馬鹿になったか正直になったか
多分だけど、眼を反らしていたんだと思う。
嫌な空気とか、殺伐とした雰囲気とか。
そういった何となくおかしくなった日常から、眼を反らしていた。
これは悪い風に考えているだけで、全部気のせいなんだと。
何日か寝て起きたら忘れる程度の、大した事のない日々なんだと。
いや、目を反らしていたというのは表現として相応しくない。
当事者じゃないから大丈夫。
どこかでそう思っていた。
それが、この結果の原因。
少なくとも、レストはそう思っている。
今だってその可能性は低いと思っている。
娼館に行くチャンスがあったから黙って出て行ったとか、そういう可能性の方が高い。
案外今頃良い笑顔で『悪いな未経験マン。俺様はお前よりも先のステージに上がったぜ』なんて言っているだろう。
そうに違いない。
そうに……。
いや、もうここまで来ればそう信じたいだけ。
わかっているのだ。
今している事が、単なる現実逃避であると。
「……それで、何があったんだ?」
沈痛な面持ちである彼らを前にして、ユーリは尋ねる。
「……砕けた鉄板と、調味料が落ちていた。鉄板には、腐臭がこびりついていていた。いなくなるわけがないんだ! あいつは、だってあいつは……」
「すいません。彼は冷静でないので代わりに私が」
ルークはそう言ってから、後の事を判明した事実順に説明しだした。
レストとルークはグラディス一人に準備をやらせない為、早朝の時間に合流しようと彼の住む宿に向かう。
だけど宿に彼はおらず、宿の方からも昨晩は帰っていないという報告があった。
レストが抜け駆けで大人のお店に行ったななんて思っていた時、宿の近くで騒ぎが起き話を聞きに行った。
その騒動は、学園の上級生と教師がゾンビの痕跡を発見したという物だった。
そしてその痕跡こそが、グラディスの残した鉄板と調味料であった。
そこで学園側にグラディスの事を報告して、今に至る。
「学園側から早々に、救助は絶望的であると告げられました。それ以前に、今騒動に巻き込まれたのなら、生存はないと。そして同時に、救出の為調査を行う事はないとも――」
「何でだよ? なんで学園が生徒を見捨てる様な真似を……」
「それどころではなくなったからです。……ユーリィさんは別ですが、ユーリィさん以外の全員は、まだ寮が決まってないと思います。私達は、まだなんですよ。本来ならそろそろ決めるらしいのですが……」
「一体何の話を……いや、もしかして、そういう話か?」
学園が生徒を救出しない、いや出来ない状況。
それどころではなくなったという事。
つまり……。
「はい。グラディスさんの宿も、鉄板が見つかった場所も、両方共に学園の外――首都リオンの中にあります」
それはつまり、学園の問題からハイドランド首都の問題に騒動が移った事を意味する。
冒険者学園が冷たいという訳ではない。
今冒険者学園は、本当に余裕がなくなっていた。
学園外で事件が発生した為学園内だけの問題でなくなり、治外法権に等しい権限が全て失われた。
同時に、軍の助力も喪失する。
ハイドランド王国軍が学園とリオンどちらを優先すべきかと言えば、そりゃあ答えは決まっている。
例え、学園内が怪しいとわかっていたとしても。
「クリスに、うちのリーダーに頼んで……」
ユーリが何かを思いそう言葉にした直後――。
「やめろ。お前らまで巻き込まれる」
レストはそう、冷たく言い放った。
「だけど……」
「マジで止めてくれ……。学園がこの状況で、あんたらまで被害にあったらどうする。冒険者ってのは、自己責任が第一だ。……気持ちだけ受け取っておくからさ」
そう言ってレストは寂しそうに笑い、その場を後にした。
ルークもぺこりと頭を下げ、レストの背を追いかけた。
とてもではないが、ユーリの眼から見てもレストはほっておける様な状態ではなかった。
「わかってるさ。俺だって馬鹿な事を言ってるって……」
ユーリはぼやくように呟いた。
今の自分に人の面倒見る余裕なんてない。
姫様の事で自分は手一杯。
わかっているはずなのに……どうにも気持ちが切り替えられない。
