ターン86 飲ませたのはだ~れ?
コース下見の後、俺達は「フェアに戦おう」という協定を結んでから解散した。
「フェアに戦う」というのは「禁止されていないことなら何でもやるぜ」と同義なので、あまり安心材料にはならないけどね。
解散するなり俺はホテルに戻り、ノートパソコンを開くと動画投稿サイトにアクセスした。
お目当ては去年パラダイスシティGPを走った、ダレル・パンテーラさんの車載カメラ映像。
俺はコース下見中に、「本番にならないと分からないことが多い」なんて言った。
だけど実際にコースとなる道路の路面を見て、感じたことも少なくない。
ダレルさんや他のドライバー達の走行動画は、マリーノ国にいる時から何度も見ている。
だけど今日仕入れた情報を取り入れつつ見れば、また新たな発見があるかもしれないと思ったんだ。
ジョージやケイトさんと動画を見ながら軽く打ち合わせをしていたら、いつの間にか日が暮れていた。
軽くのはずが、熱が入っちゃったな。
このまま打ち合わせを続けたい俺達は、ルームサービスを取ることにした。
みんなでホテル外のレストランに行く予定だったんだけど、変更だ。
「お兄ちゃんが行かないなら、私もホテルに残るわ」
ヴィオレッタの発言がきっかけか、マリーさんも残ると言い出した。
当然彼女の執事兼護衛のベッテルさんと、お世話係のメイドであるキンバリーさんも残ると言い出す。
結局俺とジョージの部屋にチーム全員が集まり、宴会のついでに打ち合わせを――いや。
打ち合わせのついでに、宴会をすることになった。
この世界での飲酒は、地球の日本国と同じく20歳から。
俺やジョージ、マリーさんやキンバリーさんは飲めない。
だけど他のスタッフ達は、アルコールOK。
深酒はマリー監督から厳禁されたけど、彼女は飲めるスタッフ全員に高い酒を振舞った。
「ほどよく楽しんで、英気を養うのですわよ」
物分かりがいいチームオーナー兼監督で、良かったと思う。
彼女は意外とこういう配慮に長けていて、1年間スタッフ全員のモチベーションを高く保ちながら国内スーパーカート選手権を戦ってきたんだ。
酒が入ると、大人達は饒舌になった。
楽し気に話すオッサン達の声をバックに、打ち合わせを進めるのも悪くない。
耳に心地よい喧噪だ。
俺はアスリートだから、地球で20歳になってからもアルコールは口にしなかった。
今度の人生でも、きっと酒は飲まないだろう。
だから宴会の真の楽しさというものは、これからも理解できないのかもしれない。
それでもこのチームの宴会は、なかなか楽しいと思う。
「ランディ様。打ち合わせはそれぐらいにして、こっちへ来て一緒にお話しませんことですの?」
ソファの隣の席へ座るように促す、マリーさんの語尾があやしい。
ほんのり赤く染まった頬と、いつもより潤んだグレーの瞳。
そして銀色縦ロールを揺すりながら、ヒックヒックと頻繁に繰り返されるしゃっくり。
その症状から、導き出される答えはひとつだ。
「誰だよ!? マリーさんに、お酒飲ませたのは!?」
ポールがいない今、チーム内でこういうことをやる人物はひとりしか思い浮かばない。
酔っ払ったマリー嬢の姿を、ビデオカメラで撮影している危険なメイド。
彼女の顔には、おなじみのぬらりとした笑みが浮かんでいた。
マリーさんにお酒を飲ませた犯人は、キンバリーさんで間違いないだろう。
キンバリーさんはぬらりスマイルとカメラを構えた姿勢をキープしたまま、ベッテルさんに耳を掴まれ部屋の外へと引きずられていった。
ベッテルさん。
その問題児メイドに、ガッツリ説教をお願いします。
キンバリーさん自身、酔っていたのかもしれないな。
彼女もまだ、飲酒できない歳のはずだけど――
「ランディ様! 早く! となり早く! でないと来年、レイヴン自動車メーカーチームへの移籍は認めませんざますよ?」
酔った監督は、ちょっと幼児退行気味――いや。
これが、年相応な言動なのかもな。
マリーさんは待ちきれない様子で、ソファのクッションをポムポムと叩く。
「はいはい。監督命令じゃ、逆らえませんね」
ケイトさんとヴィオレッタが少しムッとしていたけど、仕方ないじゃないか。
話を聞きながらお茶やジュースを飲ませて、さっさと彼女の酔いを醒まそう。
俺がマリーさんの隣に腰を下ろすと、オッサンスタッフ達が「ホォー!」と声を上げて囃し立てた。
やめてくれ、オッサンズ。
これ以上、酔っ払い令嬢を煽るんじゃない。
俺はマリーさんの隣に座ると、紙コップにジュースを注いで差し上げた。
それなのに彼女ときたら、飲み物には無反応。
据わった目で、俺を睨みつけてくる。
「ランディ様! 今日はあなたに、お説教があります!」
「はいはい、監督。なんでございましょう?」
説教されるようなことは、何も思い浮かばない。
国内スーパーカート第2戦と3戦で、リタイヤした件かな?
でもあれ、俺が事故ったとかじゃなくってメカニカルトラブルだったし。
「女性関係についてであります!」
――完全に、身に覚えがない。
俺には関係を持っている女性なんて、1人もいないよ!
