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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

どうも救われない日常さん

作者: 若元彌々

注意、ラストで主人公の思考がぶっ飛びますが仕様です。

 今日も救われない一日が始まる。


 少年はつま先から来る寒さで跳ね起きる。薄汚れた腕時計を見るに、午前5時を少し越えた辺り。木々の隙間から見える空も蒼くなり、星が陰り始めていた。

 膝を抱え込むように木の根元に座り込み、毛布代わりに被ったブレザーはほつれや汚れが目立つ。寒さからかブルりと体を震わせると、かじかんでいうことの効かない指先に息を吹きかけ温め、ギチギチを異音を鳴らしながら凝り固まった指を一本ずつ伸ばす。全ての指が終わると首、肘、膝、足首、足先と順番に関節をを動かしてやり、バキバキと関節が音を立て、筋肉に血が流れることでようやく立ち上がれる様になった。それでも貧血のせいか立ち上がるとふらつき、寝床として背中を預けていた木に寄りかかってしまう。

 

 「ざっと3時間ってところか。眠気もヤバいがいい加減なにか食べないと流石に死ぬな」


 既に空腹感も麻痺してしまい、吐き気すら襲い掛かってくる段階になっていた。不定期に込みあがってくる胃液を無理やり飲み込むと唯一の所有物である日本刀を杖替わりに子供が歩く程度の速さで歩き出す。

 毎日歩き通しの足には力がなく、太ももが上がっていない。そのせいでつま先を地面に擦るように踏み出し腕の力で体を引き寄せるという不格好な歩き方になっていた。

 3日間、川の水とわずかな木の実だけで生き抜いてきた体は既に限界を迎えており、頭痛に加え燃料切れの体はまともに動かずフラフラとおぼつかない足取りだ。空っぽになった胃はキリキリと痛みでを危険を訴えかけ、ぼんやりと動きの遅くなった頭の中は遥か昔に感じる食事の内容をリピートし続けてくる。カレー、ラーメン、ピザ、コーラ。気が狂いそうだ。


 森の中はむせかる程に緑の匂いが強く、仮に元居た場所ならば遊山なりピクニックなり楽しみ方はいくらでもあるだろうが、腹の減りすぎた今では鬱陶しさしか感じない。それを煽るかのように歩き辛いローファーや剥けた手の皮が痛む。一歩、また一歩と進むたび、苛立ちは増していく。一度も乾かしていなかった靴下によって出来た足のマメは潰れて皮がむけ、汗を吸い続けたシャツからは異臭が出始め、ガシャガシャとやかましく重たい刀は投げ出したくなってくる。幸いな事は石や木の根が露出しておらず、比較的歩きやすいことか。


 「向こうの奴らは今頃、俺の事を探し回っているだろうな。案外、美咲の奴は平然としてるかもな」


 気晴らしがてら元居た世界の事を思い出すと、ケタケタと力なく笑い余計に虚しくなってきた。こちらに来てから既に7日。森に逃げ込んで4日目といったところか。初めてこの世界に来た際の絶望感に比べれば、現状の空腹感はいささかマシに思えている辺り、大分こちらの世界に染まって来たらしい。初日に人を切りつけた際には、あれ程慌てふためいたというのに、今では人を殺すことは生きる糧を得るための仕方のない犠牲だとさえ思い始めている。


 所謂、異世界転移というのだろうか。あるあるというべきか、俺はあちらの世界で生きていたが、何故か突然トラックが突っ込んできて、その原因は神の手違いのせいで元の世界には元の世界には戻せないから別の世界へ転移させる。とかいう、ありふれたものあったが、大きな違いは、俺は元の世界にやり残したことが多く、異世界になんら魅力を感じなかった事である。

 確かに、イケメンでもなければ勉強が出来たわけでもない。スポーツ万能で女子にキャーキャー言われるような人間でもなかった。

 それでも、まともな両親の元に生まれ育ち、柔道で全国大会に出場するという目標の元に汗を流し、友人達と馬鹿話をする毎日に満足していた。2年にして入賞することも増えてきたし、先輩に勝ってレギュラー入りもすることが出来た。人生初めての彼女が出来て、友人に揶揄われながら、デートの場所を相談したりする日々は十分に幸福な毎日だった。

