ターン181 ラストダンスは譲れない
「ランディ。ケイト先輩は僕に任せて、君は踊ってきたらどうです?」
「う~ん、まだいいや」
ジョージの提案を、俺は断った。
とっくの昔に、ダンス1曲目は終わっている。
パートナーチェンジの時間を経て、今はもう2曲目。
ニーサは別の男と踊っていた。
今度のお相手は、渋い老紳士だ。
確かあれは、競技統括団体のお偉いさんだな。
まあ、仕方ない。
既婚者だし、あのお歳ならニーサに不埒な感情は抱かないだろう。
今や世界的スタードライバーになりつつあるニーサと、良好な関係を築いておきたいってところかな?
ニーサ以外の女性と踊るのは、気が進まない。
彼女と踊るチャンスがくるまで、壁の花ならぬ壁のシミと化しておこう。
俺はそう決意して、壁に寄りかかった。
ところが――だ。
「あの……クロウリィ様……。ダンスのお相手は、決まりまして?」
様づけで呼ばれるなんて、マリーさんやキンバリーさん以外からは経験なくて戸惑うぜ。
顔を上げてみれば、俺の前に獣人の少女が立っていた。
まだ10代っぽい、どこかのご令嬢だ。
頭上に生やした猫耳を、ピコピコと動かしている。
――誰? このコ?
「たぶん、どこかのスポンサー企業のご令嬢ですよ。失礼のないようにしてください」
ジョージがそっと、耳打ちしてきた。
あー、なんとなく察した。
俺個人には、興味なんかないんだろう。
けど世界耐久選手権ドライバーと踊ったとなれば、学校とかでいい話題になるってことか。
それなら俺じゃなくて、第3戦で優勝したブレイズとかと踊った方が箔も付くだろうに。
「えっと……。連れが気分悪くなっちゃったんで、様子を看ておかないといけないんです。だから、踊りには行けなくて」
返答を聞いて、猫耳令嬢の尻尾は垂れ下がった。
頭上の猫耳も、ペタンと伏せられてしまう。
ううっ。
この心底残念そうな顔、罪悪感が湧く。
でもニーサの見ている前で、他の女性とは踊りたくない。
こんだけ俺が、ニーサと他の男が踊るのをムカムカしながら見てるんだ。
ニーサだって俺が他の女性と踊っているのを見たら、多少は面白くないよな?
面白くないと、思って欲しい。
「ランディ。ケイト先輩は僕が看ていますから、大丈夫ですよ? 介抱役は、2人も必要ありません」
あーあ。
ジョージの奴が、余計なことを言い出した。
こいつ、俺がケイトさんとファーストダンス踊ったのを根に持ってやがるな?
不可抗力だろ?
ジョージの発言に、猫耳令嬢の耳と尻尾がピーンと立ってしまった。
こりゃ、踊りませんとは言えない雰囲気だ。
「あの……。そういうわけで、踊れるようになりました。俺でよろしければ、一緒に踊っていただけますか?」
気は進まなくても、ここで嫌々な態度を見せるのは絶対ダメだ。
俺はシャーラのワークスドライバー。
自動車メーカーの広告塔。
常に紳士であれ。
それに踊っていればそのうち、パートナーチェンジでニーサと踊るチャンスも生まれるかもしれない。
そういう打算もあって、俺は猫耳令嬢の手を取った。
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次々と、ダンスの曲目は進んで行く。
俺はパートナーチェンジを繰り返しながらも、なかなかお目当てのニーサとは踊れずにいた。
猫耳令嬢から数えて、もう何人目だ?
なぜか次から次に、ダンスを申し込んでくるご令嬢やらご婦人が現れた。
地球のように、基本は男性から申し込むという慣習がないのが恨めしい。
むう――
ダンスの申し込みより、資金援助の申し出とかの方が嬉しいんだけど――
ふと会場の隅を見れば、ブレイズ・ルーレイロとデイモン・オクレール閣下が壁のシミと化していた。
おいっ!
お前らも踊れよ!
