ターン163 0点だ。やり直せ
■□ニーサ・シルヴィア視点■□
いつからだろう?
彼の夢を、見ない日々が続いていた。
虚空に開いた穴へと、消えてゆく彼。
黒曜の瞳と、髪を持つ彼。
白い騎士風の装束を纏った彼。
彼のことを含め、前世の記憶と思しき妙な世界の夢を見る機会はほとんどなくなってきた。
代わりに見るようになったのは、この世界で出会った人達の夢だ。
ちょっと変わってるけど、優しい家族。
貞操観念は理解し難いけど、とても気が合うしなんでも相談できる友人アンジェラ。
レース関係の仲間や、ライバル達。
そして――
特にあの男の夢を見る回数が、多くなっていた。
――ランドール・クロウリィ。
ひと目会った時から、あいつはムカつく男だった。
理由はよく分からない。
ただ奴の近くにいるだけで、心臓を鷲掴みにされるような苦しさが襲ってきた。
私には、全然関係ない男だったのに――
あいつがヘラヘラしながら女の子話しているのを見ると、妙に腹が立った。
そんな奴が夢にまで出てくるなんて、迷惑な話だ。
だけど――
うなされて飛び起きることは、なくなった。
奴と一緒のチームで同じ車を走らせていた、ブルーレヴォリューションレーシング時代。
ライバルメーカー同士で、火花を散らしたGTフリークス時代。
熱く、楽しい日々だった。
毎日が充実していた。
認めざるを得ない。
それはランドール・クロウリィが、近くにいてくれたおかげだと。
いつの間にかあいつに――
ランドールに、自分を認めさせたいと――
もっと私を見て欲しいと、思いながら走っていた。
私が速く走りたいのは、本来他の理由があったはず。
そう。
黒髪の彼が虚空の穴に飲み込まれてゆく時、私は立ち竦むだけでなにもできなかった。
だから、今度こそ動けるように――
そして、伸ばされた彼の手を掴めるように――
もっと速く、もっと遠くへと――
私の持つ前世の記憶は断片的なもので、思い出せないことも多い。
だけど、ハッキリ憶えていることもある。
黒髪の彼は私を愛してくれていたし、私も彼を愛していた。
なのに、私は――
彼のことを忘れて、私は――
白い騎士の格好をしているランドールを見て、黒髪の彼の姿が重なった。
「俺のことを、思い出して欲しい」
ランドールの身体に乗り移った彼が、そう訴えかけてきたような気がした。
黒髪の彼のことを、忘れてしまうのが怖い。
自分がそんな冷たい女だと、自覚するのが怖い。
実家にある、自室のベッド。
そこで道着姿のまま布団に包り、私は震えている。
ヴァリエッタお母様は、帰ってきた私の顔色を見て心配していた。
けど、
「夕食は要らない。ひと晩放っておいてほしい」
と言ったら、それ以上は踏み込んでこなかった。
お母様に、あまり心配をかけたくはない。
なんとかひと晩で、気持ちを切り替えたい。
そうだ。
これ以上、ランドールに近づかないようにしよう。
しばらく距離をおけば、きっとあいつに心を乱されることはなくなる。
ずっと黒髪の彼を、憶えていてあげられる。
でも――
私はそれを、実行できるんだろうか?
