ターン161 みんな、アカウント名でバレバレだよ
樹神暦2641年5月。
俺とヴィオレッタが訪れていたのは、実家の近所にある屋内プール施設だ。
シャーラ本社から許可が出るのにちょっと時間がかかって、動き始めが遅くなってしまった。
「はぁい、みなさんこんにちは。この動画はレーシングドライバーのランドール・クロウリィが、色んなことに挑戦していく動画よ。面白かったら、チャンネル登録と高評価よろしくね」
「よ、よ、よ、……よろすく、お願いしましゅ」
「お兄ちゃん。めちゃめちゃ噛んで、訛って、どもってるわよ? ごめんなさーい。ウチのお兄ちゃん、カメラ向けられると緊張しちゃうタイプなの。だから妹であるこの私、ヴィオレッタ・クロウリィが進行役を務めさせていただくわね」
プールサイドに設置されたカメラに向けて紫の長髪をかき上げ、セクシーポーズとウィンクをキメるヴィオレッタ。
コラコラ。
そんな魅力的な表情とポーズをしたら、変な男達が配信動画に群がってくるかもしれないじゃないか。
現にプールサイドのお客さん達が、歓声を上げたり口笛を吹いてはやし立ててるぞ?
だいたい俺は、反対だったんだ。
進行役を務めてくれるのはいいけど、ヴィオレッタまで水着に着替える必要はないだろ?
それになんだ? その黒ビキニは?
もう少しこう――布面積の広いものをだな――
いや。
確かに褐色の肌が目立って、似合うんだけど。
ヴィオレッタのプロポーションは、完璧だ。
大きすぎず小さすぎず、均整のとれた美しさ。
俺とオズワルド父さんは水着に大反対したんだけど、「これも再生回数を稼ぐため」というヴィオレッタの意見に押し切られてしまった。
ちなみに、進行役を置かないというのは無しだ。
録画でもビデオカメラを向けられれば、俺はガッチガチに緊張してうまく喋れないからな。
サーフパンツ(マリーさんの実家、ルイスブランド製)しか身につけていない俺の体を指差しながら、ヴィオレッタはカメラに向かって話しかける。
「ねえみんな、見て。お兄ちゃんの体。これがレーシングドライバーの肉体よ。完璧なプロポーションだと思わない? 無駄のない、彫刻みたいな筋肉よね? 芸術的よね? だからっていやらしい目でこの動画を見てる女がいたら、私がこの世から消してあげるわ」
そんな過激なことを言って、大丈夫だろうか?
この動画は後からディオチューブというサイトに投稿し、ラウネスネットを通じて世界中に公開される。
そのディオチューブの規定に、違反した発言じゃないだろうか?
後で編集して、消してしまおう。
「この筋肉を見れば、プロレーシングドライバーが一流のアスリートだっていうのは理解できるわよね? その身体能力の凄さを伝えるチャレンジをしてもらうの。……あ、チャレンジ内容のリクエストは受け付けているから、どんどんコメント欄に書きこんでね」
ビデオカメラに向かってしゃべり続けるヴィオレッタの横で、俺はサイドチェストというボディビルのポーズを取った。
横向きになり、胸の筋肉を強調するポーズだ。
ボディビルダーみたいに大きな筋肉じゃないんだけど、周囲の野次馬からは
「キレてる!」
「ナイスバルク!」
と、声援が飛んできた。
「はい。ぎこちないポーズを決めてくれた、ランドール・クロウリィ選手に拍手! ……さて。それじゃそろそろ、チャレンジに入っていきましょう。今回のチャレンジは、コレよ!」
ヴィオレッタは、ビシリと何も無い空間を指差す。
後で編集して、そこにテロップを入れる予定だ。
「今日のチャレンジ内容は、『潜水』よ!」
ひと言で潜水と言っても、色々ある。
今回俺が挑戦するのは、無呼吸で水平方向にどれだけ長い距離を泳げるかというものだ。
競技名では、ダイナミック・アプネアというらしい。
