23 手遅れ悪役令嬢、情報屋を呼ぶ
朝、一睡もしていない私だけでなく、オルガもアンヌもほぼ休んでいないのがわかる顔色だった。
お互いに顔を見合わせて苦笑する。
それでも普段通りの生活はしなければならない。
朝食が終わってゆっくりと食後のお茶を飲んでいる頃。
そんな早い時間に、王城に行っていたパトリシアは単独で馬車に乗りこの別邸に戻ってきたのだった。
こちらも人のことを言えないが、パトリシアも寝ていないらしく、ひどい顔色をしている。いつも背筋がピンと伸びていたのに、今日は若干曲がっている感じがする。
「アンリ様のお着替えと、それから朝食を取りに来ただけなのです。クリスティーネ様にはご不便をおかけいたしますが、ご容赦くださいましね」
「パトリシアも少しは休んで行きませんか? 顔色が少し……」
「いえ、アンリ様は少しも休まれていませんのに、こんな時にわたくしが休むなどとんでもない」
パトリシアは鞄や籠にアンリ殿下の衣服や食料を詰め、それをオルガとアンヌが馬車に運び入れていく。
衣服も食料も王城にいくらでもあるだろうに、パトリシアがわざわざ時間をかけてまで取りに来るのは、ひとえにアンリ殿下の為でしかない。
王家のシャミーラムの毒――無味無臭の即死毒は、いつ何に混入しているとも限らない。王弟という微妙な立場だからこそ普段から出来るだけ、特に今の状況では尚更に、パトリシアが安全な物を用意していたのだ。
パトリシアはアンリ殿下の元乳母だった。幼い頃からずっとこうして安全を確保していてくれたのだろう。パトリシアがいなかったら……考えるのも恐ろしいことだが、アンリ殿下は生きていなかったかもしれないとさえ思う。あの王妃のことを考えればそれは間違っていなかっただろう。
そんな献身的なパトリシアに対して気が引けるけれども、私に出来ることはやはりパンを焼くことだけだった。
……これが一晩悩んだ結果だった。我ながら本当に役に立たない。
「パトリシア、これをアンリ殿下に……」
私は空が白んだ頃に部屋から抜け出して作ったパンの入った籠をパトリシアに渡す。
「私にはこれくらいしかできないのです……。アンリ殿下もまた私が焼いたパンを食べたいと言ってくれましたし」
「まあ……」
パトリシアは籠を受け取ってくれたが、複雑そうな顔を隠そうともしない。なにをこんな時に、と思っているのだろう。
「クリスティーネ様……まさか朝から厨房に……? アンリ様の婚約者とは言え、屋敷内でそんな勝手をされては困ります」
「すみません……少しでもアンリ殿下の力になりたくて」
はあ、とパトリシアはため息を吐いている。露骨な態度を隠そうとしないほど苛立っている。
「オルガ! どうしてクリスティーネ様をお止めしなかったの?」
パトリシアの指示で馬車に荷物を運び入れていたオルガが足を止める。
「私も第2厨房にてクリスティーネ様に付き添いまして、安全はきちんと確保してました。アンリ様からもご自身が構えない分、屋敷内でならクリスティーネ様のしたいことをやらせてあげてほしいと言われておりまして……」
そう、私は空が白むと早々に布団から抜け出し、オルガを呼んでパンを作ったのだった。こんな時に非常識だしオルガにも迷惑かけたけれど、話をもちかけたオルガは快諾してくれた。
オルガもアンヌもアンリ殿下の侍女であり、パトリシアの命令よりもアンリ殿下の、ひいては婚約者である私の命令の方が順序が上なのだ。
パトリシアもアンリ殿下の名前が出ては強くは言えない。
「ごめんなさいパトリシア。でもこのパンはアンリ殿下が以前に美味しいと喜んでくれたものなのです。甘い物は心を落ち着けてくれますから、どうしても召し上がってほしくて。……それにお手紙をつけたんです。お忙しいでしょうけど、頑張ってくださいって……。絶対に渡してくださいね」
「……はい。かしこまりました。それでは行って参りますので」
パトリシアは諦めたようで渋々ながらもパンの籠を馬車に積み込んでくれた。
「パトリシア、割れやすいから気をつけて運んでくださいね!」
パトリシアは無言で馬車を出発させる。
気を悪くしてしまっただろうが、パトリシアなら必ずアンリ殿下に届けてくれるのは間違いない。
……なんとか渡せた。
ほっと息を吐いた。
昨夜は一睡もしていないから眠いようなふわふわしたような感じだが、気が高ぶっているのか、横になったとしても眠れる気がしなかった。
「アンヌ、先程言った通り、オリック商会を呼んで欲しいの。そうね、午後くらいでいいわ。それまで私は少し休みます」
「かしこまりました」
アンヌは静かに下がっていく。
私はオルガを背後に従えて、自室に戻るのだった。
眠れなくても少しは横になろう。
フェオドールが来るまでにまともな頭にしなければ。
自室に戻るとオルガを下がらせた。オルガとアンヌにも少しは休むように伝えて。
非常に座り心地のよいソファに体を沈み込ませ、目を閉じると眠れないなりに頭が休まるようだった。これなら多少は回復出来るだろう。
ノックの音に、私は軽い微睡みから覚醒した。
僅かだったが、うとうととしていたようで、随分と頭がスッキリしている。
ノックをしたのはアンヌだった。
「オリック商会との約束のお時間に近付きましたので、お召し替えのご準備を。それから軽く食事をご用意いたしております」
「わかりました」
アンヌに濃紺のワンピースに着替えさせてもらい、髪を結われる。
髪を結われながら以前も食べたような軽食を食べて腹ごなししておく。
姿の見えないオルガのことを聞いたら、アンヌとオルガは交代で少しずつ休んでいたらしく、オルガはオリック商会が来る直前まで寝かせているのだと言う。
私の都合で忙しくさせてしまったので少し休んでくれただけでも安心した。
「クリスティーネ様もお顔の色がよくなっております。ちゃんと休まれたようでなによりです」
「ありがとう。こちらこそ無理ばかり言ってごめんなさいね」
「いいえ、私はこう見えても体力がありますし、オルガも動くことが苦にならない性分のようですから」
薄っすらと微笑むアンヌ。
アンヌはそう微笑むと、どことなく薄幸そうな色気のある美女なのがわかる。物静かで穏やかだがよくこちらを見ており、意図を組むのが上手で痒いところによく手の届く、優秀な侍女だ。
パトリシアもオルガも、そしてこのアンヌも、人数は少ないもののかなり粒ぞろいの侍女達だ。さすがアンリ殿下だと思う。
化粧も終わり、準備が整った頃にはしゃんとした顔でオルガも起きてきて、万全の状態が完成した。
「オリック商会の方がいらっしゃいました」
私は頷く。
「手筈通りに頼みます」
私はフェオドールと話したいが他のオリック商会の人にまで内容は聞かれたくないので、二手に別れることにしたのだ。
アンヌにはオリック商会の人と相談をして私の小物をいくつか揃えてもらう。
アンリ殿下から、私のために色々買い揃えて構わないとも言われているようなので、今回はそれに甘えています。まあ情報料のような感じだろうか。
そしてフェオドールだけ私とオルガのいる別室に通してもらうのだった。