「……はぁ。リーダーの馬鹿が移ってしまったかな」
ユーリは自分の中途半端さにうんざりしながら、どうやってクリスを説得しようか頭を悩ませた。
結局説得の言葉は思いつかず、ユーリがクリスにただあった事実だけを報告すると……。
「んー。助けたいけど……どこにいるかもわからないしどうやってるかも予想出来ないし……」
そうクリスは呟いた。
当たり前の様に、自分やレスト達の悩みなんて知らんとばかりに。
「助けたい……のか?」
「そりゃ、気分的には? ユーリ的には違うの?」
「……いや、だけど、冒険者は自己責任。危険を冒してまで……」
「元々騒動追ってる訳だし、ついでに助ける事位危険はそう変わらなくない?」
きょとんとした顔をクリスはユーリに向ける。
これは勘違いとか誤解とかではなく、スタンスの大きな違いだとユーリは気付いた。
ある程度堅実な考えしか出来ない自分なんかと異なって、クリスは自由に動いている。
それは目的の為に何度失敗しても問題ないという方向性故の事だろう。
だから、こんな考えの差異が生まれてしまうのだ。
かと言ってユーリはそんな風にお気軽に考えられない。
無能であるからだろうかどうしてもネガティブに考えてしまって……。
「ああ、いや。違うな。間違えてた」
ユーリはそう口にして、クリスと向き合う。
クリスはきょとんと首を傾げた。
そう……違うのだ。
説得するとかスタンスの違いとか、ネガティブとかポジティブとか……そうじゃない。
気持ちを届ける為に、信頼しなければいけないのだ。
だったらする事は……。
ユーリは、クリスに頭を下げた。
「彼らを助けたい。力を貸して欲しい」
ユーリは何も考えず、馬鹿正直に自分の気持ちを口にする。
昨日までは他人に心を許すなんて馬鹿のする事だと考えていた癖に。
そう思うと、自分があまりにも情けなくて、つい笑えてきた。
クリスは嬉しそうに笑った。
「うぃ! もちろんなんよ! でも、どうすれば良いかな? 気持ちはあるんよ。気持ちは……」
「き、斬るなら任せて」
リュエルは存在感アピールしようとしたのか会話に混じれなくて寂しいのか、そんな物騒な事を口にした。
「頼もしいよ。いや本当に。……とりあえず、俺が何とか情報を集めてみる。そして方針がつかめたら……」
ユーリの言葉に二人は頷いた。
「我儘を言った。すまん。貸しにしておいてくれ」
そう言ってから、ユーリは足早に彼らの元から離れていった。
ユーリが立ち去ってから……。
「今、笑ってたね」
クリスはニコニコしながら、そう呟いた。
「うん。笑ってたね」
そう言葉にし、リュエルは自分の口元の口角を指で上げて見せた。
「うんうん。楽しいってのは良い事なんよ。だから仲間の為に何かしたいけど……」
「私達、情報収集とかは本当に役に立たないね……特に私」
「うぃ。……出来る事増やす為に、授業に行こうか」
リュエルはこくんと頷いた。
正直言えば、これからやる事はただの馬鹿でしかない。
ユーリの手札はそれなりに多いが、それは全てアナスタシア様を娶る為の準備である。
その手札を、しかも使えば消える類のコネの力をこんな雑事に消耗しようというのだからもう馬鹿な事意外に言葉は適さない。
ただでさえ叶う可能性の限りなく低い願いを持っているのに、余計な事で足踏みしてる。
だけどまあ、それでも足は勝手に動いていたし、今更止めようとも思えなかった。
この冒険者学園は頭が悪い程に広大であり、そしてそれに伴い無数の施設が存在する。
街という言葉で想像出来る大体の設備が学内に存在すると言っても良い。
そして、その内の半数以上は生徒が管理していた。
要するにこの冒険者学園は街と同じ機能を有しており、学生という身分でも金さえ払えば建物でも土地でも借り受ける事が可能という事である。
ただし、特例を除き卒業並びに退学までという期限付きであるが。
これから行く場所もまた、生徒が管理する建物であった。
授業用施設以外の建物が立ち並ぶ場所。
そこの隅の方に在する、正方形に等しい形状で家と呼ぶにはあまりにも小さすぎる建物。
おそらく本来は物置として作られたであろうその建物のドアを、ユーリはノックした。