「GT-YDマシンみたいに速い車だと、レース中ドライバーの心拍数は180を超えるわ。これは、陸上中距離走並みよね。レーシングドライバーはその状態で、2時間走り続けたりするの。今日はその、心肺能力の凄さを見てもらおうと思ってね」
自分で運転しといてなんだけど、とんでもない話だと思う。
GT-YDマシンを駆るドライバーは、人外ばっかりだな。
そして俺も人外だということを――
生まれは人間族でも化け物じみた心肺能力を備えているんだということを、動画を通じてアピールするのが目的だ。
「それじゃ、お兄ちゃん。さっそくチャレンジ開始よ。位置について」
すでに、準備運動は終わっている。
何回か泳ぎ、予行演習も済んでいる。
あとは、記録に挑戦するだけだ。
目標はラウネスの世界記録である350mから、ちょっと距離を引いた300m。
それ以上はフリーダイビング選手のお株を奪うことになるから、あまり良くないだろう。
俺は大きく息を吸い込みプールに潜ると、ドルフィンキックで泳ぎ始めた。
スポーツ万能な俺は、水泳だって得意種目だ。
野次馬達の視線にちょっと緊張していたけど、潜ってしまえば視線が気にならなくなる。
サーフパンツは競技専用の水着に比べ、水の抵抗が大きい。
だけど俺の体はまるで魚のように、水中をグイグイ進んでいく。
足にヒレでもついてる気分。
普段味わっている400km/hでの空気抵抗に比べたら、低速域での水の抵抗なんて無いようなもんだ。
5回目のターンを決める。
このプールは50mの長さだから、これで250mか。
さすがにちょっと、息苦しくなってきた。
予定通り、300mでやめよう。
6回目のターンはせず、その場で浮上。
プールの周りに集まっていたギャラリーから、大歓声が上がる。
なんだよ?
みんな大げさじゃない?
世界記録が出たってわけじゃないのに。
俺、何かやっちゃいました?
実は世界記録の350mというのは、足にフィンを付けて泳ぐ種目での話だったらしい。
今日俺がやったみたいにフィン無しだと、世界記録はずっと短い。
そのことを俺とヴィオレッタが知ったのは、動画を配信してしまった後だった。
■□■□■□■□
□■□■□■□■
■□■□■□■□
□■□■□■□■
潜水の動画を配信した翌日。
俺とヴィオレッタはクロウリィ家のリビングでノートパソコンを開き、動画へのアクセスやコメントをチェックしていた。
「すっごーい! 再生回数が、めちゃくちゃに伸びてるわ!」
「そうなのか? 基準がいまいち分からないんだけど……」
「他のアスリートや芸能人が配信している動画と比較しても、初日としては異例の再生回数よ」
「ふうん、だったら作戦成功だな。どんなコメントが来てる?」
「えーっとね……。『ヴィオレッタたんの水着ハァハァ』」
液晶画面を手刀で叩き割ろうとした俺の左手を、ヴィオレッタは両手でしがみついて止めた。
「お兄ちゃん落ち着いて! 水着ぐらい、いいじゃない。減るもんじゃないし」
「ダメだ。お前をそんな目で見る輩は、俺と父さんがこの世から消去してやる」
「そんなことしたら、シャーラのワークスドライバーをクビになっちゃうわよ!」
むう、仕方ない。
よく考えたらノートパソコンに罪はないし、物に当たるのは良くないな。
「さてと……。他のコメントは、どうなのかしら? なになに? 『ランドール様の腹筋、素敵です。あなたに抱かれるのを想像すると、私は毎晩体が火照って眠れな……』」
椅子から立ち上がったヴィオレッタが、竜巻のように体を捻り中段逆回し蹴りを放とうとした。
俺は慌てて彼女の足首を掴み、ぶち抜かれる寸前だったノートパソコン君を守る。
「落ち着けヴィオレッタ! 別にいいだろ? 腹筋ぐらい、減るもんじゃないし」
「減るわ! こんな卑猥な女にいやらしい目でみられたら、お兄ちゃんの腹筋は委縮して消滅しちゃう。そうなったらレースに支障が出るから、この女をぶっ殺すのは合法よ!」
「違法だよ!」
――ったく!
