ターン156 青き不死鳥
■□ランドール・クロウリィ視点■□
樹神暦2640年12月
マリーノ国 中央地域
メイデンスピードウェイ
それは、とても寒い日だった。
気温は氷点下。
なのに多くの観客が、グランドスタンドに溢れていた。
今日は、レースが開催される日じゃないっていうのに――
キラキラとした結晶が、サーキットに降り注いでいる。
雪じゃない。
ダイヤモンドダスト現象だ。
陽の光が差しているというのに、空気中の水蒸気が凍りついて結晶になっていた。
舞い散る細氷に包まれながら、ホームストレートをオープンカーが走ってゆく。
歩くような速度でゆっくり、ゆっくり。
名残惜しむように。
レイヴン社のオープンスポーツカー〈フェン〉。
その助手席から立ち上がり、観客へ向かって手を振っているエルフ族の男がいる。
流れる赤い髪。
同じく、真っ赤なレーシングスーツ。
寒いのに、彼は何も羽織っていない。
スーツのスポンサーロゴをアピールするためというより、皆がその姿を目に焼き付けられるようにという配慮だろう。
彼自身も、皆にレーシングスーツ姿の自分を憶えていて欲しいと思っているはずだ。
緑色の瞳は、優し気だった。
来てくれた観客1人1人へ感謝するように、笑顔で周囲を見渡している。
――アクセル・ルーレイロ。
ユグドラシル24時間耐久レースで、2回の優勝経験を持つドライバー。
俺と同じ転生者で、地球にいた頃は3回もF1の世界王者になった男。
今日は彼の――引退パレードだ。
俺はパレードの様子を、コース脇に併設された整備用道路から見つめていた。
観客席より、少し近い位置だ。
ここに入れたのは、人脈を使ったから。
でなければ他社メーカーのドライバーでアクセル・ルーレイロとの接点も少ない俺が、関係者面して入れるわけがない。
ここに入れてくれた人物が、俺の隣に立っている。
オープンカーから手を振っている人物にそっくりだけど、その顔はやや神経質そう。
眼光は鋭く、赤髪もさらに長い。
「ブレイズ。親父さんに、引導を渡した気分はどうだ?」
俺の台詞に眉をピクリと動かし、ブレイズ・ルーレイロは気難しそうな表情で答えた。
「複雑だね。ずっと、パパを越えたいとは思っていたよ。だけど僕が倒したのは、全盛期のパパじゃないから……」
2640年、ツェペリレッド・ツーリングカー・マスターズ。
昨年は惜しくも父アクセルに敗れ、年間王者を逃したブレイズ。
だけど今年は見事打ち倒し、王者に輝いている。
そして最終戦終了直後、アクセル・ルーレイロはプロドライバー引退を表明した。
「せめて5年くらい前なら、もっと達成感があったんだろうけどね。あの頃はまだ、全盛期感があった」
「俺がノヴァエランド12時間で抑え込んだ時が、ちょうどそれぐらいかな?」
「ランディ。それは遠回しに、自慢してるのかい? あの時は結局、パパに抜かれただろ? 腹立たしいことにあれ以来、パパは君をかなり意識していたんだよ?」
「えっ? そうなの? もうちょっと早く教えてくれよ」
「君が喜びそうだから、教えてやらなかったんだ」
「心の狭い奴。まだまだ人間性では、親父さんに敵わないんじゃないのか?」
「……確かにそうかもね。ドライバーとして上回った実感はあるけど……やっぱりパパは、僕のパパだ」
「お前のその気持ち……分かるよ」
振り返り、観客席を見やる。
そこには、オズワルド父さんの姿があった。
アクセル・ルーレイロの大ファンである父さんは、なんとか引退パレードのチケットは入手したものの整備用道路までは入れなかったんだ。
父さんは目にうっすら涙を浮かべ、パレード中のアクセル・ルーレイロに向け手を振っていた。
相変わらず、涙もろいな。
そして――
最近老けてきたな、と思う。
それでも父さんは、俺の父さんだ。
心のどこかで、頼ってしまっている。
まだまだ男として、敵わないとも思っている。
ブレイズもきっと、そういう気持ちなんだろう。
「パパはレイヴンに移籍してから、7回ユグドラシル24時間に挑んだけど……1回も、優勝はできなかった」
「5回も表彰台には上がったんだから、大した成績だろう?」
「確かにそうなんだけどね。レイヴン社はユグドラシル24時間の初優勝が欲しくて、2回も優勝経験のあるパパをナイトウィザード社から引っこ抜いたはずなのに……。それは、叶わなかった」