 それをある日突然奪われ、適当な世界にチート付けて連れて行くから許せと言われて納得しろという方が無理だ。大体、文明社会にどっぷり浸かった現代人が、言葉が通じるだけの異世界で生きている訳がない。最初に辿り着いた町では、見慣れない服装のせいで自警団を呼ばれ、危うく捕まるところだったし、街道で声を掛ければ不審な人物として剣を向けられた。慣れない野宿をしようにも、ライターなしに火を起こしたことなんてある訳がなく、棒を擦り合わせて火をつけようとすれば両手の皮が剥ける始末だった。仕舞には、野宿中に追いはぎに狙われ、何とか山に逃げ込めば迷ってしまい街道に戻れなくなってしまうザマである。

 チートして与えられたものは「絶対に折れず、刃こぼれもせず、切れ味の落ちない刀」というこれまで使った事もない得物を押し付けられ、与えられた携帯食料は食べ尽くした現在、減量や脱水状態での稽古などでいくらかは飢餓状態に慣れているとはいえ、流石に限界が近かった。


――今日中に街道に出なければ死ぬな。


 この4日間、幸いにも肉食動物には出会わなかったが、これだけ深い森ならばクマや狼くらい居てもおかしくない。いざとなれば刀を使うが、このまま衰弱してしまえば抵抗すらできずに喰われることになるだろう。それだけは死んでも御免こうむる。どうにか街道に出れば、生き残る手段はいくらでもある。

 ならばこそ、今はどれだけ辛かろうが足を動かす。限りなく近づいてくる死から逃げる唯一の手段であり、現状を打開する方法なのだから。

 

 しかし、同時にこうも考えてしまう。


――生きていることに価値があるのだろうか?


 もし仮に、無事に街道に辿り着いたとしよう。今まで通りならば、まず誰一人として助けてはくれないだろう。あるとすれば、死体と勘違いされ身ぐるみを剥がしにくる人間だけだ。ならばその人間を人質に水と食料を要求するのか。否、そのような事を行う者がまともだとは思えない。十中八九、戦闘に発展するだろう。

 その時、間違いなく相手を殺すことになるだろう。この世界では、皆生きていくことに必死なのだ。殺す気で行かなければ、こっちが返り討ちに遭ってしまう。しかし、生き延びた所でどうするというのか。マンガや小説の世界ではないのだ。運よく仕事に就ける訳でも、あちらの世界の知識が有用な訳でもない。野盗にでも身を落とすのが精々で、いずれは御用となり、死刑台行きだ。

 だからと言って、元の世界へと帰ることも恐らく不可能だろう。こちらの世界に神が存在するかは別としても、また別の世界に送られるのが関の山だ。仮に帰れたとして、今まで通りの生活が送れるかどうか。もし、今すぐ帰れたとしよう。こちらに来る前の俺は事故に遭っているのだ。体が五体満足の可能性は低く、障害を持った体でどうしようというのだ。柔道はもう出来ないだろう。付き合ったばかりの美咲は俺の事など捨てるだろうし、友人達も俺などよりも他の友人と当たり前の青春を送るに決まっている。帰ったところで今まで積み上げた俺の人生は全てぶち壊されたままだ。

 ここに残っても、帰れたとしても碌な人生が送れないのではあれば、一思いに死んでしまった方が楽なのではないだろうか。死んだところで誰も悲しみはしない、いっそのこと自然に身を返すのが、楽で賢い選択肢なのではないか。このまま衰弱死するよりも痛みは少なく済む。

 目的がなく、目標もなく、将来の展望もない。行き先のない人生にどれ程の価値があると言うのか。ああそうだ、死んでしまおう。なに、苦しみはしない。首をかっ切るだけのことだ。


 そう思ったせいか、その場に座り込むとおもむろに刀を半分程抜く。刀身に映る男の顔は何度も鏡で見てきた姿とは異なり、まさに生きる屍といった有様だ。目に生気がなくドロリと腐り、隈と相成って死体のそれと変わらず、顔は青白く歯は黄ばみ不精髭の生えた姿は17歳のそれとは大きくかけ離れ、年齢不詳の浮浪者といったところか。


