ターン172 とんでもないシンデレラボーイ
フェア・ウォーニ海上サーキットに、夕暮れが訪れていた。
事故処理が済み、レースは赤旗中断から無事に再開。
すでに、終盤へと差し掛かっている。
143周中、トップは138周を消化。
つまりは、残り5周でチェッカーフラッグ。
俺達シャーラ・ブルーレヴォリューションレーシングは現在、順位を24番手まで上げてきている。
正確には、上げてきたというか――
「また、1台潰れたで。428号車やな」
ピットの中、俺とケイトさんは2人でモニターを眺めている。
ちょうど画面には「ターコイズバレル」内でスローダウンし、コースの端っこを走行しているヴァイキー〈スティールトーメンター〉が映し出されていた。
海の色は相変わらず青いけど、水面から差し込む光はもう夕日の色。
銀のボディをオレンジ色に染めて惰性でヨロヨロと走る〈スティールトーメンター〉の姿は、なんとも哀愁を漂わせていた。
「ついに昨年の世界耐久選手権王者ヴァイキーにも、脱落するマシンが出始めたか」
「他所に比べたら、かなり頑丈な車やったけどな。ここも変速機大破やな」
俺達は自力で順位を上げてきたというより、ライバル達の相次ぐ脱落で自然と順位が上がっていた。
「ちょっと、パワー差があり過ぎると思ったんだよ。俺達の〈レオナ〉だって、例年のGT-YDマシンと比べたら充分パワフルなはずなのにさ。直線で、全然他の車についていけなかったから」
「どこのマシンも昨年と比べて、エンジンパワーが上がり過ぎや。パワーアップするのはええんやけど、それを受け止める駆動系の強化が足りとらんチームが多いみたいやな。やのにどこのチームも、あないに景気よくオーバーテイクシステムを使ってしもて……」
フリー練習走行、予選タイムアタックと他所のマシンを観察して、ケイトさんとヴァイ監督は判断を下した。
「こりゃ、他所は自滅するぞ」と。
そして本当に、自滅しまくった。
「最近は24時間レースでも、短距離みたいに走るのが定石だったからなぁ……。駆動系がもたないとか、思わなかったんだろうね」
「自動車メーカーチームやのに、見通しが甘いで。ま、3台体制……2軍チームまで入れたら6~9台体制のメーカーが多いから、『1~2台壊れても、他が勝てば』っちゅう目論見やったんやろな。それでマーティン・フリードマンとクワイエットは、1軍全滅したんやから笑えんで」
「笑えんで」とか言いながら、ケイトさんはニヤニヤしていた。
予想通りにレースが運んで嬉しいのは分かるけど、他チームの脱落を喜んでいるところがテレビカメラとかに映るとヒンシュクを買いそうだ。
それに――
「うーん。ここまで追い上げてきただけに、惜しいな。あと3つ、順位が上がれば……」
さっき428号車が脱落したから、今の俺達は23位。
この世界耐久選手権では、20位からが入賞だ。
20位に滑り込めれば、年間ランキングポイントを2ポイント獲得できる。
このカテゴリーでは完走するだけでも1ポイントもらえるんだけど、2倍の差は大きい。
「さすがに、あと5周じゃなぁ……。ポールがいくら頑張っても、無理があるだろう」
いま〈レオナ〉のハンドルを握っているのは、小鬼族のポール・トゥーヴィー。
幸いなことにアンジェラさんからミイラにされた後遺症も残っておらず、なかなか順調な走りを見せてはいる。
とはいうものの、残り5周で3台抜けっていうのは無理ゲーだ。
現在20位を走っているマシンまで、6秒差か。
こんな時、爆発的な速さを見せるルディならあるいは――
「おい、ランディ。お前いま、ルディお嬢ちゃんならとか考えてただろう?」
背後から、ヴァイ・アイバニーズ監督に小突かれた。
うっ、バレてる。
さすがにポールに悪いから口には出さなかったんだけど、まさか具体的な思考まで読まれるとはね。
「確かにあのバリバリ短距離選手なエルフのお嬢ちゃんなら、追いつく可能性はあったかもな。でもよ……」
ヴァイさんは一旦言葉を切って、犬歯を剥き出したいつものワイルドスマイルを見せる。
自信に満ち溢れたこの表情を見ると、なんだって一緒に成し遂げられそうな気分になるんだよな。
「お前はポールの奴を、舐めすぎだ。ルディお嬢ちゃんが出場できないって分かった時、オレはポール・トゥーヴィーを強く推した。あいつの凄え力が、このチームには必要になると思ってな」
「ポールの……凄い力?」
「そうだよ。お前、スーパーカート時代もGTフリークスでも一緒に組んでただろう? 気付いてねえのか?」
なんだろ?
