと歩き出す。
「……あれ? これ、本当のデート?」
「うぃ? そうだよ? デートするって言ったでしょ?」
その返事が、リュエルには聞こえなかった。
良くわからないけど、胸が痛くてクリスの言葉が耳に入っていなかった。
しばらく歩き、クリスは困っていた。
何かヒントがあればと思い女性の好きそうな店に立ち寄っては見てみるものの、リュエルから反応らしい反応がない。
ペンダントやネックレスも、お花や小物も、何も反応しない。
あまりそういうのに興味がない事はわかっていたが……何時も以上に今日は無反応だった。
まあ、本当のデートだと知ったそのショックと緊張で何も頭に入っていないだけだが。
「んー。ぬいぐるみのお店行く?」
「いく」
無意識に返事をし、リュエルは手を繋がれ道を進む。
「んー。やっぱり動物型。でもぬいぐるみと違うし……逆に食べづらいんじゃ……うーん……」
悩むクリスと茫然とするリュエル。
そんな彼らの前に、何の脈絡もなく唐突に、巨大な触手がびたーんと振って来た。
「く、クリス君!?」
はっと我に返った時には、クリスは触手の下敷きに。
「巨大なタコが出たぞー!」
どこからかそんな叫び声が聞こえ、そのまま見上げる様なタコがリュエルの目前に現われる。
ついでに何故かクリスはタコの触手に巻き付かれ連れ去られていた。
「わ、私の事は気にしなくて良いんよー」
割ととんでもない事になっているのに何かちょっと余裕のあるクリス。
たぶんだけど、ちょっと楽しんでいる。
お洒落な街並み、お洒落な空間。
そんな場所にデートに誘ってくれたのに、現れたのは大怪獣。
リュエルは若干……いや大分イラっとしていた。
なんで自分達がこんなのに巻き込まれないといけないのか。
というかデートの雰囲気台無しじゃないか。
気づけばイライラはどんどん高まって……そしてその乙女の怒りは頂点に。
「おいあんたも逃げろ! すぐに軍が来るから!」
通行人に言われても無視し、タコの方にリュエルは進む。
別にタコも狙った訳ではないが、近づく分だけ危険度はあがり……そして、触手がリュエルに降り注いで――。
キィンと、心地よい金属音と共に一筋の光。
そしてごとりと、触手が落ちた。
抜剣し、静かにそれを睨みつける。
タコはまだ気づいていない。
自分がまきこんだそれが、何となく掴み持ち上げた彼が、彼女の逆鱗であったと。
その光景を、後日通行人は語る。
あれは鬼だった。
いや、漁師か何かだった。
いいや、タコスレイヤーだったと――。
全ての足を切り落とし、クリスを助け、動けず藻掻くだけの巨大タコを前にする彼女の瞳は、とても冷たい物だった。
「命だけは、助けてあげる」
そのままクリスを抱きかかえ、彼女はその場を後にした――。
天上で、ホワイトアイとエナリスはそれを見ていた。
「反省しなさい」
ホワイトアイの一言に、エナリスは小さく頷く。
「はい。申し訳ありませんでした……」
「雰囲気、ぶち壊しじゃない」
「はい……街もぶち壊しでした。ここまでの試練の予定じゃあ……」
「美しき人が関わればおかしくなるなんて何時もの事じゃない。……手間でもちゃんと保証しなさいよ?」
「はい……」
珍しく、我儘なエナリスが大人しく格下のホワイトアイの言う事を素直に聞いていた。
ごたごたした割には日常に帰るのは早く、予定通りの喫茶店でスイーツを食べる事は出来た。
チョコレートが美味しいという評判の店で、クリスはリュエルがどれを選ぶのは気にしていた。
そんなリュエルの選択肢は『どれでも良いから分け合おう』だった為クリスの作戦は失敗する。
クリスが頼んだのはブラウニーとホットケーキ。
そして一番おいしかったとリュエルが言ったのはホットケーキに添えられたバニラアイスであった。
流石に、それはあまり参考にならなかった。
そうしてデートも一区切り。
デート向けのお洒落な区画とは言え小さな商店街。
終わりを迎えるのは早かった。
手を繋ぎながら、ちょっとした寂しさを覚えるリュエル。
ちょっと、時間を無駄にし過ぎた。
そんな後悔が胸に広がっていた。
「割と楽しかったけど、デートらしくなかったね」