――情けない面だ。何のために生まれ落ちたのだろうか。


 おおよそ自分に対して向けることのない罵声を浴びせると、刀を鞘へと戻し立ち上がる。そしてまた、のそりのそりとか体を引き摺るに歩き始める。


 もう何度も繰り返した動作だった。こちらに来てからというのも、自問自答の末に生きる価値無しと見切りを着けたにも関わらず、いざその時になると己の人生の価値を問い、何もなしていないことに納得できず生にしがみ付く。

 生に執着している訳ではない、死を恐れている訳でもない。ただ何も成すことなく死ぬことが許せなかった。

 それは捨てることになった幸福な日々に対する贖罪か。得てしまった新たな日常への誠意か。毎日のように考えては答えを出し、同じところをグルグルと回っていた。

 その考えは甘えなのだろう。どれだけ言葉を取り繕ったところで、結局は自分で自分の事すら決める事も出来ず、ただ状況に流され己の立ち位置を探しているに過ぎない。生死すら己で決め切れないとは、情けなさ此処に極まれりと言ったところか。


 「本当に根性のない男だ。成すことも成さずダァ?格好つけるなよ意気地なし」


 背の高い繁みの中から背中を丸めた男が這い出す。青白い肌に汚れの化粧を施した腐りかけの俺だ。刀身に映り込んだ姿をさらに悪化させ、顔の一部が崩れ落ちれば同じ姿になるだろう。


 「黙ってろ。お前には関係ねぇだろうが」


 「おお、怖い怖い。死にかけの男が死んだ自分に凄むとは、人生何が起きるか分からねぇなァ」


 最も俺は死んでるけどなァと、ゲラゲラ笑う自分を無視し足を進める。森に逃げ込んで以来、定期的に現れては人の神経を逆なでしていく存在だが、話し相手のいない環境のせいか無視する気にもなれず邪険にしても言葉を交わしてしまう。


 「お前さァ、分かってんだろ。どう足掻こうがここは地獄の窯の底。どんずまった世界だってなァ」


 「生きてみねぇと分からねぇだろうが。腐肉喰おうが泥水啜ろうが、生きてる内は俺の勝ちなんだよ。潔く死ぬくらいなら、誰かブッ殺しても生きてやらぁ」


 心底楽しそうにニタニタと笑みを浮かべる俺は、紫に変色した歯茎を自慢げにむき出しにしている。


 「無理無理ィ、お前なんかに殺しが出来るかよォ。結局、お前は口だけの男なんだよ。同じ俺なんだぜェ、誤魔化すなよォ。今までの人生、自分から何か決めたことがあったか?全部誰かに決めてもらった人生。誰かにとって都合のいいお前だったろォ」


 「…黙…れ」


 「アレェ?怒ったァ?事実言われて怒るなんて、認めているようなモンだぜェ」


 「…黙れ」


 「親がやれというから始めた柔道。居心地がいいだけの苗字しか知らない友人。好きだと言われたから好きになった恋人。どこにお前の意思がある?お前は誰かの都合を受け入れただけだ。自分じゃ何も決められない」


 「黙れ」


 「今だってそうだろォ。何とかなるゥ?上手くいくゥ?違うだろ。成り行きに任せて選択出来ないだけだろォ。将来はァ、いつかはァ、そうやって逃げて来たくせにまだ逃げ続けているんだ」


 「黙りやがれ!」


 横から顔を覗き込むように語りかける自分を刀で振り払うと、ぐにゃりと陽炎のように歪み消える。支えを失った体は不様に転がり、酷いねェというつぶやきだけが耳の奥に響いた。

 夜露によって濡れた雑草に倒れ込んだことで、ヒヤリと背中を冷やし、じっとりと体を湿らせていく。草の切れ端が張り付き、体を打ち付けた痛みの不快さが全身に走るが疲労からか起きる気力すら湧かず、数回もがき力尽きたように四肢を投げた。


 惨め過ぎる。孤独から見る様になった幻覚に言い負かされたことも、そんな手を使わなけば本音を吐けなかったことも、下らない思い出にしがみ付くことも…


 何もかもうんざりだ。何で俺ばかりこんな目に遭う。俺が何をした。真っ当に生きて来た。社会のクソ共の様に犯罪を犯した訳でもあるまいし、理不尽だ。人っ子一人いない森の中で餓死した後に、獣に食い荒らされて骸を晒すのが俺の運命なのか。


