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39 手遅れ悪役令嬢、転生者に出会う

 私が実家に戻ってから、そしてお父様からユニト・カステレードの話を聞いてから既に2週間が経っていた。


 お父様はその間、非常に忙しそうに飛び回り、ほとんど屋敷に帰ってこなかった。若干お父様への気まずさがあったので、顔を合わせないことに私は少しだけほっとしていた。

 しかし2週間が経ち、私は外出禁止のままパン屋計画を練るだけの日々に少々飽きており、そこで訪れた外出のチャンスに一も二もなく飛びついたのだった。


 道中の往復は馬車のみ、歩くなんて持っての他のドア・ツー・ドア。そしてアンリ殿下と護衛が離れず同行するいう条件で訪れるのは、転生者である可能性が高いユニト・カステレードの元へである。


 屋敷まで迎えに来てくれた馬車にアンリ殿下のエスコートで乗り込んだ。


 オルガとアンヌも一緒である。下手な護衛よりよほど心強い。

 ユニト・カステレードがいる場所は先王の住む離宮。

 離宮とはいえ扱い上は後宮とほぼ同義の場所なので、本来は男性の護衛や同行者は簡単には連れていけないらしかった。というか私だって公爵家やアンリ殿下の婚約者という伝手をフル稼働してようやくの面会にこぎつけることができたのだ。そしてアンリ殿下は当の本人である先王が実の父なので特別だ。

 それゆえ少人数で行くことになったが、アンリ殿下も一緒なのだから、私は不安にすら思わなかった。

 今回、ユニト・カステレードに会うというのは私の要望なので、アンリ殿下はできるだけ口を出さず、危険を感じた時以外は見守ってくれると約束をした。


 2週間ぶりに会って、出かける先がデートではなく先王の離宮という全くもって色気のない話であるが、それを許容してくれるどころか、色々わがままも聞いてくれるアンリ殿下は本当に優しくて素敵な人だと思う。はい、惚気です。




 離宮の入り口までそのまま馬車で向かったのだが、ちゃんと話が通っていたようで、門で止められることもなくスムーズに中に入ることができた。

 離宮の衛士らしき制服を着た男が私達一行を先導してくれる。



 離宮は、外観からして非常に豪華な建物だった。前世の世界で言うバロック風に似ているかもしれない。絢爛豪華だが、ギラギラとしすぎていて落ち着かない。いたるところに金の装飾が使われ、派手派手しいのに、よく見ると掃除が雑なのか、それとも人手が足りないのか、所々がくすんでおりその絢爛豪華さを保てていないのが悪趣味に感じる所以だろう。

 ちらっとアンヌ達を見ると、澄ました顔をしているが、僅かに眉をひそめている。私にでも分かるほどの汚さが目につくせいだろう。きっと優秀な侍女達にはこういうのは許しがたいのだろう。


 回廊を進む間、人っ子ひとり見なかった。気配すら感じない。本当に人が住んでいるのか不安になる。

 絢爛豪華な建物は、いくつも廊下を曲がりメイン通路から離れ、奥に進んで行く内にメッキが剥がれるようにどんどん見すぼらしくなっていく。同時に清掃もあからさまに手を抜かれているのが一目でわかる。魔法石を使った明るく煙が出ないランプはメイン通路の一部分のみ。進めば進むほど、ランプの数が減り、蝋燭を使った物に変わっていく。それすらも火の消えているものがチラホラとあるので、脳内に経費削減の4文字が浮かぶ。

 おそらく、最も綺麗な箇所は先王が通る可能性がある場所だけなのだろう。もしくは側室の中でも寵愛があるとか家柄がいいとかそういう方のいる部屋付近だけだとか。



 同じ建物内とは思えないほどの簡素な内装になった辺りで、衛士はようやく足を止めた。


「こちらがユニト様のお部屋です」


 衛士は「御用が済んだらお呼びください」とその部屋の前から離れたところ――おそらくは会話が聞こえないであろう場所まで離れ、部屋に背を向けて立っている。監視なんかは必要ないのだろうか、と余所者ながら気になるが、会話を聞かれない方がありがたい。


