前編
『秋の文芸展2025』参加作品。
滑り込みセーフ。
ああ…、マーガレット様。
私はもう、あなたにお会いすることは出来ません。
あなたの養子…、私が恋心を寄せていた彼、ニコラス様にも。
私は、あなた方に会う資格など、初めから無かったのです―――
◇ ◇ ◇
「―――縁談!? 私に、ですか!?」
私、リリー・フィオレンティはある日突然、子爵である父に縁談を持ち寄られました。
「そうだ、リリーよ。ロジエ男爵が後妻として、お前を欲しているのだ。それも、八千万リルと言う大金を払うと言っているのだぞ」
クフフ…、と嬉しそうに笑う父。ですが、
「お、お待ち下さい、お父様! ロジエ男爵と言えば、お父様よりお年を召した…」
「? それの何が問題だ?」
―――!? お父様…。私はまだ17ですよ!? お父様はまさか、私を…?
「…大体、お前が毎日のように通っている、あの薬学研究所。あのような場所によくも…。あそこにいるあの女が何者なのか、お前は知っているのか?」
え………?
「お父様…、私が薬学研究所…、マーガレット様のところに通っていたのを、ご存知だったのですか?」
マーガレット様の薬学研究所を兼ねたお屋敷は、薬草やハーブが生い茂った、不思議な雰囲気の場所。
七年前、偶然通りかかった際に、良い香りに誘われてこっそり覗き込んだ私に、
『―――あら、可愛らしいお客様ね』
マーガレット様がそう仰られ、お茶に誘って下さったのがきっかけで、学業の合間に毎日のように通っては、薬草の手入れや研究をお手伝いさせて頂いていたのです。
「ふむ…、その様子では、マーガレットが何者なのかも知らぬのだな」
ど、どういうことなのですか?
「マーガレットは、私の元妻だ」
………は?
「元々の許婚でな。結婚はしたものの子は出来ず、私に余計な小言ばかり言う面倒な女だった。そんな折、私と懇ろになったローズがお前を身籠った。お前の母・ローズは妾腹と言えど侯爵家の出身…。だからマーガレットとは離縁したのだよ」
!? そ、そんな………!
…私が狼狽えていると、お父様は笑いながら、
「つまり、あの女はお前のせいで離縁したようなものだ。それに、生まれてみればお前は女…、跡継ぎにも出来ぬ女に生まれてしまったのだから、少しは私の役に立て」
……………。
…マーガレット様。
私は、生まれてくるべき人間ではなかったのです―――
◇ ◇ ◇
―――ロジエ男爵への輿入れは一月後。私はあれからずっと、部屋に引きこもっておりました。
お母様は弟のサイラスに夢中。仕方ないわ。弟はまだ7つと小さく、私と違ってこの家の跡取りなんですもの。
コンコン。
「失礼します、リリーお嬢様」
? シス? まだ食事の時間ではないはず…。どのみち食事など、ここ数日喉を通っていないけれど…
「お嬢様に手紙を預かって参りました」
手紙? 誰から…。
………! ニコラス様!
『リリー、話をしたい。今日の夕方、日没の一刻前頃に、リンデンの丘に来てほしい』
「シス! これは…」
私が手紙を読むのを確認し、部屋を出ようとするシスを慌てて呼び止めると、シスはにっこりと笑って、
「大丈夫ですよ、お嬢様。私が誰にも気付かれないよう、手配致します」
…その後、シスの手筈によって私は、屋敷の外へ出てリンデンの丘へと向かうのですが…。
………お会いしてもよろしいのかしら。
ニコラス様………。
◇ ◇ ◇
「リリー! 良かった…。心配していたんだよ! …少し痩せたかな? 大丈夫かい?」
優しく声をかけて下さるニコラス様…。
ですが私には、ニコラス様に駆け寄る勇気がありません。
「あ…」と小さく呻いて、躊躇してしまいました。
するとニコラス様が、私の側に駆け寄って下さり、
「………結婚、させられそうなんだろう? シスが教えてくれた」
そう言われ、私は自分の頬に涙が伝うのを感じました。
ニコラス様は少し驚かれましたが、私の頬にそっと触れて、優しく涙を拭って下さり、
「義母も君と話をしたいと言っている。一緒に来てくれるかい?」
「! い、いけません! 私は………!」
思わず大きな声を出してしまいました。…ですが、ニコラス様は優しく笑って、
「…君は、知ってしまったんだね。だけど義母はね、君が何者なのか、最初から知っていたんだよ」
え………?
「フィオレンティ子爵の娘、リリー・フィオレンティ。もちろん驚いたそうだけど、義母はそんなことで君を嫌うような女じゃない。…それは、今まで過ごした日々を思い出せば、分かってくれるんじゃないかな?」
…マーガレット様は、私があの男の娘なのを、最初から知って………?
