ターン188 ロータリーの魔女
スタートから3周目。
俺の乗る〈レオナ〉。
そして生き残った96台のGT-YDマシン達は、現在スロー走行をさせられている。
1コーナーで起こった事故を処理する間、追い越しは禁止。
先導するセーフティーカーの後ろについて、タイヤを冷やさないよう蛇行運転を繰り返しながらレース再開を待っているという状況だ。
まだ3周目とは言っても、このコースは1周が長いからな。
もう30分ぐらい、セーフティーカー走行が続いている。
先導するセーフティーカーの屋根上にある回転灯が、ようやく消えた。
事故処理が終わり、次の周からやっとレース再開って意味だ。
『ランディく~ん。戦略は、分かっとるな?』
「もちろんさ、ケイトさん」
無線の声は、クリアに聞える。
このコースでは高層ビルがあったり、山があったり、コース全長が長かったりで、通信状態が悪くならないかの不安があった。
だけど、どうやら大丈夫みたいだ。
『近年の24時間耐久レースでは、短距離レースみたいに最初っから最後まで全開で走るのが常識や。せやけどそれは、普通のサーキットで開催される24時間レースでの話。このユグドラシル島公道コースは、話が別やで』
それも分かってる。
荒れた公道の路面。
駆動系に負担がかかる峠道区間。
クソ長いアクセル全開時間で、エンジンを酷使する「サンサーラストレート」。
そして450km/hからの超ハードブレーキングを強いられる、「リヴァイアサンベンド」。
通常のサーキットとは、マシンにかかる負荷が違い過ぎる。
特に今年のGT-YDマシン達は、エンジンパワーに駆動系が負けているマシンが多い。
世界耐久選手権第1戦から9戦までのデータ蓄積により、各車タフなマシンに仕上がってきている。
とはいえ、このユグドラシルを24時間ずっと全開で走りきれるマシンは皆無だろう。
『ウチの計算やと全開で走った場合、20時間前後で変速機が壊れるで』
「大丈夫。ちゃんと理解してるよ」
俺だけじゃなく、チーム全員がしっかり頭に入れている。
それに対応するための作戦も。
競技車両の隊列を先導していたセーフティーカーが、ピットロードに入っていなくなる。
先頭のブレイズが、フル加速を開始した。
――レース再開だ!
ブレイズの加速タイミングに、キッチリ合わせられたのは俺だけだった。
ホームストレートを駆け抜けて1コーナーへのアプローチを開始する頃には、後続車を少し引き離している。
「……ふんぬっ!」
タイヤの食い付きを、フルに使ったハードブレーキング。
もうホント、限界ギリギリの遅いブレーキングだった。
ところが俺の内側にいた、〈イフリータ〉の鼻先が少し前に出る。
ブレイズの方が、俺より奥までブレーキを我慢したってことだ。
ちっ!
相変わらず、物理法則を無視したようなブレーキングをしやがる。
前置きエンジンの〈レオナ〉に対し、〈イフリータ〉は中央後部寄りエンジンだからな。
フルブレーキング時の前後重量バランスでは、あっちが有利か。
やむを得ず、1コーナーはブレイズに譲ってやった。
代わりに立ち上がり速度重視の走行ラインを取って、加速勝負。
それでも2コーナーまでに、並びかけることはできなかった。
〈イフリータ〉の直線的なデザインのテールランプ。
その輝きを見ていると、ブレイズの意志をハッキリと感じる。
こいつは俺をブロックするつもりなんて、さらさらない。
ぶっちぎるつもり満々だ。
――そうはいくかよ!
路面の継ぎ目で火花を散らしながら、〈イフリータ〉と〈レオナ〉はハイウェイ区間の高速コーナーを切り返してゆく。
そして山間部へ向かって伸びる、1.5kmの直線区間へ突入。
前方を走る〈イフリータ〉の屋根。
そこに設置されている、吸気口が変形した。
こいつは電気を流すと変形する、ヴィシュヌメタル製の吸気口。
〈イフリータ〉GT-YDはオーバーテイクシステムを作動させる際、圧縮空気を取り込むのに適したチョンマゲ型に吸気口を変形させるんだ。
さらに〈イフリータ〉は、ドラッグ・リダクション・システムを作動。
これまたヴィシュヌメタル製の空力パーツが、にゅるりと生き物みたいに変形する。
のっぺりとした、ロードラッグモードだ。
もちろん車体の塗装面も、うちの〈レオナ〉と同じ。
細かく振動して空気抵抗を打ち消す、アルテカジキペイントなんだよな。
紅蓮の魔神はそのパワーを全て解放し、空気を斬り裂く最高速重視の形態で光の精霊を置いていくつもりだ。
もちろん、そうは問屋が卸さない。
こっちだって、オーバーテイクシステムとDRSをオンだ。
400km/h上等!
