36 手遅れ悪役令嬢、念願の帰宅をする3
私はグレンお兄様に言われた通り、お父様の書斎へ向かった。
書斎の重厚な扉をコンコンと叩く。お父様から入室を許可する返事が聞こえたのでそのまま扉を開けた。
「失礼します」
お父様は書斎で何かの書類を読んでいたが、私の顔を見てそれを片付けた。家でもお父様は忙しそうだ。今日も私の帰宅時に不在だったように、王城や公爵家の領地に関係する仕事が山積みなのだ。特に今は王城関連の仕事が特に大変なのだろう。
「よく来たね、クリスティーネ」
「何かお話があると伺ったのですが」
「昨日会った時はちゃんとした再会の挨拶をしてもらえなかったからね」
「は、はあ……」
ほら、と腕を広げて待っているお父様。
私はお父様に言われた通りにお父様に抱きついて「ただいまかえりました」と言うのだった。
お父様は非常にご満悦のようだったが、わざわざ私を書斎に呼んだということは、それだけのはずはない。
当然、ソファに座るように指示されるのだった。
書斎はお父様の在宅時の仕事部屋でもある。子煩悩な父親なだけではなく、きちんと仕事をこなす公爵家当主であるお父様が仕事の為に長時間篭ることもしばしばなので、休憩用のテーブルやティーセット、魔法石で保温ができるポットなどが用意されている。
お父様は自分の従僕を呼ぶわけでもなく、ティーセットを使って手ずからお茶を入れてくれた。公爵家の当主であるお父様がだ。
私が驚いた目で見ると、お父様は「忙しい時には自分で淹れることもあるからね」と、いたずらっぽく笑いながらそう教えてくれた。
お茶の用意が完了し、お父様に言われるままにソファに腰を下ろした。
なんだか不思議な感じがした。子煩悩な父ではあるが、とにかく忙しい人だったのでこんな風にゆっくりと時間を取ってもらえたのはいつ振りだろうか。
ああ、そうだ。私が学園に入学する少し前にマティアス殿下との婚約の打診をされて以来なのだ。もう3年以上前のことだ。
その時だって、私は別段なんとも思わずにマティアス殿下との婚約を了承したので、こんな風にお茶を淹れてもらったのも初めてだったが。
お父様は私が紅茶のカップに口を付けたのを見計らって口を開いた。
「先程まで王城に行っていてね、陛下と今回の事件について話し合ってきたよ。色々と決着もついた」
「……どう、なったのか聞いてもよろしいでしょうか」
「うん、君は当事者だから、きちんと説明してかまわないと陛下にも言われているよ。まず、王妃は世間には病ということにして、一生幽閉されることになった。流石に国母だから死罪にはできない。けれど今回のことはクーデターだ……甘い罰にするわけには行かない。君という公爵令嬢を罠にかけたことや、命を狙ったということもあるし、アンリ殿下に毒を盛ったとも証言をしたよ。……そっちは何年も前の話だけどね。王妃はジェミール殿下を連座にしないという取引で全てを証言した。おそらくジェミール殿下はこのままアンリ殿下が後見することになるだろう」
「そうですか……」
「王妃……アドリエンヌは、学園にいた時から陛下のことを愛していたと前に言ったね?」
「ええ……」
卒業パーティーの応接間でお父様がその話をしてくれた。昨日のことなのに既に随分と経ったような気がしてしまう。
いや、私がただのクリスとしてパン屋にいたのだって、ほんの2週間前かそこらなのだ。最近がいかに怒涛の出来事で目白押しだったのかを痛感する。本当に私が思っても見ない方向に転がったと思う。
「アドリエンヌと陛下は、学園にいた頃のクリスティーネとマティアス殿下と同じように親が決めた婚約者だった。そして陛下……当時は殿下だが、親の決めた婚約者ではなく身分の低い子爵令嬢と恋に落ちてしまうところまで君たちにそっくりだったよ」