「はい。どうぞ」
返事を聞き、ユーリは中に入る。
中にいるのは非常に中性的な見た目をした男性だった。
清潔感のある服装で、冒険者というよりも商人と呼ぶ方が近いだろう。
しかし、彼の場合はもっと適した職業が存在する。
部屋中に漂うインクの香りと散らばった紙。
つまるところ彼は、記者であった。
「はい。アドベントジャーナル、冒険広報にようこそ。購入ですか?」
ニコニコとした顔で営業スマイル。
とは言え……それを買うつもりはないが。
「悪いが買う気はない。そっちじゃない」
「やれやれまたですか……。うちに表の客が来るのは何時になる事やら……。では、ユーリィ・クーラ。扉を閉めてから、ご用件をどうぞ」
そう口にする彼は、酷く退屈そうだった。
アドベントジャーナル。
それは真実の報道記者を名乗る彼が手掛け出版する新聞。
正しい事に定評はあるのだが……正しい事にしか定評はない。
ぶっちゃけダブロイド以下の無価値の新聞である。
なにせたった一人しか記者がいない上に絶対に正しい事しか書かないからだ。
要するに、面白くない。
他の新聞が随分前に書いた様な記事を後から、しかも盛り上げようせず淡々と載せるなんて楽しい要素が欠片もない。
しかも情報の古さから情報としての価値も怪しい。
その上職員室の前や様々な受付の待合所、他にも喫茶店系の料理店を見れば大体これが置かれている。
ただでさえ面白くないのにいつでも読めるという事で人気は地の底。
そう多くない学内新聞においてランキングトップテンに入らないという逆奇跡を見せていた。
一応、論文に使える程度には信憑性を確認しているから研究する人にとっては偶にありがたい事もあったりする。
そんな無能新聞を発行する人だからと言って彼が無能かと言われたらそんな事はない。
確かに、彼は記者という職業で見れば優れているとはとても言えない。
だが、調査という項目だけで見ればずば抜けた能力を持っていた。
つまり……『情報屋』。
彼はこの冒険者学園の中でも限りなく黒に近いグレーを渡り歩く、極めて悪党寄りの情報屋であった。
これがユーリの手札の一つ、本来ならば一年生が関わる事の出来ないレベルの、それも基本高額報酬のみでしか動かない真実しか語らない情報屋との直接のコネ。
そしてユーリは、そんな彼に対して大きな『貸し』があった。
「あんたの事だ。状況はわかっているよな?」
「ええ、まあ凡そは」
そう、この男は自分の知っている事は大体知っていると思った方が良い。
誰にも話してない時から、アナスタシアへの想いを彼は知っていた。
「なら話は早い。俺の貸しを返してもらいたい」
「――本気ですか? 貴方はこの借りを彼女の為に使うと……」
「ああ。そのつもりだった」
「わかった上で、ここで私に対しての借りを使うと? そうするならもう私に頼る事は出来なくなりますよ? たった一度の絶対のチャンスを、貴方は他人の為に使うと?」
「いいや違う。俺の為に使うんだ」
「……そうですか。なるほど。彼は……貴方のパーティーリーダーはこんな短時間で貴方を変えたのですね」
「いや別に。ぶっちゃけクリスはそんなタイプじゃないぞ」
ユーリ自身もクリスの所為で変わったと一瞬はそう思ったが……後から考えたらそんな事はない。
多少馬鹿になったかもしれないがそんな感動する様なエピソードもないし尊敬だって欠片もない。
強いて言えば、『こんな馬鹿のチームに入って良かったのか』程度の感想がユーリの今感じている精々である。
「ふむ。ではどうして? 何が貴方を変えたので?」
「……さあな。俺にもわからん。ただ……これを放置するのは気分が悪い」
「それについては同意しましょう。我々の足元に悍ましき者が蔓延っている。良い気分はしません。……良いでしょう。借りを返させて貰います。後から文句は聞きませんよ?」
「ああ。構わない」
「ええ、とは言え、私の情報網でも未だ事態の特定には至ってません。ですので……これを使います」
そう言って彼は引き出しからカードを取り出し、テーブルの上にバラバラに並べた。
「占い……いや、占星術か」
