少女の思惑、大人の事情
その建物が単なる民家であったのなら、それなりに豪勢な部類に入るだろう。
二階があって部屋数もそこそこ。
基本的な施設は全て揃っており手入れも行き届いている。
だが、観光地の責任者でかつエナリス信仰拠点の管理人が暮らす施設と見るなら非常にしょぼい。
それがこの世界一小さい海を管理する一族、つまり少女の実家であった。
この少し離れた場所にある実家を除けば、やけに綺麗な屋外トイレと小さな小さなお土産屋位しかこの辺りには存在しない。
ガラス玉のブレスレットと安物のお守りを売っている、がっかりポイントの高いお土産屋しか。
「本当に……申し訳ない……」
そう、少女の母は申し訳なさそうにクリス達に頭を下げ、そして少女を睨みつけた。
「まあまあ……。それよりも、どうしてこんな事をしてしまったんだい?」
少女の父は妻を宥めながら、少女にそう尋ねた。
わざわざ冒険者の方を、それも『エナリスの信奉者』なんて地位の人に故意に迷惑をかけた。
だったらもう怒るというポイントではなく、再発防止で考えなければならない。
そう思って尋ねたのだが……少女は、父親を強く睨みつけた。
「だって……あいつら何時も好き放題じゃん! この場所も、私のパパも本当は凄いのに……なのに!」
俯き、震えながら少女はそうとだけ呟く。
少女は知っていた。
父親が立派な人で、そしてどれ程一生懸命やっているかを。
だからこそ、この観光地が馬鹿にされる度に、自分の父親が馬鹿にされている様に感じ続けていた。
だから……だからここを立派にしたかった。
自分の父親は誰かも尊敬される凄い人なんだと、皆に知って欲しかった……。
両親は何とも言えない困った顔をして、そして冒険者達の方に目を向けた。
「とりあえず、話を聞かせて貰えるかな? 依頼受けちゃってるんで」
クリスは空気も読まずニコニコしながら少女に尋ねた。
極めて面倒そうな気配がビンビンに伝わって、楽しみでしょうがなかった。
まずは、少女の事情。
と言ってもそう難しい物じゃあない。
自分の家でもある世界一小さい海。
このがっかりスポットを再開発し人気観光スポットにして欲しい。
それが無理でも馬鹿にされる状況を止めたい。
そう思い日々悩んでいる時に、両親の会話を耳にした。
何でもエナリス信仰の信奉者が、このハイドランドの首都に唐突に現われた。
冒険者学園に入ったばかりの人で、ふわふわとした愛くるしい容姿らしい。
少女は『これだ!』と思った。
信奉者という存在は本来非常に高貴な身分ものであり、気軽に接触出来ない。
だが冒険者学園の見習い一年生ならどうだ。
その身分は一般人以下と言っても良い。
接触してもきっと問題ない。
それに、冒険者学園に入ったばかりなら安いお金で雇えるはずだ。
そして信奉者なんて信仰に篤い身分の人ならば、きっとここの現状を見れば理解し改善してくれるに決まっている。
以前父より『本来ここは宗教施設』だと聞かされた少女はそう都合よく考え、片道の馬車で半額以上消し飛ぶ程度のため込んだお小遣いを持って飛び出し彼らを連れて来た。
少女の考えはそうで、そしてこれが依頼内容。
そしてここからがもっと全体の、この施設と両親の事情なのだが……。
父親は苦笑しながら、後頭部を掻いた。
正直言えば、少しばかりこの話題は娘には話し辛い物であった。
なにせこれは、自分を信じてくれている娘への裏切りに等しいのだから。
「えーっと……まず、私達は一応はハイドランド王国民なのですが所属そのものは異なりまして、他国より派遣されたなんて身分となっております。派遣理由は海洋神様を奉る施設の管理なのですが……はっきり言いまして、左遷です」
そう、父親は自分の状況をばっさりと説明した。
これは海洋神関連だけでなく全ての宗教教団に共通する事なのだが、教団はどこも頭が悪い程に『縦社会』である。
どの位かと言えば学校の運動系の部活が可愛く見える位に。
そしてその上下関係を決めるのが経験であり実績であり生まれであり身分であり。
つまるところ『権威』と称される物全てが宗教者としての格を決める。
権威を持つ者は偉く、そして下の者は目上の偉い人に従わなければならない。
それが悪いという事はない。
格が高いという事はそれだけ徳を積み、神に対し貢献したという証。