 しかし、改めて見るとこの部屋がどう見ても側室のいる場所には思えなかった。ひび割れ、くすんだ漆喰の壁にはろくに装飾もなく、元が白だったことがかろうじて分かる程度だ。廊下のカーペットも剥がれかけ、歩くたびにミシミシと音を立てた。深い赤色だと思っていたが、ただ薄汚れているせいで、本来はもっと鮮やかな赤色だったのかもしれない。そして垂れ下がるくもの巣……。

 扉だけはかろうじて豪華絢爛の名残が僅かにあるようだったが、やはりくすみ、金属部分には緑青だか錆だかが浮いている。側室の部屋というより、使われていない物置と言われた方がよほど真実味がある。


 この建物が出来たのが確か20年ほど前だっただろうか。しかしろくに手入れをされなかったとはいえ、20年経った程度でこれほど荒れるのだろうか。それともこの離宮は元々あった建物を建て増ししたのだったか。




 若干の不安に立ちすくむも、アンリ殿下に肩を抱かれてほっと息を吐いた。

 私は無言でアンリ殿下に頷くと扉をノックした。


 はい、と扉を開けたのは40代くらいのどことなく陰気そうな女性だった。その服装からユニトの侍女だろうことがわかる。


「ああ……そういえばいらっしゃると……。……どうぞお入りください」


 すっと部屋に引っ込む侍女に続いて私とアンリ殿下は部屋に入った。

 アンヌとオルガは入り口のところで行儀よく待機している。待機しつつも侍女の動向に目を光らせていることは間違いない。


「姫様、お客様ですよ……」


 姫……? 思いがけない単語に頭に疑問符が付く。


「はぁい。お客様なんて久しぶりね」


 ソファに座っていた女性が顔を上げる。


 なんとも不思議な雰囲気の女性だった。

 30代半ば頃のはずだが、そうは見えない。かと言って、ただ若々しく見えるのとも違う。色白を通り越して青白いその肌はほとんど日に焼かないのか、少し不健康そうだがシミも皺もなくつるつるとしている。しかしやや乱れたブルネットにはポツポツと白髪があるのが離れた場所からもわかるために余計に年齢不詳に見える。


 顔立ちは整っているが、その不健康そうな雰囲気のちぐはぐさのせいで美女とか美魔女だとかとはかけ離れて見える。化粧をしていないからだ、と私は数歩近寄ってようやくわかった。貴族女性は人前に出る時は必ず化粧をしている。家族の前だって徹底する人も多いくらいだ。

 ドレスは元はいい品だったのだろうけれど、随分と褪せたような色合いで、長く着ているものなのだろうとも推測できる。ここ数年の流行りではない形だからか少し野暮ったく見える。

 とはいえきちんと洗濯はされているようだったし、部屋の中もきちんと清掃されて整えられており、廊下のように汚くはない。汚いどころか……驚くほどに物が少ない。


 12畳くらいの部屋の真ん中あたりで衝立で仕切られている。こちら側には皮のだいぶ擦り切れつつある4人がけのソファセットとテーブルだけ。

 衝立の向こうにはベッドらしきものがちらっと見えたので、ユニト・カステレードはこの部屋だけで生活をしているのだろうか。高貴な女性が住んでいるとは全く思えない。本棚や私物らしきものはほとんどない。殺風景な部屋だ。窓際に据えられた小さな棚はほとんどが空っぽで、その中の一段にだけ紙の束が置いてあるくらいしか、私物らしいものはなかった。

