ターン176 星の海のパラディン
樹神暦2642年11月
世界耐久選手権 第9戦
マリーノ国
ドリームシアター10時間
母国凱旋レースだ。
戦いの舞台となるのは、お馴染みドリームシアター。
立体映像装置で、幻想の世界に連れて行ってくれる。
今回も大空に浮かぶ浮遊大陸と、空を飛び交う飛竜の群れを拝みながらレースするのかと思いきや――
「まさか宇宙に来て、レースすることになるとは思わなかったよ」
『本物の宇宙やないで』
無線からケイトさんの突っ込みが入らなければ、本当にそう錯覚してしまう。
今回サーキットの背景として映し出されている立体映像は、広大な星の海と暗黒の宇宙空間だ。
土星のような、リングをもった巨大惑星も見える。
俺と〈レオナ〉は、その宇宙空間に配置されたサーキットのアスファルト上を走り抜けていた。
もちろんただの映像だから、実際には空気も重力もある。
コースレイアウトだって、GTフリークスで散々走ったいつものやつだ。
だけど景色が変わると、全然別のサーキットに感じるもんだな。
変なことに感心しながら、俺は高速コーナーの「オー・ルージュ」へと飛び込む。
下り坂から急激な上り坂へと変化した際の衝撃で、体中がギシリと軋んだ。
そのまま壁みたいな上り坂を、火花を散らしつつ駆け上がる。
上り坂の頂上付近は、以前も空しか見えなくて気持ち悪かった。
今回は星と暗闇しか見えなくて、さらに気持ち悪い。
俺は恐怖と不快感を押さえ込みつつS字コーナーを切り返し、メインストレートの「アナザー・ケメル」へと入った。
グランドスタンドには、シャーラとレイヴンの大応援団が陣取っている。
両社にとって、母国レースだからな。
いつもより、応援団の規模がデカい。
この人達の前で、無様な走りを見せるわけにはいかないな。
俺はオーバーテイクシステムと、ドラッグ・リダクション・システムをオンにした。
シャーラ社のファン、〈レオナ〉のファン、ロータリーエンジンのファン達よ、4ローター1500馬力の咆哮を聴け!
大気の壁を食い破る、光の精霊。
〈レオナ〉は白き流星となって煌めき、星空を飛翔する。
俺はすぐ前を走る〈ライオット〉GT-YDの陰に入り、空気抵抗を減らした。
DRSで空気抵抗を減らしていても、ゼロになるわけじゃない。
前走車を風よけに使うスリップストリームは、やっぱり有効だ。
750mしかない直線で350km/hまで加速し、俺と〈レオナ〉は〈ライオット〉の横に並びかける。
走っている〈レオナ〉の運転席内からでも、観客席が大いに湧いているのが感じ取れた。
2台横並びのまま、ハードにブレーキング。
DRSが解除されてハイダウンフォースモードに戻った瞬間、マシンは大気の壁に激突。
大砲みたいな轟音を上げた。
さらにカーボンとホロウメタルの複合素材でできたブレーキローターが、莫大な運動エネルギーを超高熱へと変換。
速度を叩き落とす。
隣に並んでいる、〈ライオット〉のブレーキローターが真っ赤だ。
多分うちの〈レオナ〉も、同じようにブレーキローターが赤熱してるんだろう。
1コーナーへの飛び込みで完全に横に並ばれた〈ライオット〉は、大人しく俺に順位を譲り渡した。
――これで4位!
『ランドール! やるではないか! 17秒前方に、3位の〈イザベル〉がいる。どうせなら、そいつまでブチ抜け』
「ニーサ! ずいぶん気軽に言ってくれるな。レース終了まで、残り20分しかないんだぞ?」
『私なら……やる!』
言い切られて、俺もそれが実現可能なプランか考えてみる。
1周1秒以上、詰めないといけない計算だ。
タイヤに余力は――ある。
ウチの〈レオナ〉は、タイヤにとって優しい――つまりは長持ちする足をしているんだ。
燃料は――もつ。
オーバーテイクシステムを多用しても、ギリギリ大丈夫だろう。
今回のレースからパワフルな新型エンジンが投入されて、速さも他所のマシンと遜色ない。
「ヴァイ監督は、なんて言ってる?」
『自信があるなら、追いかけても構わんそうだ』
ふーむ。
今から表彰台を狙って猛プッシュするのは、リスクが伴う。
ここまできて、車を壊すとか勘弁だぞ?
次戦は最終戦、「ユグドラシル24時間」なんだからな。
大事故でもやらかしたら、修復が間に合わなくて大変だ。
できれば監督に判断を丸投げしたいところなのに、ドライバーに意見を求めるとはね。
「……そうだ、ニーサ。表彰台に乗れたら、なんかくれよ」
『はあ? なんで私が? チームオーナーのマリーさんかシャーラ本社に、ボーナスでも貰えないか交渉してみろ』
「いーや、ニーサが寄越せ。3位を狙えと焚きつけているのは、お前なんだからな」
『くっ……。なにを要求する気だ?』
「それは、ゴールしてからのお楽しみ。……一緒に登るぞ! 表彰台に!」
俺は走りを切り替えた。
4位を守り通し、無事に20分後のチェッカーフラッグを受けるための走りから、リスクを背負ってでも3位表彰台を奪うための走りに。
まだ視界に入っていない〈イザベル〉に向けて、〈レオナ〉の4ローターエンジンが吠えた。
「表彰台を、明け渡せ」と。
4本の極太スリックタイヤで地面を蹴飛ばし、光の精霊は獰猛な加速を見せる。
先程追い抜いた〈ライオット〉は、いつの間にか後方モニターにも映らなくなっていた。
『なんてペースだ……。ランドール。貴様本当に、なにを要求するつもりなんだ? その鬼気迫る走り、ちょっと怖いぞ?』
俺はニーサの無線に、応えなかった。
全力でプッシュ中だから、そんな余裕が無かったというのもある。
もうひとつは俺がなにを要求するのかビビっているニーサを想像して、ニヤニヤしてしまっていたから。
ここは返答しないことによって、彼女の不安を煽るほうが楽しいだろう。
くっくっくっ――
ビビれビビれ。
それはもう、とんでもないものを要求してやるぞ。
ホームストレートの「アナザー・ケメル」に入り、俺はオーバーテイクシステムを作動させた。
星の海が、激しく流れる。
まるで、SF映画でワープする宇宙船みたいだ。
少しずつ、宇宙の彼方に赤い光が見え始めた。
あれは3位を走る、マーティン・フリードマン〈イザベル〉のテールランプ。
さあ、もう逃がさないぜ?
