ターン171 オペレーション・シーカンバー
樹神暦2642年3月
世界耐久選手権 第1戦
フェア・ウォーニ1000km
決勝日
大きく、ゆっくり目に蛇行運転を繰り返して、俺は〈レオナ〉GT-YDのタイヤを温めてゆく。
今日は、あまり激しく車を揺さぶらない。
タイヤへの熱入れは、ほどほどに。
なんせレース距離1000km。
周回数にして、143周の長ーいレースだからな。
スタートダッシュを決めても、大したアドバンテージにはならない。
他のマシン達を見渡しても、激しく蛇行運転している車はごく少数だった。
世界最速のレーシングカー、GT-YDマシン。
それが62台もサーキットに解き放たれ、スタートに向けてフォーメーションラップを走る様は壮観だ。
ヴァイキー〈スティールトーメンター〉GT-YD。
ナイトウィザード〈シヴァ〉GT-YD。
レイヴン〈イフリータ〉GT-YD。
クワイエット〈ライオット〉GT-YD。
マーティン・フリードマン〈イザベル〉GT-YD。
今年、タカサキやヤマモトの企業チームは参戦していない。
だけど数年前のワークス〈サーベラス〉GT-YDや〈ベルアドネ〉GT-YDを買い取り、走らせてる個人参加チームもいる。
残念ながら、我らが〈レオナ〉GT-YDは1台のみの参戦だ。
『ランディ、気分はどうだ? 世界最高峰の舞台に立った気分はよ」
ヘルメット内のイヤホンから、ヴァイ・アイバニーズ監督のからかうような声が響く。
「思ったより、気楽にしてますよ。予選順位が順位なんで」
俺達55号車、〈シャーラ・BRRレオナ〉の予選順位は58位。
ほぼ最後尾近くだ。
追い上げるしかないから、気楽なんだよ。
『ビビってねえのは、いい傾向だ。作戦は分かってるな?』
「分かってます。『オペレーション・シーカンバー』……。時代に逆行した作戦ですよね」
と、そこへ割り込んでくる、可愛らしい西地域訛り。
『ランディく~ん。ウチの立てた作戦が、信用できひんの~?』
戦略担当でもある、ケイト・イガラシさんの声は不満げだ。
「まさか。ケイトさんの作戦を信じないぐらいなら、ポールの『俺っちに任せるっス』を信じる方がマシだよ」
俺も、理にかなった作戦だとは思う。
ただここ数年の世界耐久選手権の定石からは外れているから、聞いた時ちょっとビックリしただけで――
フォーメーションラップのマシン隊列は、海中トンネル「ターコイズバレル」へと入った。
わあ!
なんて綺麗な光景なんだ!
フリー練習走行や予選タイムアタックの時は全開で駆け抜けてたんで、景色を楽しんでいる暇なんかなかった。
今は150km/hぐらいでゆっくり流しているから、トンネル内の絶景を存分に堪能できる。
MKKクリスタル製の透明なトンネル外壁の外には、色鮮やかな熱帯魚の群れが見えた。
海を透過してブルーに染まった陽光が、サーキットの路面を照らす。
揺れる海面の煌めきが路面とマシンに反射していて、自分も〈レオナ〉も熱帯魚になったような気分。
時速400kmで泳ぐ熱帯魚なんて、存在しないけどね!