爆発的に加速する俺とブレイズに、3位以下のマシンはついてこない。
無理もないな。
俺達2人は、予選のタイムアタックみたいな攻め方をしている。
インターチェンジを下り、山間部の峠道区間に突入。
道幅が狭く、追い越しが難しい区間だ。
俺に抜かれる心配が減ったブレイズは、ペースを落としマシンの耐久力を温存――
――したりはしなかった。
そんなの関係ねえとばかりに、ガンガン駆動力をかけて峠道を駆け上がり、駆け下りる。
こいつは――
〈イフリータ〉85号車は、ひょっとして――
山間部を脱出して、サンサーラストレートへ突入。
ここで再び、オーバーテイクシステムとDRSを使用。
俺とブレイズ、2人ともだ。
エンジンと変速機に負担のかかるオーバーテイクシステムを、こんなにためらいなく使ってくるなんてね。
――ってことは、やっぱりそうなんだ。
『間違いあらへん! レイヴン〈イフリータ〉85号車は、ウチと同じ戦略や! しんどくても、絶対にチギられたらアカンで!』
「了解!」
了解したものの、苦しい戦いになりそうだぜ。
なぜなら俺達の戦略は、ドライバーの集中力・体力に相当な負担を強いるもの。
同じ戦略を取るライバルがいるとなると、そいつらと競り合ってさらに負担は増える。
――とにかく全開。
ペース配分など考えず、全てのマシンをぶっちぎれ。
それが俺、ニーサ・シルヴィア、ポール・トゥーヴィーの3人に下された指令。
直角に曲がった最終コーナー、「リヴァイアサンベンド」が迫る。
〈イフリータ〉はタイヤからカスを撒き散らしながら、火の出るようなハードブレーキング。
――ブレイズの野郎、頑張るな。
ここのブレーキングは、レナード神からチート能力持ちと言われた俺でもキツいのに。
あの細い体で、よく減速Gに耐えている。
思っていたより、ずっとタフな男だ。
今のあいつなら、俺とオズワルド父さんにぶん殴られても立ち上がれるかもしれない。
――いいぜ!
このレースで俺に勝ったら、「ヴィオレッタちゃんと付き合わせて下さいチャレンジ」に挑戦する権利をやろう。
俺と父さんのパンチに耐えたら、ヴィオレッタに交際を申し込んでよいものとする。
ヴィオレッタがうんと言うかどうかは、お前の頑張り次第だけどな。
それにレースで負ける気は、さらさら無い。
俺達はリヴァイアサンベンドを曲がり、ホームストレートへと戻ってきた。
観客席が、どよめいているのを感じる。
これは俺とブレイズのハイペースに、興奮しているわけじゃない。
『そんなハイペースで、マシンは壊れないのか?』
目の肥えたユグドラシルの観客達は、そう疑問に思っているんだ。
結論から言おう。
間違いなく、壊れる。
それでも、俺達は――
ホームストレートを駆け抜け様、サインエリアをチラリと見やる。
そこには、獰猛な笑みを浮かべる人物が2人。
腕を組み、燃える瞳を向けてくるヴァイ・アイバニーズ監督。
そしてチームオーナーのマリー・ルイス嬢は、銀髪ドリルに朝日を受けながらサインボードを提示していた。
『ペースアップ』
俺は目一杯攻め込んでいるっていうのに、それでも出される容赦ないサイン。
ウチだけじゃない。
レイヴン企業チーム「ドリームファンタジア」からも、ブレイズにペースアップサインが出ていた。
「お互い大変だよな! ブレイズ!」
「ああ、全くだよ!」とでも言いたげに、ブレイズの〈イフリータ〉は激しく排気炎を吐き散らかす。
ここから俺と、ブレイズは――
いや、違うな。
〈レオナ〉を駆る、俺、ニーサ、ポール。
そして〈イフリータ〉85号車を駆るブレイズ、ヤニ、ダレルさんの6人は、地獄のようなハイペースをチェッカーフラッグまで保ち続けないといけない。
――ゴールまで残り、23時間07分!