私は驚いて紅茶のカップが指が当たり、カチャンと硬質な音を立てる。
「エレナとマティアス殿下のように……!?」
「そう。そしてクリスティーネ達と違うのは、アドリエンヌは心から陛下を愛していたことだった……。だから愛を返してくれない不満や怒り、そして嫉妬心は、陛下ではなく子爵令嬢の方に向かったんだ。水面下で嫌がらせをしたり取り巻きの生徒にいじめさせたりしていたよ。陛下も私もその令嬢を庇ったのだが、それがむしろ増長させたりもあった。そして子爵令嬢はあまり心が強い女性ではなかった」
私は絶句した。それはまるで本来の『悪役令嬢クリスティーネ』の所業にそっくりではないか。
「そして、子爵令嬢は誰かに階段から突き落とされたんだ。幸い大怪我はしなかったが、誰に突き落とされたのかは絶対に言わなかった。そしてそのまま心を病んで学園に来なくなってしまった。陛下はそれも誰のせいか分かっただろう。しかしアドリエンヌと婚約解消はせず、正妃として迎えること、愛する努力をすること、その子爵令嬢を側室にも迎えないことを約束してアドリエンヌを落ち着かせることで責任を取った」
「ひどい……子爵令嬢の方はどうなったんですか」
「心の病であまり食事も取れない状態で肉体も弱ったんだろう……流行病で亡くなられた。その子爵家には陛下が色々と優遇措置を取ったけれど、それで娘が帰ってくるわけではないからね……。しかしアドリエンヌが子爵令嬢にしたのはひどいことではあるが、アドリエンヌからすれば自分の婚約者を奪われるところだったのだから、と同情が集まり事件が揉み消されて彼女は王妃になったんだ」
紅茶の表面を波紋がゆらゆらと揺れるのを私はじっと見つめていた。
確かにそうだ。乙女ゲームのヒロイン目線からすれば王子キャラとの恋愛だけれど、悪役令嬢からすれば自分の地位や婚約者を奪われる脅威でしかない。
「そしてその子爵令嬢が亡くなったことで、アドリエンヌは死んだ女には勝てないと思い込んでしまった。長い時間をかけ陛下はアドリエンヌに情が移り、愛するようになったけれど、その時にはもうアドリエンヌは陛下を信じなかった。じわじわと狂っていったんだろうね。そしてマティアス殿下もまた、自分達の関係を繰り返すように親の決めた婚約者を愛さなかった。それが決め手だったのだと思う。マティアス殿下は特に陛下によく似ていることもあるし、自分の息子を愛しているからこの手で殺せないにしろ、マティアス殿下が愛も王位も得ることを許せなかったのだと思う。そういった事情からジェミール殿下に王位を継承させたいと思ってしまったようだ」
王妃が一生幽閉になることは自業自得ではあるけれど、狂ってしまった過程は哀れだと思った。亡くなった子爵令嬢だって完全な被害者だ。どうしても女の立場から考えてしまうせいで、一番悪いのは陛下ではないかと思う気持ちもあるのだが、不敬になってしまうのでお父様相手だとしても言えるはずがない。
しかしマティアス殿下を追い落とす為とはいえ、自分の憎んだ子爵令嬢と同じような存在であるエレナをマティアス殿下と恋に落とさせることを画策するなんて、辛くはなかったのだろうか。それとも、ジェミール殿下を王にした後はエレナをも消すつもりだったのか。
王妃は私のような転生者から情報を得ていた可能性がある。……もしかしたらエレナを探し出してマティアス殿下と出会わせたのも、試し行為のひとつだったのかもしれない。
ずっと最初の方に掛け違えてしまったボタンのように不自然で気持ち悪い。人を追い落としても幸せにはなれない。黒幕である王妃が幽閉になったとしてもざまあみろなんて気分になるはずがなかった。
「親が婚約を決めずに最初から恋愛結婚をすれば良かったのでしょうか……」
