ターン63 場外乱闘
樹神暦2631年。
もうすぐ秋が終り、冬がくる。
俺が立っていたのは、南プリースト町商店街の薄暗い路地裏。
文明の進んだこの異世界では、こういう路地裏の雰囲気が地球の都市部のそれとよく似ている。
吹き抜ける冷たい風に、俺は身震いした。
シャツの上から、薄手のジャケットを羽織っただけの格好だからな。
寒さに震えただけの俺を見て、勘違いした奴らがいる。
「なんだよテメエ? 震えるほどビビってやがるのか? だったら最初っから、舐めた態度取るんじゃねえよ」
俺に対する優位を確信し、ニヤついた顔を向けてくる少年。
黒っぽい肌を持つ、巨人族だ。
少年とはいっても身長は2m近くあって、俺を見下ろしてくる。
俺も14歳なのに175cmはあるから、人間族としてはかなり背が高い方なんだけどね。
巨人族には、及ばないな。
それにコイツたぶん、俺より年上だ。
基礎学校高等部――15~18歳ってところだろう。
見下ろされるのはムカつくけど、種族と年齢の違いによる身長差は仕方ないな。
「ちょっとばかし身長があるからって、自分が強えと勘違いしているんだろう? 教えてやるよ、大事なのはタッパじゃなく、筋肉の量だってな!」
今度はドワーフ族の少年が、俺に凄んでみせる。
彼は横向きになって胸を強調する、ボディビルのポーズを取った。
同時にシャツが裂け、ボタンが飛ぶ。
身長こそ俺と変わらないけど、体の太さが違った。
力士のような、筋肉ダルマだ。
ドワーフは筋肉がつきやすい種族だっていうけど、こいつの場合はつけ過ぎだろうな。
この寒いのに、シャツ破いて――こいつはアホなのか?
「ウチの高等部の連中が、生意気な金髪の中等部生徒にやられたって聞いてな。……お前のことか?」
そう訊いてきたのは、ライオンの鬣みたいな髪型をした獣人の少年。
尻尾や耳の形からして、本当に獅子の獣人だろう。
巨人族とドワーフの後ろ、3mくらいの位置に陣取っている。
こいつがたぶん、リーダーだ。
足運び。
重心の位置。
そして場慣れした雰囲気から、1番強いというのが伝わってくる。
その自信満々な態度が、気に食わないな。
俺は悪意を圧縮して込めた言葉で、獅子獣人少年を挑発した。
「……臭い」
「……は?」
自分の質問に予想外の台詞で返されて、獅子獣人少年の思考はフリーズしたみたいだ。
「臭いって言ってるんだよ。君、ちゃんとお風呂入っているの? こんだけ離れているのに、獣臭くてしょうがない。どっか行ってくれないかな? 臭いが俺の服に移る」
鼻をつまんで、わざとらしく顔をしかめる俺。
獅子獣人少年のおデリケートな心を、深く切り裂けたようだ。
「……やれ!」
もう俺が、件の中等部生徒かどうかなんてどうでもよかったんだろう。
コケにされた鬱憤を晴らすべく、短いけど凶悪な指示が獅子獣人少年から飛ぶ。
真っ先に従ったのは、巨人族少年の方だ。
ドワーフ少年より細身だから、反応が良かったのかもしれない。
巨人は無造作に、大きな手を伸ばしてきた。
俺は反応できないフリをして、ギリギリまで引きつける。
頭を掴まれる直前、逆に相手の親指を手の平でガッシリ掴んでやった。
そして同時に、捻る。
「痛……」
叫び終わるまで待つ気なんて、さらさらない。
下がってきた巨人のアゴに、俺は左の掌底でフックを叩き込んだ。
グーで殴らなかったのには、理由がある。
俺のパンチ力で相手の顔面を殴ると、自分の指が折れる可能性が高いんだよ。
アゴを斜めに撃ち抜かれた衝撃で、巨人族少年の体は半回転した。
そのまま白目を剥いて、仰向けにコンクリートの路面へ倒れようとする。
万が一後頭部を打って、死なれでもしたら面倒だな。
俺はサッカーのインサイドキックの要領で、巨人の頭を横へと蹴り飛ばした。
コンクリに打ちつけるよりは、マシだろう。
そのインサイドキックを振りぬいた隙を狙って、ドワーフが突撃してくる。
重量差を生かす、シンプルな体当たり。
速度がトロかったから、避けてもよかった。
だけど、正面から受け止めることにする。
その方が相手に、精神的ショックを与えられると思ったんだ。
俺はしっかりと重心を落とした状態から、衝突の瞬間に下半身の力を爆発させた。
下からのかちあげだ。
すると、仰け反ったのはドワーフの方だった。
俺よりも、体重が2倍はありそうだったのにな。
俺にもそれなりに衝撃が伝わってきたけど、レースで事故した時の衝撃に比べたらどうってことはない。
再びタックルをしてきたドワーフ少年と俺は、ラグビーのスクラムのように組み合った。
さすがに重量差があるから、じりじりと押される。
でも、狙い目だな。
低く体全体を落とし、腰の後退したこの姿勢は――
ゆらりとした動き出しから、急激に体を加速させる俺。
こういうゆっくりした初速からいきなり加速する動きに、人間の目は弱い。
もちろん、ドワーフ族や巨人族もだ。
優れた動体視力を持つ、獣人やエルフなら対応できるかもしれないけど。
ドワーフ少年は俺の腕とシャツの肩部分を掴んで、動きを封じていた。
だけどそんなちゃちな拘束は、効かないぜ。
俺は竜巻みたいに回転しながら、相手の懐へ入り込んだ。
