ターン179 おかしなレース
樹神暦2642年12月27日
世界耐久選手権 最終戦
エクスヤパーナ精霊国
ユグドラシル24時間
フリー練習走行
閉鎖されてサーキットと化した海沿いの幹線道路を、俺と〈レオナ〉は走り抜けていた。
コントロールラインを通過し、新しい周回に入る。
GT-YDマシンの前窓は、情報を光の文字で映し出すヘッドアップディスプレイ。
窓の隅に0分00秒とカウンターが表示され、この周回のタイムが計測開始される。
今日はまだフリー練習走行だっていうのに、幹線道路横に設置されたグランドスタンドにはお客さんがいっぱいだ。
練習走行から決勝にかけて、レース期間中トータルで200万人以上の観客がこの島を訪れるらしいからな。
スタンドの最下段、最前列よりさらに前。
手すりギリギリの位置に立って、大きな旗を振っている人達がいる。
各自動車メーカーや、レーシングチームの応援団だ。
ウチの旗は――あった!
白地に青い不死鳥。
シャーラ社のエンブレム。
それだけじゃなく、〈レオナ〉の旗もあった。
翼を持つ猫の大旗が、力強く振られている。
こんな遠い異国の地でも、自社を応援してくれる人がいるというのは心強い。
直角の右曲がりになっている1コーナーに向けて、俺はブレーキングを開始。
シフトダウンしていく。
7速――
6速――
5速――
4速――
3速で曲がり始める。
ここからコースは、ビル街に突入だ。
コンクリートとガラスでできた森の中に、〈レオナ〉の嘶きが反響する。
元が公道だけあって、あんまり複雑なコーナーは存在しない。
交差点を使用した、シンプルな直角ターンの連続だ。
けれども公道コースだから道幅が狭く、路面は悪いし見通しも悪い。
アウト・イン・アウト。
あるいは次のコーナーへの切り返しに備えたアウト・イン・センターの走行ラインで、狭い道幅をなるべく大きく使いスピードを稼ぎ出す。
外側に寄る時も内側に寄る時も、壁ギリギリまで車体を近づけてゆく。
GT-YDマシンは、全幅2150mmの超幅広ボディだ。
扱いには、鋭い車両感覚が要求される。
今ので、壁との間隔は2cmだな。
予選タイムアタックに入ったら、5mmぐらいまで攻めたいところ。
かといって、あんまりギリギリまで攻めるのも危険だ。
なんせ普段は公道なもんだから、路面には制限速度や通行帯、中央線が描かれている。
こいつを踏んづけるとタイヤがズルっと滑るから、壁に寄せるつもりがそのままヒット――なんてことにもなりかねない。
路面の道路標示には、制限速度が60km/hと書かれていた。
俺も他のマシンもその数倍の速度で走っていることに、なんともいえない奇妙さを感じる。
道路標示はそのままだったけど、頭上の道路標識は普段と変わっていた。
金属板に書かれているタイプじゃなくてLEDランプ式だから、内容を変化させられるんだ。
『制限速度 ∞』
なんともジョークが効いていらっしゃる。
ビルの谷間を駆け抜け、俺と〈レオナ〉はスロープへと突入した。
ここからは高速道路。
普通の道路より1段高く建設されている、ハイウェイを走行する。
料金所はない。
ブースが移動式になっていて、レース期間中は危ないから撤去されるんだ。
スロープを上り切りインターチェンジから高速道路本線へと入る瞬間、後方モニターの中で火花が散った。
どうしても路面の継ぎ目とかで、マシンの腹を少し擦ってしまう。
ハイウェイ区間は、高速コーナーの連続だ。
緩く、大きく弧を描きながら、高層ビルの合間を縫うように道が走っている。
カーブが緩ければ、曲がるのが楽だなんてことはない。
その分みんな速いスピードで曲がるんだから、自分も頑張って速く曲がらないと勝負にならないんだ。
怖いし、タイヤもすり減るし、遠心力もかかって体がキツいし、神経も使う。
緩いカーブの連続が終わり、道路が真っすぐになる。
同時に高層ビルが、見えなくなった。
ここから高速道路は市街地を逸れ、山へ向かって伸びている。
1.5kmという、そこそこ長い直線区間だ。
オーバーテイクシステム&ドラッグ・リダクション・システムON!
道の両脇にある道路照明が、気色悪い勢いで後方へと消し飛んでいく。
うーむ。
さすがは1500馬力を解放する、オーバーテイクシステム。
俺が初めてGT-YDマシンのスペックを聞いた時、
「1500馬力って、当然モーターの出力を合わせての話だよな?」
って思った。
ところがよくよく聞いてみれば、ガソリンエンジンだけでの話というじゃないか。
電動モーターの出力を合わせたら、2000馬力近い数値になってしまう。
地球のハイブリッドレーシングカーはエンジンとモーター合わせて1000馬力とか謳ってたから、そっち基準で考えてたぜ。
1.5kmの直線は、一瞬で終わってしまった。
休憩する暇もない。
ハードにブレーキングをしながら、連続してシフトダウン。
8速から2速へ。
インターチェンジから高速道路を下り、山間部を抜ける峠道区間に突入だ。
うわ~。
ビル街区間より、さらに狭いな~。
この区間で追い越しは、骨が折れるぞ?
周回遅れに引っかかったら、どうすんべ?
おまけに、つづら折れのヘアピンコーナーが連続だ。
こんなに道幅狭い上に、急に曲がってるなんて――
ハンドル切れ角が浅いレーシングカーで、本当に曲がり切れるのか?
