ターン53 ボクはあなたをオーバーテイクする!
レースが終わって、パドックエリアには人が多くなってきた。
俺は鋭い曲がりと回転を駆使し、人混みの中をすり抜けて走る。
ピットまで戻ってみたけど、チームメンバー達の姿は無かった。
みんな、いったいどこへ?
俺は気付いた。
人だかりができている場所がある。
コースの一角、ピットロード出口付近だ。
近づいてみると、チームのみんなが揃っていた。
K2-100クラスの子供達を指揮している、ドーン・ドッケンハイム総監督も一緒だ。
俺は人垣をかき分けて、その中心まで進む。
すると、1台のレーシングカートが停まっていた。
黒いカウルにYAS研のロゴは、ウチのチームのマシン――ルディ君だ。
ルディ君は、車から降りられなかった。
バケットシートに体重を預け、ぐったりしている。
ヘルメットは脱がされたらしく、シャーロット母さんが手に持っていた。
「さあ、飲んでな」
ケイトさんが、スポーツドリンク入りのボトルを差し出した。
チューブ状のストローを、半ば強引にルディ君の口へと突っ込む。
ケイトさんはそのままカートスーツのファスナーを降ろし、ルディ君が呼吸しやすいようにしてあげた。
顔を紅潮させ、ハアハアと荒く呼吸を繰り返していたルディ君。
だけど俺の姿を見つけると、ニッコリ微笑んだ。
「先輩……やりました……。ちゃんと、チェッカーは受けましたよ。クールダウンラップは、走り切れなかったけど……レースは完走です。順位は……何位まで落としたのか、ちょっと分からないですけど……」
「うん、うん。よく頑張ったね」
順位なんて、今日はもうどうでもいい。
俺は君に、「1年かけて速くなれ」と言ったね。
棄権してちゃ実戦を経験できないから、速くなれない。
だから「完走」こそ、君に望む最高の結果だったんだ。
「ちなみに、ルディちゃんの順位は15位や。しっかり選手権ポイントを、もぎ取っとるで」
「今日は本当に、良くやってくれた。偉いぞ、ルディ君」
俺は褒めたのに、ルディ君はどことなく不満そうだ。
「先輩。言葉だけじゃなく、態度で示して下さい。ご褒美があるんですよね?」
ええーっ!
今、ココでなのかい?
周りにけっこう、人がいるよ。
「ああ。そういえばウチも、ランディ君に優勝のご褒美あげるんやった。ほら、ヘルメット外しぃ」
何ですか? その羞恥プレイは?
そりゃあケイトさんのように、素敵なお姉さんから頭を撫でられるのは嬉しいけど――
これだけ周りの視線を、受けながらっていうのは――
「そろそろ、暫定表彰式ですよ? ……貴方達、何やっているんですか?」
ジョージ・ドッケンハイムが眼鏡の位置を微調整しながら、訝しむ。
かなり奇妙な光景だろうな。
ルディ君の頭を、ナデナデする俺。
サラサラとした繊細な髪は、撫でるこちらも気持ちいい。
それ以上にルディ君は、心地良さそうだ。
そして俺は、ルディ君を撫でると同時にケイトさんから撫でられている。
彼女の細い指が俺の金髪をなぞる度、心が安らぐ。
そんな頭ナデナデの連結状態を、覗き見ている女の子がいた。
ピットの柱に隠れて、恨みがましそうにハンカチを噛む姿が視界の端に映る。
銀髪のドリルヘアが目立ってしまい、全然隠れられていなかったマリー・ルイス嬢だ。
そんなに恨みがましい目で、見ないでくれよ。
自分から「シルバードリル」のドライバーが、言い出したんだろう?
誰かひとりでも、俺の前でゴールしたらって。
頭ナデナデへの執着を見るに、彼女はまだ俺を婚約者にしたいとか思っているんだろうか?
うーん。
可愛い子だけど、あのヤンデレっぷりは勘弁してもらいたい。
俺は束縛する子、苦手なんだ。
場内放送で暫定表彰式の呼び出しがかかるまで、このままルディ君を撫で続けてあげようと思ってた。
だけど、それを邪魔する影が現れたんだ。
「おおー! ルドルフィーネ! 最後の方しか観れなかったが、立派な走りだったぞ!」
そう言って俺との間に割り込み、ルディ君に抱きついた男。
俺はその男に、見覚えがあった。
――というか、平日は毎日顔を合せている。
「ミハエル先生。なぜ、先生がここに?」
謎の男の正体は、去年に引き続き今年度も俺の担任教師。
仕事はいい加減な、ヒゲエルフのミハエル先生だった。
「おお、ランディ。そうか……。お前がカートで活躍しているのは知っていたんだが、まさかルドルフィーネと同じチームだとはな。場内放送でお前の名前を聞いて、初めて知ったよ」
さっきからミハエル先生は、ルディ君のことを「ルドルフィーネ」と呼んでいる。
きっとそれが、ルディ君の本名なんだろう。
それにしても、2人の関係はいったい?
「えーっと……。先生と、ルディ君の関係って……」
「何だルドルフィーネ。俺のこと、ランディ達には話していなかったのか? 歳は離れているが、ルドルフィーネは俺の妹だ」
「ええーっ!」
俺は思わず叫んでしまった。
信じられない!