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「ランディさん……。俺っちは、燃え尽きたっス……真っ白にっス……」
ピットで椅子に寄りかかり、有名なボクシング漫画よろしく燃え尽きているポール・トゥーヴィー。
真っ白小鬼族と化したそいつの顔面に、俺は濡れタオルをべチャリと叩きつけてやった。
「お前はまだ、1回目の走行を終えたばかりだろ? あと何回、出番があると思ってるんだよ?」
「だってー。このハイペース、めちゃめちゃしんどいっス。しかも、ダブルスティントっスよ?」
ダブルスティントっていうのはピットインした時にドライバー交代をしないまま、給油やタイヤ交換だけ済ませて出て行く戦法だ。
交代の時間が短縮できて作業は早く済むけど、連続で走らされるドライバーはキツい!
グッタリするポールを、今日ばかりは情けないとは言えない。
なぜなら俺も、ダブルスティントはしんどいと感じているからだ。
地球のルマン24時間やこの世界の一般的な24時間レースでも、ダブルスティント、トリプルスティントを行うことはある。
でもなぁ――
ちょっと乗るだけで、ドライバーの体力をゴリっと奪うGT-YDマシン。
そして精神力をめちゃくちゃに削ってくるユグドラシル島公道コースでやるのは、常軌を逸している。
今の時刻は、11時前。
まだゴールまで、20時間以上ある。
マシンもドライバー達も、本当に最後まで走り切れるのか?
「……とにかくだ。ポール。ヘバっているところを、他のチームに見せたらダメだ。調子づかせちゃうぞ? 控室で、点滴を受けてきなよ」
「了解っス~」
ポールはヨタヨタしながらピットを出て、パドックエリアの方へと歩いて行った。
大丈夫かよ? あいつ――
俺はポールを見送った後、ピットロードを横切りサインエリアへとやってきた。
ヴァイ監督が厳しい表情で、モニターを眺めている。
「ジリジリとだけどよ……。確実に、離れていくな。レイヴン〈イフリータ〉85号車は」
スタートから4時間。
2位である俺達の〈レオナ〉55号車とトップの〈イフリータ〉85号車の差は徐々に開き、現在は約2分30秒の差。
普通のサーキットだったら2周遅れになっていてもおかしくないけど、1周が5分以上かかるこのユグドラシル島公道コースだと半周ぐらいの差で済んでいる。
同一周回か、周回遅れかの差は大きい。
周回遅れだと、ルールで道を譲らないといけなくなってしまう。
この状況は、まだまだ勝負できているといえた。
でもなぁ――
「ニーサのことだから、カッカきてませんかね?」
現在〈レオナ〉を走らせているニーサ・シルヴィアは負けず嫌いな性格だし、ドライビングも攻撃的だ。
ライバルマシンに前を走られて、平気でいられるタマじゃない。
ちょうどその時、俺とヴァイさんの眼前を赤い閃光が走り抜けた。
トップを走る、レイヴン〈イフリータ〉85号車。
いまドライブしているのは、鬼族のヤニ・トルキ。
こいつとの差が開いていくことに、ニーサがムカムカしていないといいんだけど。
そんな心配に、ヴァイ監督は余裕の笑みで応える。
「ランディ。お前が思っている以上に、ニーサお嬢ちゃんのお頭は冷静だぜ。それこそ、氷のようにな。だが、ハートは炎みてえに熱い。レーサーとして、理想的な精神状態だよ」
今度は白い閃光が、海風を切り裂いた。
ニーサの駆る、シャーラ〈レオナ〉55号車だ。
官能的なロータリーエンジンのシャウトに、観客席から大歓声が巻き起こる。
グランドスタンドに掲げられた横断幕の中に、「ロータリーの魔女ニーサ・シルヴィア」というフレーズを見つけた。
おやおや。
いつの間に、お母さんからその二つ名を継承したのか。
日本刀のように鋭いブレーキングと曲がりで、ニーサの〈レオナ〉は1コーナーの向こう――ビル街へと消えてゆく。
「ふーむ、ニーサはいい走りだ。心配なんて、要らないかな?」
「……ニーサお嬢ちゃんは、ランディの方を心配してるぞ? 無線で伝言が入った。『走ってない奴は、大人しく寝てろ!』だそうだ」
あらら、怒られちゃった。
サインエリアにいた俺をちゃんと見てる辺り、ヴァイさんが言うように冷静なんだな。
ニーサの言う通り、走っていない時は体を休めるのもドライバーの仕事。
――寝るか。