「いえ、占星術を応用した限定特化型の未来予知の儀式です。占星術そのものは私とすこぶる相性悪いので」
それは何となくユーリもそう思った。
占いなんて似合わないなと。
この男は『真実を追求する事が我が使命』なんて言っている。
一方占星術というのは己の手で理解出来ない領分を、ふわっとした予言の形にて表す行為。
だから占星術にて示される言葉は必ず、曖昧な表現と成る様になっている。
占いという存在はどこもかしこも曖昧で真実さや正しさがなく、しかも正誤を確認する事も証明する事も出来ない。
この男の求める物と占いは正反対という程噛み合っていなかった。
「どの位の精度だ?」
「百パーセント確実ですよ失礼な。ただし、条件は厳しいですけどね」
そりゃあそうだ。
特別な能力や眼を持たずに未来予知などするならそれ相応の制約が課せられるに決まっている。
今回だってユーリが想像する以上のコストを彼はきっと支払っている。
それがどういう物かはわからないが。
それでも尚、その場で未来予知を成し遂げられるというのは異常な才能と能力の持ち主である事の証明でもあった。
一番の理由は、彼がそれだけ真実に拘りを持っているからだが。
「……ふぅむ。……ええ、出ました」
そう言って彼は一枚の地図と二枚のカードを組み合わせて見せた。
「『真実』を示し、同時に『朝日』を暗示するカード。『衝突』を示し、同時に『次』を暗示するカード。なるほど。悪くないですね。明日の朝、二年エリアの第三植物園裏の大型公園に一人で向うと真相に辿り着くと出ました」
「……俺が行けば良いのか?」
「運命に自信があるのでしたら」
「運命?」
「ええ。誰が言っても結果は出るでしょう。それは変わりません。ですが、よりよい結果を求めるのなら少々話は変わります」
「つまり、どういう事だ?」
「この手の事柄は己の運命力が高い程良い結果を招くんです。なので。運命力に自信がある方か、もしくは運命を切り開く力を持つ方が向うに望ましいかと」
ユーリの頭にパーティー二人の顔が思い浮かんだ。
「……正直に言ってくれ。俺をどう見る?」
「運命力皆無。むしろ不運。切り開く力もない。ただの凡人」
借りがある故に、彼は正しく彼の望む答えを示してみせた。
そう、ユーリが持つ才能なんて己を客観視する事位。
そしてその客観視の結果、自分の才能は枯渇寸前であり凡人以下の無能であると理解出来てしまった。
才能はなく、自分にあるのはただ努力のみ。
それでも上限は低く、また特別な力もない。
オリジンもなければ魔法を操る才も長けていない。
奥義とかそういう領域に辿り着く事もなければ誰かを指示する才もない。
努力しない屑は一方的に屠れるが、努力する普通の人には必ず追い抜かれる。
凡人故に一歩ずつ進み、着実に成果を上げ答えを示す事こそがユーリの正道。
つまり……運命とかそういうあやふや物にはとことん弱いタイプであった。
「オーライ。参考になった。世話になったよ」
「こちらこそ。また何時か、機会があれば」
「助けてくれるのか?」
「ええ、貴方が私の記者魂を刺激してくれるのであれば」
「――クリスのインタビュー権とかは?」
「ぐっ! の、喉から手が出る程欲しいですが、遠慮します。貴方達はまだ私が信用するに値する実力がありませんので」
遠回しに、『実力があればまた付き合ってやる』と教えられたのだとユーリは気付けた。
それに気付ける程度には、ユーリの観察眼は磨かれていた。
「オーケー。色々と理解したよ。じゃあありがとう、名も知れぬ記者の先輩さん」
その他人行儀さは情報屋である事を知らなかったという体の証明。
契約の終わりを示す挨拶である。
「ええ、こちらこそありがとうございます。購入いただかなかったお客様」
そしてこちらもまた、恩返しも終わりもう縁も所縁もないという証明。
こうして、互いもう関わらないという誓いが結ばれる。
彼らの縁はここで一度切れた。
再び交わるのは、奇跡が起きるか彼らが英雄となるかの二つのみ。
どちらにしても、その日が来てくれる事を、楽しい記事が書けそうな未来が訪れる事を、一記者として彼は願った。
ありがとうございました。




