ターン20 前走車にプレッシャーをかけろ
ある金曜日の放課後だ。
俺とジョージ・ドッケンハイムは、南プリースト基礎学校の校舎内にいた。
誰もいなくなった教室で、2人してノートパソコンの画面を覗き込んでいる。
「う~ん、ダメだな。パスワードが、全然分からない。ジョージって、機械に強いんだろう? なんとかならない?」
「僕は、情報系ではありませんからね。同級生達よりはパソコンや情報端末を使う方ですが、パスワードを解析・突破などはできません」
キリッとした表情で、眼鏡を押し上げながら答えるジョージ。
雰囲気だけなら、バリバリにIT系なんだけどな。
俺とジョージがいじくっているノートパソコンは、伯父トミー・ブラックの遺品だ。
母さんの実家の奥で埃をかぶっていたのを、俺が「使いたい」と言って譲り受けたもの。
何か伯父さんの事故にかかわるデータがないか、俺は徹底的に調べまくった。
ノートパソコンの中にあったのは、オズワルド父さんと共に収集・分析していた膨大な走行データ。
車載カメラの映像。
そして――楽しそうに笑っている伯父さんと父さん、母さんの写真が大量に残っていた。
微笑ましい気持ちになったけど、肝心の事故に関係する情報は得られていない。
「伯父さんが登録していたらしいSNS、『みんなのレーシングライフ』。ここにログインできたら、何かヒントがありそうなんだけどな~」
ブックマークに登録されていた「みんなのレーシングライフ」は、モータースポーツ競技者同士が交流するコミュニティ。
レーシングドライバーのみならず、ラリースト、ジムカーナドライバー、メカニックにエンジニア、モータースポーツを支援する企業や自動車メーカーまで公式アカウントとして参加する巨大SNSだ。
ここには日記機能もあるから、何かヒントになりそうなんだけどな~。
「現時点では、これ以上パソコンを調べても進展がなさそうですね。ランディ。事故現場には、行ってみたのですか?」
「ああ。いちど行ってみたけど、特に不審な点は見つからなかったよ」
「君ひとりでは、何か見落としがあったかもしれませんね。僕が一緒に、ついて行ってあげましょう」
なんだか少々、ムッとする言い方だな。
だけどジョージの言う通り、2人で見れば何か新しい発見があるかもしれない。
刑事ドラマなんかでもよく、「現場100回」って言ってるしね。
俺達は帰りのスクールバスの中で、約束をして別れた。
明日の土曜日に、2人で伯父さんの事故現場に向かうと。
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「ここが、事故現場ですか……」
「うん。俺は来るの2回目だな」
現場まで、俺の家からは10kmも距離があった。
なかなか遠い。
特に交通手段が、ランニングだと遠く感じる。
これもトレーニング、トレーニング。
ちなみにジョージは自転車。
ま、仕方ないよね。
奴の家は、俺の家よりさらに5km離れた山の中。
カートショップドッケンの裏手にあるから。
俺とジョージがやって来ていたのは、隣町のバン・ヘレン町。
左手には海。
右手には岩壁。
その間に挟まれた、アスファルトの路面。
片側1車線のワインディングロード上に、俺達は立っていた。
事故現場は大きく左へと回り込んだ、先の見えないカーブ。
海側の崖から生えたでっかい木が、カーブの出口を見えなくしている。
その出口付近に、ガードレールが途切れているポイントがあった。
伯父さんの車は、そこから海に落ちたんだ。
警察だって、自殺だとは断定していない。
でも、事故にしては少し不自然だった。
だからみんな、内心では自殺だと思ってる。
このマリーノ国の道路は、左側通行。
日本やイギリス、シンガポールと同じだ。
伯父さんの車は左カーブ出口の左側、つまり内側に向かって道路を外れた。
居眠りや体調不良で運転操作に支障が出たなら、外側の岩壁に刺さるのが普通だろう。
自ら内側に、ハンドルを切り込んだとしか思えない。
「ブレーキ跡は、残っていなかったのですか?」
「事故の晩は、雨で路面が濡れていたんだって。だから、残ってない」