熱帯魚と同じぐらい色鮮やかで、熱帯魚とは比べ物にならない危険なモンスターマシン達は、スピードを落として隊列を整え始めた。
前窓に、レース運営側からの情報が表示されている。
『この周で先導車がいなくなり、レースがスタートするぞ』
――と。
いよいよだ。
海底トンネルを抜け、最終コーナー130Rに差し掛かる。
すでに隊列の先頭は、加速を始めていた。
世界耐久選手権も一般的な耐久レースの例に漏れず、隊列を組んだ走行状態からそのままスタートを切るローリングスタート方式だ。
俺も周囲の車に合わせ、加速を開始。
アクセルを大きく開けると同時に、景色がブレる。
レーシングスピード――
非日常の世界よ、俺はまた戻ってきたぜ。
数十万人の観客が上げる大歓声をかき消して、〈レオナ〉GT-YDの心臓4ローターエンジンは歓喜の咆哮を上げた。
――が。
「くっそ~! 相変わらずコース前半は、窮屈でストレス溜まるぜ」
フェア・ウォーニ海上サーキットの第1区間、第2区間は、きつく曲がりくねった低速区間。
おまけにスタート直後でマシンが密集しているから、思うような走行ラインが取れなくてますます窮屈だ。
アクセル全開による歓喜の咆哮は、すぐにアクセル半開や一定速度の不満げな唸り声へと変化した。
〈レオナ〉さんや、我慢させてすまんのう。
俺はやっとの思いで低速区間を脱出し、高速区間の「ターコイズバレル」へ。
眼前に伸びる、2.5kmのロングストレート。
すぐ前を走る個人参加チームの〈サーベラス〉GT-YDが、オーバーテイクシステムとドラッグ・リダクション・システムを作動させた。
400km/hの世界へ向けて、加速を始める。
俺もそれに続き、オーバーテイクシステムのボタンを――
――押さない。
DRSのみ作動させて、空気抵抗を減らす。
それだけだ。
警告音とともに、後方モニターにマーカーが表示される。
後方からオーバーテイクシステムを作動させた車が、抜きに来ているぞという警告だ。
〈ベルアドネ〉GT-YD。
これも数年前のヤマモト企業チームマシンで、今は個人参加チームが走らせていた。
古いマシンとはいっても、オーバーテイクシステムを作動させている。
最新型でもシステムを作動させていない〈レオナ〉を、抜き去るのは簡単だ。
〈サーベラス〉も〈ベルアドネ〉も、みるみる小さくなっていく。
それでも俺は、オーバーテイクシステムの作動ボタンを押さない。
他のチームが海中を優雅に泳ぎ回る熱帯魚なら、ウチのチームは海底をゆっくり這うなまこだ。
これぞ「オペレーション・なまこ」。
『ランディ君、ただのんびり走るんやないで? 極力燃費を浮かせて、タイヤを労わるんや』
「了解。分かっているよ、ケイトさん」
テキトーに走ったら、ケイトさんにはモロバレだ。
なんせテレメトリーシステムで、マシンのデータは常にピットへと送信されているんだからな。
俺達の取った作戦は、マシンを労わってゆっくり走るというもの。
童話「ウサギとカメ」のカメスタイル。
ここ最近の耐久レースでは、見られなくなってきた戦い方だ。
近年のレーシングカーは耐久性が恐ろしく高くなっていて、ガンガン走ってもレース終了まで壊れないマシンが増えた。
24時間レースでも最初っから最後まで、短距離レースみたいに全開で走り続けるのが最近の定石だ。
それなのに俺達は、ペースを落としてマシンを労わりながら走るという選択肢を取った。
もちろん、根拠あっての選択だけど。
俺と〈レオナ〉は、淡々と周回を重ねてゆく。
コーナーではなるべく丁寧に曲がって、タイヤへの負担を減らす。
直線では前走車を風よけに使うスリップストリームで、燃料とエンジン耐久力の両方を温存する。
直線終わりではいつもより早めにアクセルを戻すリフト&コーストで燃費を稼ぎ、その代わりブレーキを奥まで我慢してタイムの落ち幅を最小限に抑える。
ふう――
こういう走り方は得意とはいえ、なかなか神経を使うぞ。
ヘルメットの中で溜息をついた時、フロントウィンドウ隅にチカチカと青い警告が表示された。
――青旗。
周回遅れは道を譲りなさいという、競技上の指示だ。
通常はコース脇にあるコーナーポストって場所から、コース係員さんが青い旗を振ったりブルーのLEDボードを点滅させてドライバーに知らせる。
この世界のハイテクマシンではそれに加えて、直接マシンの前窓にも表示されたりする。
「マジかよ? もう周回遅れ? まだ、スタートして10周目だぞ?」
「ターコイズバレル」を通過中、後方から迫ってきたのはトップ争いをしている3台のマシン。
これを妨害するとペナルティを食らうので、すんなり抜かせてやる。
最初に抜いて行ったのは、〈シヴァ〉GT-YD。
さすがはユグドラシル24時間最多勝を誇る、ナイトウィザード社のマシン。
7ℓV12エンジンの美しい音色を響かせて、あっさりパスしていく。
それを追うのは、マーティン・フリードマン社の〈イザベル〉GT-YD。
同社のラリーで活躍するフラッグシップが〈エリザベス・ジェノサイダー〉なら、サーキットでのフラッグシップが〈イザベル〉。
5ℓV8ツインターボエンジンの重低音を轟かせ、俺を追い抜いてゆく。
スポンサー企業である医療機器メーカー、「聖なる魔女」のロゴを見せつけながら。
間髪入れず、荒々しいOHVエンジンの排気音がトンネル内に反響した。
やたらと鼻先が長い車が、後方から迫ってくる。
クワイエット社の〈ライオット〉GT-YDだ。
8.6ℓの巨大エンジンは、生み出すパワーも絶大。
同じGT-YDマシンなのに、クラス違いみたいに軽々とブチ抜かれた。
他のマシン達も、次から次に俺と〈レオナ〉を抜いていく。
ブレイズ・ルーレイロの奴が乗る〈イフリータ〉85号車も、デイモン・オクレール閣下の乗る〈スティールトーメンター〉1号車も抜いていった。
ブレイズの奴はヴィオレッタとの一件があるから、素直に抜かせたくはなかったんだけどね。
ペナルティを食らっちゃたまらないんで、渋々と道を譲る。
くそ~!