そしたら少しは、申し込んでくる女性が減るはず。
無駄に顔のいい奴らはそれぐらいの義務、果たしてもらおうか?
大変なのは、俺の方ばかりじゃない。
ニーサにも、ダンスを申し込む男どもが殺到していた。
こちらは俺と、事情が違うようだ。
ちょっと話題作りに世界耐久選手権ドライバーと踊ってみたいとか、そういう話じゃない。
目を見れば分かる。
ガチでニーサ・シルヴィアという女性を、狙っている連中だ。
そいつらが邪魔で、なかなか彼女には近づけない。
もどかしく思っていると、次でラストの曲だとアナウンスが流れた。
俺は踊っていたエルフのご婦人にお礼を述べた後、素早く身を翻す。
次だけは――
ラストダンスだけは、他の奴に譲れない。
なぜなら、ラストダンスは――
俺は陸上短距離走みたいなスピードの早歩きでホールを横切り、ニーサの元へと向かう。
俺より先に、ダンスを申し込もうとしている奴がいた。
ファーストダンスを彼女と踊った、貴族っぽいモブ野郎だ。
「ニーサさん、わたくしと……」
「悪いな、俺が先約だ」
モブ野郎の肩に手を置き、押しのける。
露骨にムッとした顔をされたけど、俺の方がアンタの何倍もムッとしてるんだよ。
ファーストダンスの時点からな。
「先約だと? 嘘をつけ!」
「嘘じゃないさ」
わめき散らす貴族モブ君は放っておいて、俺はニーサの方を向く。
「ニーサ、俺と約束していただろう? 第9戦で表彰台を獲得できたら、特別ボーナスをくれるってな。……ラストダンスを、俺にくれ」
ラストダンスは譲れない。
意中の相手に、申し込むものだからな。
ニーサからの返事は――
ニッコリとした微笑みが、返ってきた。
釣られて俺も、笑顔がこぼれる。
そしてゆっくり開かれた彼女の唇から、返答がもたらされた。
静かに、穏やかに、だけどハッキリと、彼女はこう告げる。
「……ごめんなさい」
ニーサ・シルヴィアは俺とも、貴族風モブ男とも、他の誰とも踊らずに、ラストダンスの曲が流れ始めたパーティー会場を立ち去った。
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気づけば俺は、壁に寄りかかって呆然としていた。
ホールではラストの曲が流れ続け、多くのカップル達がダンスを楽しんでいる。
だけどあの中に、ニーサ・シルヴィアはもういないんだ。
放心中な俺の前を、先程の貴族風モブ男が忌々し気に睨みながら横切った。
他にも周囲の人達から、好奇の視線が突き刺さってくる。
ヒソヒソと、噂話をしているのも聞こえる。
俺には、なんの感情も湧いてこない。
睨むなり噂話をするなり、好きにすればいい。
「盛大に、振られましたね」
視界が大きな影に遮られた。
ジョージだ。
「ああ振られ……たんだよな?」
一応、客観的な意見が聞きたかった。
ひょっとしたら俺の勘違いで、他の人から見たら振られていないのかもしれない。
そんな、淡い期待を抱きながら。
「完敗ですね。レースに例えるなら、功を焦ってブレーキングミス。大きくコースアウトして、競り合っていたライバルに置いていかれたってところですかね」
ジョージの意見には、情けとか容赦とかいうものが存在しない。
傷ついたハートをさらに抉り、塩を振りかけて擦り込んでくるぐらいの勢いだ。
「それで? 君はこんなところで、なにをしているんです?」
「傷心中の男に、『なにをしているんです?』はないだろ? 少し、気持ちを落ち着ける時間をくれよ」
「なに悠長なことを言っているのですか。時間などありません」
なにが言いたいんだ? コイツ。
あらためてジョージを観察すれば、脇に何かを抱えていた。
それは、スカートに包まれたお尻。
ドレス姿の小柄な女性。
ケイト・イガラシさんだ。
どうやら酔っ払った挙句、爆睡してしまったらしい。
いやいや。
確かにケイトさんは、小柄で軽くて抱えやすいんだろうけどさ。
その、荷物みたいな持ち方はどうなの?