 「何が神だ馬鹿野郎!死ね!誰も彼も死んじまえ!クソッタレな世界も俺を捨てた世界も全部!!」


 声にならない嗚咽がこぼれた。腹から押し出された空気が声帯で響いただけの、アァともウゥとも聞き分けられない言葉を吐き出し、とっくに枯れたと思っていた涙腺からは溢れる。


 情けない、情けない。

 いい年をした男が世間体をかなぐり捨てて泣いた。

 自分の為に泣いていた。

 自分に降りかかった不幸の為に泣いた。


 不幸な自分に酔い、感傷に浸って利己的な涙を流す滑稽な男がそこにいた。

 家族、友人、恋人。どこにでもある平凡で当たり前の幸福を手にしていた。しかし、上辺を取り繕い失わないように抱え込んでいたモノはあっさりと消え失せ、孤独と恐怖だけが与えられ、知りもしない世界で一人打ちひしがれる。


 そして捨てられた少年への救いは思わぬ所から訪れた。


 それは獣の雄叫びにも似た悲鳴だった。


 森の生き物たちが一斉に騒ぎ出す。木々に止まり羽を啄んでいた鳥たちは飛び立ち、遠くからは鹿の走り去る際に鳴らした草音が聞こえた。地上へ降りていたリスは木を駆け上がり、物珍しさに寄って来ていた野ウサギは藪へと逃げ込んでいく。


 この世の終わりかの様に絶望し諦めていた少年もまた、行動を起こしていた。先程までの気怠さは何だったと言いたくなるほどに、素早く腹這いになると投げ出していた刀をひっつかみ鯉口を切っていた。


 やけに早くなった鼓動を抑えるために深い呼吸を意識するも、額からは玉の汗が噴き出し背中が先程とは違う寒さでヒヤリと冷える。うるさい心臓を無視し、遥か遠くを聞こうと耳を澄ませば、馬の嘶きと何かの破壊音がかすかに聞き取れた。


 一先ずの危険が無いことを確認すると刀を戻す。一息吐くと立ち上がり、さてどうしたものかと考えを巡らすと同時に駆け出していた。


 悲鳴からして恐らく、何らかの襲撃。馬とセットで壊れるものなら馬車か?悲鳴は一つ。悲鳴の主は男。相手が獣か人かまではは分からないが、少なくとも馬車が通れる程に整った道ならば街道に違いない。


 そういった考えにはすぐに至った。そして散々森からの脱出のために歩き続けていた体は、疲労感など知らぬとばかり無視して足を前に進める。何度も足を絡ませ体勢を崩しながらも、藪を突っ切り根を飛び越え、ぶら下げられたニンジンを追う馬の様に一心不乱に走ったおかげか、森の切れ目が見えた。


 谷間の様に切り立った街道の崖上に出ると、眼下で白塗りの馬車が襲われている最中だった。車軸が完全に折れたらくし車体が地面に接触している上に、曳いていた馬と御者らしき男も既に息絶えていた。護衛らしき姿はなく、完全な無防備な所へ貧相な男たちが襲い掛かったようだ。5人の男達は、死骸に群がる蟲の様に殺到しており、周囲を気に掛ける素振りもない。血走った眼は興奮しきっており、立て籠もった馬車を無意味に切り付けては罵声を吐きかけ続けていた。


 かわいそうに、あれでは無事に済まないだろうな。他人事ながら流石に、不憫に感じてしまう。金か命か、どちらが理由にしても理性的な者が相手ならば、幾らかの交渉の道が残され、最後の時も痛みなく終わらせるなどの配慮もしてくれようが、あの有様ではそれはあるまい。

 くわばらくわばらと呟きながら、同時に始末が済んだ後の事に考えが巡っていた。金目の物は粗方もっていかれるだろうが、装飾に使われているカーテンを手に入れる事が出来れば夜具の代わりになるだろうし、死んだ馬は解体し数日分の食糧になってくれるだろう。それで当座を凌ぎ、次の機会を待つことにしよう。御者の服は洗えば着ることが出来るだろうから、着替えて町に入ることも叶うだろう。


 そう考えているせいか、碌でもない希望が見えてきたせいか。不思議と体の不調は静まった。すぐ目の前に希望があるだけでこれ程違うものなのか。吐き気や抑うつ感は吹っ飛び、活力すら湧き上がってきた。それどころか、それまで感じていなかった空腹感が急に湧き出し、唾液腺はぶっ壊れたかの様に大量の唾液を分泌し始めた。


