ターン164 この変態メイド、わざとやってるんじゃないだろうな?
樹神暦2641年。
11月に入った。
そろそろユグドラシル24時間と世界耐久選手権を統括する運営団体IGTAから、なんらかのアナウンスがないとおかしい。
果たして来年以降、俺達人間族は参戦できるのか?
企業チームだろうが個人参加チームだろうが、どのドライバーを乗せるのかもう決定しないといけない時期のはずだ。
それなのに人間族が参戦できるのかできないのか、お知らせがないというのは困りものだ。
3月にケイトさんがシャーラ上層部に上申してくれたおかげで、人間族のワークスドライバーを抱えている自動車メーカー数社が連合を組んでIGTAに反対意見を表明してくれていた。
ラウネスネット上でもこの人間族締め出し規則の制定に、反対する声は多い。
だけどIGTAのジェイク・インリン会長は、かなり強硬に規制を推し進めようとしている。
会長の種族は人間族。
しかも彼は、ユグドラシル24時間に何度も参戦した経験のある元レーシングドライバー。
なのになぜ、自分と同族の人間族達をユグドラシル24時間から追い出すような規則を定めようとしているのか?
その気持ちは、分からないでもない。
会長は去年の冬、事故で孫を失っている。
お孫さんも、レーシングドライバーだったそうだ。
弱冠17歳で、ツェペリレッド・ツーリングカー・マスターズのドライバーに抜擢された若き天才。
今シーズンに向けて、テスト走行中の事故だったらしい。
彼もまた、祖父と同じ人間族のレーシングドライバーだった。
だから会長は、こう考えているんだろう。
「速過ぎるマシンに体力が劣る人間族が乗ることで、同じ悲劇が繰り返されないように」
と――
でもな~。
それって亡くなったお孫さん、あの世で喜ばないと思うんだよな。
この問題に関しては、もうやるだけのことはやった。
後はIGTAの皆さんと世論に任せて、俺はレーシングドライバーとして職務を全うするだけだ。
今朝も日課のロードワークに出るために、実家の前で準備運動中。
ああ。
やっぱトレーニングするにも、実家が最高だ。
この南プリースト町の朝日と空気は、心を落ち着かせてくれる。
充分に体をほぐし、温め、さあ走り出すぞと1歩目を踏み出した時だった。
「あの……すみません」
おずおずとした口調で、女性の声が投げかけられた。
声のした方へ視線を向けると、石畳の歩道上に子供連れの女性が立っている。
「おはようございます。なにか御用ですか?」
ワークスドライバーは自動車メーカーの広告塔。
俺はアイドルばりの爽やかさを心がけつつ、親子らしきその人達に挨拶をした。
白い歯が朝日を反射して、光り輝いていたかもしれない。
「ランドール・クロウリィ選手……ですよね? レーシングドライバーの」
「はい、俺です」
なんだろう?
サインくれとか?
おかしいな?
シャーロット母さんに頼まれて数百枚サインを量産したから、ご近所さん全てに俺のサインは行き届いているはずなんだけど。
「……やめてくれませんか?」
非難のこもった、暗い声。
忌々し気な視線。
そして、彼女の表情に見え隠れするのは怒りだ。
「えっと……。やめろって、なにを?」
「あのふざけた動画を、すぐに消して下さい」
動画?
ラウネスネットで配信している身体能力アピールのチャレンジ動画以外、思い当たるものはないんだけど――
「チャレンジ動画の話ですか? あれは別に、ふざけてやっているわけじゃ……。俺達人間族でもやればできるってところを、世界中にアピールしたくって……」
「その結果が、これなんです!」
母親らしき女性は自分の体に隠れていた子供の肩を掴み、俺の前へと押し出した。
8歳ぐらいのその男の子は、どうやら俺と同じ人間族みたいだ。
右手にギプスをつけ、包帯で肩から吊っている。
骨折か?
この骨折は、ひょっとして――
「あなたが素手で瓦を割っている動画を見て、真似しようとしたんです。それで、手の骨を」
「それは……」
いやいや。
それって、俺の責任なのか?