GTフリークスドライバーでなくなったランドールに会いたくて、なんだかんだと理由をつけて押し掛けていた私が。
不安に思っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
私は布団から顔だけ出し、ドアの向こういる人物に問いかける。
「お母様?」
なんとなく、違うような気がしていた。
私がひと晩放っておいて欲しいと言った以上、お母様なら明日の朝に来るはず。
ならば、ガゼールお父様か――
仕事を終えて帰ってくるには、少し早い気もするけど――
「お父様? ごめんなさい。明日にして下さい」
お父様でも、今は会いたくない。
誰にも会いたくない。
今はただひたすら、黒髪の彼を思い出していたい。
そして再び鮮明になった思い出と共に、私は明日からまた生きてゆく。
そう決心して、再び布団に潜り込んだ。
「ニーサ・シルヴィア!!」
誰かが叫びながら、部屋に乱入してきた。
その声とドアが荒々しく開け放たれる音に、私の体はビクッと震える。
数秒も待たず、布団が剥ぎ取られた。
窓から入り込む、夕日が眩しい。
その夕日を反射して、もっと眩しく輝く金髪の男が私を見据えていた。
「ランドール! 貴様! 女性の部屋に許可もなく踏み込み、布団を剥ぎ取るなど、なんて失礼な……」
「うるさい!!」
ランドールらしくない、強い口調にちょっとたじろいだ。
私と口喧嘩になることは多いけど、怒りに任せて怒鳴るような奴じゃないと思っていたのに――
奴は無許可でベッドに腰を下ろし、無遠慮に顔を近づけ、無礼にも私に人差し指を突きつけながら言葉を続ける。
「失礼な奴はどっちだ? お前今日の俺の格好を見て、『黒髪の君』とやらを重ね合わせやがったな? ヴァリエッタさんに話を聞いて、分かったよ。全身白ずくめの騎士姿で、夢に出てくるんだってな?」
「そっ……それのどこが、失礼なんだ!」
「そんな奴と俺を、一緒にしないでもらおうか!」
カチンときた。
「『そんな奴』だと!? 貴様に彼の何が分かる!」
「分かるさ! 『黒髪の君』とやらが、クソ野郎だっていうのはな!」
「なっ……取り消せ!! ランドール!!」
「取り消さない!! 『黒髪の君』は、クソッタレだ!!」
反射的に、ランドールの頬を張ろうとした。
だけどその手はガッシリと掴まれ、動きを止められてしまう。
振りほどこうとしても、全く動かない。
「お前を置いて、どこかへ消えちまうような男……俺は許さない。お前がこんなに悩んで、苦しんで、泣いているのに帰ってこない男なんて、絶対に許さない」
いつもは湖面のように涼やかなランドールの瞳が、炎を灯したように燃えていた。
それはたぶん、夕日が映りこんでいたからじゃなくて――
「俺にしとけよ」
なんのことだか、意味が分からなかった。
「は? ランドール、貴様、なにを言って……」
「『黒髪の君』なんかじゃなくて、俺を選べと言ってるんだ」
やっぱり、意味が分からない。
いや、分かりたくない。
分かってしまったら、私は――
やめて!
これ以上、私の心を乱さないで!
「ふ……ふん。それは、愛の告白のつもりか? なんて傲慢な口説き文句だ」
鼻で笑えばランドールも正気に戻り、うっかり口走ってしまったことを撤回するかもしれない。
そう考えて私は、嘲りの視線を向ける。
だけど夕日に染まった青い双眸は、どこまでも真剣だった。
「愛の告白? 違うね、宣戦布告だ。俺は『黒髪の君』から、ニーサ・シルヴィアを奪い取る」
「さっきから、勝手なことばかり……。もう帰って!」
「ああ、帰るよ。今日のところはな。また来る」
――もう来るな!
理性はそう告げろと訴えているのに、唇は固く引き結ばれて言葉が出ない。
ランドールが出て行った後、閉められたドアに向かい私は枕を叩きつけた。
「バカーーーーッ!! 告白のつもりなら、『好きだよ』とか『愛してる』ぐらい言えーーーーっ!!」
もう自分でも、なにを叫んでるんだか分からない。
メチャクチャだ。
私の心はメチャクチャだ。
あの男は、いつも私の心をかき乱して――
明日、メッセージアプリで苦情を送信してやろう。
貴様は女心が、なにも分かっていない。
なにが俺を選べだ。
選んでもらえる立場だと思っているのか?