「……だから自分が代わりに、達成してみせるって?」
「そうだよ。僕は来年からレイヴン〈イフリータ〉GT-YDを駆って、世界耐久選手権に出る。もちろん、最終戦のユグドラシル24時間にもね。ランディ。君は来年もGTフリークスで、〈サーベラス〉に乗るのかい?」
素直に答えるべきか、ちょっと迷った。
たぶん、ブレイズは納得しないだろうから。
でも、いずれは分かってしまうことだしな。
「チューンド・プロダクション・カー耐久選手権に出るよ。チームはブルーレヴォリューションレーシング。マシンは〈レオナ〉だ」
「は? それってマリーノ国では、GTフリークスより下のカテゴリーだろ? なんで去年ランキング2位のランディが、そんなステップダウンをする羽目になってるんだよ?」
2640年のGTフリークス王者は、ニーサ・シルヴィア/ラムダ・フェニックス組に持って行かれてしまった。
俺とポール・トゥーヴィーのコンビは、ランキング2位だ。
「年間王者を獲れなかったから、クビになっちゃったんだよ」
「タカサキ社は、なんてバカなことを……。ランキング2位って言ったって充分好成績だし、今年も2勝してるんだし……。ランディの後釜は……〈サーベラス〉36号車には、誰が乗るんだ?」
「クリス・マルムスティーン」
「ノヴァエランド12時間の時、僕の前でフラフラして邪魔だったあいつか! ますますもって、ありえない! タカサキの人事は、バカ過ぎる」
「あんまりバカバカ言うなよ。今日はタカサキの関係者も、何人か来てるんだぞ?」
他社だとしても、レーシングドライバーが自動車メーカーの悪口なんて言うもんじゃない。
ブレイズの印象が悪くならないか心配で、周りをキョロキョロ見回す。
良かった。
周囲には、聞こえていないみたいだ。
なんで俺が、こいつの心配をしてやらないといけないのか――
「ブレイズ。クビになったってのは、冗談だよ。自分から、契約を更新しなかった。……凄く大きな仕事が入ってな。メーカー間のしがらみやスケジュールの忙しさから、GTフリークスドライバーと同時にやるのは無理そうだったんだ」
「大きな仕事? なんだいそれは?」
「まだ、秘密だよ」
思わせぶりに言ったつもりだったのに、ブレイズは
「ああ、そういうことか」
なんて、1人で納得してしまった。
ええ?
秘密にしていることの内容まで、分かっちゃうの?
ヤバいな、俺。
自動車メーカードライバーなのに――
機密事項、ダダ洩れじゃん――
「ランディ。僕は先に行って、待ってる。あんまり待たせずに、来て欲しいもんだね」
「そう時間は、かからないさ。これまでも、ケイトさんが頑張ってくれてたからな」
オープンカーでサーキットを回るパレードは、いつの間にか終わっていた。
ここからは、式典に入る。
アクセル・ルーレイロに、花束が贈呈されるはずだ。
プレゼンターであるブレイズは、俺から離れていった。
空を見上げると、相変わらず氷の結晶が舞っている。
日の光を反射してキラキラ、キラキラと。
「あー、くっそー、寒いな。火の近くに行きたい。なにか、燃えているものの近くに……お?」
ふと、胸の辺りに温かみを感じた。
視線を自分の胸元に向けると、そこには首から下げた通行証ケース。
今回の引退パレード&セレモニーに、関係者として入場するためのものだ。
でも、熱を放っているのはそれじゃない。
一緒にパスケースに収めてある、別の場所へ入るためのICカード。
他人に見られないよう、裏返してパスケースに収めていた。
俺はそのICカードを取り出し、空にかざす。
もう周囲には誰もいなくなっているし、見られやしないだろう。
「燃えているのか? もうすぐ……もうすぐだよ」
カードに描かれていたのは、青い不死鳥。
これはマリーノ国の西地域にあるシャーラ社の研究所と、テストコースに入るための通行証。
来年の俺はもう、タカサキのGTフリークスドライバーじゃない。
久しぶりにTPC耐久クラス1、〈BRRレオナ〉のドライバー。
そして――
シャーラ社が再びユグドラシル24時間を戦う為に、作り出そうとしているマシン――
〈レオナ〉GT-YDの開発ドライバー。
再来年の2642年にはそのマシンを駆り、世界耐久選手権とユグドラシル24時間に挑む。