そんなことを言い出したら、空手家の試し割り動画は全部取り下げないといけなくなるだろう。
「あなたの動画は、やり過ぎなんです。私達人間族の限界を超えたことをやっているのに、あなたは動画の中で何度も主張している。『人間族だって、やればできるんだ』と」
実際に喋っているのは、妹のヴィオレッタなんだけど。
そりゃ人間族の身体能力をアピールする動画なんだから、そういうこと言って当然だ。
「息子はね、学校でいじめられたんです。『同じ人間族のクロウリィ選手は獣人や巨人族以上に運動できるのに、お前ができないのはおかしい』って」
男の子は、目に涙を浮かべて俯いてしまった。
とても悔しそうな顔だ。
「確かに息子の怪我は、あなたの責任ではないのかもしれません。でもあなたのせいで、『人間族が他の種族並みに運動できないのは、種族差じゃなくて単なる努力不足』なんて言い出す人も増えたんです。……そのことを、お忘れなく」
頭をハンマーで殴られたような気分だ。
モータースポーツ界だけじゃなく、色んなスポーツ界で人間族の地位を向上させられると思って俺は動画を配信してきた。
人間族アスリート達への励ましにもなると信じて。
それが――
それがこんな――
とげとげしく一礼して、親子は去る。
俺はしばらく、その場から動けなかった。
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樹神暦2641年11月
チューンド・プロダクション・カー耐久選手権
最終戦
メイデンスピードウェイ
現在俺がいる場所は、ブルーレヴォリューションレーシングのモーターホーム。
ウチのモーターホームは、個人参加チームとしては豪華だ。
それもそのはず。
今年のBRRはシャーラ本社から人員や資本、技術の援助を受けている隠れワークス。
あるいはセミワークスとも言える存在だ。
ユグドラシル24時間に向けて、モータースポーツ現場経験のないシャーラ社員達を鍛える人材育成の場としても機能していた。
そんなわけでマネーパワー、マンパワーはTPC耐久のチームとは思えないほど充実している。
最終戦であるこの第7戦も、危なげなく優勝を飾ることができた。
だけど、俺の心は晴れない。
レース終了後、モーターホームの中でテーブルに突っ伏しグッタリしていた。
「俺達のやってきたことって、いったいなんだったんだろう……?」
「動画の件は、ランディ様が気に病む必要はありません。言いがかりも甚だしいですわ」
チームオーナー兼監督のマリーさんは、腕を組んでプリプリと怒っていた。
心なしか銀髪ドリルの反射光にも、怒りがこもってギラギラしているような気がする。
「動画を消した方がいいかな?」と相談した時、すぐに却下したのも彼女だった。
あれだけの人気動画なのに消したら、ヤラセや後ろめたいことがあったんじゃないかと疑われてしまうと主張して。
「俺は自分の生まれた種族に、愛着を持っている。そりゃ巨人族とダークエルフの血も、少し入っているけどさ……。やっぱり俺は、人間族なんだ。だから……なんか悔しい。結局他の種族には、敵わない存在なのか?」
俺が超人的な身体能力を持っているのは、戦女神様の使徒だからだろう。
小さい頃から努力して鍛えてきたという自負はあるけど、それだけじゃ説明がつかない。
――努力しても、人間族という種族自体の力は大したことない。
そう突き付けられた気がして、悲しい。
俺の発言を聞いて、マリーさんの表情も暗くなる。
しまったな。
これは、彼女に聞かせてはいけない愚痴だった。
マリーさんだって俺と同じ人間族なんだから、悔しい気持ちになるはずだ。
そこへ、キンバリーさんが紅茶を運んできた。
もうレースクイーンコスチュームじゃなく、メイド服へと着替えている。
ウチはレースクイーンコスもメイド服モチーフだから、あんまり変わり映えしないような気もするけど。
「お嬢様。ランディ様。私達人間族は、他の種族より優れている部分もございます」
キンバリーさんの台詞に、俺もマリーさんも顔を見合わせる。
「キンバリーさん、それはなんだい? 俺には人口が多いことぐらいしか、アドバンテージを感じられないんだけど……」
「まさに、そこですよ。他の種族に比べ、繁殖力が強いのです」
「繁殖力……。キンバリー……。他にもっと、言い方はありませんの?」
確かにキンバリーさんの言う通り、人間族は繁殖力が強い。
他の種族との間に子供を作った場合、人間族寄りの子供が産まれやすいんだ。
「妊娠確率も、人間族が1番高いんですよ。最下位である竜人族の、約2倍ですね」
キンバリーさんは胸を張り、誇らしげに主張する。
竜人族が妊娠確率低いって、初めて聞いたな。
ガゼールさんが娘のニーサにベッタリな理由を、垣間見た気がする。
やっとの思いで授かった子供なんだろう。
「繁殖力……ね……。それ、レースに関係ない能力だし」
「そんなことはありません。人間族ドライバーの数が多ければ、それだけ人間族が勝つ可能性も上がるというもの」
「数の力……というわけですのね?」
「そうです、お嬢様。我々人間族がその気になれば、千年後にはこの世界から他種族を淘汰することも可能でしょう」
いつの間にかレースの話から、世界戦争規模の話になってしまっている。
俺は他の種族も好きだから、滅ぼしてしまうのはちょっと――
「繁殖力なんてステータス、実感しづらいなぁ……」
俺は苦笑いしながら、紅茶を口に含む。
正面に座るマリーさんも、同じタイミングで飲んでいた。
その時だ。
「そうですか? 私は実感しました」
そう言って自らのお腹を撫でるキンバリーさんに、最初は無反応だったさ。
俺はワンテンポ遅れてその発言の意味に気づき、紅茶を噴き出した。
あっ!
やべ!
俺の正面には、マリーさんが――
そう心配していたら、彼女からも熱い紅茶ブレスが飛んできて顔面を直撃した。
これでお互い様だ。
「なんですかお嬢様、お行儀悪い。ランディ様も、紳士として大減点です」
「き、き、き、キンバリー? あなたもしかして、お腹にクリス様の子供が……」
今回はマリーさんも、把握していなかったみたいだな。
トレードマークの縦ロールをふるふると震わせながら、キンバリーさんに確認を取る。
「ええ、そうです。まだ言っておりませんでしたか?」
「「聞いてないよ! (ですわ!)」」
こ――この変態メイド、俺達の驚くリアクションが見たくてわざとやってるんじゃないだろうな?
「……そういうわけで、お嬢様。来年BRRのレースクィーンは、兼任できません。メイドとしての職務も、いずれは産休を取らせていただくことになるかと」
「そ……そうですわね。ちょっと驚きましたけど……おめでとう、キンバリー」
「そうだね。キンバリーさん、おめでとう。あのクリス君が、パパか……。想像できないな」
「お2人とも、ありがとうございます。これから何かと要りようになるので、クリスにはGTフリークスドライバーとして稼いでもらわなければなりません。『人間族は身体能力で劣るから』などと、泣き言を言っている場合ではないのです」
そう言って顔を拭くためのタオルを差し出してくれながら、俺達を見据えるキンバリーさん。
彼女の目には、得も言われぬ迫力があった。
これが、母親になるということなのか?
――強い!