それを否定するならば宗教そのものが否定される。
だが同時に、そんな在り方が綺麗なだけとはとても言えない。
そしてなにより、この様なやり方をすれば確実に光と闇が生まれる。
全てをその手にする勝者という光と、全てを失う敗者という闇に。
そして、彼は闇に転がった。
まあわかりやすく言えば、出世レースで敗北し左遷されたという事である。
そんな左遷先となっているのがこの場所、がっかり観光地とも言われる世界一小さい海である。
少女の父が元いた海洋神教団……と言ってもそれほど大きな教団ではなく町支部程度の規模に過ぎないが……その教団にとって、ここほど左遷先として都合のいい場所は存在しなかった。
まず、海に面してないハイドランドは海洋神信仰そのものが薄い。
そんな場所に一度堕ちたら復讐にしろ復帰にしろ再びなりあがる事は不可能に近い。
エナリス信仰教団にとってハイドランドという地はそういうどうしようもない場所であった。
更に、海洋神教団にとってこの世界一小さい海はハイドランド王国内で唯一の正規宗教拠点でもある。
エナリス信仰における活動拠点の条件に『海である事』が記載されている為ハイドランド王国ではここ以外どれだけ立派な教会であっても、どれだけ人が大勢いても海洋神教団正規活動拠点にはならない。
つまり、重要である為安易に捨てる事が出来ず、責任によりその身を縛られる。
重要という建前がありながらも相手を二度と復帰させない地位に叩き落とせる。
更に言えば、ハイドランド王国は最も平穏に暮らす事が叶う国。
これほど温い環境に居れば牙さえ抜け落ちるだろう。
そういう事情があり、敵を左遷するにこれほど適した場所はなくて、そしてそんな徹底的な左遷を喰らったのが、少女の父であった。
「と言う感じでして……まあつまり、私は負け犬ですと言う事です。いえ、犬の方に失礼でしたね。はは」
クリスの方を見ながら、彼はそう呟く。
横でそれを聞いていたリーガは眉をひそめていた。
想像以上に状況は悪かった。
その話を元に考えるなら、出来る事はもうほとんどい。
偶然が重なってがっかりスポットになったとかならともかく、ここはとある海洋神教団が故意的にそういう風にした場所。
その教団がどの程度の物かはわからないが、教団一つが長い時間をかけて左遷先として用意した『馬鹿にされる事も目的である場所』を改善するなんてのは一代で出来る内容を越えている。
それ以前に、こうなると依頼目的からもう変更する必要があるだろう。
「……君はどの位理解出来てる?」
クリスに対しリーガは尋ねる。
クリスは『へ?』と間抜け面で首を傾げた。
リーガは一目で理解出来た。
こいつは、何も理解出来ていないと……。
「そうじゃない。……そんな訳ない!」
突然、少女が叫びだした。
尊敬する父親とそれを馬鹿にする環境。
その父親からの諦めに近い言葉は、頑張ろうとしていた少女にとって耐えられる言葉ではなかった。
「違うもん! パパは負け犬なんかじゃないもん!」
ぽろぽろと真珠の様な涙を落とし、たった独りでもその事実を否定する様叫びながら少女は部屋を飛び出していった。
慌てて追いかけようとする両親よりも早く、クリスは飛び出していた。
「ごめん後は任せる!」
クリスはリーガに叫ぶと返事を聞く間もなくその場から消えた。
「……まあ、あの子よりも理解出来ていなそうな彼だし問題ないか。それで、君は……」
リーガは困った顔でリュエルの方に目を向けた。
「私も良くわからないし、任せても良い?」
「……僕、ただの手伝いなんだけど……」
「でも、やる気ある。それに、貴方に任せるのが一番いい結果が生まれると私の直感も言ってる」
「……はぁ。素直に追いかけたいって言っても良いよ」
「クリス君が心配だから行きたいです」
「どうぞ」
「ありがとう」
それだけ言葉にしてから、リュエルもその場を後にした。
信頼されてるのか、どうでも良いのか。
良くわからないが、この場の全責任が、リーガの背にのしかかった。
「……じゃあ、ここからは大人の時間といきましょうか。……まだ僕もまだ学生なんだけどなぁ……」
リーガは小さくぼやいた後、両親の方に目を向け依頼の落としどころを探りだした。
ありがとうございました。




