ターン65 焼き付くこころ
樹神暦2630年11月20日
マリーノ国スーパーカート選手権最終戦
メイデンスピードウェイ
スーパーカートのマシンは、カートにあるまじき大きさだ。
全長は2.5mもあり、軽自動車に近い。
車体やタイヤの横幅面だけじゃなく、ドライバーの体まで樹脂製のカウルに隠れてしまっている。
タイヤサイズは7インチとデカく、大型ウイングとかの空力装置もついているからもう全然カートらしくない。
宇宙船みたいなフォルムは、地球の耐久レースで使われていたプロトタイプカーとよく似ている。
俺はそんなマシンのシートに収まり、スターティンググリッドに並んでいた。
横に5つ並んだ赤信号が、一斉に消灯。
決勝レースがスタートした。
スーパーカート選手権は、この世界に転生してからは初めてなスタンディングスタートのカテゴリー。
停まった状態から、よーいドン。
F1とかでよく見るアレだ。
選手権第1戦目は、前世で全日本F3に乗っていた頃以来――13年ぶりのスタンディングスタート。
おまけに手元のパドルでクラッチを操作するっていうハンドクラッチも初体験だったから、あんまりスタートは上手くいかなかった。
だけど7戦目ともなると、かなり慣れてくる。
今回の俺は、ロケットスタートと言っても過言じゃない絶妙なスタートを決めた。
スーパーカートMFK-400クラスのエンジンは、クラス名の通り400ccの2ストロークV型4気筒エンジンを積んでいる。
2ストロークの400ccなんて、地球の2輪ロードレースでも使われなくなってしまったエンジンだ。
このスーパーカート用だと、170馬力は出ている。
一般的な4ストロークエンジンなら、1700ccぐらいの排気量じゃないと絞り出せないパワーだ。
そんなハイパワーエンジンに対し、車重は軽い。
だいぶ大きな車体になったのに、ドライバー込みで200kgしかない。
だから加速は、とてつもなかった。
1コーナー進入までに、速度が乗る乗る。
ブレーキを開始した時、俺に並びかけてくるマシンは皆無だった。
これまでのカートと違い、前輪にも装着されたブレーキ。
空気の力で路面にマシンを押し付け、安定させる空力装置。
それらの相乗効果で、スーパーカートはビックリするくらいよく止まる。
超高速域からズドンと速度を落とし、俺は1コーナーへと飛び込んだ。
それからコーナーをひとつ抜ける度、バックミラーに映る後続車の影は小さくなる。
そう。
このクラスからはリヤウイングもあり、車体も大きくて後方視界が悪くなる。
だから両サイドに、バックミラーが着くんだ。
後続が離れていくのを、そうそう喜んでばかりもいられない。
俺の今回のマシンセッティングは、走り始めてからのタイヤの温まりがいい。
だけどその分、タイヤへの攻撃性も高い味付けだ。
レース後半はタイヤがヘタって、ペースダウンを余儀なくされるだろう。
だから序盤に安全な間隔を築いておかないと、逆転されてしまう。
俺は、ギリギリのハイペースで走った。
全周予選のタイムアタックだと思って、極限まで攻めた。
ブレーキングと旋回のたびに、タイヤの悲鳴が――
アクセルを開けるたびに、エンジンの悲鳴が聞こえる。
悲鳴はマシンからだけじゃない。
全身の筋肉達からも聞こえる。
だけど俺は、その悲鳴を黙殺したんだ。
頼む。
今回だけは、耐えてくれ。
チームのオーナー監督であるエリック・ギルバートさんに、どうしてもチャンピオンの称号を持って帰りたいんだ。
俺とエリックさんは、約束をしていた。
チューンド・プロダクション・カー耐久選手権っていう市販車ベースの耐久レースカテゴリーで、将来はコンビを組んで戦う約束を。
耐久レースはリレーや駅伝のように、数人のドライバーが運転を交代しながら走る。
だからチームメイトはライバルじゃなく、一緒にゴールを目指す大事な相棒だ。
エリックさんが肺の病気で倒れてしまった今、その約束はもう叶わないだろう。
年齢を考えたら、現場でモータースポーツにかかわるのも今年で最後になってしまうかもしれないんだ。
優勝したい。
年間王者の称号が欲しい。
全身が――心が乾いていた。
水分が足りなかったとかじゃない。