「スピードを出し過ぎていて、スピンした可能性は? 濡れていたのなら、滑りやすいでしょう?」
「うーん、どうかな? 伯父さんの通勤車両は、ヤマモト社の〈マーサ〉。FFだし、無改造の足回りだとかなりアンダー傾向の車だってさ。ウチの父さんが、言ってたよ」
FFっていうのは、前置きエンジン前輪駆動の略。
コンパクトカーや軽自動車は、ほとんどこの駆動方式だ。
大体のFF車は、アクセルを開けていくとアンダーステアになる――らしい。
らしいっていうのも、俺は後輪駆動の車でしかレースしたことがないからね。
アンダーステアっていうのは、前輪のタイヤが滑って曲がらない状態を指す。
つまりはカーブで飛ばしていると、外側に膨らんでいく性格の車だってこと。
後輪駆動の車なら、急激にパワーを掛けると後輪が滑ってスピンという可能性も考えられるけど――
〈マーサ〉は内側に巻き込んだりは、しにくい車だったはずなんだ。
アンダー傾向だっていうことは、裏を返せば直進安定性が高いってことでもあるし。
「このカーブは木が邪魔で、出口が見えません。陰にいた動物などを避けようとして、海に落ちたというのは?」
「動物か……。絶対ないとは、言い切れないけど……」
レーシングドライバーという生き物は、結構ドライな面もある。
俺も地球で走っていた頃は鈴鹿で蛇を踏んだり、オートポリスで穴熊を轢いてしまったことがあった。
その時に思ったのは、
「滑らなくて良かった」
とか、
「フロントウイング、壊れてないよな?」
だった。
動物愛護団体の人が聞いたら、怒られそうな思考回路だ。
だって無理に避けたら、自分が吹っ飛んで死んじゃうし。
レーシングスピードで走っている時に、タイヤの余力なんてそんなに残してないよ?
ちゃんとマシンを降りたら、黙祷を捧げたよ?
伯父さんも、そういう性格だったんじゃなかろうか?
もちろんサーキットじゃないから、可能な限り動物を避けようとするだろう。
だけど自分の命を犠牲にしてまでっていうのは、ちょっと考えにくい。
俺とジョージはカーブを曲がり、ガードレールの切れ目前まできていた。
ここから、伯父さんの車が海に――
「花が供えてありますね」
「伯父さんのレース仲間か、うちの両親だろうね」
俺は崖から遥か下に見えるはずの海を、見下ろそうとした。
長く伸びた草が意外と邪魔で、海面は見えにくい。
無理に覗き込むのも、危ないか。
俺は体を起こして、視線を水平線の彼方へと向けた。
カモメの声と波の音が、やけに寂しく耳に響く。
「ランディ。この花、おかしくないですか?」
「ん? そうかい? 普通に、可愛い花だと思うけど……」
正直俺は、花のことなんてあんまり分からない。
植物に対する知識は、学校の理科で習った程度しか持ち合わせていなかった。
「可愛いから、変なんですよ。大人が買ってきて供えるなら、もう少し立派なものを供えませんか?」
言われて、初めて気づいた。
確かに変だ。
そこら辺の野原から摘んできたような、小さなピンク色の花。
それが、ぽつりぽつりと並んでいる。
これは、まるで――
「子供が供えにきてるってこと?」
俺の言葉と、同時だった。
ジャリっという靴音が、俺とジョージの背後から聞こえる。
振り返る俺達。
視線の先にいたのは――
「天翼族の女の子……?」
年はジョージより2、3歳上だろう。
背中には、天使のような白い翼。
獣人とは別物とされる有翼人、天翼族。
この世界でも、割と人口が少ない種族だ。
大昔は、空を自在に飛べたなんて言い伝えも残っている。
言い伝えの真偽は不明だけど、現在の天翼族は空を飛ぶことはできない。
ただ体重が軽く、身軽な者が多い。
その天翼族少女は、青ざめていた。
肩まで伸ばしたピンク色の髪をワナワナと震わせ、立ち竦んでいる。
よく見れば白いワンピースの肩に、小さなフクロウがとまっていた。
「ん? 貴女は……。僕より3学年上の、ケイト・イガラシ先輩ではありませんか?」
「えっ、ウチの学校の先輩? こんなところまで、校区だったんだ」
ケイトさんの手には、小さなピンク色の花。
お供えをしてくれていたのは、この子だ!
