ターン186 俺は今度こそ「英雄」になってみせる
■□ランドール・クロウリィ視点■□
樹神暦2642年12月30日
世界耐久選手権 最終戦
エクスヤパーナ精霊国
ユグドラシル24時間
決勝日
12月30日は、この世界の大晦日。
2642年最後の日、時刻はAM2:00。
ついに、この日がやってきた。
俺は「ホテル・ローラ」客室のベッドから身を起こし、トレーニングウェアに着替える。
レース前に軽く運動して、コンディションを整えたい。
外はまだ真っ暗だけど、ジョージ達チームスタッフはもう動き出している。
――というか、寝ていないスタッフが多い。
ユグドラシル24時間のスタート時刻は、AM7:00。
朝焼けの中でスタートを切り、夜通し走り続けながら年越しを迎える。
そして1月1日のAM7:00、初日の出直後にチェッカーを受ける。
そういうレースだ。
本来24時間耐久レースは、もっと日の長い季節に開催されることが多い。
夜間走行時間が長いと危険だし、暗くてマシンや広告がよく見えないからスポンサー企業の宣伝効果も下がってしまう。
それでもユグドラシル24時間は日の短い大晦日から元日にかけて、ずっと同じ開催日で200年間続いてきた。
元々が世界樹ユグドラシルに、火のマナとやらを捧げるお祭りの行事として始まったもの。
最初は、人力で走る山車で競走していたらしい。
内燃機関を動力源とする自動車が生まれるとそれによるレースへと変化していき、今のレース形態が確定したのが200年前。
日程を変えることは、儀式的理由でできないそうだ。
こんな時刻なのに、ホテルの廊下は慌ただしく人々が行き交っている。
ここに泊っているのは、ユグドラシル24時間関係者ばかりだからな。
その人々の合間を縫って、俺はホテルの外へと出た。
星空の下、冷たい空気を浴びながらジョギングを開始する。
コースはホテルの建物周辺。
お城みたいなホテルだけあって、庭園も広くて壮麗だ。
ユグドラシル24時間関係者が暗い内から目覚めてくるのに合わせて、明々とライトアップされていた。
ゆっくり、ゆっくり――
丁寧に、体を温めていく。
今日が俺のレース経歴の集大成。
最高の体に仕上げたい。
ジョギング途中、何人もの参戦ドライバー達とすれ違った。
ジャクソン・グローヴァー。
ダレル・パンテーラ。
デイモン・オクレール。
ヤニ・トルキ。
そして、ブレイズ・ルーレイロ。
みんな俺と同じように、ジョギングやウォーキングで体調を整えていた。
軽く挨拶をするだけで、親し気に言葉を交わしたりはしない。
彼らは共に過酷なレースに挑む仲間であると同時に、倒さなければならない敵だ。
今日ばかりは、仲良しこよしとはいかない。
しばらく走っていると、前方に月光のような輝きが見えた。
冷気の中で揺れるプラチナブロンドと、黄金の竜鱗に覆われた尻尾。
ニーサ・シルヴィアだ。
彼女もトレーニングウェアに身を包み、ジョギングをしていた。
「おはようニーサ。体調はどうだい?」
「おはよう、ランディ。今日は大丈夫だ。全く問題ない」
「今日は」という言葉が、グサリと刺さる。
昨日体調悪かったのは、どう考えても俺のせい――
「……すみませんでした」
「やめろ! 恥ずかしい! この話題は、もう禁止だ!」
まだそんなに走っていないはずなのに、ニーサの顔は赤くなってしまった。
呼び方こそランドールからランディに変わったものの、口調は相変わらずだな。
まあポール・トゥーヴィーとか相手にも、ニーサはこういう話し方だし。
「……ねえ、ランディ。どうして話してくれなかったの?」
口調が相変わらず男っぽいなと思ったばかりだったのに、急に女の子っぽくなった。
ニーサのこれ、ほんとビックリするんだよな。
それに今回は、声色が暗い。
「話してくれなかったって……なにを?」
「お母さんの……シャーロットさんのこと」
足が止まった。
それに合わせ、ニーサも走るのを止める。
「……誰から聞いたんだ?」
「ヴァリエッタお母様から、昨夜メッセージアプリで」
「そっか……」
ヴァリエッタさんは、うちのシャーロット母さんと仲良しだからな。
魔晶病のことを打ち明けていても、なんら不思議じゃない。
でも、なぜそれをわざわざニーサに伝えた?