お姫様抱っことか、おぶったりとか、他のスタイルの方が良かったんじゃない?
「今すぐニーサを、追いかけろと言っているんですよ」
ケイトさんを抱えていない方の手で、ジョージはいつものように眼鏡のブリッジを押し上げた。
「は? なに言ってるんだ? 俺はたった今、振られたばかりだぞ? 再挑戦するにしても日を改めてからでないと、ただのしつこい男だろ?」
「おや? 僕は君のことを『ただのしつこい男』ではなく、『ものすごくしつこい男』だと認識していましたが?」
しばしの沈黙。
ラストダンスの曲と、ケイトさんの寝息だけが大きく聞こえる。
「ジョージ。もし……さ。俺がニーサからストーカーとして訴えられたら、擁護してくれるかい?」
「『前から危険な男だと思っていた』と、証言するに決まってるでしょう。しつこくても、訴えられないように攻めなさい」
なんという理不尽!
――でも、いつだってそうなんだよな。
俺達レーシングドライバーに求められるのは、
「むちゃくちゃ速く走れ」
「でも、絶対事故るな。車は壊すな」
という矛盾した要素。
それが、男女間の恋愛に置き換わっただけだ。
「分かったよ、ジョージ。俺はニーサを追いかける。ケイトさんのことは、頼んだぞ。……それとその抱え方、変えた方が良くない? 目が覚めたら、ケイトさん相当恥ずかしいと思うよ?」
「社交の場で無茶なお酒の飲み方をした挙句、ダンスではしゃいで酔い潰れてしまうダメ大人にはちょうど良い罰です」
――こりゃジョージの奴、俺だけじゃなくてケイトさんにもおこだな。
「……出るよ!」
空いてる手をクルクルと振って、「行け!」と合図するジョージ。
俺はパーティー会場という名のピットから飛び出して、遥か前方の逃げるライバル――ニーサ・シルヴィアを追いかけ始めた。
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12月。
このエクスヤパーナ精霊国ユグドラシル島は、北半球にあるから季節は冬だ。
マリーノ国より赤道近くなんで、少しは温かい。
それでも、マリーノの秋ぐらいには肌寒かった。
俺はニーサを探しに「ホテル・ローラ」から出て、星空の下を歩いていた。
彼女は、ホテルの自室には戻っていない。
なんの根拠もなく、そう確信していた。
そして今も根拠なく、俺はある場所へと向かっている。
そこにニーサ・シルヴィアが、いるような気がしたから――
「やっぱりここにいたか、ニーサ……」
辿り着いたのは、ライトアップされた世界樹ユグドラシルの麓。
ニーサはイブニングドレス姿のまま、巨大な根に腰を下ろし膝を抱えていた。
「ランドール……。どうしてここが……?」
「なんとなく……かな? そういうニーサは、なんでここに来たんだ?」
「そうだな……。私もなんとなく……かな?」
力なく笑って、彼女は世界樹正面を走る道路へと視線を向けた。
ユグドラシル24時間で使用される、「サンサーラストレート」。
ちょうど俺達の真下を、そのサンサーラストレートのトンネルが通っているんだ。
今は公道へと戻されていて、一般車両の姿がまばらに見えた。
道路への落下防止用金網の向こうから、ヘッドライトが俺とニーサを照らしている。
「その……すまなかったな。あんな風に、ダンスを断って……。恥をかかせてしまった」
「なに言ってるんだ? 女性はダンスをお断りする、権利があるもんだろ? しかもラストダンスだったわけだし、そう気軽に受けられるもんじゃない。こっちこそ、いきなり申し込んで悪かったよ」
「本当のことを言うとね……嬉しかった。私、嬉しかったの。あなたから、ラストダンスを申し込まれて……」
突然変わった口調と台詞の内容に、心臓が跳ねた。
だけど、続く言葉は――
「それでも……ダメ。私はあなたと、恋人同士にはなれない」




