破天荒なもふもふさんと少しだけ口数の増えた女の子
肌寒い季節、早朝朝日の輝きを受け、少女は静かに目を覚ます。
少女の名前はリュエル。
リュエル・スターク。
王立冒険者養成学園フィラルドの六十五年度四期三十三回生。
早い話が、新入生の冒険者見習いである。
そして同時に彼女は『勇者候補』という重すぎる名を背負っていた。
世界の秩序を正し、民草の為に正義を為す存在、勇者。
その勇者となるに相応しき候補生の一人。
少なくとも……今はまだ。
色々あって勇者候補でなくなる可能性が非常に高いのだが、まあそれは彼女にとってどうでも良い事であった。
正義とか勇者とかそんな事リュエルは興味ない。
彼女にとって世界はあまり好ましい物ではなかった。
むしろ、嫌いになる価値さえない物が大半であった。
目覚めてから洗顔等の朝の支度を整えていく。
洗顔の様な場合でも気軽にお湯が使える程度には、彼女は贅沢な場所に住んでいた。
彼女が今いるのは冒険者学園内のいわゆる貴賓用の部屋である。
本来の住所……というか所属していた組織そのものが解体されなくなった為、彼女はこちらに住む様学園長に言い渡された。
一時寮たるものも存在しそこに泊まる事を希望もしたのだが、学園長の必死の懇願によりリュエルは折れた。
その結果がこの見習いが受けるべきでない豪華な部屋であった。
まあ、正式寮への配属までの繋ぎでしかない為、この新入生にあるまじき贅沢生活もそう長くは続かないが。
朝の支度を一通り終えた後、リュエルは庭の方に出て剣の訓練を始める。
鉄芯の入った木剣を持ち、まずは軽く技のチェック。
縦振り、袈裟斬り、切り上げ、突き……。
一通り動かし、自分の調子を確認する。
悪くはない。
コンディション自体は良い方だろう。
ただ、根本的な問題、即ち筋力不足感はどうしても否めなかった。
元来サボリ癖のある性格であった事も大きな要因だが、もう一つ。
今は自分の特異能力とも言える『白の権能』が封印されている状態の為、全盛期よりも格段に筋力が下がっていた。
『白の権能』
高位ホワイトアイ神官に匹敵する加護を受けられ、勇者らしい事なら大体出来るという能力。
その能力を封印している今のリュエルは、ちょっと剣が一流なだけの単なる女の子であった。
「……ふふ」
訓練の中、つい思い出し笑みを浮かべる。
毎日の事だが、それでもやはり嬉しい物だった。
リュエルが見ているのは、自分の腕輪であった。
その白の権能を封印しているのはこの腕輪。
最初はまあ、どうでも良い物と思った。
これは学園長が用意した代物であり、単なる封印具と思っていたからだ。
だが事情を聞けば学園長はただ受け取っていただけであり、これは我が心の支えであり最愛のクリスきゅんが用意した物というではないか。
しかも市販されていな特注品。
つまり、最愛の人からの身に着けるプレゼント。
これにときめかない女の子はいるだろうかいやいない。
そう言う訳で、リュエルはこの腕輪を見るだけでつい嬉しくなっていた。
だから、彼女はまだ知らなかった。
それを実際用意したのは彼というよりも、彼に最も近い女性であるという事を。
「っと。集中しないと。あまり時間はないんだから……」
静かに呼吸を整えて、訓練に集中する。
自分で言うのもアレだが、能力はあると思っている。
所謂秀才型で、一を聞いたら五か六程度は理解出来る。
天才には及ばないが常人ではない。
だから、努力をすればまだまだ上に行けるという自負がリュエルにはあった。
例え白の権能に頼らずとも。
一通りの訓練を行なった後、最後に〆の素振りを行う。
これが一番きつい訓練であり、これまでの訓練でもほとんど汗を掻かなかったリュエルが汗だくになる。
内容は、筋肉の繊維一本まで神経を集中させ、素振りの動きを出来る限りコピーし繰り返すという物。
イメージで言えば、ハンコとかスタンプ。
全く同じ動作を行う機械になる事を目指すという物。
人が普段使わない脳細胞の一欠けら、神経や筋肉の一本までも意識下でコントロールする様に。
普段集中せず使っている全てを自分の意識で動かす。
それは脳が熱暴走を起こしそうな程きつく、意識化での筋肉のコントロールはどんな荒行よりも苦しい。
それでも、それが必要であるとリュエルは理解している。
これこそが、己を高みに上げる最善で最短の手段であると、リュエルは愛しい彼から学んでいた。
そうして十分。
たった十分で意識が飛びそうになってから、訓練を終える。
終了というよりも集中力切れでのギブアップに等しいが。
まるで出来ない。
何日か同じ訓練を行なっているが、きっかけさえつかめない。
