ターン189 25点……かな?
14:00。
俺と〈レオナ〉は、「サンサーラストレート」を駆け抜けていた。
午後の強い日差しが降り注ぎ、6kmの長い直線には陽炎が立ち昇っている。
この直線を走るのは、もう何度目だ?
慣れっていうのは恐ろしいもんで、あんなに気持ち悪いと思っていた400km/hオーバーの世界が当たり前になってきている。
ルーティーンワークのようにオーバーテイクシステムとドラッグ・リダクション・システムを作動させ、世界樹ユグドラシルの根元へ向け突撃。
巨木の直下を通るトンネルをくぐり抜け、再び太陽の光を浴びた時にそれは起こった。
「……なんだ?」
1kmぐらい前方で、なにかが光った。
――火花だ。
火花が散っているのは、別に珍しくない。
このサンサーラストレートは普段公道として使用されているから、路面がうねっている。
車高の低いレーシングカーで走れば、腹を少し擦って火花が散るのは普通だ。
だけど今回の火花は、量がやたらと多い。
飛び散っている時間も、長すぎる。
――オーバーテイクシステム、カット!
DRS解除!
ハイダウンフォースモード!
危険を感じた俺は、400km/hの世界から離脱した。
すぐにその判断が、正しかったのを実感する。
「えっ!?」
前方を走っていた、周回遅れの〈ライオット〉GT-YD。
個人参加チームが走らせている、型後れのマシンだ。
そいつが火花を撒き散らした後、離陸した。
大地からめくれ上がり、回転しながら俺と〈レオナ〉の頭上を飛び越えていく。
非現実的な光景に、思わず息を呑んだ。
〈レオナ〉の屋根に隠れて見えなくなったから、続きは後方モニターで行方を見届ける。
離陸した〈ライオット〉は、コースの脇にある森の中へと落ちていった。
次の瞬間、オレンジ色の閃光が走る。
「お……おいおい!」
火柱が上がった。
爆発炎上したとみて、間違いない。
一瞬、救助に向かうべきかとも考えた。
だけどもう、距離が離れすぎている。
今から車を停めて走って駆けつけても間に合わないし、マシンに乗ったまま逆走とかは絶対ダメだ。危険過ぎる。
ここはコース係員に、お任せするしかない。
『ランディ君! 巻き込まれとらん!?』
「あ……ああ。大丈夫だよ、ケイトさん。破片を踏んだりとかも、していない」
無線越しに届いたケイトさんの声に、すごく安堵感を覚える。
「……前を走っていた、個人参加チームの〈ライオット〉が飛んだ。なにか、情報はあるかい?」
『いま、事故のリプレイ映像が流れとる。……タイヤ破裂やな。オーバーテイクシステムとDRSオンで、400km/h超えた状態からのバースト……。ひとたまりもないで』
「そうか……」
どんなにハイテクなマシンでも、支えてくれるのはタイヤ。
それが超高速域で破裂してしまったら、コントロールしようがないだろう。
スピンして横向きになった状態から横転、離陸って流れかな。
『おっ! ドライバーは無事やで! ちぃ~とレーシングスーツが焦げとるけど、大した怪我はしとらんみたいや。さすが、タフネス自慢の巨人族ドライバーやね』
明るいニュースに、ホッとひと息。
ああ、良かった。
ルディの事故を思い出して、全身の血が凍ったみたいだったよ。
『ローカルイエローや。フルコースコーションには、ならんな』
事故処理のため、コース全域で追い越し禁止がかかるのがフルコースコーション。
事故が起こった区間だけ、追い越し禁止になるのがローカルイエロー。
幸いというか、なんというか――
事故を起こした〈ライオット〉はコースの外で燃えたから、競技の続行に支障はないという運営判断なんだろう。
大きな事故があっても、レースは淡々と続行される。
なんだかそれが、やたらと非情なことのように思えた。
俺だって追い越し禁止区間以外では、レーシングスピードで走り続けているっていうのにね――
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走行を終えた俺は、食事や休憩ができるホスピタリティブースに来ていた。