クリスの言葉にリュエルは頷く。
「うん。何時もの私達らしかった」
「ほんとだね」
そう言ってクリスはくすくすと笑った。
「後……クリス君の秘密もわからなかったし」
「……えっ?」
「何か、隠してる。デートもそれ絡みでしょ?」
「いや、それは……」
「……私はそんなに、頼りない? 相談相手に不足?」
「そんな事はないよ」
「じゃあ……ううん。ごめん。何でもない。答えてくれないって事は、そういう事なんだよね」
「……違うよ。明日まで待って。そうしたら、わかるから。不安にさせたい訳じゃないんだ。ごめんね?」
「……ううん。わかった。明日まで待つよ。……それと、次のデートはもっと期待して良いかな?」
「うぃ。それはもう。今日の反省も踏まえて……巨大タコに対しての反省って、どうすれば良いと思う?」
「さあ? 今日と同じくぶちのめせば良いんじゃない?」
「次あったらたこ焼きタイムにしてやんよ」
ばばばばばとボクシングの様に手をふるクリス。
実際は攻撃力ゼロだが、それでもその気概だけは伝わって来て、リュエルはくすりと微笑んだ。
ちょうど、そんなタイミングだった。
目の前から、女性二人組が歩いて来たのは。
それは見知った顔ではなく赤の他人。
デート街とは言えお洒落な物も多い為恋人以外が来るのも別に珍しい物じゃあない。
だからすれ違う事を気にもしていなかったら……。
「明日だねー。バレンタイン。そっちは用意したー?」
「一応ね。家族とか、お世話になった人に贈り物をする日だっけ? 可愛らしいね。チョコレートとかだっけ? 本来は」
「別に何でも良いけどチョコが多いみたいだね。というわけで私は彼氏に高級チョコを」
「あれ? 手作りにするって……」
「焦げたチョコと、高級チョコ。あんたならどっちが欲しい?」
「あんたの彼氏にとっては前者じゃない」
「言うな。言うな……私にだって、見栄はあるんだ……」
「あははー」
そんな会話が聞こえる中、クリスはかちんと固まり切っていた。
「……あー……秘密って、もしかして……」
リュエルは今更に、この状況は最大の失敗であると気が付いた。
おそらく自分がすべきだったのは、さっきの会話を聞こえなかったフリする事で……。
何てことはない。
内緒話は頼りないからではなく、サプライズをする為。
むしろ、喜ばせる為の秘密であった。
「……流石勇者なんよ。こんな方法で答えが歩いて来るなんて……。今日のところは私の負けなんよ。だから素直にどんなチョコが良いか尋ねるんよ」
「えっと、チョコとかはとりあえず置いといて。可愛いから抱っこして良い?」
「今は悔しいから駄目なんよ」
そう言って、クリスはそっぽを向く。
やっぱりその仕草が可愛かったから、リュエルはクリスが駄目と言ったのに、クリスを後ろから抱きしめた。
そうして次の日……。
クリスのプレゼントであるチョコケーキを持ちながら、幸せそうに笑うリュエル。
普段笑わないからこそそれは本当に幸せそうで、嬉しそうで……。
「いや、貰って嬉しいのはわかるけど、あんたはそれで良かったのか?」
ユーリはクリスがチョコ配りに忙しく居ない間に、そう尋ねた。
「え? 何の事?」
「贈り物の日。想いを伝える日。そうでなくとも義理として感謝を伝える日だ」
「だから、クリス君のプレゼントが嬉しいんだけど……」
「いやそうじゃなくて、あんたの想いを伝えるには良い日なんじゃないかって」
はっと、リュエルは我に返る。
そう、貰う事ばかり考えていたが、むしろ女性が贈るという方が多い位。
なんで私は自分が贈ってついでに告白するという発想が出て来なかったのだろうか。
地面に手を突き、蹲り、小さく震えだした。
「……私は……私は駄目だ……」
「そうだな」
その返事に不満を覚えリュエルは立ち上がった。
「いや、あんたはどうなのよ。人の事ばっか言って」
「俺は贈ったぞ。あくまで感謝の気持ちと敬意を示してだが。むしろ贈らないという選択肢はないだろ」
再びリュエルは蹲り、小さく震える。
それは泣いていると勘違いする程、悲しい震え方だった。
ありがとうございました。




