ターン48 コースレコード更新です!
■□ランドール・クロウリィ視点■□
2月も中盤だっていうのに、今日はかなり冷え込んでいる。
俺とルディ君はジャージを着て、クロウリィ家のリビングルームにいた。
今日はルディ君というお客様がきているから、暖房ONだ。
普段はよっぽど寒くないと、暖房は入れないのがクロウリィ家。
節約節約。
俺達はストレッチ用のマットを床に敷き、その上でトレーニングを行っていた。
「はい! このトレーニングメニューは、ここまで! ルディ君、休憩するよ」
「えっ!? ランドール先輩、もう休憩ですか? さすがのボクでも、まだ大丈夫ですよ? それに、楽しくなってきたところなのに……」
「ダメダメ! 俺らはまだ、10歳と9歳。ハードに負荷を掛ける、大人のアスリートみたいなトレーニングをやったって効果は薄い。身体を壊すだけだよ」
トレーニング器具はダンベルや鉄アレイじゃなくて、バランスボールやストレッチポールが中心だ。
器具は全部、スポンサーのエリック・ギルバート氏がチームの備品として購入してくれたもの。
大事に使わないと。
ルディ君が、楽しくなってきたと言っていたトレーニング。
それはお互い向かい合ってバランスボールの上に座り、手の平サイズの玉を使ってキャッチボールをするというメニューだ。
このメニューのキモは、足を地面に着けないようにやるという点。
足で支えないと、バランスを取るためには体幹を使わないといけない。
バランス感覚とインナーマッスル、そしてキャッチボールで動体視力まで鍛えられるトレーニングだ。
レーシングドライバーの筋力トレーニングは、こういう風にバランスを取りながら同時に負荷をかけるメニューが多い。
腕立て伏せも、足をバランスボールの上に乗せてやったりする。
ルディ君に、腕立て伏せとか腹筋運動はまだ早い。
バランス感覚を鍛えるメニューやストレッチを中心にして、無理なトレーニングをしないよう俺が管理していた。
ルディ君は筋力が足りないだけで、運動神経は悪くないと思う。
動体視力にいたっては、さすがエルフと思わせる目の良さをしていた。
バランスボール上でキャッチボールするトレーニングで、同時に投げるボールを3個まで増やしたのに捌ききったんだ。
お手玉みたいに、続けて何回もだよ?
ブレイズ・ルーレイロも同じことができるのか、今度会ったらやらせてみよう。
「先輩はその歳で1日に10km以上走ったり、30kgもあるダンベルを使ったトレーニングをしたり、毎晩熊と戦っているってジョージ先輩から聞きましたけど?」
「あー。俺は異常体質だから、一緒に考えちゃだめだよ。それと最後のは、ジョージのしょーもない冗談だから」
そう。
最近はっきりと自覚した。
俺は普通の人間族じゃない。
この世界の人間族は、地球の人類に極めて近い。
身体能力や種族的特徴に、ほとんど差異は無いはずなんだ。
ところが俺の体ときたら、何なんだ?
まず、身体能力が獣人以上に高い。
まあコレは、赤ん坊の頃から意識して鍛えていたおかげだろう。
それを可能にしたのが、人間族としては異常なほどの回復力だ。
例えばダンベルやトレーニングチューブを使って、負荷の強いトレーニングをしたとしよう。
するとその日の夕方にはもう筋肉痛が始まって、ひと晩寝ると治ってしまう。
筋肉は酷使することでその繊維がちぎれ、再生する時に以前より大きくなる。
それが筋トレの原理。
つまり筋肉の再生が異常に速い俺は、毎日ハードなトレーニングをしても身体を壊さない。
おまけにトレーニング効果も、バッチリ得られるってわけだ。
あまりの回復力に、お医者さんから本当に人間族かどうか疑われたこともある。
うーん。
確かに父方の爺ちゃんは筋力自慢の巨人族だし、母方のばあちゃんはダークエルフだけどさ。
俺、身体測定では間違いなく人間族って判定されたよ?
