彼の居ぬ間の短い時間
その日、リュエルはずっとイライラしていた。
自分の無表情について何かを思った事はない。
だけどこと今日に限ってで言えば、この無表情が悪癖なんだと自覚させられていた。
イライラして、話しかけるなオーラを出しているというのに……。
「なあなあリュエルちゃんだっけ? ちょっと良いかい?」
ニヤニヤして、下手に出た感じで不良が絡んで来る。
Dクラスだから基本こんなのばかり。
彼がいない寂しい時に声をかけられるだけでも不快なのに、彼と同じ呼び方をしてくるだけで腹立たしかった。
「良くない」
それだけを言って、後は何を言われようとも無視をする。
相手側も『話だけでも……』としつこく食い下がって来るけれどけんもほろろになしのつぶて。
そうして諦め、恥ずかしいのを誤魔化す様な苦笑いで帰っていく。
無視するだけで諦めてくれるのだから今回はマシな方。
五分程前には怒鳴りつけてきたり体に触ろうとしてきたりする馬鹿もいた。
そんな馬鹿は力でねじ伏せたが。
そして倒れた馬鹿は良くわからない連中が教室の外に連れていった。
いつもの朝、いつもの教室。
いつもと違うのは、隣にクリスがいないだけ。
それだけなのに自分の気持ちは過去最低という程落ち込んで、そして状況はこの有様。
とにかくうんざりした気持ちとなっていた。
「大変だね」
そう言ってまた勘違い馬鹿が現れたのかと思うと……。
「――貴方は、クリス君の友達の……」
名前さえ憶えられていない事に気付き、彼は苦笑を見せた。
「ロロウィ・アルハンブラ。以後お見知りおきを」
そう言ってアルハンブラは優雅に、少しわざとらしく頭を下げた。
「失礼かもしれないけど、雰囲気がDクラスに合ってないね」
このクラスの基本イメージは『不良』である。
スキンヘッドに肩パットなんて気合入った馬鹿を除いたとしても、ちゃらちゃらしてたりいつも誰かを威嚇してたりと品性に欠ける。
そうでない連中もいるが、そういう連中は『不良』ではなく『出来損ない』であり、不良の卵。
だから、どうしようもなく不良で、そして攻撃的であった。
一方アルハンブラの容姿や立ち振る舞いは紳士そのものである。
貴族ほど煌びやかではないが庶民と思えない程洗練されたデザインの服を身に纏い、それに違和感がない程度には落ち着いた物腰。
特にその目が良い。
相手に配慮し女性的に見ようとしないその目が。
不良達の隠しきれない卑猥な目に晒され続けてきたからこそわかる。
アルハンブラは性的な意味ではなく、紳士という立場での女性としてリュエルを見ていた。
そんなアルハンブラだからこそ教師の手伝いをさせられている事に違和感はなく、同時にDクラスに居る事に違和感しか覚えなかった。
「ふむ。似つかわしくないと。では、その言葉をそっくりそのままお返しする事は失礼に値するかな?」
「ただの誉め言葉だね」
「全くもってそう思うよ」
アルハンブラは困った顔で微笑み、少し離れ隣に座った。
「虫よけありがとう」
「……バレバレだったかな?」
「うん」
「余計なお世話だった?」
「ううん、助かる」
「それは良かった。さて……後五分程時間があるが、少しお話をしても宜しいかな?」
「あまり話すのは、得意じゃないけど」
「大丈夫。大した話じゃない。私達の共通の知り合いについてだよ」
アルハンブラがそう口にすると、リュエルは珍しく、わかりやすく興味を持った。
アルハンブラにとって、クリスは間違いなく友である。
偶然と適当の出会いであったとは言え、彼の事は気に入っている。
特に、誰かの悪口を言わないところが良い。
周囲からは幼稚とかガキとか知能がないとか言われているが、アルハンブラはそうは思わない。
むしろそんな風に見られる様な舐められる容姿でありながら、対人での礼儀は非常に良く出来ている。
特に、女性への対応で言えば紳士的であるとさえ言えるだろう。
食事の作法はちょっと微妙だが。
つまり何が言いたいのかと言えば……。
「彼は本当に、ミステリアスだと思わないかい?」
楽し気に言葉にするアルハンブラに、リュエルは否定も同意も出来ない。
言いたい事はわかるが、その雰囲気が正しいとは思えない。
ミステリアスという言葉はむしろアルハンブラの方が似合ってしまうだろう。
「知りたいとは、思う」
「ああ。私もだよ。……まあ、失礼だが世間の評価で当てはめよう。世間の評価で言えば彼はあまり芳しくない存在となる」
当然の事と言えば当然だが、彼は目立つ。
この学園にはエルフやドワーフといった魔族というカテゴライズに不満を覚えている種族も入り込んでいる。
当然、獣人だってこの学園には多く在籍している。
明らかに巨大だったり小さかったり、そもそも人から外れた存在だって多々いる。
それでも尚、クリスの容姿は極端に目立っていた。
あの容姿というか、あのもふもふ具合というか。
そして話題になるという事は当然それだけ噂となり調べられるというのだが、不思議な事に過去の話が一向に出てこない。
学内機密である成績さえ半ば流出しているというのに。
だから、ミステリアスだとアルハンブラは評価した。
「失礼ながら成績の流出について確認してみたよ。……概ね事実らしい。嘆かわしい事だ」
内蔵魔力は規格外。
ただしそれを扱う能力はなく、一切の放出も出来ない。
