混乱を招いた罪
夜、クリス達が少女の家に戻って来た時、喧嘩でもしてるんじゃないかという位議論は白熱していた。
「だから! 海産物メインで出来る程の規模じゃないんだって!」
少女の父はリーガにそう叫んだ。
「だったら釣り堀で良いじゃないか!? この内地で海釣りが出来るなら間違いなく注目される!」
「本当に釣果が安定しないんだよ! 一か月一切釣れない時もあるんだから」
「それも味にすれば良いだろ!」
「そもそも観光施設として釣り堀は地味だし、風景も台無しになる。あまり意味がない!」
「……だったら……」
「だから……」
「それなら……拡張を」
「それは依然考えたけど不可能で……」
延々と議論するその姿を横に、少女の母はあらあらと楽しそうに笑っていた。
「頼もしいね」
クリスの言葉にリュエルは頷く。
だけど少女は……。
「人任せじゃ駄目なんだよ!」
そう言って、議論の間に入っていった。
「……頼もしい依頼人だね」
クリスの言葉に再びリュエルは頷いた。
少女の母は変わらず、あらあらと楽しそうに笑っていた。
少女の家族のご厚意によって夕食を共にして、クリスとリーガはテントの中に。
リュエルも一緒に居る予定だったのだが、女の子にテントは可哀想という事でリュエルは(泣く泣く)少女と一緒の部屋で寝る事に。
つまり……。
「何時もとそう変わらないね」
ランプの中で読書をしながら、クリスはそう呟いた。
「そうだね」
リーガもそう答える。
そうして一言二言話してから、二人は再び本の世界の中に。
リーガが読んでいるのは王道のファンタジーバトル漫画。
少年が仲間と共に魔王を倒し世界を平和にするという人間視点でのお話である。
クリスが読んでいるのは英雄どころか冒険者でもない、ただの町暮らしの男が主人公のお話。
日常でありながらも時折不思議な事に巻き込まれる青年のコメディチックな物語。
それは二人が相手の事を考えオススメしあった本であった。
「……クリス。一つ尋ねても良いかい?」
「うぃ。何なりと」
「今回の依頼、終着点はどこにあると思う?」
「全く考えてません。むしろどうすれば良い?」
「そうだね……実の事を言えば簡単な解決策があるって言えばどうする?」
「内容次第かな。教えて貰える?」
「そう難しくないよ。お金を使う。という訳で、クリスは大金払える? そして払う覚悟はある?」
クリスは一旦本にしおりを差し、バッグの中から小切手の束を取り出した。
「これで足りる?」
そう言って渡された金額を見て……リーガは絶句した。
一枚がおおよそ一般市民の年収程。
それが百枚以上の束となっていた。
何かあると思っていたは、ここまで規格外とは思っていなかった。
金額もそうだが、常識がないという意味でも。
こんな物持ち歩く馬鹿がどこにいると叫びそうになったリーガは必死に己の口を縫い留めた。
「まさかこれ程とは……」
「んで、足りる?」
「まあ……そりゃ……足りない訳がない……かな」
「そか。じゃあ、どうしようもなくなったらお願いするんよ」
「良いの? 本当に?」
「うぃ。問題ないんよ」
「……僕がこれを持ち逃げすると思わないの?」
「小切手を?」
言われ、リーガは苦笑した。
そりゃそうだ。
書かれた小切手だけ持っていったところで本人証明がない限り、これはただの紙でしかない。
自分がどれだけ頭の悪い事を言ったのか今更に理解した。
「馬鹿な事を言った。……どうして持っているか聞かない方が良い?」
「聞きたい?」
「……別に良いよ。その情報が必要になった時に教えてくれたら」
「うぃ。……でも、出来たらお金で解決は嫌だな……」
「気持ちはわかるよ。でも……多分他に解決策はないかな」
「残念なんよ」
そう言って、言葉は止め二人は読書に戻る。
だけど二人ともあまり集中する気分にならず、それから一時間もしない内にランプを消し、二人は眠りに着いた。
少女はクリスを連れ、二人で海の方で歩いていた。
リーガは朝から父親と弁論バトル。
二人共語り足りないとばかりに叫び合っていた。
リュエルは少女の母とお料理の勉強。
朝食の用意をする少女の母を羨ましそうに見るリュエルに気付き、少女の母はリュエルを台所に招きいれた事がきっかけで料理談義が始まった。
そうして朝食の後暇になった時間で、クリスと少女は『何か探し』に海の方に向かっていた。
そう、文字通り何か。
何か状況が大逆転出来る様なヒントとか閃きでも生まれないかと淡い期待を胸に、現場百回とばかりに仲良く散歩していた。
少女は諦めていなかった。
迷惑をかけた自覚はある。
悪い事をしたという申し訳なさも胸に燻っている。
それでもまだ、これは正しい事なんだという自覚がその時まではあった。
正しい事をする為なら、多少悪い事をしても許されると……。
クリスを引き連れて、海自慢を延々と聞かせて、クリスにも海を好きになって欲しいと、そうしたら自分の罪も減るなんて浅ましい事も考えながら延々と自慢し続けて……。
そうして家から大分離れた場所まで歩いて……少女はそれを目にする。
そこに彼らは居た。
明らかにガラが悪く、不良と呼ぶ様な外見の彼ら。