シャツを掴んでいたドワーフ少年の手が、弾かれる。
巨体が宙を舞った。
俺が放ったのは、一本背負いだ。
こんな路上で投げ落としたら、大けがさせてしまう。
良心は痛まないけど、裁判沙汰になったら厄介だ。
俺は掴んでいた引手を投げの途中で離し、ドワーフ少年を放り投げた。
落下点には、青いプラスチック製ゴミ箱の群れ。
そこに勢いよく突っ込む、ドワーフという名の重量物。
ゴミ箱と生ごみが、ボーリングのピンみたいに四方八方へと飛び散る。
起き上がってくるかもしれないと思って、俺は一応警戒してた。
なのにドワーフ君は、そのまま失神してしまったようだ。
その時突然、視界の端に閃光が走った。
「へえ……。こんなモノを、持ち出すなんてね。……自分が突き立てられる覚悟は、できているのかい?」
俺の左手。
人差し指と中指の間には、銀色に光る投げナイフが挟まっている。
ナイフをキャッチされるとは思ってなかったらしく、獅子獣人少年は唖然としていた。
「お前……。化け物か!?」
以前の俺ならば、
「化け物じゃなくって、レーシングドライバーだよ」
と、答えていただろうな。
でも、今の俺は――
驚愕で棒立ちになっていた獅子獣人に、俺はスタスタと歩いて接近した。
奴の周りにはまだ数人、仲間の不良共がいる。
だけどこいつらは、てんで話になりそうにない。
さっき片づけた巨人族やドワーフと比べると、ザコすぎる。
君達、下手に手を出さないで正解だよ。
相手にならないね。
それに今の逆上したリーダーなら、仲間も一緒にナイフで切りつけちゃうかもしれないから。
リーダーの獅子獣人は、なんとか戦意を奮い立たせたみたいだ。
手に持っていたもう1本のナイフを、俺に向かって突き出してくる。
――遅い。
さっきのナイフ投げといい、遅すぎる。
スーパーカートの最高峰クラス、MFK-400の最高速に比べたらスローモーションもいいとこだ。
それに次の動作がどんなものか、手に取るように分かってしまう。
足運びや重心の移動、筋肉の動きを見ればね。
つまらないな。
獣人の中で最強クラスの戦闘種族っていわれる獅子の獣人でも、この程度か。
獅子の獣人が繰り出してくる刺突は、一般的に見れば「目にも留まらぬ」連撃ってやつだろう。
だけど俺にとっては、「蠅が止まる」速度だ。
この獅子獣人少年、割とマシな使い手ではあると思う。
ナイフだけじゃなく、得物を持っていない方の手や、蹴りを織り交ぜてくるところとかさ。
だけど1発も、俺に当てられない。
俺は細かいステップを刻みながら、踊るように攻撃をかいくぐる。
相手の攻撃の合間を縫って、時折奪い取ったナイフを閃かせた。
「ハハッ! ビビるくらいなら、ナイフなんて使うんじゃねえよ!」
獅子獣人は、俺がビビってナイフを当てられないと思っているみたいだ。
それは、大きな勘違いだよ。
体に当てていないだけで、目標には確実に当てているよ。
いくら喧嘩の最中だからって、気付かないもんかね?
先っぽが、寒いだろうに。
「り……リーダー! 尻尾が!」
手下のザコからそう言われて、ようやく獅子獣人少年は異変に気づいた。
股の下から通した尻尾の先端を、自分の眼前へと持ってくる。
「あ……ああっ! 俺の……俺の尻尾の房が!」
獅子の獣人だから、尻尾の先にはフサフサとした長い毛が生えていた。
それをナイフで、綺麗に剃り落してやったんだ。
スリムになった尻尾の先端を、獅子獣人は赤面しながら両手で包み込んだ。
どうやら獅子獣人の間では、尻尾の先端に房が無いことは恥らしい。
人間族でいうと、大事なところに毛が生えていない感覚だろうか?
ナイフを取り落してまで、尻尾を隠すのを優先した獅子獣人。
もう、戦意喪失したと見ていいだろう。
だけど俺は、その戦意喪失の早さにイラっとした。
なんだよ。
それぐらいで、戦うことを諦めるなよ。
つまらないな。
いい暇つぶしになるかと思って、せっかく喧嘩を買ってやったのに。
棒立ちになっていた獅子獣人の脇腹に、俺は中段回し蹴りを見舞った。
タイヤを蹴ったような、固い感触。
これならまだまだ蹴っても大丈夫かと思いきや、獅子獣人は盛大にゲロを吐いてうずくまってしまった。
「立ちなよ。あばらも折ってないし、内臓にもそんなにダメージは無いだろう?」
見上げてくる獅子獣人の目は、怯えた猫の目に変わっていた。
「ひっ! 俺達が、悪かった! だから、もう……」
リーダーが降伏を宣言する前に、何人か逃げ出そうとした手下がいた。
俺はそいつらが反転して駆け出すより早く飛び出し、後ろから服の襟を掴んだ。
そのまま地面に引き倒す。
こいつら――イラつく。
闘志のなさに。
自分より弱い奴としか喧嘩できない、腰抜けっぷりに。
不良なら、不良の矜持ってもんがあるんじゃないのか?
1発や2発、いいのをもらった程度で――情けない。
これが、ヤニ・トルキなら――
喧嘩が弱そうなブレイズ・ルーレイロや、女の子のルドルフィーネ・シェンカーだって、こんなにみっともない態度は取らないはずだ。
でも、本当は――
こいつら以上に、情けないのは――
俺は頭に浮かんだその思考を振り払おうと、逃げるザコ共を殲滅にかかった。