こうなると疑わしいのが、女神様から何か特別な加護や祝福を授かったんじゃないかってこと。
俺が転生前に真っ暗空間で出会った、あの女神様にだ。
他の転生者達はみんな、女神様ではなく樹木レナード様に導かれてこの世界にきている。
クリス・マルムスティーン君も、そう言っていた。
なのに、俺だけ違う神様だからなぁ。
怪しい。
女神様の正体は、見当がついている。
ラウネスに伝わる神話を調べたら、それらしい名前を図書館で見つけたんだ。
彼女が司るのは、戦い、競争、自己研鑽。
絵画では、白き戦装束と白金の長い髪で描かれている。
1週間のうち、地球でいう日曜日にその名前を冠する美しき戦女神――リースディース。
なんだろう?
絵画や本でリースディース様の絵を見ていると、何か大切なことを忘れているみたいで胸が苦しくなる。
そしていつでも、胸に手を当てるとリースディース様のことを思い出す。
まるで彼女が、体の中にいるみたいに。
今も、こうして――
「……ぱい。ランドール先輩。どうしたんですか? 胸に手を当てて、しんみりしちゃって?」
ルディ君の言葉で、俺は現実に引き戻された。
おっと。
まだトレーニングの途中だぞ? 俺。
ルディ君の前でボーっとしちゃって、頼りない先輩だと思われたらどうするんだ。
それに加護だの祝福だの非科学的なことを、レーシングドライバーが言い出したらいかんでしょう。
転生者っていう俺の存在自体が、充分非科学的な気もするけど。
「ああ、ゴメンよ。ちょっと、考えごとをしていたんだ」
「お兄ちゃん。今、他の女のことを考えていたでしょう? こんな可愛い妹が飲み物を持ってきてあげたのに、上の空なんて失礼よ」
いつの間にか妹のヴィオレッタも、リビングにきていた。
ストロー付きのスポーツボトルを、俺とルディ君に差し出してくれる。
ルディ君に渡す時は、差し出すというより「オラァ!」と突き出すような仕草だったけど。
「それでさ、ルディ君トレーニングの話だけど……。俺が指示した以上の量は、絶対にやらないこと。オーバートレーニングは、厳禁だ」
「でも、ボク……。もっと鍛えないと、不安なんです。カートに乗る時、いつもヘバっちゃうでしょう? レース本番でもそうなって、最後まで走り切れないんじゃないかって……」
寒いと思ったら、窓の外はいつの間にか吹雪いていた。
鉛色の空と冷たそうな雪は、ルディ君の心情を現しているかのようだ。
「……大丈夫だよ」
声を掛けると、床に落ちていたルディ君の視線が上がる。
俺は窓を開けた。
カーテンを大きく揺らして、冷たい風と雪がリビングへと流れ込んでくる。
寒い――と、普通の人は感じるだろう。
だけどトレーニングで火照った俺とルディ君の身体には、ちょうどいいクールダウンだ。
「君は自分が思っている以上に、戦う力を持っているさ」
先輩としてカッコ良くキメたつもりだったけど、ヴィオレッタには怒られた。
「お兄ちゃん、寒い! せっかく暖房が効いているのに、窓を開けるなんて何を考えているの!? 電気代が、もったいない! お母さんに、言いつけちゃうよ?」
――なんか、しまらないなぁ。
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樹神歴2628年。
4月第1週目の土曜日。
今日からレーシングカート、全国選手権ジュニアクラスが始まる。
全7戦で、マリーノ国1番のジュニアカートドライバーを決める選手権だ。
第1戦は、ドッケンハイムカートウェイ。
このドッケンハイムカートウェイ戦は、全国選手権と同時に中央地域選手権もかかったダブルタイトルのレースだ。
勝てば両方の選手権で、ランキングポイントを獲得できる。
日差しはあっても、午前中の空気はまだ冷たかった。