確かに遅くはないし、プロドライバーとしてまあまあのテクニックは持っていると思うけど――
「チームのムードメーカーなところですか?」
「それも、大いに助かることだけどよ……。そういう人格的なところじゃなくて、レーシングドライバーとしての能力だな」
「ダメだ、分かりません。こう言ったら本人は怒るかもしれないけど、『いつも運がいいな』ってことぐらいしか」
「それだよ」
意外過ぎる答えに、俺はちょっと言葉を失ってしまった。
「ええっ!? 運!? 運の良さで、ドライバーに推薦したんですか!?」
「なに驚いてるんだよ? レースで勝つには、運も重要だろ?」
た――確かにそうだと思うけど。
「よーく思い出してみろ、あいつのレース経歴を」
えっと――
ジュニアカート時代はマリーさんから才能を見出されて、「シルバードリル」のドライバーになったんだよな?
ちゃっかり、モア連合統一戦にも出てた。
それからスーパーカート時代。
俺と組んでた年は出れなかったけど、翌年に世界一決定戦のパラダイスシティGPで優勝している。
あの年は前年勝者のニーサが、レイヴン社の偉い人をぶん殴ってスーパーカートを辞めていた。
おかげでポールは、パラダイスシティGP出場条件ギリギリの国内ランキング4位を獲得。
そのまま優勝も、かっさらえたんだっけ?
そして、GTフリークス時代。
ああっ!
よく考えたらアイツ、とんでもないことやってないか!?
デビューウィンだ!
トップカテゴリーで新人が初陣でそのまま優勝するって、どえらいことだぞ?
しかもルディの代役で、いきなり出場したレースでだぞ?
GTフリークス界全体がルディの事故を引きずってたから、あんまり注目されなかったけど。
翌年も俺と組んで年間ランキング2位を獲得し、さらにその翌年にはクリス・マルムスティーン君と組んで王者にも輝いている。
なんてこった――
ポール・トゥーヴィーは――とんでもないシンデレラボーイだ!
「確かに……アイツは強運過ぎる!」
「まあオレの見立てでは、ただ運がいいってだけじゃねえんだけどな。あいつは状況判断力と、危険察知力が高ぇんだ。だから他の奴らが潰れるレースでも生き残り、いい結果をかっさらう。傍から見りゃ、棚ぼた勝利が多いだけに見えるだろうよ」
ヴァイさんは、モニターへと視線を移した。
ちょうど俺達の55号車、ポールがドライブ中の〈レオナ〉GT-YDが映し出されている。
「前窓が……綺麗だ……」
その事実に、俺は愕然とした。
もうレースは終盤。
どこのチームも最後のドライバーに交代してから、かなり長い時間を走行している。
最後のピットイン時に窓を綺麗にしていても、またカモメの糞まみれになってしまっているマシンがほとんどだ。
なのにポールが乗る〈レオナ〉には、カモメの糞が付いていない。
「意図的に避けてんのか、運よく付いていないのか分かんねえけどよ。あれは凄くねえか?」
ヴァイさんの意見には、頷くしかない。
もちろんポールのマシンにも、多少はオイルや埃なんかが付着している。
だけど他所に比べたら、段違いで視界がいいはずだ。
その時、カメラが切り替わる。
ポールの前方で20位争いをやっている3台の姿が、モニターに映った。
おおっ!
最終コーナー130Rで、3台横並びだと!?