そういえば、ミハエル先生のファミリーネームもシェンカーだったな。
珍しくない姓だから、全然意識していなかったよ。
「そんな……。不真面目が服着て歩いているような先生と、真面目で可愛いルディ君が兄妹だなんて……」
「なかなか失礼なことを、言ってくれるな。副担任からそんなこと言われて、俺は悲しいぞ」
「勝手に生徒を、副担任にしないで下さい」
「あのー、先輩。驚くのは、そこですか? 妹ですよ? ルドルフィーネって、女の子の名前ですよ? ボク……いえ。私が女の子だってところは、スルー?」
「ああ。だって俺、前から知ってたし」
『ええええええええーっ!』
ルディ君を含む女性陣4人が、めいっぱい驚く。
「なんだい? そんなことに、俺が気付かないとでも思ったのかい? 俺ってみんなから、どれだけ鈍い奴だと思われてるの?」
「せ……、先輩。いったいいつから……?」
「ルディ君がカートデビューをした、次の日。マシンの慣らし運転が済んで、初めて本格的な走行をした後かな? ドライビングスタイルや体の動きを見て、ありゃ女の子だろうと」
「ちなみに僕も、気付いていましたよ。走り終えたマシンのタイヤ摩耗と、エンジンのスパークプラグの焼け方などを見て」
いやいやジョージ。
君はちょっと、オカシイから。
男女でプラグの焼け方やタイヤの減り方に差が出るなんて話、聞いたことないぞ?
「そっか……。黙っててごめんなさい、ランドール先輩……」
「謝るようなことじゃないよ。レースの参加申請書には、性別を書く欄なんてなかっただろ? だったら問題無いんじゃない?」
「でも、先輩は弟分が欲しかったんじゃ……」
「ああ、それ? そんなことは、今から父さんと母さんに頑張ってもらえばいいのさ」
「もう! この子ったら!」
今日も背後から聞こえる、風切音。
母さんの攻撃を予測していた俺は、素早く前に踏み込だ。
前進することで、後頭部への攻撃を回避――
――したつもりだったのに、直撃してしまった。
間合いを読み違えた?
怪訝に思って、振り返る。
そこにはケイトさんから借りたハリセンを、振りぬいた母さんの姿があった。
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■□ルドルフィーネ・シェンカー視点■□
暫定表彰式――
ボクは観客に混ざって、その様子を見ていた。
子供のレースなのに、表彰式にはたくさんの人達が集まっている。
シミュレーターの世界大会で優勝した時は、表彰式なんてなかった。
ラウネスネットを介した、オンライン対戦だったからね。
後日、電話でインタビューを受けたぐらいだ。
現実の表彰式は、華やかな世界だった。
表彰台に登った、3人のヒーロー達。
1位のランドール先輩は、堂々としていた。
「表彰台の真ん中は、俺の定位置」
無言でそう、主張しているように見える。
2位のクリスさんは、ちょっと悔しそう。
ランドール先輩の方をチラチラ見ながら、苦笑いを浮かべていた。
3位のキースさんは、とっても嬉しそう。
グレンさんとの激しい争いを制して、表彰台入りしたからだね。
ボクの近くで表彰式を見ていたグレンさんと、何やら冗談を言い合ってる。
『それでは優勝したランドール・クロウリィ選手に、お話を伺いたいと思います』
インタビュアーは、ドワーフ族の女性。
成人みたいだけど、背が低い。
ランドール先輩は5年生の人間族としては背が高いから、マイクを突き上げるような形になっていた。
『えっと……あの……その……』
ああ。
ランドール先輩は、インタビューが苦手だって言ってたなぁ。
先輩。
インタビュアーから差し出されたマイクを、掴んじゃダメですよ?
さっきまでの堂々とした態度はどこへやら、急にオロオロし始めた。
でもなんか――情けないというより、可愛いなぁ。
そんなランドール先輩の姿を眺めていたら、ふと彼と目が合った。
急に鋭い顔つきになった先輩は、インタビュアーからマイクをひったくる。
うん。
冷静さを、取り戻したわけじゃないみたい。
『表彰台……ここは最高だ。レースに勝ったということが、自分が生きているということが、1番強く実感できる場所。チームの人達の支えが、観客のみんなの熱い応援が、形になって見える。まさに絶景だ』
隣の2位表彰台に居たクリスさんが、ヒューと口笛を吹いた。
3位のキースさんも、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「そ……そうですか。そろそろマイクを返してもらえると……」
ドワーフ族の女性は、先輩のマイクを取り返そうとした。
だけど先輩は、マイクを自分の頭上に上げてしまう。
それを追ってインタビュアーさんがピョンピョンとジャンプしている隙を突き、先輩はもういちどマイクを口元に持っていった。
『だから、ここまで上がってくるんだ! ルドルフィーネ・シェンカー! 俺は君と一緒に、ここへ立ちたい』
頬が熱くなった。
頬だけじゃない。
耳も、手足も、そして胸も――
観客からの注目が集まって、恥ずかしかったからとかじゃない。
これは、燃えているんだ。
ボクも、あの場所に立ちたい。
それにしてもランドール先輩――
一緒に表彰台に立ちたいって言ってたけど、ちょっと甘いと思う。
少しの間だけだったけど、今日ボクは確かに先輩の前を走ったんだ。
一緒に表彰台に登るというより、ボクはあの場所を他のドライバーから奪い取る。
それは、ランドール先輩も含めての話。
だからボクは先輩の呼びかけに、「ハイ!」なんて素直に応えてはあげない。
右手の形はピストルに、そして左手を添える。
標的は、表彰台の真ん中にいるドライバー。
ボクは片目を閉じて狙いを定めると、心の中で引き金を引いた。