そんな宝の持ち腐れとしか言えない特徴を除けば、後は完全なる劣等生。
それが、流出した成績についてであった。
無論、それだけとはアルハンブラは思わない。
むしろそれれが事実なら、尚の事彼の存在は規格外という事になる。
そんな劣等生の能力で、入学試験を突破しているのだから。
だが、アルハンブラはともかく噂話に飛びつく様な彼らがそこまで裏を考えるかと言えばそんな事はない。
『外見ぬいぐるみの無能が生意気にも勇者候補生に取り入った』
それが、今彼について流れている噂の大まかな形であった。
「……それで、何が言いたいの?」
リュエルは少し冷たい目で、アルハンブラを見据えた。
「無論友の為に噂を払拭したい。だけど、それはそれとして彼の過去を知りたいとは思っている。彼の謎はあまりにも蠱惑的過ぎるからね」
「そう。私はどうでも良い」
「気にはならないと?」
「過去よりも、今が大切だから」
「なるほど。素晴らしい答えだ。自分が女々しく思えて来る。……いや失礼。差別するつもりではないんだ」
「どうでも良い。それで、私に聞きたい本題ってのは一体何なの?」
ここまで来れば流石のリュエルも理解出来る。
クリスについて何か聞きたい事があるから、こういう話を振ったと。
「まあ、一つだけ、気づいた事がある。その確認をしてもらいたいんだ」
「何?」
「普段は、正直あまり賢いとは言えない。それが愛嬌と言えばそうだが、彼の知能レベルはあまり高いとは言えないだろう」
「私はそうは思わないけどね」
「ありがとう。そう、そこなんだ」
「どこ?」
「見えている能力の割に、彼は上手く出来過ぎているんだ。最初は弱者を擬態していると思ったが、彼はそんな下らない事をするタイプではない。何時だって真剣で、まっすぐで、一生懸命だった」
「それは認める」
「だからつまり……能力以上に成功するのが当たり前で、そして酷くムラっ毛があるという事だね」
例えば、礼節の授業。
別に貴族社会に溶け込むとはではなく、冒険者としての最低限の礼儀作法を覚える基礎教育である。
その時の彼は物覚えは悪くないけれど、上手く出来ているかと言われたら微妙なライン。
他のDクラス生徒とどっこいどっこい程度の結果だった。
その反面、冒険に直接関する事は多く知っており、例え知らずとも一度で大体覚えている。
それは興味があるないという範疇を遥かに超えていた。
いや、そうじゃない。
冒険に関わる事だけでなく、もっと厳密に言えば……。
「彼は、戦いに関する事だけありえない位に飲み込みが早い」
特に、戦術に関しては鋭いという言葉さえも足りないだろう。
教師が作った即席での戦闘訓練用の遊戯。
駒を動かしルール内で勝利するという遊戯の時、彼は一目で法則と穴まで見つけ教師の意図を理解してみせた。
それはアルハンブラの目から見ても、はっきり言ってあり得ない事だった。
それだけ能力が最初から見えた訳ではない。
彼は紛れもない無能である。
しかもその得意の戦闘でも無敵かと言われたらそんな事はなく、普通に生きていれば多少は手に入る経験さえも彼から感じられず、ついでに言えば体力も皆無。
経験からの実力でさえないのだ。
そこから導き出される推測は……。
「つまり、私は彼が戦闘用の実験動物であったのだと推測している。そして実験は失敗したと」
何等かの魔獣とのハイブリッドか、もしくは高名なる獣人の子を意図的に先祖返りさせたか。
そういう物で作った兵器だが、見ての通りの外見と能力を上手く使えない存在となり破棄された。
そう、推論付けざるを得なかった。
「……まるで……」
まるで私みたい。
その言葉を、リュエルはそっと飲み込んだ。
「それは聞かなかった事にしよう。それに、無論これはただの推測。だけど。彼が世間知らずなのは事実で、そして彼が世間を知る環境に居なかったという公算は非常に高い。だから……見捨てず見守ってやってほしい。そしてもし何か大きな事件が起きて、そして困ったら……」
リュエルは小さく頷いた。
悪者になりそうなのに何故わざわざリュエルに悪い噂を話して、そして自分の荒唐無稽な推測まで話したのか。
その理由は、友が心配だからリュエルに気に変えて欲しかったという物。
それがわかるから、リュエルの方も彼を尊重する。
少なくとも、クリスに関してだけはリュエルは本気のつもりであった。
「その時は相談する。彼の友達に」
「その時までには、親友と呼べる程に懐を開き合いたいものだ」
「それは難しいと思う」
「おや、何故だい?」
「私から見ても、貴方は少し胡散臭すぎる」
アルハンブラは紳士である。
それに嘘はない。
だが、冒険者の荒くれ者の世界に紳士的な男が一人混じっている姿を想像して欲しい。
胡散臭い事この上ない。
物語ならばそれはもう黒幕の伏線でしかないだろう。
その認識に否定出来ないから、アルハンブラは胡散臭い態度のまま両手をひろげやれやれと言う様な態度を取った。
その直後に、授業始まりの合図が響く。
授業内容は冒険者の心構えについて。
クリスが聞きたかったと参加出来ぬ事に嘆いていた授業だったから、リュエルは珍しくノートを用意する。
同時に、リュエルから少し離れた席に移動したアルハンブラも全く同じ意図で全く同じ行動を取っていた。
ありがとうございました。




