毒
彼は、夢を見ていた。
ここ最近は見ずに済んでいたのに……ジーク・クリスに負けたその日からまた、その悪夢に苛まれる様になった。
同じ夢を何度も、何度も。
ラウッセル・ド・リディア。
魔界貴族たる名門、リディアに生まれた嫡男……最初の男児。
彼には、『姉』が居た。
いや、亡くなった訳でもないから居ると表現すべきだろう。
彼女を一言で表すならば、天才となるだろう。
魔法とは才能を持ちし物が修練を行う事により培われる技術。
力こそ正義である誇り高き魔界貴族にとって魔法を学ぶ事は『強者と成る』事に加え『伝統を受け継ぐ』事も意味する気高い行為である。
故に皆その修練を誇りとする。
だけど、彼女は違った。
つまるところ、天才の範疇を越えていたのだ。
わかりやすく言えば、魔法を学んだその日に彼女は四文字と言われる所謂上級レベルの魔法を放ってみせた。
それも独学で。
魔法という物は理論であり知識。
その研鑽と積み重ねた歴史を学ぶ事により魔法を会得出来る。
その過程を、彼女はスキップする様にかっ飛ばした。
一週間で、五文字を実戦にて使い熟す魔法使いとして大成したと言われるレベルとなった。
その後も尚成長は止まらない。
ただ寝て起きるだけで、彼女は一回りも二回りも成長した。
もはやあらゆる言葉で言い表せない。
誰もが思った。
彼女こそが魔界貴族としての正しき形、大魔王ジークフリートの真なる従者であると。
そうして両親も、周りも、他の貴族も、皆が笑顔になった。
笑ってないのは、姉さんだけだった。
姉さんだけは、退屈そうに、どうでも良さそうにしていた。
……いいや、違う。
もう一人、笑ってない人が。
夢だからだろう。
ラウッセルは幼き頃の自分の姿を空から見ていた。
昔の自分は、リディア家嫡男である少年は……笑っていなかった。
怒っても、泣いても、悲しんでもない。
そこに居た少年の表情は、虚無。
だってしょうがないだろう。
姉が賞賛されるその世界では誰も、彼を見ていないのだから。
…………そうして、いつもの工程を得て彼は目覚める。
もう何度目もわからない。
あの時、あの状況でジーク・クリスに敗北してから、定期的にその夢を。
ここ数年は見ていなかったというのに……。
「忘れろ。もう……居ないんだ。姉はもう……」
姉に期待したら駄目だ。
姉を信じたら駄目だ。
姉はある日急に、失踪したのだから。
憂鬱な気分で、正直何もしたくない。
だけど、そうは言っていられない。
ラウッセルは自分の頬を叩き、無理やりにでも鼓舞する。
もうすぐ始まる狩猟祭、その為に。
ジーク・クリス。
きっとあいつは来る。
であるならば、叩きのめさなければならない。
魔界貴族の男として、あの日の決闘の敗北を僅かでも雪がなければならない。
リディア家嫡男として……名誉ある魔界貴族として……。
――例え、誰も俺に期待してなくても、それでも俺は……。
はっと我に返り、ラウッセルは再度頬をぴしゃり。
そして着替え、パーティーメンバーの待つ別荘に向かった。
ラウッセルの此度のパーティーメンバーは全員同クラスで組まれている。
新しく合併した新生Aクラスではなく、旧Aクラスの頃からの仲間達。
魔法使いこそが正しき人間であり魔法が使えぬ者は獣に過ぎないという発想を持つ少しばかり目線の高すぎる者達の集まりである。
一人目、典型的な魔法使い。
優れた能力を持つが貴族の生まれではなく、裕福な一般家庭の生まれ。
その分だけハングリー精神は強く新たな魔界貴族となるべく日夜研鑽している。
そう言えば聞こえは良いが、コンプレックスを拗らせ非魔法使いを見下し場合によれば嫌がらせさえもする様な小さな器の男である。
その部分も含め、仲間達に気に入られていたが。
二人目、前衛型魔法使い。
元魔界貴族の生まれであるが先々代の時代に没落。
とは言え別にお家復興なんて目指しておらず平々凡々に生きられたらというスタンス。
肉体の鍛錬も怠らずBクラスについていける程度の身体能力を持ちながら優れた魔力を持つ為前衛型魔法使いとしては極めて高い完成度を誇っている。
他の仲間と違い非魔法使いを見下していない。
むしろ魔法の有無程度で良い気になっている仲間達を内心で見下している始末。
ただしその内情を見抜けた奴は家族でもいない。
この中で最も差別意識が少なく、代わりにこの中で最も性格が悪かった。
三人目、ラウッセルの自称ライバル。
魔界貴族の生まれであり幼き頃からラウッセルと面識がある男。
とは言えラウッセルに叶う程ではなく、目標兼ライバルというスタンス。
そして自称友人でもある為ラウッセルの要請を心良く受け入れこうしてパーティー入りした。
当初、ラウッセルは自分を慕ってくれる取り巻きの彼らとチームを組もうと思った。
彼らが自分の傍に居てくれるのは自分が貴族であると同時に後ろを受け持ってくれ、そしてこういう時に成績評価を引き上げてくれるから。