 よく“飢えた獣の様だ”という表現が使われるがなるほど、こういう事か。確かに、野生などという生易しいものではない。脳ミソが快楽物質を大量生産し、高揚感とも違う何かを血液に混ぜ全身に巡らせていく。試合前の緊張感と闘争本能が合わさった快楽とも違う、自分と同等の好敵手を見つけた時の期待感とも違う。あえて言うなら、喉の渇きを潤す水を口したような、空腹時に白飯を掻き込むような。満たされていなかった欲求を満た瞬間に絶頂に達する。生を実感した快楽、生物としての勝利によって得られるカタルシス。


――あぁ、俺は救われる…


 そんな時だ、頭から冷や水ぶっかけられたようなショックによって毛穴が引き締まる感覚と共に活力は快楽から怒りへと変わった。

 馬車から引きずり出されたのは年端もいかない少女だった。小奇麗なドレスと金糸の髪を持つとんでもない美少女が、その髪を髭面の男にわしづかまれ地面に引き倒される。

 悲鳴を上げながら逃れようと必死に抵抗していた。掴まれた手を振りほどこうともがく少女の姿は、優美な外見に対してあまりにも不様だ。羽を痛めた蝶が、地面に体を打ち付けながらも飛び上がれないような姿に男達は嘲笑を浴びせる。

 自分よりも幼い少女に行われる暴行に、先程までの利己的な考えは薄れ久しく忘れていた義侠心が込み上げてくる。


 「それでェ?助けてどうするんだァ」


 もう一人の俺が語りかける。


 どうするべきか。何をするべきなのか。あの女を助けることに意味があるのか。あいつを助けるには連中を殺さなくてはならない。俺にその覚悟はあるのか。

 グルグルと考えが回る。自問自答した時の様に、対して意味のない疑問を自分に提示していく。

 

 大体、あの女を助けて何の意味がある。碌に知りもしない、あったことすらない女の為になぜ命をはらなくてはならない。知りもしない世界の知りもしない女が殺されようがレイプされようが知ったことか。

 そうだ。最初の考え道理、男どもに好き勝手やらせた後に、残った物資を漁れば万事問題ないのだ。はなから見捨てた命だ。感傷的にならず現実をみろ。人を殺せない男が何をしようというのだ。


 一度燃え上がり始めた闘志は臆病風に吹かれ鎮火する。それは仕方ないことだ。ただの男だ。ヒーローなんて立派なモノでも、ご都合主義の主人公様でもないのだ。使ったこともない刀なんて下らないモノを手にしただけのただの男子高校生が、どうして命のやり取りなんてことが出来ようものか。


――そうやってまた逃げるのか?


 違う。俺はただ単に事実を認めているだけだ。犬死も無駄な人殺しもしたくないだけで、今取るべき最善策をうっているだけだ。ただの無駄死をしたくないだけだ。


 逃げではない。自分にそう言い聞かせる程に、何かがすり減るような感覚に襲われる。何でもないハズの選択が重い。罪悪感が、後悔がのしかかる。ガリガリと自尊心が削り落とされ、醜い本性がむき出しにされていく。


 善意のメッキが剥がれ、張りぼての正義は崩れ、型にはまった倫理観が溶けていく。これまでの人生の中で築き上げて来た土台が崩れていき、深みへと落ちてくようだ。


 救おうとすれば人殺しの畜生に堕ちる。だからと言って救わなければ人の道を外れる。

 どちらを選ぼうと、結果は同じ。されど選ばないという選択肢は許されない。

 結局は覚悟を決めこれまでの自分を捨てるか、後生大事に自分を抱えたまま己の善性に潰されるか。


 そのどちらしかないのならば…


「ああ……もう…めんどくせぇ!」


 せめて前のめりで死にたい


 片手に刀を握りしめ、跳んだ。

 馬車を囲んでいる一人にめがけて飛び降りる。

 着地は不要だ、受け止める相手はいる。


 突然の上空からの不意打ちに男達は反応できない。

 後衛として、馬車から一番離れた場所で見張りをしていた男の頭上から少年が降って来た。少年は飛びかかりザマに片腕で相手の服を掴み、自身の膝を胴体に押し付け地面との緩衝材に男を使う。