「ジブンは……! ジョージ・ドッケンハイムやないか! 何で……何でこんなところに!?」
ケイトさんの喋り方は、俺には関西弁っぽく聞こえる。
これはマリーノ国、西地域の訛りだ。
「ちょっと、調べ物をしていまして。……そうだ、イガラシ先輩。あなたにも、お尋ねしたいのですが……」
ケイトさんはもげそうな勢いで、首を左右へとブンブン振り回した。
肩のフクロウが、迷惑そうに空中へと避難する。
「知らへん! ウチは何も、知らへん! せやからお願い! 殺さんといて!」
ケイトさんの怯えようを見て、俺は半眼でジョージを見つめる。
「……ジョージ。君はいったい、どんな学校生活を送っているんだい?」
ジョージより3つも年上の先輩が、こんなに怖がるのは尋常じゃないだろう。
「僕はいつも休み時間に本を読んでいる、物静かで大人しい子供ですよ?」
自己評価ほど、あてにならないものは無い。
俺は知っているんだぞ?
幼児に即死級のパンチを打ってくるような、バイオレンスメカニックだっていうことは。
「……やっぱり、ただの噂やったの? ジョージ君が6年生の先輩達10人を、全員病院送りにしたっていう話は?」
「降りかかる火の粉を、払っただけです」
「ヒイッ! やっぱり、本当やないか!」
ケイトさんはクルリと背を向け、ロケットスタート。
俺とジョージからの逃走を図る。
「病院送りはデマです。怪我しないように、ちゃんと手加減しましたよ」
「ジョージ! 言うのが遅いよ!」
2年前に殴られた経験のある俺はジョージの「手加減」のレベルを疑いつつ、ケイトさんを追った。
ケイトさんがジョージの3学年上だというのなら、伯父さんが亡くなった時に彼女はまだ5歳。
だけど天翼族は、幼児期から知能の発達が早いらしい。
きっと彼女は、何か知っているんだ。
――伯父さんの事故について。
俺とジョージは、ケイトさんの後を追って走り出した。
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俺の前を走るケイトさんは道路を外れ、森の中へと駆け込んでゆく。
どうやら定期的に人が通る道らしく、草木はそこまで生い茂ってはいなかった。
それにしても、ケイトさんの足は速い。
俺でも、ジリジリとしか差を詰められない。
上級生の獣人族相手に、50m走で勝てる俺がだ。
ケイトさんはこの道を知っていて飛び込んだようだし、地の利を生かされると振り切られるかもしれない。
そこで俺は、ちょっとした駆け引きに出ることにした。
前走車が嫌がることをやるのが、後続車の基本だ。
あくまで、レースで勝負中の話だよ?
公道では、やっちゃダメだ。
「ケイトさん! そんなに勢いよく走るから、パンツ見えてるよ!」
「きゃあっ!」
もちろん嘘だ。
俺にしては珍しく、ハッタリが通用してちょっと安心。
きっとウチのオズワルド父さんや、ジョージんとこのドーンさんみたいに素直な人なんだろう。
スカートの裾を抑えながら、ケイトさんの足が止まった。
そのわずかな時間を使い、俺は跳躍。
狙いは、ケイトさんの隣に立っていた木。
空中で木の幹を蹴って、三角飛び。
ケイトさんの前方へと、回り込んだ。
「くっ!」
ケイトさんは踵を返して、今度は逆方向へと走り出そうとする。
だけど前方を見て、硬直した。
彼女の眼前に立ち塞がっていたのは、筋肉の壁。
ジョージ・ドッケンハイム(変身後)。
「ああ……助けて……。助けて、オカーン!」
「くっくっくっ。泣き叫んでも、助けはこねえぜ」
「なぁに先輩、悪いようにはしませんよ」
マッスル仕様になって、口調も凶悪になっていたジョージ。
彼につられて、俺もついつい悪者口調になる。
いたいけな少女を挟み撃ちにして、悪人面をした2人が両手をワキワキさせながらにじり寄っていく。
……ん?
俺もジョージも子供とはいえ、周囲から見たらヤバい絵面じゃなかろうか?
「あんた達、いったい何をしとるん?」
「オカーン!」
背後から聞こえた大人の女性の声と共に、俺は悟ったね。
「これは社会的に、死んだ」と――