何となく直感でこれが正しいとは思っている。
だが、こうも成果が掴めないと少々不安になってくるのもまた確かだ。
そうして慌ててシャワーを浴びて、学園に登校するのが彼女の朝の日課であった。
時折時間がなさ過ぎて朝食を忘れる事も含めて。
教室に着いたリュエルがまずする事は、愛しのクリスきゅんがいないか探しである。
とは言え、ほとんどいないのだが。
なにせリュエルはホームルーム……は担任がサボっているから基本ないがホームルームの時間まで三十分以上もはやく教室に向かっているからだ。
だからリュエルが教室に居る時は大体生徒の数は少ない。
自分が一番最初だった事もあるし、逆に早く来る自分を狙い待ち伏せし襲い掛かって来た馬鹿なクラスメイトも居た。
今日もまた席に着いているのは過去にボコしたか数名の生徒か過去ナンパしてきて無視しただけの関係生徒だけ。
悲しいが、愛しの彼の姿はなかった。
無表情のまま、そっと溜息代わりに息を吐く。
そして真ん中の方の何時もの席に座った。
何時もなら、ここから馬鹿が群がって来る。
ナンパやスカウト、クリスの暴言から限りなく拉致に等しい連れ込み。
その他にも『お前らは恵まれている! だから俺達に施すのはお前達の義務だ!』みたいな事を言うまるで理解出来ない存在が居たりと、正直Dクラスは馬鹿には事足りていた。
だけど今日は馬鹿が来る事はなく、その代わり……。
「おはようリュエルちゃん」
そう言ってドアの方から愛しの彼であるクリスきゅんが姿を見せた。
ジーク・クリス。
彼曰く『どちらも名前でファミリーネームはないよ』らしい。
姿はぬいぐるみ……いや。
もふもふで愛くるしさマックスの限りなく理想に等しいぬいぐるみ。
サモエドの赤ちゃんの様にもふもふで、黄金色に輝く美しい毛はさわるとうっとりするほどふわふわしている。
やわらかく暖かく心地よく。
まさに理想の抱きごこち……とリュエルが妄想する位には触り心地が良い。
おそらく狼であろう耳は良くピコピコせわしなく動き可愛い。
後は、いつも楽しそうな雰囲気を出して回りに幸せを振りまいている。
そんなクリスの事を、リュエルは愛していた。
許されるならこのまま挙式からの赤ちゃん二桁コースに持ち込んで幸せな未来にれでぃごーしたい位に。
外見はぬいぐるみ。
だけど、リュエルは彼を男性として愛している。
リュエルは、普通の人を愛する事が出来ず、その対象に出来るのはこの世界でクリスただ一人だけだった。
「おはよう、クリス君。早いね」
「うぃ。おはよなんよ。リュエルちゃんが何時も早く来るからね。その分合流が早かったら自由時間増えるし」
「賢い。素晴らしい判断」
リュエルの心は自由時間というよりも、一緒に居る時間が伸びる事を悦んでいた。
「今日はホームルームない日よね?」
「うん。というかしばらくはない日。正面のアルハンブラレポートはまだ見てないよ」
『アルハンブラ・レポート』
それはめんどくさがりでサボりがちな担任のスケープゴートとされ連絡を全て受け持つ事となった哀れな生徒の努力の結晶。
本来のホームルームで行うべき事に加えて課題や注意事項。
その他一言アドバイスや呼び出しなどホームルームプラスアルファでやるべき仕事の全てが、そこには記載されていた。
「じゃ、一緒に見てからどこかに向かおうか」
「了解」
リュエルは荷物を持って席に立ち、教壇の方に歩いて行く。
今日のアルハンブラ・レポートに重要そうな事は書いていない。
強いて言えば……。
「そろそろ狩猟祭の内容が決められるから準備だって。……うーん。準備ねぇ。どうしよかリュエルちゃん」
「クリス君に任せるよ」
「うーん……私が弓付けたら良いんだけど……」
そう言って、クリスはもふもふの手とぷにぷにのにくきゅうに目を向ける。
まあ、無理だろう。
そのコッペパンの擬人化みたいな手を見たら、むしろ玩具でも何でも剣を持てるだけで大した物の様な気さえしてくる位だ。
「私も弓はあまり……」
「あー……苦手?」
「ううん。経験ないから……誤射が怖い」
「ああ……そうだね。弓は止めた方が良いや確かに」
「だね」
「じゃあ代わりに罠とか調べてみて、後リュエルちゃんの為の剣探しの続き。結局見つけられてないし」
「了解。……次の授業まであまり時間はないから、だったら近場にある生徒主導の市場の散策が良いかな」
「だねだね。じゃ、いこっか」
「うん」
そうして、二人は移動を始める。
クリスは何時もの様に浪漫たっぷり冒険者になる事を夢見て。
リュエルの方は……今日もデートぐへへーなんて下心百パーセントで。
そんな日々を過ごす事が、彼らの日常であった。
ありがとうございました。