 先王の側室が住むには狭すぎるサイズの部屋なはずなのに、物がなさ過ぎるせいでそれすらも感じない。

 はっきり言って、去年の卒業パーティーの後に私が入っていた貴人用の収監所の方が遥かに綺麗で広くて豪華で物が多い。



「あれ? 悪役令嬢と隠しキャラがなんで一緒にいるの?」


 ユニトは目をパチパチと瞬かせ、きょとんと子供のように首を傾げた。

 侍女が慌ててユニトの口を塞ぐ。


「も、申し訳ありません! ……その……姫様は外に出たことがほとんどなく、社会のことが全然わからないのです」

「いいえ、構いません。今回は私的な訪問ですから」


 そう答えたのはアンリ殿下だった。

 私はそんなことより何よりも、悪役令嬢・隠しキャラと言う言葉を聞いたことで確信していた。確かに彼女は転生者であると。


 私とアンリ殿下はユニトの向かいに座った。

 お茶を出されたが、手をつける前に私は口を開いた。ユニトを警戒しているとかではなく、一秒でも早く彼女と話したかった。


「私はクリスティーネ・ベルトワーズです。知っていると思うけれど。そしてこちらがアンリ・アンゲルブルシュト王弟殿下です」

「知ってる。……でもおかしいなぁ。こんなイベントあったかしら。この時期だと何だったかな……ううん本編は終わってるよね」


 ユニトは不思議そうに言う。私への返答というよりは、まるきり独り言のようだったが。

 彼女からすれば今はもうゲームの内容が終わった後のことなのだ。


「……あなたは『恋情ラプソディア』が好きなのね」

「悪役令嬢も恋ラプ知ってるの!?」

「悪役令嬢はやめて。クリスティーネでいいわ」

「あっ、ごめんなさい。クリスティーネはなんで恋ラプのこと知ってるの? ここの人、恋ラプの中なのにみんな知らないって言うんだよ」

「……私も貴方と同じなの。前世の記憶があるのよ。わたしは前世で恋ラプが大好きだった。ユニトもそうでしょ?」


 ユニトの目が大きく見開かれる。


「あのね! 私ね! 私……カトウマイコ! 死んじゃって、恋ラプの世界に転生したんだけど、ゲームのずっと前に生まれちゃった。それでね、前は私がゲームの話をするとみんなチヤホヤしてくれたの。だけど最近はみんな聞いてくれなくて。イレールくらいよ、私の話を聞いてくれるの」


 矢継ぎ早に語り出すユニト。30代半ばとは思えないほど幼い口調なのが痛々しい。

 イレール、というのはあの侍女のことだろうか。

 ユニトは貴族教育を受けていないと聞いてはいたが、貴族教育以前に、まともな教育すら受けたことがなかったのかもしれない。それとも20年もこの離宮にいて、どうやら先ほどの侍女くらいしか話す相手もいないということで、前世で言うところの引きこもりも同然になっていたからか。

 どちらにせよ若干不気味ですらあったが、私とて前世で生きた年齢+クリスティーネとして生きた年齢を足すと40歳前後という精神年齢のはずだが、自分でもそんな気は全くしないのだからおあいこかもしれない。


「ねえ、マイコは、何歳だったの?」


 私は開き直って小さい子供に言うように話しかけた。そしてそれは間違っていなかったようだ。


「12歳だよ。親は仕事で忙しくて、でもゲームは強請ればなんでも買ってくれたんだ。だからいつもゲームしてたんだけどさ、恋ラプの無印が一番面白かったな。だからこの世界に来れたのは嬉しいんだけど、今はやることがなくてつまらない」


 12歳……かなり若く……というより幼くして亡くなったのか。子供のような幼い口調なのも頷ける。本来なら転生してから色んなことを経験して、精神が成長してもいいはずだけれど、こんな環境ではそれすらも難しかったのだろう。


「ユニトの実家の人とか、王妃様とかはここに来なかったの?」


 ユニトは首を振る。


「…私がここに来る前は、よくお茶会で恋ラプの話を聞いてくれた人がいたけど、ここに来てからは誰も来ないよ」


 


「ねえ、これ見て」


 ユニトは窓際の棚にあった紙の束を持ってきて広げる。


「忘れないように書いておいたんだ。私、セリフ、たくさん覚えてたんだから」


 そこに書かれていたものは、『恋情ラプソディア』のセリフやシナリオのようだった。全て日本語で書かれている。ひらがなが多く、子供らしく乱れた文字はかなり読みにくいがわたしには確かに読める。