母親なら、優しい娘だっていうのは分かっているはずだ。
チームメイトの親が死の病に直面していると聞いて、動揺しないはずがないだろう?
彼女は大事なレースを控えた身。
精神的負荷を増やしてどうする?
せっかく俺が黙っておいたのに、これじゃ全て水の泡だ。
「レース前に、わざわざ話すようなことじゃないだろ? チームメイトの精神揺さぶって、どうするんだよ? レース後に、ちゃんと話すつもりだったんだ」
「……バカ! あなた3年前に、ルディちゃんの病院で私が言ったこと忘れたの!?」
――3年前。
ルドルフィーネ・シェンカーが事故で昏睡状態だった時、ニーサは俺を励ましてくれたな。
あの時、彼女は――
「『自分の心を後回しにするな』って、言ったでしょう? 忘れたの?」
「いや、忘れてはいないけど……」
「なら、私を甘く見ているの? 打ち明けたら、動揺してしまうと? 打ち明けても、私では心の支えにはならないと?」
ようやく、ヴァリエッタさんがニーサに話した理由が分かった。
彼女は娘の強さを信頼し、同時に俺の心を気遣ってくれたんだ。
「チームメイトの支えになってやれ」
そう、娘の背を押したんだ。
「辛かったんでしょう?」
「……ああ」
「誰かに聞いて欲しかったんでしょう?」
「……そうだよ」
「不安と悲しみを、誰かと分かち合いたかったんでしょう?」
「……まったくもって、その通りだよ。カッコ悪いな、俺」
「そういう変に強がるところが、全然カッコ良くない! もっと早く、話して欲しかった……」
「ゴメンな、ニーサ」
判断ミスだな。
ニーサを気遣ったつもりが、逆に落ち込ませてしまった。
確かに俺が逆の立場だったら話して欲しいと思うし、力になりたいと思う。
そんなことも、分からないとは――
「仕方のない人。やっぱり、あなたを見てると不安。お守りが必要ね」
「お守り?」
怪訝に思っていると、ニーサはトレーニングウェアの胸元から首掛けの巾着袋を取り出した。
さらにその中から、取り出したものは――
「これは……? これも、世界樹の腕輪?」
材質からして、間違いないだろう。
現在俺やニーサの左手首に嵌められているのと同じ、世界樹の樹皮で編まれた――腕輪?
「なんで疑問形なんだ! ルディちゃんが作ったのと、比べるな。私だって……一生懸命作ったんだ……」
確かにルディが編んだものに比べると、形は歪だ。
だけど慣れないニーサが、これを一生懸命作ってくれたんだと思うとすごく嬉しい。
彼女は俺の右手を取り、手首にそっと腕輪を嵌めた。
「あなたには、お守りひとつじゃ足りないみたい。ルディちゃんだけじゃなく、私もしっかり見張っておかないとね」
「はははっ。俺、色んな人から見張られてるな」
右手首の腕輪からは、ニーサの視線を。
左手首の腕輪からは、ルディの視線を感じる。
レースが始まったら情報を転送するテレメトリーシステムや車載カメラで、ケイトさん、ジョージ、ヌコさんに走りを監視されてしまう。
サインエリアからは、ヴァイさんやマリーさんが厳しい視線を向けてくる。
テレビの向こうでは、家族が――
手術に備えて入院してる母さんが、病院のベッドで監視しているに違いない。
俺が小さい頃、カートチームの監督として睨みを利かせていたのと同じ表情で。
「そうよ、ランドール・クロウリィ。世界中が、あなたを見ている。走ろう、一緒に。明日の朝日と、チェッカーフラッグまで」
ニーサが両手で、俺の右手首を包み込む。
温かく、優しく、そして力強い。
「ああ、そうだな。見ていて下さい、樹神レナード様。戦女神リースディース様。俺は今度こそ……今度の人生こそ、『英雄』になってみせる」
ホテルから、世界樹ユグドラシルまでは近い。
この庭園からも、よく見える。
星空の下でまだ眠っているように見える巨木に向かい、俺は拳を突きつけた。
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AM6:00。
すでにマシン達はウォームアップ走行を終え、コース上のグリッドに並んでいた。
参加台数102台。
このユグドラシル24時間だけスポット参加してくる、個人参加チームも多い。
空はまだ、暗かった。
なのにグリッド上は投光器に照らされて、明るく、華やかな喧噪に包まれている。