「見ているかい? トミー伯父さん。エリックさん。あと少しで、夢に手が届くよ」
俺は太陽へと手を伸ばし、握りしめる。
あの日ケイト・イガラシさんの前で、ユグドラシル24時間を獲ると宣言した時と同じように。
陽の光が強くなり、空を舞う氷の結晶が一際明るく輝く。
それはおとぎ話に出てくる光の精霊レオナが、俺を祝福してくれているかのようだった。
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「は~。やっぱり、実家はいいよな~」
「ホント、最高よね~」
ここは中央地区にある実家、自動車整備工場クロウリィ・モータース。
俺とヴィオレッタはコタツに入り、スライムも斯くやとばかりに脱力していた。
「ランディもヴィオレッタも若者なんだから、都会であるブラックダイヤモンドシティの方が良かったんじゃないの? タワーマンションも引き払っちゃって、ちょっともったいなかったんじゃない?」
お茶を淹れてくれながら話しかけてきたのは、シャーロット母さんだ。
「ここからの方が、シャーラのテストコースに近いんだよ。BRRの本拠地であるヌコさんのショップも、すぐ隣の市だしね」
「そう。私と父さんとしては、また賑やかになって嬉しいわ」
俺とヴィオレッタは、再び実家住まいに戻ることになった。
やっぱり高級タワーマンションなんかより、住み慣れた実家の方がいい。
「ランディ。シャーラのテストコースに行くのは、年が明けてから?」
「そうだよ。年末年始はトレーニングとか以外、もう予定は無いね」
「はあ……。実家にいてくれるのは嬉しいけど、母さんちょっと心配だわ。年末年始ぐらい、女の子とデートの約束とかないの?」
母さんの意外な言葉に噴き出しちゃって、お茶がちょっと鼻に入った。
すっごく痛い!
あ――あれ?
母さんって、そういうこと言う人だっけ?
「お母さん! お兄ちゃんは、私とデートするからいいの!」
「ヴィオレッタ……。あなたもいつまでお兄ちゃん、お父さんっ子なの? いい加減、彼氏ぐらい見つけなさい」
か――母さん、それは――
ヴィオレッタは、まだ21歳だよ?
彼氏なんて、早すぎません?
「むーっ! お兄ちゃんやお父さんぐらい素敵な男なんて、そこいらに転がっているわけないじゃない」
「だから、頑張って探しなさい。言っときますけど、オズワルド父さんは私のものです。娘が相手でも、あげません」
おおっ! 父さんモテモテ!
この場にいたら、照れてたかもな。
でも実際、ヴィオレッタは俺や父さんと結婚できるわけじゃないからな――
兄としては身をスライスされる思いだけど、嫁に行かせるしかあるまい。
彼氏とか旦那とかを連れてきたら、1発ぶん殴る自信はある。
だから、屈強な男を連れてきてもらわないとな。
俺と父さんの殺人パンチを受けても、死なないぐらい屈強な男を。
この時点で、ブレイズは失格だな。
たぶん、1発目で死ぬ。
「ランディ。母さんね、あなたがどんなお嫁さんを連れてくるか楽しみなのよ? ケイトちゃん? ルディちゃん? マリーちゃん? それともニーサちゃん?」
「勘弁してくれよ……。あれ? 母さんって、ニーサとそんなに接点あったっけ? 他の3人はジュニアカート時代からの付き合いだから、知ってるのは分かるけど」
「言ってなかったかしら? ニーサちゃんところのヴァリエッタママとは、仲良しなのよ? あなたがノヴァエランド12時間で優勝した時に連絡先を交換して、それからは一緒にお出掛けしたりする仲なの」
し――知らなかった。
それは、とっても不味い気がする。
ニーサと同棲――じゃなかった。
ルームシェアしてた時期があることを、母さんに話していないだろうな? あの中二ドラゴンママは。
まあその件で母さんに怒られてないから、バレちゃいないんだろう。
「お母さん! 私! 私! お兄ちゃんのお嫁さんは、私!」
「まだそんな、初等部学生時代みたいなことを言ってるの? ブレイズ君辺りで我慢しときなさい」
母さんの台詞に、ヴィオレッタは頬をプクーッと膨らませた。
――可愛い!
こんな可愛い妹が、ブレイズのところへ嫁に行くとか許されるんだろうか?
いや、許されない! (反語表現)
俺と父さんは、ぜーったいに許さないんだからな!




