不真面目の中に混じるたった一粒の真面目だった所為で
勝者も敗者もどんよりとし、一言ではとても言い切れないのやっとした空気が流れる。
そしてその空気はギャラリーたちにも感染していた。
これは本当にラウッセルさんの負けなのか?
というか負けで良いのか?
それ以前にこう……これ、一体何がしたかったんだ?
そんな混乱しつつもふわっとした緩い空気の中、リュエルだけは真剣な表情をしていた。
情けない一撃で終わった。
これはとても勝利とは言い切れない。
事前のルールがああだったからこそ勝てただけで実力差はどうみてもラウッセルの方が上だった。
それらをリュエルは否定するつもりはない。
だが……。
外から見ても、まるでわからなかった。
クリスが一体どうやって、最後の一撃を入れたのか。
剣を主体とし勇者候補生とまで成りあがったリュエルでさえもクリスの動きは見えず、本当に背後に直接移動したかの様であった。
ただ、分かった事はある。
あまりにも弱すぎて気まずい空気は流れているが、それでもラウッセルが完敗したという事。
組み立てた戦術を何等かの戦術、もしくは奇策によって覆された。
その結果だけは、明らかだった。
そしてラウッセルは愚かでないから、その事実に気付かない訳がなかった。
ぷるぷると、顔を真っ赤にしラウッセルは震える。
負ける事は、屈辱ではない。
正しき誇りを胸に行った決闘に恥ずべき事はない。
恥ずかしいのは……まとも剣も持てない赤子の様な相手に負けたという事。
これまで積み重ねて来た研鑽全てが無駄に終わったというその事実が、ラウッセルを恥ずかしめていた。
真っ赤なラウッセルを見て、取り巻き達の空気が変わる。
だけど、何も声をかけられなかった。
誰も、こんな事想定していなかった。
クリスが勝つなんて信じていなかったからだ。
仲間であるリュエルでさえも……。
震えながら、屈辱に苛まれながら、それでも……ラウッセルは、杖を納めた。
「君の勝ちだ。ここは俺が退こう。ただし……君のその幼稚すぎる身体能力がリュエル・スタークの片割れに相応しいとは今でも思えない」
「うん。正直私もそう思う」
クリスもしっかり頷いた。
リュエルが静かにショックを受けた。
「だが、だとしてもだ! 決闘により君の優れた部分が存在する事は明らかとなった。故に……一期の間はもう声をかけない。そしてその後に、再び君に決闘を申し込む。今度は本当の意味で対等な、真なる決闘を――」
今回はハンデとして一撃入れたらというルールが追加されたが実際はそうではなく、戦闘不能に等しい状態か降伏宣言がなされない限り決闘は続けられる。
故に、決闘の過半数はギブアップを持って終わりとなる。
そのルールで言えば、今の状態でのクリスが勝利する確率はゼロとなるだろう。
あのプラスチックへっぽこ剣なら数億発喰らっても痛みさえないからだ。
つまるところ、ラウッセルはこう言っていた。
『真っ当に戦う力を得て、勇者に相応しい男となれ』
敗北した身としても、それだけは……力ある勇者候補生を、強者を介護の様に扱う事だけはどうしても許しがたき事であった。
「もちろん、君に断る権利もある。だが、真なる誇りある決闘者ならば我が問いに対し……」
「受けるのは構わない。だけど、一つ良いかな?」
ちゃんとした決闘もリベンジマッチも、クリスにとってはとても嬉しい事。
ラウッセルの行動全てがクリスにとって喜びであった。
それでも、一個だけ、クリスは彼に願う事があった。
「何だ? 敗者として勝者の言を聞く義務がある」
「その一期後の決闘に勝てば、私のパーティーに入ってくれる?」
「断る! それだけは何があっても受け入れられない!」
クリスはしゅんとした。
「どうして?」
「君が魔法の魔の字も知らぬからだ。私よりも優れた魔法使い、もしくはリュエル・スタークの様に私が敬意を示す魔法戦士であるのならば、少しは検討しても良い。だがそうでないのならば、魔界貴族の家に生まれた身として受け入れる事は出来ない!」