 バキリという乾いた音と男の苦痛に満ちた悲鳴が上がる。悶絶し、口から血混じりの吐瀉物を吐き出す男の懐から抜き取った短剣で黙らせると姿勢を低くし駆け出す。鞘に入れたままの刀の柄と鞘を両手順手で握りしめ、体の右側に添えるように構えたまま、少女の髪を掴んでいる髭面に突撃する。

 背後で起きた突然のことに動けない敵の間を一直線に駆け抜ける。流石にこちらを視界にとらえていた髭面の男は少女の髪から手を離し、腰に納めていた剣を抜き出す。ギラリと光る刃物と血走った男の目に脚がすくみそうになる。初めて向けられる本気の殺気に、恐怖が湧き出した。


 間合いに入った。振り上げられた剣が自分めがけて振り下ろされる。

 世界がスローに感じられた。怒気の表情が嫌にはっきりと見える。

 死ぬ。嫌だ。怖い。

 そんなものは、当たり前の恐怖には


 「もう慣れてんだよ!」


 速度を落とすどころか加速させ間合いの奥へと踏み込む。完全に相手の懐に飛び込むと、地面を踏みしめ体をねじりながら喉に柄頭を突き刺す。ゴキュリという生々しい手ごたえが走ると髭面の男は剣を落とし、喉を掻き毟るようにもがき苦しんだ後に倒れた。


 「次!」


 時間稼ぎは出来た。途中で引っ掛かりながらも刀を引き抜き、踏ん張りの効かないローファーは鞘と共に捨てる。

 そうこうしているうちに冷静さを取り戻した三人の男達は、一丸となって襲い掛かって来た。

 後ろの少女を抱えて逃げるのは不可能。迎え撃つしかない。


 しかし、肝心の得物が嫌に使いにくい。マンガやアニメの影響で妄想していたモノとは全く違う。両手持ちしているせいで動きが制限される。

 手首への負担がデカいくせに体を内側に絞める必要があるせいで自分の肩が邪魔くさい。先端まで重さが詰まっている関係で実際の重さよりも重く感じる。

 正直、鞘に入れたまま重い金属棒として使った方がマシなレベルだ。

 だが頭蓋を叩き割っても生きていた人間は知っているが、脳ミソをカチ割られて生き延びた人間は知らない。


 前衛に髭面と同じ剣装備、後衛に棍棒持ち二人。鎧はなし。

 素人では防御不可能。回避も不可能。複数人を相手取るには先制攻撃を以って主導権を奪う。


 「シャア!」


 頭上に構え、体を弓なりにのけ反らす。そして振り下ろすのと同時に思いっきりブン投げた。


 いきなり得物を投げつけると予想出来なかった男達は咄嗟のことに安全な回避ではなく防御を選択してしまった。足を止め、縦回転で斬り込んできた刀身に対して得物で確実にはじき飛ばす為に迎撃した所。


 スコン


 間の抜けた音と共に受けたハズの棍棒は両断され、頭頂から鼻の辺りまで刃が喰いこみ男は絶命した。

 本来なら有りえないことに男達は視線を少年から外し、顔から刀生やした仲間にくぎ付けになってしまう。


 「お、おい。大丈夫か?」


 どう考えても死んでいるはずの仲間に声を掛け、気の抜けていたもう一人の棍棒持ちに少年が襲い掛かる。


 猪突猛進の言葉道理に前衛の剣持ちを気にすることなく全力疾走した少年は、勢いをそのままに無防備な首に目がけて、腕を薙ぐように振り抜いた。


 「もう一丁ォ!」


 二の腕は喉仏を直撃し、カフッという声が漏れると頭と体が千切れたかのような錯覚と同時に後頭部を露出した拳大の石に強打し頭蓋を割られた。


 ラリアットをかました直後にブレーキ。前転。

 体全体で勢いを殺し、右手を軸に半回転させる。

 両手足のグリップ力を生かし、体をクラウチングスタートの体勢で固定、直後に発射する。


 「このクソガキ!」


 勢いのまま最後の一人に飛びかかった所を振り返り様に横一文字に振り抜かれた。

 風切り音と頭部の真上を刃が通り過ぎるのも気にせず、飛びつき押し倒す。


 馬乗りの姿勢になり、相手から剣を奪い取ると


 「ダラッシャアッ!」


 奇声と共に相手の胸に突き刺した。ブチブチと繊維を切断する感覚と生々しいニチャニチャとした感触が手に伝わる。相手はジタバタと抵抗し口から噴き出した吐血が顔に掛かるが、剣を前後に揺すってやれば簡単に絶命した。