低温で酸素密度の高くなった吸入空気は、エンジンパワーを増大させる。
125ccとしては非常識なパワーを誇るNSD-125クラスのマシンを、さらに暴力的なモンスターへと進化させる餌だ。
そんな気候の中で、公式練習走行が行われた。
冷えた空気を大量に吸い込んで、エンジンちゃん達は大ハッスル。
コース最速記録が、次々と更新されていく。
これは、エンジンパワーだけが理由じゃないな。
ブリザード社が配給するタイヤが、今年から新型になったんだ。
グリップ力が上がって、タイム向上に拍車をかけている。
そんな風に多くのドライバー達が良いタイムを出している中、俺はというと――
「ダメでしたか……。水温が、全然上がりませんでしたね」
「ガムテープで、放熱器の一部を塞いだのにね。こりゃあ小型サイズの放熱器にまるっと交換した、ルディ君が正解だな」
ピットに戻ってきた俺は、ヘルメットのシールドを上げながらジョージと情報交換をする。
水冷リードバルブエンジンを使用するNSD-125クラスのカートでは、ドライバーが座るシートの左側に放熱器が装着されていた。
地球の乗用車でも、エンジンルーム前方に搭載されているアレだ。
金属製のフィンがびっしり詰まって、板状になっている。
この放熱器。
デカくてよく冷えればいいというものでもない。
あまりにエンジンの水温が低すぎると、パワーを発揮できないんだ。
下手をすると、エンジンが壊れたりもする。
もちろん、冷えずにオーバーヒートするのもダメ。
エンジンちゃんは、デリケートなんだ。
今日の天気は、日差しがけっこうあるのに気温は低い。
寒い季節や地域用の、小さいラジエーターを使うのか。
それとも夏場用の大きいラジエーターを、ガムテープで一部塞いで使うのか。
とても選択に迷う状況だった。
そういう時、今年からウチのチームが2台体制になったことが生きてくる。
俺とルディ君で、異なったセットアップを試せるんだ。
これは大きい。
仮に1台が大きくセットアップの方向性を外して遅くなっても、もう1台が活躍できる。
限られた走行セッションの中でも、集められるデータは2倍の量だ。
だいぶ、「シルバードリル」に対する勝機が見えてきた。
それでも向こうは、3台体制だからな。
裏切りモフモフその1。
赤髪の猫耳獣人、キース・ティプトン。
裏切りモフモフその2。
青髪の犬獣人、グレン・ダウニング。
そしてエースドライバー。
俺と同じ、地球の日本国から来た転生者。
ドリフト競技上がりのクリス・マルムスティーン。
本当は規則上、4台目まで参加させられる。
だけど今年の「シルバードリル」は、3人しかドライバーが集まらなかったそうな。
去年は10人もドライバーを集めて、さらに5人も控えドライバーがいたらしいのに。
やっぱりみんな、控えじゃ満足できないよね。
10人いたレギュラードライバー達も、ほとんどよそのチームに移籍してしまっていた。
チャンピオン争いをしていたクリス達以外は、指令で俺を邪魔することばかり命じられて嫌になっちゃったらしい。
参加台数は減った分、資金や人的資源を1台あたりに集中させてくるだろうな。
今年の「シルバードリル」は、量より質のチーム。
より、強敵になったともいえる。
だけど俺は、楽観的に考えている。
今年はコース上でも、1人じゃないから。
黒いカウルのカートが、ピットロードに入ってきた。
ルディ君のマシンだ。
俺とジョージの前に、急停止する。
ルディ君はヘルメットのシールドを勢いよく跳ね上げ、元気いっぱいの声で叫んだ。
「やりました! ボクもコース最速記録、更新です!」
そう言いながら、シートから立ち上がったルディ君。
もう、フラついてはいなかった。