レース期間中は、プロのシェフが料理を作ってくれる。
規模のデカいチームになると3人のシェフがそれぞれ別の食材を使って料理を作り、それを3グループに分けられたスタッフ達が交代で食べるらしい。
食中毒対策だそうだ。
シャーラはマシンが1台体制で、現場のスタッフは35人。
ワークスチームとしては、人数が少ない方。
なので、食事のグループ分けまではしていない。
レースが始まると決まった時間に食事を取れなくなるから、シェフが作っておいてくれるお弁当を手の空いた時間に食べる方式になる。
時刻は15時。
昼食としては遅すぎるし、夕食としては早すぎる。
だけどもう、通常の食事時間は意味をなさない。
なんせ、午前2時起きだからな。
仮眠とかもしているし、生活リズムはめちゃくちゃだ。
走行時に腹がパンパンにならないようにだけ、気を付けるしかない。
というわけで俺は、今から軽めの食事だ。
ホスピタリティブースの中では、ニーサ・シルヴィアが1人ポツンとテーブルに着いていた。
「ん? ニーサも、今ごろ食事か?」
「ああ、ランディ。少々腹が減ってな。走行の前に、軽く何か食べておこうと思って」
「軽く」と言った彼女の前には、2人分の弁当(特盛)が置かれている。
軽く――ねえ――
ニーサの健啖家っぷりに少々呆れながら、向かい合って腰を下ろす。
「ランディの走行中、個人参加チームの〈ライオット〉が大きな事故を起こしたそうだな?」
「ああ。目の前で、飛んでいったよ。……正直、怖かった」
「そうか……」
ニーサの瞳は、どことなく不安げに見えた。
「俺のこと、心配しちゃった?」
深刻な雰囲気を吹き飛ばそうと、ちょっと冗談めかした口調で言ってみる。
また怒られるんだろうなーと、覚悟しながら。
ところがニーサは眉尻を下げ、困ったような顔になった。
そして今朝と同じように、両手で俺の右手を優しく包み込む。
「バカ……。心配しないわけないでしょう?」
テントに差し込む陽光を反射して輝く、プラチナブロンドと黄金の尻尾。
そして潤んだ青い瞳を見ていると、呼吸をすることすら忘れてしまう。
綺麗だな――
美し過ぎるものを見て、完全に脳が――理性が死んでいた。
だから本能任せで、俺はとんでもない台詞を口走ってしまう。
「ニーサ、結婚してくれ」
自分でも、これはちょっと無いんじゃないかなと思う。
だけど口に出しちゃった台詞は、もう取り消せないし――
言われたニーサの反応はというと――
微妙な表情をしていた。
「25点……かな? ストレートな言葉は、嫌いじゃない。でも、シチュエーションがダメ。タイミングがダメ。場所がダメ」
「で……デスヨネ~」
俺はガックリと、肩を落とす。
今のプロポーズは男としてダメなだけではなく、ワークスドライバーとしてもダメだ。
レース期間中だぞ?
もっと走りに集中しろ。
そして、チームメイトの集中力を乱すな。
「仕方ないな。条件付きで、受理しよう。ユグドラシル24時間で、優勝できたらいいよ」
そうだよな――
そりゃ、受理されるよな――
――ん?
受理って、どういう意味だっけ?
書類とかを、受けつけるって意味だよな?
結婚してくれと言われて、受けつけるってことは――
「えっ? それってどういう……」
聞き返すとニーサは頬を真っ赤に染めて、そっぽを向いてしまった。
「説明させるな! ……優勝したら、結婚しようって言ってるの。あくまで、優勝したら……だからね!」
ぶっきらぼうに言い放つと、彼女は猛然とお弁当に食らいついた。
いつも上品に食べるニーサにしては、少々ガツガツした感じだ。
徐々に、じんわりと実感が湧いてくる。
優勝さえすれば、ニーサが結婚してくれるんだ!
「あ……ああ。勝つよ。俺、絶対勝つよ!」
拳を握り締め、ついつい叫んでしまう。
ホスピタリティブースの外にまで、聞こえてしまったかもしれない。
「あんまり張り切り過ぎない! レースは、あなた1人の力で勝てるものじゃないでしょう?」
食事の手を止めたニーサに、窘められてしまう。
イカンイカン。
確かにその通りだ。
空回ったら、勝利は遠のくばかりだぞ!