剣や斧を抜き身で持ち、ニヤついた笑みを明らかにこちらに向けている。
この時間まだ馬車も出ていないというのに彼らは徒党を組み、こちらが逃げない様囲って。
少女は愚かではあるが、馬鹿ではない。
これが自分達を害する目的であるとすぐに理解出来た。
だから……少女はこの時初めて、『本当の意味』で自分の罪を自覚した。
自分の愚かさが故に、これを招いた。
因果応報は、己だけでなく周りさえも苦しめる。
「ごめんなさい……。全部私が悪かった。私は、本当に酷い事をした……」
正しいなんて気持ちはもう微塵もなく、ただただ罪悪感と後悔で涙を零し、少女はクリスに懇願する様な謝罪を口にする。
「ううん。だぶん私狙い。だから気にしないで」
「違う……違うよ……全部私が悪かったんだ……」
アーティファクトを持って、高僧とも言える身分になって。
だからクリスはそういう輩から狙われる様な存在となっている。
そして、そういう存在だとわかった上で、格安で利用できると画策した。
それこそが『少女の罪』。
多大な影響力を持った存在を巻き込んだ時の後の事まで考えなかった。
どうしてそういう人は雇うのに高額だったり気軽に声をかけられないかと言えば、彼らのフットワークが軽いとこういう馬鹿が続出するから。
そこまで、少女は考えていなかった。
自分の所為で誰かが不幸になるなんて夢にも思わなかった。
だから少女は己の愚かさと罪に苦しむ。
出来る事は、もう後悔する事だけだった。
クリスは頬をぽりっと掻く。
子供の浅知恵を罪と思う訳がない。
だけど、今のクリスは少女を納得させる様な説得はまるで思いつかない。
少しだけだが、元の自分なら上手く慰められたかななんて情けない事をクリスは考えてしまった。
「さて……。言うまでもないが痛い目に遭いたくなきゃ大人しくして――」
その言葉の直後、少女は男達の方に何かを投げつけた。
それは、砂だった。
「いってぇ!」
目に砂が入り、集団の二人程が怯み顔を手で覆った。
その隙間を縫って、少女はクリスを抱え全力で走り出した。
まるでクリスだけは助けようとしている様に。
いや、まるでではなく少女は自分を犠牲にクリスを救う事だけを考えていた。
自分の所為でクリスを傷つけない為という考えもある。
だけど何よりも、少女は気付いていた。
もしこの場でクリスに何かあれば、責任問題になれば、この場所そのものがなくなる。
自分の大好きな海が、家族が大切にしてきたこの海が消えてしまうと……。
己を責める事もそうだが、自分を犠牲にする事を既に考えている。
後の事を考えられる程度に少女は頭が良すぎた。
そこが、クリスは少しだけ嫌いだった。
まだ、誰かの所為にしても良い歳なのに……。
だけど、少女は賢くともまだ子供だった。
必死になった程度で大の大人から逃げられるなんて考える程度に、子供だった。
追いつかれるまでの時間は、ほんの一、二分だった。
「このっ……クソガキが!」
男の一人が少女に追いつき、その足をひっかけ転ばせる。
勢いよく倒れた衝撃で少女はごろごろと転がりながらも、クリスを必死に抱きしめる。
怪我させない様、庇う様に。
そして再び立ち上がろうと手を地面についた瞬間……その手を、思いっきり踏みつぶされた。
「うぜぇ真似すんなや! マジで殺すぞ!?」
そう言ってから立ち上がれない少女からクリスを奪い取った。
「駄目! 駄目なの!」
少女は叫び、必死に藻掻こうとする。
踏みつけられた手など気にもせず、必死に暴れようとする少女を見て、男達は嘲り笑う。
少女はそれでも必死に抵抗し、再び砂を投げつけた時、踏みつける男は苛立ちを覚えた。
「いい加減にしろガキが! 本気で殺すぞ!?」
叫び、男は少女の足を掴みあげ、引っ張り逆さづりにして睨みつけた。
「お前……わかってんのか!? あぁ?」
目の前で睨まれ、凄まれ、怒鳴られて。
少女はびくっと体を震わせる。
だけどすぐにきっと睨みかえし、男の顔をひっかいた。
「返して! クリスを返して!」
それが、男の短い導線の限界であった。
「そんなに死にたきゃ死ねや!」
そう叫び、男は少女を思いっきり投げる。
少女が最も愛する、その海目掛けて。
どぼんという情けない音と共に、激しい水しぶきが。
そして、少女の姿は一瞬で水の底に消えていった。
「お、おい……。そこまでしなくても……」
「知るか! どうせすぐ出て来て泣きわめくだろうがよ!? 煩くよ!」
「で、でも……浮かんでこねぇぞ……」
男の一人がぽつりと呟く。
その言葉に、投げた男は一瞬たじろいだ。
口ではどう言っていても、人殺しをする覚悟なんて彼らにはなかった。
正しく言えば、人殺しで捕まる覚悟が。
「お、俺は悪くないぞ! あのガキが悪いんだ! この傷見ろよ! ほら!」
必死に言い訳をしているのは、仲間にというより自分に。
その程度の覚悟しか、彼らにはなかった。
男達が動揺している間に、クリスは身をねじり、掴む男から脱出する。
「ちょ、おい!」
何かを言いかける男の声を無視し、クリスは少女を追いかけ海の中に飛び込んだ。
ありがとうございました。