告白としては、0点だ。
やり直せ。
次々と、クレームの文面が脳裏に浮かんだ。
そうして考えているうちに、いつしか私は眠気に襲われる。
ちっ。
ランドールの匂いが、布団に染みついてしまった。
その晩、黒髪の彼の夢は見なかった。
誰の夢も見ず、ぐっすりと眠れた。
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
シルヴィア邸で、ニーサに『俺を選べ』と言ってしまった翌日。
俺はシャーラ社のテストコースにいた。
「……っていうやり取りがあったんだけど、どう思いますかね? ジョージ・ドッケンハイム先輩」
なんとなく、フルネーム+先輩づけでジョージを呼んでしまう。
テストコースに隣接している倉庫の陰で話しているから、周囲には俺達以外誰もいない。
ケイトさんには、聞かせられない内容だ。
今でも彼女が俺に好意を向けてくれているのは、なんとなく感じているからな。
聞かせるのは、無神経だろう。
「ジョージ? 俺の話、ちゃんと聞いてた?」
あまりに返答が遅いから、俺はジョージの顔を覗き込んだ。
相変わらず平静そうな顔をしているけど、眼鏡がずり落ちたこの状態は――
「おいおい。そんなに驚かなくてもいいだろう?」
「……意識が飛びましたよ」
ジョージは思い出したように眼鏡クイッを入れ、正気に戻ったのをアピールする。
「んなオーバーな」
「他の誰が聞いても、僕以上に驚くと思いますよ? 君の気持は、ニーサに向いているんだろうとは思っていましたが……。まさかヘタレランディが自分から、そんな強引にいくとは……」
「ヘタレとはなんだよ? ……ん? 『気持ちがニーサに向いてるんだと思ってた』? そんなに俺って、分かりやすかったか?」
「昔から明らかに、彼女の前ではカッコつけたがってましたからね」
「うわー、そうなのかよ? 自覚したのは、ルディの事故の時なのに」
「1年以上前じゃないですか。それで今になって行動とは、やっぱりヘタレですね」
ううっ、反論できない。
だってな~。
ニーサって「黒髪の君」とかいう奴に、未練タラタラみたいだし。
くそっ!
前世の記憶に出てくるってことは、行方不明になった後とっくに死んでるんだろ?
迷わず成仏しろよな。
もしこの世界に転生してたりしたら、俺がブッ飛ばす。
ニーサに近づかないように。
そして前世でニーサを置いて行った罪を、贖わせるために。
まあそんなこんなで行動に移る決心がつかなかった俺だけど、ついにやってしまった。
自分でも、あの口説き文句はちょっとなかったんじゃないかなと思う。
けどつい、カッとなって――
「それで? 0点なイキリ告白の返事は、もらえたのですか?」
「0点……。イキリ……。いや、まだだよ」
「ご愁傷様です」
静かに手を合わせ、首を垂れるジョージ。
「おい! まだ、振られたと決まったわけじゃ……おっ!」
ポケットに入れていた、携帯情報端末が振動する。
メッセージの着信だ。
「ニーサからですか?」
「覗き込むなよ、ジョージ。えーっとな……」
『考えておいてやる』
ニーサ・シルヴィアからのメッセージは、それだけだった。
「……よし!」
ガッツポーズを決めた俺に対し、ジョージは隣で首を傾げる。
「これは……保留? なんで、『よし』なんですか?」
「とりあえず、参戦許可は下りた。スターティンググリッドに並べた以上、勝つ可能性はある」
俺と「黒髪の君」の一騎打ち。
相手が途中で行方不明になっている以上、これからも走り続けられる俺に有利。
「やる気出てきたよ。午後から予定していた〈レオナ〉GT-YDのテスト走行メニューは、バッチリだ。今週末のTPC耐久第6戦でも、予選1番手と優勝を決めてやる」
「またそういう、フラグ発言を……。自分がルール改正で、ユグドラシル24時間に出られなくなるかもしれないことを忘れていませんかね?」
「憶えてるよ! でも……なるようになるさ! 例の身体能力アピール動画も、大人気だしな」
シャーラテストコース上空。
10月の空は、やけに澄んで見えた。
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週末、チューンド・プロダクション・カー耐久選手権第6戦。
俺は予選でクラス1のコース最速記録をマークして、予選1番手を獲得。
決勝でも優勝し、最終第7戦を待たずに年間王者を決めた。