「そか。……うん。魔法はたぶん無理かなぁ」
己の劣化した能力によりそれは理解出来る。
以前は魔法なんて学ばずとも才能のみで全ての魔法が呼吸する様に使えたが、今はからっきし。
才能の世界である魔法を今の自分が必死に学んだところでラウッセルに追いつく事はなく、それどころか初級魔法をまともに扱う事さえ難しいだろう。
「では、一期の後に再び。それまでに誰にでも良い。決闘のルールと作法を学んでおけ。敗者である俺に塩を贈る資格はないからな」
そう言った後、ラウッセルはリュエルの方に近づき、その顔を見ながら言葉を投げかけた。
「正直、納得出来ない。リュエル・スターク。君はもっと上のステージに向かうべき強者だ。気高くあるべきだ。だが……決闘という事実が証明した。……君の見る目だけは正しかった。君の仲間は無能の皮を被った一本の牙であった」
そして謝罪を示す様頭を下げた後……。
「さあお前ら立ち去れ。俺は訓練場を片付ける」
ラウッセルはクリス、リュエルだけでなく自分の取り巻きにもそう言った。
「いやいや、それ位俺達にやらせてくださいよ」
取り巻きの自覚があるのか四人はラウッセルの周りに寄っていく。
「ここでとっとと帰らず、片付けるから帰れという辺りが良いよねぇ。彼」
ほわっと気持ちのまま、クリスはリュエルにそう声をかける。
高いプライドを持っている事。
クリスを侮らず戦いとなると正々堂々戦った事。
弱い相手に負けたのにそれを受け入れられる度量。
準備や片付けなど自分で率先して行う事。
何より、正面から勝負をしかけてくれた事。
クリスにとって嫌いな要素がまるでなかった。
「うん……そうだね……」
話半分聞き流し、リュエルはそう答える。
ラウッセルに言われた言葉が『見る目は正しかった』という言葉が、彼女の中でリフレインしていた。
自分は、彼を能力で選んだわけではない。
ただ、その外見だけで選んだ。
ナンパとほとんど同じである。
その考え方が、行動が、敗北し彼の強さを受け入れたラウッセルと比べて醜い様な気がして……リュエルの柔らかい心の部分に、小さな棘として刺さった様な痛みが走っていた。
若干気まずい空気に気付きもせずクリスはリュエルと別れ、寮に戻りリーガと合流してからリーガの買って来たサンドイッチを片手に読書をしながら夕食を済ませた。
肉やら野菜やらの中身が溢れそう豪勢なサンドイッチは『良い物を魅せてくれたお礼』だそうだ。
やっぱりというか何というか、どこかであれをみていたらしい。
とは言えクリスはそれを気にもしていないが。
良い意味でも悪い意味でも、どうでも良い事であった。
リーガがどんな暗躍をしていようと、読書仲間であるという事実に比べたら些事だった。
そして次の日、昨日と同じ教室で……。
「おはようクリス」
リュエルに声をかけられ、微笑みクリスはその隣に……いやテーブルの上に座った。
「おはよ。……これ何事?」
教室にはそこそこの数生徒が集まってるのに、リュエルの周りは誰も立ち寄っていない。
まるで初日の自分の様な惨状にクリスはそう尋ねた。
「わからない。最初は煩かったのに気づけばこうなった」
彼女視点では、本当にそれだけでどうしてこうなったのかわかっていない。
ただ実際に何もなかったのかと言えばそんな事はなく、そもそもの事件が発生していた。
まず、クリス会いたさにかなり早めに教室についてずっと一人で待っていたリュエルに対してコバンザメ狙いのパーティー要請が山の様に訪れる。
当然興味のないリュエルはそれらを全て氷の様な目で拒絶していった。
それでも生徒達は凝りもせずにどんどん調子に乗っていき、後半には荒くれ者共がかなり強引なナンパをしかけようとしさえしていた。
無理やり掴もうとしたり、胸をまさぐろうとしたり。
そんな荒くれ者達に一切体を触れさせず、それどころか席から立つ事もなくボコボコにした。