あそこは300km/hオーバーで突っ込む超高速コーナーで、針の穴を通すような精度のドライビングが要求される。
そこに、3台横並びで突入するとはね。
さすがは世界最高峰カテゴリー、WEMのドライバー達。
ぶつかりそうでぶつからない、ギリギリの超接近戦を演じて――
その時、1番内側を走っていた〈シヴァ〉の前窓にカモメの糞が落ちた。
もちろん天下のWEMドライバーが、それぐらいで即事故ったりはしない。
だけど視線を遮られて、わずかに――
ほんのわずかにだけ、マシンの姿勢が乱れた。
そしてブレた〈シヴァ〉の車体が、隣を走っていたレイヴン〈イフリータ〉に接触する。
それだけではマシンが壊れたりしない、ちょっとした接触。
だけどタイヤが滑るか滑らないかのギリギリで走っていた〈イフリータ〉は、前輪が滑るアンダーステアを出してしまった。
コーナー外側に、膨らんでいく。
そして膨らんだ〈イフリータ〉に押されて、1番外側を走っていたヴァイキー〈スティールトーメンター〉が大きくスピンしながら内側に巻き込んで――
『ああああーっ!! なんということだーっ!! 最後の1周! チェッカーフラッグまであとわずかというところで、20位争いをしていた3台がまとめてクラッシュだー!!』
実況放送を聞いて、俺達シャーラ・BRRのピット内は静まり返ってしまった。
しばしの沈黙の後――
「えへ……えへえへ……」
なんだか壊れたような笑い声を、ケイトさんが漏らす。
ジョージは表情を変えないまま、脇の下でこっそりピースサインをした。
ヌコさんは口角を吊り上げて、頭上の猫耳をピクピク。
ニーサは無言で、小さくガッツポーズ。
ヴァイ監督は、お決まりの犬歯を剝きだした笑顔。
腕を組み、マリーさんは満足げに何度も頷く。
ヴィオレッタは、エルフレースクィーンのアキラさんと抱き合っていた。
アンジェラさんは――
あっ、なんか発情したような顔をしている。
カメラさん、彼女は歩く放送事故です。
写さないで。
そんなみんなの様子を見ても、俺は何もせずに黙っている。
まだまだ――
もう少し――
もっと溜めろ――
ポールが乗る〈レオナ〉が、コントロールラインを駆け抜けた。
チェッカーフラッグが振られる。
「いよっしゃああああっ!!」
溜めていたパワーを解放だ!
俺はピットの天井に届きそうなほど飛び上がり、喜びを爆発させた。
それにつられて、チームスタッフの皆も歓声を上げる。
――入賞だ!
俺達は世界最高峰のレースカテゴリー世界耐久選手権で、BRRというチームとしては初参戦にして初入賞。
シャーラという自動車メーカーとしては、38年ぶりの入賞を果たしたんだ!
これで喜ばなきゃ嘘だぜ!
俺は何度も何度も叫びながら、すれ違うスタッフと片っ端から抱き合う。
するとジョージが、何やら紙切れを持ってきた。
「ランディ……その……喜びに水を差すようで悪いんですが……。サーキット側から、こんなものが……」
歯切れの悪い口調で、ジョージは紙を差し出す。
それは、正式な書類だった。
「なんだコレ? 請求書? サーキットの修復費用として、150万モジャの支払いを……修復費用ってなんだ!? 俺はどこも、サーキットの設備を壊してなんか……まさか!?」
脳裏に浮かんだのは、海中トンネル「ターコイズバレル」での天井走り。
トンネルの壁や、天井は壊れなかった。
だけど透明なMKKクリスタル表面には、くっきりタイヤ痕が刻まれてしまっている。
「あれ、綺麗に落とすのは大変らしいですよ。なんせ壁だけじゃなく、天井にも残ってますから」
ジョージの言葉に、全身の力が抜けた。
ヘナヘナと、その場にへたり込んでしまう。
そ――そんな~。
結局「ターコイズバレル」の修復費用は、チームが支払ってくれた。
あのまま突っ込んでいたら、〈レオナ〉の修理費用が数千万モジャはかかっていたところだ。
それを回避したのは凄いと、称賛もされた。
だけど皆の笑顔にちょっぴり苦みが走っていたのは、気のせいじゃないだろうな。