勝利への渇望だ。
全日本F3で走っていた頃も、ここまで勝利に飢えたことはなかった。
飢えに任せて、俺はアクセルを踏み込んでゆく。
サインボードに表示される後続との差は、6.9秒にまで広がっていた。
全14周の周回数のうち、7周を消化。
1kmの長いストレートを走っていた時、それは聞こえた。
――ギッ! という金属音。
背中が泡立つような、猛烈に嫌な感触が走る。
俺は理性で考えるよりも速く反応し、左手のクラッチパドルを握り込んだ。
同時に、エンジンの音が止まる。
エンジン大破だ。
音や感触からして、シリンダーとピストンリングが焼き付いた。
クラッチを切れたのは、ツイていた。
エンジンが焼き付くと、タイヤの回転も強制的に止められてしまう。
だからクラッチを繋いだままだと後輪がロックして、スピンすることもあるんだ。
俺はコース上に燃料とオイルの混合油を撒き散らしてしまわないよう、すぐに自らコースアウトして芝生の上に出た。
マシンはまだ惰力で走っていたけど、すでに力は無い。
この状態で、いつまでも走り続けるわけにはいかないな。
滑りやすい芝生でスピンしないよう、俺はソフトなブレーキで車速を落としてゆく。
やがて、マシンを完全に停車させた。
完全に停車すると同時に、白煙が俺を包み込む。
走行風で後方に流れていた煙が、停車したから前方にも流れてきた。
ただそれだけのことなのに、俺にはマシンから魂が抜けていくように感じられる。
――死んだ。
このエンジンは、もう死んだんだ。
マシンを降りた俺はコース係員に誘導され、よたよたとコース外へ避難した。
素早く避難しないといけないと頭では分かっていても、手足が鉛のように重い。
思うように、動いてくれない。
俺はガードレールを乗り越える時、動かなくなったマシンを振り返った。
そして、小さく呟く。
「……ごめん」
その謝罪が、無理をさせたマシンに対してのものなのか――
ピットで勝利を待っていた、チームスタッフ達に向けてのものなのか――
あるいは病院の集中治療室にいる、エリックさんに対してのものなのか――
言った俺自身にも、よく分からなかった。
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幸いエンジンブローした場所は、ピットロード出口付近。
コース脇にある整備用道路を歩いて、すぐピットに戻ってこれた。
いや、全然幸いじゃないな。
戻ってきたくはなかった。
自分のミスで事故したとかじゃなくても、ピットに戻りたくはない。
きっと、悲痛な空気が流れている。
ピット近くまできて、俺の足取りはさらに重くなった。
だというのに、わざわざ俺を迎えにスタッフがピットから出てくる。
ジョージ・ドッケンハイムと、チーフエンジニアのおっさんだ。
「ランディ、怪我はありませんか?」
「俺は大丈夫だよ。でも、エンジンは……もうダメだ」
俺の言葉に、チーフの表情が曇る。
ここでチーフにモチベーションを下げられても、来年なにもいいことがない。
来年も参戦できるかどうかは、かなり怪しいけど――
俺はチーフに、フォローを入れておくことにした。
「チーフ、いいマシンでしたよ。1発の速さは、自動車メーカーチームにも決して劣っていなかった」
俺のフォローで、チーフの顔が少しほころんだ。
「信頼性は……仕方のないところですよね。かなり攻めた、燃料の薄いセッティングになっていた。個人参加の俺達がワークスに食い下がるには、これしか道は無かったんだ」
ウンウンそうだろうと、頷くチーフ。
少し、乗せすぎたかもしれない。
来年に向けてモチベーションを上げてもらわないといけないのは確かだけど、慢心されても困る。
釘を刺す必要があると思った俺は、最後にちょっとだけ意地悪を言ってやった。
持ち上げた後だし、冗談っぽく言えば気分を悪くすることもないだろうと考えて。
「あ~もう! 最後までエンジンがもってくれれば、今頃チャンピオンが取れてたのに!」
どっと笑うチーフ。
隣のジョージは――笑っていない。
いつも表情に乏しい奴だけど、今回は少し様子が違った。
何か深刻な事態に、表情が凍り付いている。
――なんだ?