「ねえ、ランディ。さっきも言ったけど、私はあなたのことが心配。でも同じぐらい、あなたを信じている。レーシングドライバー、ランドール・クロウリィをね」
もうニーサの青い双眸は、潤んでいなかった。
代わりに落ち着いた視線で、じっと俺を見つめてくる。
「無事に帰ってきて、チェッカーを受けてこそのレーサー。たとえボロボロになったとしても、きっとあなたは帰ってきてくれる。何千年、何万年かかっても、きっと私の元へ帰ってきてくれる。……そう、信じているから」
「ニーサ……」
どんな言葉を返せばいいか、分からなかった。
ただ、絶対に彼女の信頼を裏切ってはいけない。
それだけは、確かだったから――
俺は無言でニーサの目を見ながら、強く、ゆっくりと頷いた。
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ユグドラシル島に、夜の帳が下りる。
だけど今夜、この島は眠らない。
神秘的な篝火と、人工的な投光器の光。
そして怪物的なマシンのヘッドライトとテールランプに照らされて、ひと晩中起き続ける。
起き続けるとは言っても、観客は24時間ぶっ続けでレースを観ているわけじゃない。
日が暮れれば宿泊しているホテルに帰ったり、キャンピングカーやテントの中に引き上げたり。
夜間走行中のマシンを肴に、コース脇でバーベキューをしている人とかもいるみたいだけど。
『第3区間のターン119付近で、ドラゴン肉を焼いている観客がいる』
ニーサから無線で聞いた時は、そんなの分かるもんなのかよ? って思った。
だけど俺が走行した時も、本当にその地点でお肉を焼いているおいしそうな匂いがしたんだ。
まさか走行中のマシンの中にまで、匂いが入ってくるとはね――
食いしん坊過ぎるニーサだけが感じる、幻臭かと思ってた。
夜が更けて行く中、トップは相変わらずレイヴン〈イフリータ〉85号車。
2位がウチの〈レオナ〉。
ついに、1周以上の差を付けられてしまった。
これはキツイ。
俺達の後方、3位以下のマシンはというと――
これまた、1周ぐらいの差。
思ったより、離れないなぁ。
3位以下はどのチームも、変速機を労りながら走っている。
スタートからずっと全開で走り続けているのは、俺達とブレイズ達だけ。
なのに、1周以上引き離せないというのは辛い。
このコースは1周が5分以上かかるから、普通のサーキットなら3周遅れぐらいにしている計算にはなるけど。
もうちょっと差を広げておかないと、安心できない。
なぜなら俺達は、これから――
時刻は夜中。
現在マシンをドライブしているのは、ニーサ・シルヴィアだ。
メカニック達は椅子に座ったり、ピット床に寝そべったりしながらうつらうつらしていた。
彼らはレース前日から眠っていないし、これからも徹夜だしな。
隙間時間に、ちょっとでも体を休めておかないと。
ジョージの奴は、起きているんだか寝ているんだか分からない。
椅子に座った姿勢で腕を組み、両目を閉じている。
俺は隣の椅子に腰かけ、そんなジョージの様子を見守っていた。
23:00過ぎ。
あと1時間もすれば、日付が――
そして、年が変わるという時刻だった。
「……きましたね」
静かに呟きながら、ジョージは両目を開ける。
「なにが?」と尋ねる前に、ライブ映像モニターを見ていたケイトさんが叫んだ。
「レイヴン〈イフリータ〉85号車、変速機トラブルや! 走りから見るに、3速を失っとる! ……予定より、早いタイミングやで!」
そう。
タイミングこそ違ったけど、この展開は予想していた。
あれだけ全開で走り続けておいて、ノートラブルでゴールまでもつわけがないんだ。
85号車は修復のために、ピットインを余儀なくされるだろう。
大幅なタイムロスだ。
その間に俺達が、やらなければならないことは――
ケイトさんからの視線を受けて、ヴァイ・アイバニーズ監督は無線機のマイクを口元へと近づけた。
そして、ドライブ中のニーサに指示を下す。
今のうちにトップへと踊り出れるよう、ハイペースをキープしろという指示――
――ではなく。
「ピットインしろ! ボックス! ニーサお嬢ちゃん、今すぐピットに帰ってこい!」