覚悟はいいか?
俺はアクセルペダルを踏む右足に、力を込めた。
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世界耐久選手権 第9戦
ドリームシアター10時間
55号車 〈シャーラ・BRRレオナ〉
ランドール・クロウリィ/ニーサ・シルヴィア/ポール・トゥーヴィー組
決勝3位
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世界最高峰カテゴリーの表彰式というものは、言葉で言い表すのが難しいぐらい気持ちのいいものだった。
GTフリークス時代よりさらに大勢の観客が見守ってくれていて、世界中から祝福されているんだなと実感できる。
表彰台の上も、賑やかだ。
ドライバーは3人1組だから、9人も一緒に登っている。
これだけ一緒に表彰される人数が多いと、大勢から見られる緊張も和らぐぜ。
観客の視線は俺よりも、隣でバタバタとハシャいでいるポール・トゥーヴィーに集まっているしな。
逆隣りではニーサが、嬉しさ半分緊張半分といった感じで表情を引きつらせていた。
いつもは人前でも、威風堂々としている奴なのに。
普段は俺が、こんな表情で表彰台に立っているんだろうな。
ニーサがこんな風になってしまっているのは、俺の要求する表彰台ボーナスがどんなものかあれこれ想像してビクビクしているんだろう。
「ああ、素晴らしい! 無慈悲なほどに暗い漆黒の宇宙を斬り裂いて飛ぶ姿は、まるで英雄譚に謳われる星の海の聖騎士! 光の精霊を従えし英雄達の凱旋に、古の時代に封印されし私の魂が疼く!」
表彰式を終えてピットに戻ってきた俺達を迎えてくれたのは、ニーサのお母さんのヴァリエッタ・シルヴィアさんだった。
今日は応援に、駆けつけてくれたんだ。
相変わらずの中二病っぷりで、なにを言ってるんだかあんまり分からない。
要約すると「かっこよかった」とか、「走り屋時代の血が騒いだ」とかそんなところだろう。
顔を覆った指の隙間から瞳を覗かせつつ、立つのがキツそうな奇妙なポーズで称賛してくるヴァリエッタさん。
そんな母親に、娘のニーサはげんなりだ。
WEM初表彰台の喜びなんて、一瞬で吹っ飛んでしまったみたいだな。
「ん? ヴァリエッタさん、旦那さんは? ガゼールさんは、来てないんですか?」
「ああ。ニーサが1500馬力のモンスターに乗るところなど、怖くて生で観るのは無理だと言い出してな。家で布団を被って震えながら、テレビ中継を観ている」
そこまで怖いのに、中継は観ちゃうんだ。
あのオッサン、レース自体は大好きだからな。
娘が速いマシンに乗るのが、怖くて仕方ないだけで。
ニーサがGTフリークスに乗ってた頃、ルドルフィーネ・シェンカーの大事故があった直後なんか半狂乱になったと聞いた。
泣きながらニーサに、GTフリークスドライバーを辞めてくれと訴えたらしい。
その訴えがあまりに必死だったから、ニーサは家出を中断して実家に戻る選択をしたんだそうな。
GTフリークスを降りない代わりに、家族の傍にいると――
大事な大事な娘が現在乗り回しているのは、GTフリークスマシンよりずっと速いGT-YDマシンだもんね。
繊細なガゼールさんの心臓は、もつのか?
「ランディ君。そういえば今日、クロウリィ夫妻は来ていないのだな。君にとっても母国戦だし、てっきり観に来るものだと思っていた。わが友シャーロットと会えるのを、楽しみにしていたのだが……」
「本当は、来る予定だったんですけどね……。なんか今朝、母さんの体調が悪くなっちゃって……。念のため、病院で診てもらうそうです。父さんは、付き添いで。……なあ、そうだよな? ヴィオレッタ。……ヴィオレッタ?」
ニーサママのヴァリエッタさんと俺の妹ヴィオレッタが一緒にいると、名前が似ているからややこしい。
そんなことを思いながら、俺はヴィオレッタに呼びかけた。
――あれ?
ヴィオレッタは、どこに行った?
ピット内に視線を走らせても、ヴィオレッタの姿が見当たらない。
戸惑っていると、ヴァイ・アイバニーズ監督が俺を呼んだ。
「ランディ、ちょっと来い」
ヴァイさんはそう言いながら手招きし、俺をピットの隅っこへと誘導する。
なんだろう?
3位表彰台を獲得したのに、ちょっと怖い表情だ。
終盤の猛プッシュを、怒ってる?
「無茶すんなよ」とか、そういうお説教だろうか?
「ヴィオレッタお嬢ちゃんは、レース途中で家に帰した。お前も、すぐに帰れ」
ヴァイさんの押し殺した声に、表彰台獲得で熱くなっていた全身がスッと冷えるのを感じた。
「お前のお母さんが、倒れたそうだ」