 あっけない幕引き。うめき声も聞こえない周囲の静かさに対して、自分の過剰な呼吸音が唾液を飲むたびに途切れていた。

 握り込んでいた剣の柄から手が離れない。カタカタとやかましく震えているくせに、神経が切れたように指が開かない。

 どうにかして開こうと悪戦苦闘している内、死闘の緊張感で切り捨てられボケていた感覚が帰って来た。鉄臭い血の腐臭によって鼻と肺が汚され、胃液の苦酸っぱさが喉の奥にこびりついている。彩度が落ちていた視界が戻れば、変色した赤黒い血に鮮やかな鮮血が混じっていく様子がよく見えた。


 「(スゲェ…映画みたい)」


 全身にまとわりつく疲労感と生暖かい死体の温度が、嫌に心地よく感じていた。言ってしまえば、心は達成感に満ち溢れていた。人殺しという悪を犯しながら、悪人を裁くという善行を行ったことに満足していた。


 平和な日本で生まれ育ち、命の尊さや儚さについては教え込まれていた。祖父を亡くした葬式では泣き、理不尽な災害に心を動かされボランティアを行ったこともある。画面の向こうで起きている戦争や創作物の映画にだって揺すられる程度には善性を持っていたハズだった。


 それがこの有様。


 事情も知らぬまま、悪と決めつけた相手をブチ殺しておいて悦に浸っている。

 多少、罪悪感なり後悔なりの禁忌を覚えるものだと思っていたが、何のこともない。あれほど重いと思っていた命を呆気なく奪えてしまったことに無情さを。簡単に手放した相手に対しては軽蔑を覚えていた。


 知らない世界の知らない土地。勝手な理由で放り込まれ、何度も死にかけながらも生にしがみ付いてきた。己の価値などという下らないモノの糧に、どうにか踏ん張って来た。

 それがどうだ。コイツらは弱者を喰い物にし、そのくせアッサリと死にやがった。覚悟も根性もなく、惰性に生きて来たくせに、人から奪い取っておきながら自分の番となれば何の躊躇も後悔もなく捨てた。


 本当にふざけている。俺が欲しいモノを全部持っているくせに、俺が奪われたモノを全部持っているくせに。俺なんかに殺されやがって。


 命を背負う覚悟のない奴が、命を奪っていいハズがない。何でもいい、何かを持っている人間が悪事に手を染めていい訳がない。そんなのは当たり前のことだ。

 なら俺は?何も持たない、何も与えられない、誰でもない俺は?


 「(ああ、そうか。俺は選ばれたんだ…)」


 故郷を持たず、しがらみを待たず。しかし生きるという覚悟を持ち、生命の重さを知っている俺にしか出来ないこと。


 平等な正義の執行。


 国だの宗教だの身分なんていう下らないものに縛られない、より本質的な善悪の区別。平和を知り、常識を知り、そして悪人を罰することに何ら動かない強靭な精神力。

 そうかそうか、そう考えれば俺の理不尽な境遇にも納得がいく。あれは試練だったんだ。死の淵に立つことで、命の何たるかを身をもって体験し、己と正義を天秤に掛けさせるかを許容できるかを計るためのものだったのか。


 少年は立ち上がり、生まれ変わったかのような清々しい顔で少女の元へと歩いていく。胸を張り、肩で風を切る姿は堂々たるもので自信に満ち溢れていた。

 己の生まれた意味、人生を掛ける大義を知った為に迷いも郷愁も捨て去り、新たな日常への期待に胸を膨らませる。


 そんな少年の背中をもう一人の少年が悲しげに眺めていた。数回首を振り、ニヒルな笑みを浮かべると足元からチリとなって崩れていく。小さくつぶやいた「後悔するなよ」は届くことなく、役目を終えた少年は消え去った。最後の言葉、


 さようなら、平凡かけがえのないな日常さん。

 どうも救われない日常さん。


 と、共に。

異世界転移者が平気で戦ったり、人生壊せる理由を自分なりに考えてみました。

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