「とにかく、義母がお茶を用意して待ってる。それと、君と僕でずっと育ててきたラーベニウム、あれについて、すごいことが分かったんだ!」
ニコラス様が興奮気味に私の手を取って引こうとしましたが、
「で、でも! あの花には、期待していたラディウ症への効力はなかったのでは…」
この国の風土病で、初冬から春先にかけて肌に痒みと腫れを伴う痛みを起こす『ラディウ症』。
研究所で何度も薬草の交配を繰り返し、昨年ようやく効力を発揮する可能性を見いだした、新たな薬草『ラーベニウム』だけど、残念ながら花の成分には効力がなかったはず…。
「違うんだ、花じゃなくて、根だったんだよ! 一緒に研究してた君にも、確認してもらいたいんだ。だから、行こう!」
あぁ! ニコラス様! もう…。強引に私の手を…。
………でも、この感じ、久しぶりです。私も釣られて少々興奮してしまいました。
そのまま私は、自分の部屋で思い悩んでいたことも忘れて、ニコラス様と薬学研究所へ向かいました―――
◇ ◇ ◇
「―――ほら、すり潰した根から抽出した成分を、このシャーレに…」
顕微鏡で確認すると、シャーレに置かれたラディウ症を悪化させる要因の菌が、ラーベニウムの根の成分によって弱体化したのが分かります。
「…す、すごいです! これ、アロエーロで作った軟膏と合わせたら、もっと効力を発揮するのでは…」
私が興奮してニコラス様を振り返ると、その後ろにニコニコと微笑むマーガレット様の姿が見えました。
「あ………」
…思い出してしまいました。あの事を知ってしまった日から私は、お二人に顔向け出来ない、とあんなに思い悩んでいたのに…。
「久しぶりね、リリー。そろそろこちらでお茶にしましょう」
◇ ◇ ◇
勧められ、バツが悪そうに椅子のそばでもじもじしていると、マーガレット様は「さあ、座って」と促して下さいましたが、
「………あ、あの、マーガレット様…。私………」
マーガレット様は落ち着いた様子でしたが、少し困ったように微笑まれて、
「…聞いたのね」
私が頷くと、マーガレット様は座ってお茶を一口つけてから、
「最初にあなたに会った時から、私のあなたへの印象は変わらないわ。可愛らしいお嬢さん…、いえ、今は更に好奇心旺盛で利発で、以前よりも印象は良くなってさえいるくらいなのよ」
「で、でも! 私の父は、あなたにとても非道いことを…!」
ああ、また涙が出そう。…あんな父を持つ私は、マーガレット様にそんな優しい言葉をかけて頂く資格などない。
そう思っていたのに。
「…グレッグはね。でも、あなたは違うでしょう?」
…え?
マーガレット様は優しく微笑まれ、
「…リリー、あなたはあなたよ。私のかけがえのない友人。そして、このニコラスの想い人…」
「か、義母さん!」
? 今の、聞き違い? でもニコラス様、何故かお顔が真っ赤だわ…。…まさか、…本当に?
私も顔が熱くなるのを感じていると、マーガレット様は、ホホホ、と優雅に笑って、
「さあリリー、座って。お茶を飲みましょう。久しぶりに会えて嬉しいわ」
私は少し気恥ずかしい心持ちで座り、久しぶりのマーガレット様のお茶を頂きました。
ああ…、ほんのりと香るローゼル。
口に含むと、香りが呼気を染め、身体中に花の香がめぐるような…。
「………美味しい」
久しぶりの、マーガレット様が淹れて下さったハーブティー。私のわだかまりまで解される気がする…。
私の大好きな、お茶の時間。
「クッキーもあるよ。ほら」
ニコラス様が、自分も頬張りながら勧めて下さいました。
このクッキーも久しぶり。蜂蜜とミルクの甘さ、カモミールの香り。
サクッ、と香ばしく柔らかな風味。まるでマーガレット様そのままのような、優しいクッキー。
ほろり、と私の頬を再び涙が伝います。
「リ、リリー! ああ…、泣かないで」
慌てるニコラス様に申し訳なく、私が自分の手で涙を拭うと、マーガレット様がそっとハンカチで私の涙を拭って下さいました。
「………っ、すみません。マーガレット様。私…」
「いいのよ、辛かったわね。…私達も、あなたがロジエ男爵の元へ嫁がねばならない、と聞いて、色々準備をしていたの。その話をしたくて、あなたに来てもらったのよ」
え? ど、どういうことでしょう?
私が驚いていると、ニコラス様もにっこりと笑い、
「僕達だって、ただ黙って指を咥えてたんじゃないのさ。色んな証拠を集めて、作戦を練っていたんだ」
お二人が顔を見合って、にっこりと笑っています。
すると部屋に誰かが…、………シス? どうして…。
「マーガレット様。男爵の方は手筈どおりに」
シスの報告を受けて、マーガレット様が「ありがとう」と声をおかけになりました。
「シス………、あなたは、一体…」
シスは私付きの侍女、のはず…。年齢は私より十ほど上だと思ったけれど…。
私の問いに、シスは黙って微笑むだけでした。
そしてニコラス様とも視線を合わせ、互いに頷き合います。
私は訳が分からずにいましたが、ニコラスは意気揚々と、
「さあ、リリー、明日は忙しくなるよ! すまないけど君は一度家に戻って、明日の朝『王宮』で会おう!」
この日私は、呆然とするしかありませんでした。
ですが、本当に驚いたのは翌日、王宮で起こった『断罪劇』だったのです―――
短編にしたかったけど『秋の文芸展2025』に間に合わなかったので、前後編に分けました。スミマセン。
次回、完結します。来週くらい(←オイ)