この雰囲気は、母国マリーノにあったノヴァエランドサーキットを思い出す。
向こうは「峠道っぽいサーキット」だったけど、ここは「峠道をむりやりサーキットにしてます」って感じ。
なので危険度は、もっと上だ。
路面舗装はさらに荒れてるし、道路断面形状は水はけを重視してカマボコ型になってるし、レーシングカーが走りやすいようにはできていない。
ただここでは、GT-YDマシンならではの4輪駆動システムが真価を発揮してくれる。
荒い路面でも4つのタイヤが確実に大地を蹴りつけ、車体を前へ前へと進めることができた。
平均速度が高い常設サーキットでは、走行風の力でがっちり路面に押し付けられるから2輪駆動でもあまり困らない。
ところがこういう速度が落ちるところだと空力に頼れなくなっちゃうから、4駆が非常にありがたい。
峠道や未舗装路を走るラリーカーに、4WDが採用される理由がよく分かったぜ。
そんな4駆の恩恵を受けて、俺と〈レオナ〉は山を駆け上がって行く。
高低差300mを、数十秒でスピード登山だ。
峠道区間は、ヘアピンを超低速で曲がってからの急加速が多い。
こりゃ、マシンの駆動系に負担がかかるぞ?
山を登り切れば、次は下り。
ジェットコースターなんて表現は生易しいほどに、奈落の底へ向けて急降下だ。
これまた下りも急なヘアピンが多いもんだから、ブレーキが熱を持ちやすい。
上手く、冷やしながら走らないとな。
峠道を下り切り、俺と〈レオナ〉は平地区間へと突入。
道幅が一気に広がって、ホッとする。
大きな右ターンを曲がり終えると、天を貫く巨大な影が見えた。
――世界樹ユグドラシル。
大樹に真っすぐ突っ込む進路で、俺と〈レオナ〉は加速してゆく。
距離6kmの長い長い直線、「サンサーラストレート」。
あまりに走行速度が速すぎるため、「いっぺん死んで、生まれ変わる」なんて言い伝えられている区間だ。
そんな風に、言われる理由も分かる。
オーバーテイクシステムとDRSを作動させて走っていると、生きている感覚が希薄になってしまうんだ。
魂がマシンとともに、この世から引き剥がされてゆく感じ。
精神衛生上よろしくないので、スピードメーターは見たくない。
でも、ついチラッと見ちゃう。
うへぇ、440km/hオーバー。
やっぱり、見なきゃ良かった。
遠くに見えていたユグドラシルは、あっという間に眼前まで迫ってきていた。
そのまま幹に突撃――なんてことは、もちろんない。
「サンサーラストレート」は角度を変え、巨木の根元へ向かう。
そして根よりさらに下、ユグドラシルの真下を通過するトンネルに俺と〈レオナ〉は飛び込んだ。
とんでもない速度の物体が飛び込んだせいで、トンネル内の空気が激しく鳴動した。
マシンの運転席内からでも、ハッキリとそれが分かる。
トンネル内を照らす照明はあまりに速く流れ過ぎて、光点というより光線みたいだ。
ついさっきトンネルに入ったと思ったのに、あっという間に外へ出てしまう。
確かユグドラシルは、幹の直径が2kmだって聞いた。
その距離を、一瞬で潜り抜けたのか。
――ホント、気色悪い!
だけど、気色悪がっている暇もない。
最終コーナーの直角ターン、「リヴァイアサンベンド」が迫ってきている。
450Km/hから、フルブレーキングだ。
ブレーキペダルに触れた瞬間、DRSが自動解除されて〈レオナ〉はハイダウンフォースモードに変形する。
速度を出すためにやり過ごしていた走行風を今度は引っ掴み、味方にして車体を強く路面に押し付けた。
同時に莫大な空気抵抗がかかり、エアブレーキとしてマシンを一気に減速させる。
そこへカーボンとホロウメタルの複合素材でできたブレーキローターの力もプラスされて、とてつもないストッピングパワーを生み出す。
以前乗ってたGTフリークスマシンは350km/hからのフルブレーキングをする時、交通事故級の強烈な減速Gがかかっていた。
GT-YDマシンのフルブレーキングは、そんなもんじゃない。
戦車砲の直撃を、食らったかのような衝撃だ。
戦車から撃たれた経験はないから、本当のところはどうなんだか分からないけど。
「ぐ……ぎぎ……」
体に食い込む6点式シートベルトの締め付けと、内臓を直に蹴飛ばされたような減速G。
俺はそれに耐え抜いて、ようやく「リヴァイアサンベンド」を曲がり切れる速度まで減速できた。
ここでブレーキングをミスしたり、タイヤやブレーキのトラブルで止まり切れなかったら大変だな。
一応は真っすぐ突っ込んでも大丈夫なように、「リヴァイアサンベンド」の正面はコンクリートウォールじゃなくて緩衝材になっている。
その奥も、退避所があった。
それでもマシンは、大きなダメージを負ってしまうだろうな。
「レース中、お世話になりませんように」
そうクラッシュパッド君に祈りながら、俺は〈レオナ〉の鼻先を右へと向ける。
最終コーナーを立ち上がり、再び加速。
海沿いの幹線道路に、戻ってきた。
短めのストレートを駆け、コントロールラインを通過。
タイムは――
5分14秒787。
「1周5分以上かかるとは、なんて長いコースなんだ!」
と、考えるべきか?
それとも
「1周25kmもあるコースを5分ちょっとで走り切るとは、なんて速いマシンなんだ!」
と、考えるべきなのか?
『よう、ランディ。ユグドラシル島を、攻め込んでみた感想はどうだ?』
無線越しに、ヴァイさんの楽し気な声が届く。
感想はどうだって?
この危険極まりないレイアウトで、クソ長いコース。
それを5分ちょっとで走り抜けてしまう、お化けマシン。
そのコースとマシンの組み合わせで、24時間走り続ける――
「頭おかしいレースですね」
俺は率直な感想を返した。