だが、その取り巻きから言われたのだ。
『ラウッセルさん。俺達じゃ足手まといです。全力で戦うラウッセルさんの」
彼らはラウッセルの小さな内心の変化に気付いていた。
ジーク・クリスという男に負けリベンジに燃える真っ当な人間らしい感情がラウッセルに目覚めた事に。
「すまない。遅れた」
そう言ってウラッセルが着席した瞬間、メイド達が現れ彼らにお茶の用意をする。
そしてメイド達が一斉に頭を下げ、退出してからその作戦会議が始まった。
「結論から言おう。アイアンベアーを狙う」
ラウッセルはその口にする。
一応はパーティーという形だがこれはラウッセルの元に集った形。
部下と言い換えても良い。
そして事実彼にはそれだけの実力と経済力があった。
今彼らが集っている学園傍の別荘もそうだし、訓練施設から情報までも全てがラウッセルの用意した物。
更に言えば下手な依頼の何百倍もの報酬をラウッセルは協力費として提供している。
雇われという訳ではないが、実質それに等しい間柄となっていた。
「まあ、我々の実力を見たら打倒な判断だな」
「そうですね。僕の実力だと不安ですが、皆様なら問題ないでしょう」
「むしろ他を狙う方が効率悪い。長物を持った程度で獣が我らに叶う訳がない」
仲間達も同意を示す。
レアエネミーは見かけたら狩れば良いが一々探すのは効率が悪い。
それなら安定した数のいるアイアンベアーを探し纏めて狩った方が得点効率は良い。
基本の狩猟対象の中で最も得点の高いアイアンベアーを、高火力を持って倒す。
それで良いはず。
これが最善であり、これを超える作戦はないはず。
そう思うラウッセルだが、心のどこかに不安があった。
ジーク・クリスはもっとすごい作戦を思いついているかもしれない。
ジーク・クリスはもっと特別な情報を得ているかもしれない。
ジーク・クリスは魔法を使わずそれ以上の成果を得ようとしているかもしれない。
だが……。
「ラウッセル。お前の悪い癖だ。ライバルとして言わせてもらおう。まぐれ勝ちをした雑魚に心を囚われるな。反省するのは良い。だけど振り返り改めるのは、『油断したという事実』にしろ」
「そうですよ。獣畜生の事なんて忘れましょう。……色々と噂は聞いていますよ。運とコネを最大限生かし勇者候補クレインの功績をかすめ取った卑怯者の事は」
「ああ。俺も聞いた。実力ない癖に金の力で学園に入って、金の力で好き放題。成り上がりの商人崩れか何かで努力する事さえ知らない獣の中でも最低の獣だと」
彼らは皆好き放題ジーク・クリスの悪口を言う。
それを違うとラウッセルは思う。
思うのだが……己は魔界貴族であり相手は魔法どころか魔力さえ扱えない雑魚。
そう考えたら、彼らの言葉の方が正しくなる。
いや、正しいのだ。
ただあの時偶然敗北しただけであり、実力は比べる間でもない。
であるならば次の正式なる決闘でリベンジをすれば良いだけ。
そう、何も心配はない。
何も心配はないんだ。
ラウッセルは自分に言い聞かせ、魔法使い優位思想の毒を体内に巡らせる。
あの日負けた翌日必死に負けた理由を研究し、二度と同じ事は起きない様策を見直して戦術を改め、魔法を一から組み立て直した。
そんな己の行為の理由さえ考えたら、そんな毒にはかからないだろう。
だが彼は、いや彼らはその毒にあまりにも長く汚染されていた。
優位思想という毒に、魔法使い優勢思想という貴族的考えに。
まあ、この中の一名はその毒を利用しこのメンバーの仲間入りしているだけだが。
「確かにもう一人は勇者候補リュエル・スタークだ。だけど残りの一人も魔法が使えない雑魚だぜ? それならこいつらより先輩の方がよほど脅威だろ」
ライバルの言葉にラウッセルは確かにと思った。
「一理あるな。我らが敗北を喫するとするなら格上のAクラスの魔法使い。俺は早々遅れを取るつもりはないが彼らは我らと同じくAクラス。魔界貴族の者さえもいる。油断は出来ぬな」
「それに、悔しいがBクラス混じりの中にも何人かヤバいチームがある。落第当然のチームに意識を回す時間はないぞ」
その言葉で、ラウッセルはジーク・クリスへの意識を捨てた。
彼なら自分の作戦を超えるかもしれない。
もっと作戦を根本から見つめ直さないと負ける。
その考えを、捨てた。
「ならばアイアンベアーを狩猟するとして、その方針を考える。テーマは三つ。『索敵手段』『狩猟の時短』『素材状態維持を目的として狩猟法』。何か意見があれば遠慮なく発言してくれ」
そう、これで良い。
魔界貴族嫡男たる自分らしい、王道を征く狩猟。
自分達こそが一年未満チームの、トネリコ山での頂点だ。
彼らは魔法使いとしてそうした自尊心を当然の様に持ち、他者を見下す事に違和感さえも憶えていなかった。
ありがとうございました。