私は思ったことを言ってみる。お父様とお母様のように政略結婚でも幸せになる人もいるのだろうが、陛下やマティアス殿下のように人の心は簡単に動くわけではない。その方が不幸になる人も減るのではないだろうか。
しかしお父様は首を振った。
「一概にそうとも言えないよ。もしあの子爵令嬢が王妃になっていたとしても、彼女の心の弱さではあの魔境のような貴族社会に君臨するのは難しいだろうし、それはそれで苦しんだだろう。貴族間の結婚は、家柄の釣り合いや本人の資質も大事なんだよ。そして貴族に生まれたからにはその覚悟は必要だと思う。その点エレナ嬢はとても強いし努力家だから、後ろ盾さえあれば大丈夫だと思うがね。しかしクリスティーネには悪いことをしたと思っている。陛下からのたっての願いでね……君なら大丈夫だと思ったが、……長いこと苦しめてしまったね」
私はお父様を責める気は一切なかった。家柄と年齢が釣り合っていればマティアス殿下の婚約者として選ばれるのも当然だったし、そもそもお父様からすればマティアス殿下とエレナが恋に落ちてしまうことは予見できるはずもない。
そして、一年前に勘当されたことも、私が操られていたからとはいえ衆人環視の中、エレナを突き落としたという言い逃れできない暴力事件を起こした上に、私はゲームの知識で勘当になることをわかっていたからと言い訳すらしようとしなかったのだ。ましてやお父様には陛下と王妃の時のこともあり、私が二の舞になるのを避けたかったはずだ。
私の行いは、言い訳どころか反省もしていないように取れただろう。そこまでしたら勘当されて当然だったのに、お父様はアルノーさん達をこっそり付けてくれた。勿論監視の意味合いもあったのだろうけれど、私が本当に窮した時には助けられるように、という愛情があったのだとわかっている。事実、私が暗殺者に襲われた時にはアンリ殿下だけでなくアルノーさんが助けてくれたのだから。
「いいえ……色々ありましたが、命を失うこともなく、平民として暮らした間も貴族としてでは見ることの出来ない立場から物事を見ることができました。得難い体験だったと思います。それにアンリ殿下と婚約できましたから」
「アンリ殿下は優秀な男だ。だが、クリスティーネはそれでいいのかい?」
「はい。私は……アンリ殿下をお慕いしていますので、本当に嬉しいです」
自分の父親に恋愛話をするのは非常に躊躇われるのだけれど、私がアンリ殿下のことが好きなのは本当だ。やっと正式に婚約できたのに今更反対されてはたまらない。
終わりよければ全てよしというわけではないが、今のところ私も無事だったし大切な人を失ったりもしていない。また家に戻ることもできたし、大切な友人であるエレナとも仲直りができた。十分すぎるリターンだと思う。
「そうか。それならば言うことはないよ。そうそう、陛下のことだけれど、やはり体が弱っているせいかかなり気弱になっていてね、あと3年ほどの準備期間を設けてマティアス殿下に譲位したいそうだ。勿論この話は他所に漏らしてはいけない。3年後、エレナ嬢との結婚と共に即位を行うことになると思う」
「まあ! 3年後ですか! 楽しみですね!」
「こらこら、人ごとのように……」
「えっ?」
お父様はニヤリと笑う。イタズラっぽい笑みだった。
「その時までに、マティアス殿下が言ってた大公の位を新たに作ってアンリ殿下は大公となり、新陛下を支えてもらう予定だ。そして、大公妃になるのは……君、クリスティーネだろう?」
「!!」
私は口を押さえた。カアッと頰が熱くなるのが分かる。
「だいたい2年後くらいかねえ……。マティアス殿下の即位と結婚にかぶせるわけには行かないし。どちらも大きい行事になるから最低でも半年は開けておきたい。そういうわけで、心しておくように」
私は赤い顔のままコクコクと頷いた。
2年後には……アンリ殿下と結婚!