海沿いの幹線道路が、コントロールラインとスターティンググリッドのあるメインストレート。
その両側には各チームのピットと、超満員のグランドスタンドが設置されている。
今はグリッドウォークの時間。
世界最速のマシンとドライバー達をひと目見よう、写真に収めようと、大勢の観客が押し寄せていた。
すごい人口密度だな。
ノヴァエランド12時間やGTフリークス、世界耐久選手権と、観客動員数の多いレースを今まで経験してきたけど、こんな人の激流は初めてだ。
だけど俺は、そんな人々の激流とは隔絶された空間にいる。
〈レオナ〉GT-YDの運転席内だ。
今日はスタートドライバーを務めるから、もう戦闘態勢で乗り込んでいた。
「ランディさ~ん。ちょ~っと硬いっスよ? もっとリラックスしていきましょ。リラックス、リラックス、ふにゃふにゃ~っス」
開け放たれたシザーズドアの向こうから、ポール・トゥーヴィーが話しかけてくる。
体をウミウシのようにくねらせる、奇妙なダンスを踊りながら。
「こんな大舞台だっていうのに、ホントお前はブレないよな。精神強くて、羨ましいよ。予選のタイムがイマイチでも、へのカッパだしな」
「そりゃ、俺っちの責任じゃないっスからね。レナード神の思し召しってやつっスよ」
ポールは全く悪びれずに言い放つ。
昨日の予選で俺がコース最速記録を叩き出したにもかかわらず、我らが〈レオナ〉55号車の予選順位は13番手だ。
これはWEMの予選が、ドライバー3人の合計タイムで順位を決めるルールになっているため。
ニーサのタイムが振るわなかったのは、仕方ない。
彼女の体調不良は、俺のせいだし。
だけどそれ以上にタイムが悪かったのが、このお調子者小鬼族だ。
確かにポールの責任じゃなくて、運が悪かったとも言える。
コイツがタイムアタックをしようとする時に限ってコース上で事故が起こり、黄色旗が出てしまってスローダウンを命じられたり。
あるいはコース上が渋滞してしまい、クリアラップ――他の車に邪魔されない周回が取れなかったり。
それにしたって体調不良のニーサより悪いタイムで帰ってきておきながら、ヘラヘラしているのはいかがなものか。
「今朝、テレビの占いで言ってたっスよ。4月生まれ、今日のラッキーナンバーは13らしいっス。ランディさん、4月生まれっスよね? きっと13番手スタートは、何かいいことあるっスよ」
「はいはい、そうだね。ラッキーナンバーの予選順位をプレゼントしてくれて、ありがとよ」
皮肉のつもりだったんだけど、それを聞いたポールは満面の笑みを浮かべながらサムズアップ。
そのままケラケラと笑い声を上げながら、フェードアウトしていった。
まったく、あいつときたら――
俺は視線を、前窓へと移す。
まだ車のメインスイッチが入っていないから、光の文字で情報が投影されていたりはしない。
普通の透明な窓だ。
「……え?」
その普通に透明な窓の外に、普通じゃない光景が広がっていた。
すべてが白黒だ。
行き交う大勢の観客も――
チームスタッフも――
他のマシン達も――
レースの世界は、極彩色の空間なはずなのに。
色だけじゃない。
世界は無音だった。
そして、誰も動いていない。
凍ったように、時が止まったように、全てが静止している。
「これは……いったい……?」
呆然と言葉を漏らしてしまった俺の左側に、気配が生まれた。
〈レオナ〉GT-YDは左ハンドルに改造されているから、その位置は車外だ。
ゆっくりと左側に視線を向けると、そこには1人の男が立っていた。
若く見える。
歳は20代半ばくらいか?
恰好は俺達シャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングの白いチームブルゾン。
青いキャップの下から覗くのは、くしゃくしゃとした長い草色の髪――
――この男だけ、白黒じゃない!
「よう、戦女神の使徒君。直接会うのは、初めてだよな?」
不敵な笑みを浮かべ、男は親し気に話しかけてくる。
最初は、誰だか分からなかった。
言い伝えでは、トーガ姿らしいからな。
チームクルーの恰好という、現代的な服装ではイメージが違い過ぎる。
この男の正体は――
「初めまして……ですよね? 樹神レナード様」