この喧嘩っ早さは、誰に似たんだよ?
「だいたい何よ? 『毎晩体が火照って』なんて言ってるけど、動画を投稿したのは昨日だっての! ……あら? このアカウントの名前、『ムテキング』? キングっていうからには、男の人なの?」
何それ?
勘弁してくれよ。
俺の恋愛対象は、女性だ。
「お絵描きサイトのBLイラストは構わないけど、本当にお兄ちゃんを狙ってくるガチホモは許さないわ」
「いや、イラストも構うよ」
最近ヴィオレッタが、腐ォースに目覚めてしまったようで困る。
でもまあ彼氏とか作られるより、腐女子化してくれた方が安心か?
「ふざけたコメントは、後でまとめて消去するとして……。あっ、次なるチャレンジのリクエストが来てるわよ」
「へえ、どんなチャレンジだい?」
「『ドラゴンと素手で戦って下さい。恰好はメイド服でお願いします』ですって」
「……それ、言ってきた人のアカウント名は?」
「『眼鏡なんて飾りですよ』さん。……これって絶対、ジョージさんよね」
はいはい、スルー。
くそぅ、ジョージめ。
男の娘メイドとしてアルバイトしていた、俺の黒歴史を掘り起こしやがって。
ドラゴンと戦うというのも無しだ。
動物愛護団体に、怒られてしまう。
「他のリクエストはね……。社畜エンジェルさんからの『メイド服を着た状態から服を脱いでいって、どこまで脱げるか挑戦』。身体能力関係ないじゃない! そんなマニアックアダルト動画、規約違反でアカウント消されるわよ!」
「その次のヤツも……。巻き髪至上主義さんから、『メイド服を着て、女主人にどれだけ尽くせるか挑戦』。ここら辺は、全員身内だな。最初にジョージが余計なこと書き込んだもんだから、みんな悪ノリしやがって……」
「ニーサさんからも、リクエスト来てるわよ? 彼女はプロアスリートだから、宣伝のために本名でアカウント登録してるのね。なになに……? 『レーシングドライバーなら、空手で瓦50枚ぐらい割ってみせろ』。あら、まともなチャレンジじゃない」
「ふむ、そうだな。……いや、その枚数はまともか?」
変なコメントが続いたせいで、感覚がマヒしているような――
でも瓦割りは見た目のインパクトもあるし、身体能力をアピールするには良さそうなチャレンジだ。
採用させてもらおう。
「ルディさんからも来てるわ。彼女も本名なのね。『先輩は剣術格闘技クラブの助っ人に行った時、強すぎて出入り禁止になったって噂を聞きました。だから、剣を使ったチャレンジとか見たいな~。騎士風のコスプレとかしてくれたら、もう最高です!』」
「なんでいちいち、コスプレを……。でも騎士とかなら、別にやってもいいな」
この世界にも、大昔には騎士がいた。
今でも憧れてる人は多く、映画やテレビドラマ、アニメや漫画の題材にされやすい。
衣装を調達するのは、難しくないはずだ。
剣も届け出をすれば、購入できる。
ソードアーツの演武用としてなら、所持が認められているんだ。
日本文化の影響があるマリーノ国なら居合刀も手に入るんだけど、なんか俺って刀より西洋片手剣の方がしっくりくる気がするんだよね。
「なんだか、楽しくなってきたな」
「お兄ちゃん、本業を忘れないでね」
ヴィオレッタに釘を刺されて、俺はようやく自分の本業を思い出した。
いかんいかん!
これも規則改定を阻止して、ユグドラシル24時間に出るための手段だということを忘れるんじゃないぞ?