「正式に婚約もしたことだし、嫁入り道具やドレスの準備もしていかないとだね」
「は、はい!」
そういって笑っていたお父様の表情が引き締まる。
「さて、話は変わるが、次はカステレード公爵の件だ」
「……はい」
私は背筋を伸ばし、聞く姿勢を整えた。
おそらく聞いていて気分のいい話ではないのは間違いない。
「カステレード公爵は君がアンリ殿下に話した通り、ベクレイアと密通をしていた。そしてベクレイアの術者を使い、陛下に呪いをかけていた。この件はベクレイアから提示された証拠もあり、カステレード公爵家は国家反逆罪で取り潰されることが決定した。公爵本人、継嗣、この件に関わりのあった家臣は死罪。直系の子息達は流刑となる。妻と娘は生涯幽閉、近しい親族は蟄居か修道院だ。そしてカステレード公爵家の領地の中心部は領民による内乱が危惧されるので、親戚筋にあたるレイトン伯爵家が治めていくことになる。今回の事件の調査に協力的だった貴族だ。そして残りは王家の直轄地として接収されるわけだが……その接収された部分の税収の10分の1が今後3年間、クリスティーネ個人の資産として陛下から拝領されることになった」
「へ!?」
カステレード公爵家は当然うちと同じく大貴族である。その税収も私からすれば想像もつかないような額だ。それが3年間限定10分の1とはいえかなりの金額になるのは間違いない。しかもベルトワーズ家にでもなければ当主にでもない。……私個人の資産になるというのだ。
「う、受取拒否ってわけには……」
「無理。陛下からのお詫びの気持ちだからね。有り難く受け取りなさい。後で見積もりを出しておこう」
「はぁい……」
私はカクンと首を下げた。
陛下にはお詫びの気持ちを持ってくれるだけで十分なのだ。正直な話、大金を持ったところで使い道がない。
困った顔の私にお父様は笑いかけた。
「土地ごとでなくてよかったじゃないか。使いたい時にすぐに使えるし。まあ自分で自由にできる財産があるというのは便利だよ。いざという時にも心強い。ただ持っているのが嫌なら、何か事業でも始めたらどうかね? 結婚してからでもできるような」
事業!? それは思ってもみなかったが、私のやりたいことなど決まりきっている。
「お父様! 私パン屋を経営したいです!」
私はビシッと手を挙げた。
するとお父様は如何にも可笑しそうに笑いうんうんと頷いた。
「ああ、言うと思ったよ。まあいいと思うけれど、自分でパンを焼くのは諦めなさい。経営に関してはオリック商会に相談すればいいだろう」
「やっぱりそうですよね」
やはり自分でパンを捏ねて焼いて、というのは無理だ。あくまで資本金を出すオーナーとしてやるしかないだろう。本当はものすごくやりたいけど。
しかしブレブレにいた頃、私はいつか暖簾分けをしてもらって、菓子パン専門店をやりたいと思っていたのだ。少し形は変わったが、そんな小さな夢も叶えることができるのだ。そして何より、パン屋であればおかみさん達とも再び縁ができるかもしれない。まだなにも恩返しができていないのだ。おかみさん達にはパンに関する相談と、そしてマルゴさんにはパン屋の制服やエプロンについて相談したい。……もしかしたら更なる迷惑をかけてしまいかねないから、慎重に計画を練らなければ。
「でもまあ安全になるまでは外出禁止だから、まずは経営学の本でも読んで勉強をしているように」
「分かりました!」
しばらく続きそうな外出禁止期間だが、その間に構想を練ったり経営の勉強をしたりとやることができたのは助かる。
それにレシピも書き起こしておかねば!
やることはたくさんあるが、私は俄然張り切るのだった。
お父様の話はそれで終わりではなかった。
「……さて、それでは最後に、ユニト・カステレードの話をしよう」