「あなたはいったい、何人の女性の心を奪えば気が済むんでありんすの? ケイト様。ルディ様。最近ではクラスメイトの淫魔族にも、言い寄られているそうですわね? それにワタ……いえ。最後のは、なんでもありませんでござる」
「ちょっとマリーちゃん! 何を言うとんねん?」
誤解されたケイトさんが、顔を真っ赤にして反論する。
――いかん、二次被害が。
「ちょっとマリーさん! 私の名前が、お兄ちゃんのハーレムリストから外れてるよ!」
ヴィオレッタ!
そんな人聞きの悪いリスト、存在しないから!
「地球でランディ様が暮らしていた日本は、一夫多妻制だったのかもしれません。ですがこの世界の主要国で、重婚アリの国家はありませんでげす」
――でげす?
「ちょ……ちょっと待ってよ。人をそんな、何股も掛けている男みたいに……。それと俺が前世で住んでいた日本でも、重婚は禁止だよ」
「まあ! それで異世界に来て、タガが外れてしまったというわけですか。日本の小説では、異世界でハーレムを作るというジャンルが人気だったらしいですわね? ランディ様も、そういうのばかり読んでいらしたのでちか?」
なんで日本の婚姻制度について知らないのに、そういう情報は知っているんだ?
――っていうか日本では本当に、そういう小説が流行っていたの?
「……俺はね、まだ誰とも付き合う気はないんだよ。レースに集中したいんだ」
俺は、不器用な男だ。
女の子を大事にしつつ、自分の夢を実現できるかって問われると自信がない。
今はレースに集中するのが、正解だと思う。
「そこがダメだと、言っているのですわ! 『誰とも付き合っていないのなら、まだ自分にも望みが』などと、周りの女性は考えてしまうのです。そろそろ誰か特定の女性を決めて、正式にお付き合いしなさい。そしてそれを、校内新聞できちんと公表するのですわ!」
――あ。
今の語尾は、まともだった。
いやいや。
どうもマリーさんは俺について、盛大な誤解をしているようだ。
どうせキンバリーさん辺りが俺の身辺を調査して、
「ランドール・クロウリィは、色んなところでモテモテです。爆発しろ!」
とか、偽りの報告をしているに違いない。
それにしても――
恋愛まで、チームに管理されるいわれはないぞ?
おまけに校内新聞で公表って、意味が分からない。
マリーさん、相当酔っているな?
彼女をこんな風にしたキンバリーさんは、ベッテルさんからこってり絞られればいいんだ。
「ランディ君。対外的に彼女役が必要なら、ウチがいつでも引き受けるで」
「ケイトさんも、酔っているの? ダメだよ? 女の子が、そんなことを軽々しく言っちゃ。男って生き物は、すぐ自分が都合にいいように誤解しちゃうんだからね」
俺が窘めると、「ブーメランや!」という叫び声とともにケイトさんのハリセンが飛んできた。
動体視力チートの俺が、なぜかケイトさんのハリセンは避けられずに食らってしまう。
っていうか、海外までわざわざハリセンを持ってきていたのね。
「まったく、もう……。ランディ様ときたら……。ちゃんと女性と付き合わないから、『ジョージ様と相思相愛』などという噂が校内で流れてしまうのですわよ?」
またコレか――
噂を流している、腐海の住民が絶対いるよね?
見つけてとっちめてやる。
女の子だろうから乱暴はしないけど、口から魂が零れ出ちゃうぐらいにはお説教が必要だろう。
「やれやれ、迷惑な話ですね。僕だって普通に、好きな女の子がいるというのに……」
俺も迷惑だよ!
それにブレイズに対する態度から、ジョージはそっちの気があるんじゃなかろうかと、俺はずっと疑って――
――は?
ジョージさん?
今、なんと仰いました?
「ジョージ。それって、タイヤが4つ付いてる女の子の話じゃないよね?」
そう。
コイツは俺と同じ、レース馬鹿だ。
ならばカートやレーシングカーを女の子だと思い込んで、ハアハア興奮していたとしても俺は驚かない。
ところがジョージは多少驚いたらしく、眼鏡がズリっと片側だけ落っこちる。
それを無表情で押し上げながら、
「そんな痛々しいこと、言いませんよ。ランディじゃあるまいし」
と、涼しげに答えやがった。
俺に喧嘩を売っているのか?
痛々しい上等。
表に出ろ、ジョージ。
いや待て。
いま重要なのは、そこじゃない。
「それ、ホンマなん!? キャー! 誰なん? 誰なん? お姉さんに、話してみい」
こういう時ケイトさんのテンションは、お姉さんを通り越してオバちゃんそのものだ。
キラリと無機質に光ったジョージの眼鏡に、背中の翼をブルりと震わせて息を呑むケイトさん。
恐怖の番長だと、怯えていた日々を思い出したのか。
「ジ……ジョージ君。そんなに怒らんといて! 女の子はみんな、こういう話題は気になるもんや。なあ、マリーちゃん? ……マリーちゃん?」
部屋に訪れる、一瞬の沈黙。
耳を澄ませば隣から聴こえる、スゥーッ、スゥーッという可愛らしい息づかい。
視線を右にずらすと、そこには寝息を立てて眠るマリー監督の姿があった。
なにか柔らかい手応えと、心地よいぐらいの重みを感じると思ったら――
彼女は俺の肩に寄りかかったまま、夢の世界へとクラッチを繋いでいた。
これは完璧な、フライングだね。