悔しい!
『ランディ君、落ち着いてな。今は、生き残ることが大事やで』
「分かってるよ、ケイトさん。俺は絶対無事に、マシンを持ち帰ってみせ……」
ちょうど「ターコイズバレル」を走行中。
速度が300km/hを超えた辺りだった。
前方を密集状態で走っていたマシン同士が、接触したのが見えたんだ。
――ヤバい!
予想した通り、複数のマシンがコントロールを失った。
白煙を上げ、スピンモードへ突入する。
3、4、5……6台!
ダメだ!
とっ散らかった台数が、多過ぎる。
避けていく空間は無い!
ブレーキもダメだ!
止まり切れるほどの距離と速度じゃない!
スピンして、真横を向いてしまった〈シヴァ〉のドライバー。
その恐怖に満ちた視線が、こちらを向いていた。
このままじゃ俺は、運転席側のドアに突っ込む。
〈シヴァ〉のドライバーが、無事で済むとは思えない。
もちろん〈レオナ〉も、走行不能になる。
『最後まで走り切るのが大切なんだよ』
『生き残ることが大事やで』
ヴァイ監督とケイトさんの言葉が、脳裏に響き渡った。
――そうだ!
諦めるな!
生き残れ!
今は生き残り、走り続けるのが俺の――ドライバーの仕事。
――どんな手段を使ってでもだ!
「行くぞ! 〈レオナ〉!」
俺は左手の赤いボタン――今まで封印していた、オーバーテイクシステムの作動ボタンを押す。
そしてDRSを、解除した。
最高速度を重視した空気抵抗の少ないロードラッグモードから、走行風の力を使い強く車体を路面に押し付けるハイダウンフォースモードへ。
通常はオーバーテイクシステムをオンにしたのに、DRSをオフという運用はしない。
オーバーテイクシステムでフルパワーを発揮しても、空気抵抗の多いハイダウンフォースモードだと最高速が伸びないからだ。
でも今は、パワーとダウンフォースが両方同時に欲しい。
――生き残るために!
俺と〈レオナ〉が、駆け抜ける空間はない。
コース上には。
ならば、コース外を走るまで!
舞え!
光の精霊!
俺はステアリングを切り、〈レオナ〉をトンネルの壁に向かって走らせた。
幸いこのトンネルの形状は、滑らかな円筒状だ。
きっと、なんとかなる。
ドスンという、軽い衝撃。
コース外の透明なトンネル外壁を、タイヤが踏んづけた感触だ。
俺と〈レオナ〉は、壁を走っていた。
そのままの勢いで、トンネルの天井へ。
完全に、天地が逆さになる。
「うぉおおおおっ!! 気色悪いっ!!」
内臓がひっくり返り、吐きそうだ。
涙も滲んできた。
そのまま天井から、反対側の壁へ。
筒の中を螺旋状にグルリと1回転する、バレルロール軌道。
そうやって事故車達の集団をかわし、俺と〈レオナ〉は再びコース上へと戻ってきた。
「はあっ、はあっ……。生きてる? 俺?」
思わず自分に問いかける。
理論上はやれると思っていたけど、本当にできちゃうとはね。
〈レオナ〉GT-YDの車重は、750kgしかない。
それに対してダウンフォースで車体を路面に押さえつける力は、300km/hオーバー時で3t以上。
前世地球のF1とかも「速度が乗れば天井に張り付いて走れる」なんて言われてたけど、そんな危ないことを実践するバカはいなかった。
まさか自分が、実践するバカになるとは――
『ちょっとランディ君! なんちゅう真似をするん!? 〈レオナ〉はジェット戦闘機やないんやで!』
ケイトさんからの無線に、生きてることを実感した。
だけど彼女の声は、激おこだ。
「ああ、ごめんよケイトさん。あんな危ない真似、もうしないよ。……っていうかたぶん、できないし。もう1回やれって言われても、断固拒否する」
トンネル内での多重クラッシュのせいで、コース上は赤旗が出ていた。
マシンの前窓にも、レース運営から直接通達がきている。
意味はレース中断。
えー、赤旗かよ?
赤旗の時って決められた場所に整列して停まらないといけないから、ピットに戻って作業できないんだよな。
あとはニーサ・シルヴィアにバトンタッチして、俺はもう休みたいと思ってたのに――
ぐぬぬぬ。
聖なる魔女、イザベルが登場するお話はこちら
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