触れようとする者皆傷つけてきた結果残ったのは、恐怖だけだった。
「そか。何もなかったんね」
「うん。何もなかったよ。それより、昨日のアレについて聞いて良い?」
「アレ?」
「最後。どうやって背後に回り込んだの?」
決闘の事だと気付き、クリスはぽんと手鼓を打った。
「ああ。別に大した事してないよ。壊れた足場を壁にして隠れて回り込んだだけ」
リュエルはあの時の状況を脳内で復元し、そして理解する。
確かにあの時、氷柱が石レンガの床に突き刺さり、足場は凸凹となっていた。
歩くのが難しくくらにボコボコで、影も多かった。
普通の人なら無理でも、クリスが身を屈めば隠れる位は出来ただろう。
ただ、自分達の身長を基準にして考えていたからその隠れて進むという発想が出来なかっただけで。
つまるところ、モグラみたいにレンガをくぐって後ろまで行ったという事である。
わかってみれば本当にシンプルな答えだった。
「なるほど。偶然足場に隠れる場所が彼の背後に繋がってたから、背後に回れたんだね」
「え? ううん。ちゃんと誘導したよ? まっすぐ道が出来る様に氷柱の位置を」
そう、あっけらかんと口にした。
それを冗談だと思ってリュエルは流そうとしたけど……リュエルの棟にはラウッセルの言葉がまだ残っていた。
絶対に負ける気のない彼が苦渋と共に受け入れた事実が決して軽い訳がない。
つまり……。
「――本当に?」
「うん。彼凄いよね。あの歳でもう相手の動きじゃなくて相手の瞳線――瞳孔の向きで相手の先の先を読めてるんだから」
「……貴方はそれを利用したと」
「うん。でもきっと次は通用しない。負けを受け入れるって事は反省するという事と同じだから。あー次の決闘も楽しみだな。それまでに私も色々何とかしないとなー」
「そう。私にはわからないけど、私にわからない物が貴方には見えている事はわかったわ」
その言葉の直後に、教室の中にアルハンブラが入って来た。
アルハンブラを見かけて挨拶代わりにクリスは手を降ろうとしたが、少し様子がおかしな事に気付き止めた。
「何か、凄く困った苦笑いを浮かべてない?」
クリスの言葉にリュエルは頷いた。
「うん……。そう、見えるね。……何か壁にポスターみたいな物張ってる? 書いてる内容までは見えないけど……」
「えと……必須授業の紹介と選択課題? みたいな物が見えるかな。一期内に合計三回ダンジョンに潜れとか学外依頼を三度受けろとかそんな感じの事が書いてるっぽい」
「目、良いね」
「みたいだね。ちょっと残念」
その言葉の真意をリュエルが尋ねる為に、アルハンブラは皆の前で声を張り上げた。
「担任教員より伝言だ! ホームルームは行わないからこのまま各自受けるべき授業に向かうと良い! 重要な事は今日より教室先頭に張り出されるから一度は目を通して欲しい! 以上だ! ……ちなみに担任は本日は動物園に行くから欠勤だそうだ……」
アルハンブラの最後の一言は、酷く疲れた様子で呟かれていた。
「馬か」
「馬だな」
「馬の事だろう」
「絶対馬だ」
そう、生徒達は囁き合う。
生徒達の意思が一つになった瞬間だった。
「おい。今日大きなレースどこであるよ?」
「ないぞ。今日どころか今週はない」
「まじかよ」
「ああ。だから俺はこのタイミングで入学した」
「お前もかよ。じゃあどういう事だ? 本当に動物園という事はないだろうし」
「国外じゃないか?」
「まじかよ気合入ってんな」
そんなざわつきの中、アルハンブラはおほんと一つ大きな咳払いをした。
「そう言う訳で明日からは前に貼った連絡通知を見るだけで構わない。では、解散とする!」
そう叫んで手を叩いてから、疲れた顔でアルハンブラは教室を後にした。
クリス達に挨拶をする余力もない様に。
それは、誰もが面倒な仕事を押し付けらえたと理解出来る位に、哀れな表情だった。
ありがとうございました。