何を見ている、ジョージ?
俺がジョージの視線を追って顔を真横に向けると、そこには顔があった。
金色の瞳いっぱいに涙を溜め込んだ、天翼族の女性の顔が。
「ケイトさん?」
俺はすぐに察した。
今回エンジン・コントロール・ユニットを手掛けたのは、チーフじゃなくて彼女だったんだ。
「ご……ゴメンな、ランディ君。ウチがもっと、信頼性を確保したマッピングにしておけば……」
――最悪のタイミングだ。
きっとケイトさんは、「エンジンがもってくれれば」の部分しか聞いてないんだろう。
想像してみる。
エンジンが壊れ、自分の責任だと思っているところにドライバーのあのひと言。
確実に、深く傷つく。
「違うんだ! ……ケイトさん!」
止める間もなく、彼女は踵を返して駆け出した。
俺はジョージにヘルメットを押し付け、後を追う。
だけど、ケイトさんは俊足。
走りにくいレーシングシューズだったこともあり、なかなか追いつけない。
もうちょっとで、追いつけそう――というところで、ケイトさんは女子トイレに駆け込んでしまった。
さすがに女子トイレの中まで、後を追うわけにはいかない。
――くそっ!
いまギルバート・レーシングには、ケイトさん以外の女性スタッフがいないんだ。
こんな時、母さんやヴィオレッタがいれば――
今日は整備工場の仕事が忙しく、母さん達はきていない。
ケイトさんの状態が心配だけど、このまま女子トイレの前に張りついているわけにもいかなかった。
俺は仕方なくピットに戻り、カートスーツから私服に着替えて帰り支度を進める。
着替えが終り、ヘルメットやグローブといった個人の荷物を片付けた頃、目を腫らしたケイトさんが戻ってきた。
何はともあれ、まずは自分の無神経な発言を謝罪しよう。
そう思ってケイトさんに近づこうとした時、チーフの体が前に割り込んできた。
避けていこうとしたけど、様子がおかしい。
なんだよ?
これ以上、悪い知らせは勘弁してくれよ。
俺はチーフの青い顔を見て、そう思ったんだけど――
人の願いってやつは、なかなか叶わないもんだ。
チーフの口から、さらに悪い知らせが告げられる。
「今、病院から連絡が入った……。ギルバート監督が、危篤だそうだ」
何となく、予感はあった。
予感はあったけど――
足から力が抜けた俺は、折り畳み式の椅子にドサリとその身を投げ出した。
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俺達ギルバートレーシングの一同はチーム所有のマイクロバスに乗り、病院へと駆けつけた。
病院の建物内を、走らないように――でも、早足で病室へと向かう。
――エリックさんの最期に間に合ったからといって、何になるんだろう?
俺達は、負けたんだ。
エンジン大破で棄権して、年間ランキングのポイントも1ポイントすら取れなかった。
まだ計算していないけど、俺のシリーズランキングも落ちたはずだ。
レース前は2位だったけど、最終的には5位か6位ってところか。
そんな報告をして、どうなるっていうんだ。
俺がエリックさんと同じ状況なら、病魔に抗う気力すら失ってしまうだろう。
そんなことを考えながら、廊下を早足で歩く。
――最低だ。
敗戦の報告をするのが、怖い。
本当に助からないのなら、息を引き取ってから対面したいと思っている自分がいる。
ケイトさんの件といい、俺は――
先頭を歩いていたチーフが、病室のドアを開ける。
俺は重い身体を引きずって、病室へと入って行った。