「クリスティーネは読めるでしょ?」

「うん。でもこっちの文字では書いたりしなかったの?」


 日本語で書いたものはこちらの人には読めない。

 ユニトはやはり隔離されて生きていたようだし、彼女の書いた『恋情ラプソディア』の情報だけがカステレード公爵に伝わっていた可能性がある……と思ったのだが。


「私、こっちの文字わかんないから」


 困ったようにユニトは言う。


「誰も教えてくれないし。イレールも少ししかわからないって。あ、でもここには本とか新聞もないし、別に困らないよ。学校もないしさ」

「……じゃあ普段は何をしてるの?」

「こういうの書いたり、あとイレールに話して聞かせたりしてる。恋ラプのこと忘れたくないから。あとはぼーっとしたり……家に帰りたかったけど、帰り方もわからないし、私はマイコだけどもうマイコじゃないからもう家にも帰れないよね。毎日つまらないけど、こっちに来る前に住んでたところとあんまり変わらないよ。ゲームがなくなっただけ」


 ユニトの目は全てを諦めきった暗い色をしていた。教育をまともに受けていないにしろ、文字も読めず、子供のように話すことしかできない。楽しいことも何も知らず、ただこの離宮で年月を過ごしていただけなのだ。

 倦み疲れる、そんな言葉がぴったりの表情。

 ……初めてユニトの年相応の表情を見たと思った。


「でも今日はお客様がいるから楽しいよ。こんなに話したの久しぶり。ねえ、ヒロインは誰ルートに入ったの?」


 微笑むユニトがどことなくぎこちないのは、そもそも普段は表情筋を使うことも稀なのかもしれない。


「エレナはマティアス殿下と婚約したわ。でもゲームと違って私とも仲がいいのよ」

「へえ、マティアスルートなんだ。公式ルートだね。でもゲームとは少し違うんだ? ……なんでだろう。クリスティーネは親に勘当されなかったの?」

「……されたけど、ちゃんと仲直りして実家に戻ったし、ゲームだけだとわからないこともたくさんあったわ」

「……楽しそう。ねえ聞かせて! あ、でも恋ラプと違うと、ファンディスクはどうなっちゃうんだろう」


 耳慣れない単語を聞いて私は目を瞬かせた。


「ファンディスク……?」


 私はファンディスクの存在を知らない。思い返してみたが、ファンディスクが発売されたような記憶はなかった。


「えー? ファンディスク知らないの? 恋ラプ2が発売して2年後に、1.2と同梱版のみで発売してプレミアもついたんだよ!」


 私は勿論持ってたよ、とユニトは得意げに言っている。

 2から2年後……前世のわたしがもう亡くなっていた頃だ……。わたしにも知らない情報がまだあったのだ。


 私は唇を噛んだ。


「えっと……ここら辺がファンディスクの話だよ」


 ユニトは紙の束から数枚を抜き取って私に手渡してくる。

 それを見た私は思わず立ち上がった。

 突然立ち上がった私をユニトは驚いたように見上げている。


「これ、誰かに話した?」

「え、うん。イレールにだけ。でも誰にも話しちゃダメって言うから……」

「わかった。あの、申し訳ないけど急用ができたから、行かなければいけないの」


 そう言いだした私の態度にアンリ殿下もただごとではないと悟ったらしく、入り口のところでアンヌ達に何事かを話していた。


「えぇ……今来たばっかりなのに。ねえ、また来てくれる? 昔のお茶会の時みたい。楽しいけどみんな聞きたいこと聞いたらすぐ帰っちゃうんだから」

「また来るわ。約束する。その時にはお土産も持ってくるから。ねえ、メロンパンとかクリームパンって好き?」


 ユニトは目をぱちぱちと瞬かせた後、にっこりと微笑んだ。


「大好き。こっちだと甘いパンってないから、ずっと食べたかったの」

「次来たら美味しい菓子パンを持ってくるわね」


 私はユニトに背を向けると、袖をくいっと引かれた。


「あの、最後にこれだけ聞かせて? クリスティーネは、かく……アンリと結婚したの?」

「け……結婚はまだだけど、婚約はしたわ。すぐにではないけど、私達、結婚するのよ」

「そう……よかった。クリスティーネにもハッピーエンドがあったんだね」


 ユニトは青白い頰を紅潮させて微笑んだ。



 ……その表情を見て、私はお父様がユニトに同情していた理由がなんとなくわかった気がした。

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