ターン142 夢の終わり
「おー、すげえな! 外の時間に合わせて、夜になりやがったぞ」
レーシングスーツから私服に着替え終わった俺とヴァイさんは、サーキットのホームストレート上に立って夜空を見上げていた。
正確には、夜空の映像が投影されている地下施設の天井を――だけど。
吸い込まれるような星空だ。
至るところで、流れ星が見える。
「ヴァイさん、どうしたんですか? 突然俺を、呼び出したりして……」
「ま、色々と言っときたいことがあったんだよ。まずは……ありがとよ。お前のおかげでオレは、4度目の年間王者になれた」
「それはお互い様ですよ。ヴァイさんが相方でなかったら、俺もチャンピオンになれなかった」
「へっ、そうか。……まったく。デビュー1年目の新人が、いきなりチャンピオンになるなんて生意気だな。オレだって、2年目だったのによ」
そう言いながらヴァイさんは、ニカッと笑う。
犬歯を剥き出しにした、いつものワイルドな笑顔だ。
だけど今夜はどこか寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか?
「昨日のスーパーラップと、今日のお前の走り……。それだけやれるんなら、大丈夫だな。もう、思い残すことはねえ」
「ヴァイさん?」
怪訝に思っていると、1人の男性が俺達の方へと近づいてきた。
明らかにレース関係者ではない雰囲気を纏った、犬耳の獣人。
この人は、見覚えがある。
アンセムシティで会ったな。
ガゼール・シルヴィアさんの友人だという、麻薬捜査官だ。
「ヴァイ・アイバニーズさんですね?」
「ああ、そうだ」
「私は麻薬捜査官をしております。ずっと、『クロノス』の密売ルートを追ってきました」
違法薬物「クロノス」。
服用はもちろん、所持や売買も禁止されている。
飲み物等に溶かして体内に取り込むことで、素早く効果を発揮させられる。
服用者は眼球が忙しく動き、一時的に動体視力や反応速度が高まる。
その代わりに正常な判断力を失って犯罪に走りやすくなるから、違法薬物認定されているんだけど。
一時的とはいえ、動体視力や反応速度の増幅はレーシングドライバーにとってプラスに働くだろう。
特に、そういったものが落ちてゆく高齢のレーシングドライバーにとっては。
麻薬捜査官さんとの会話中なのに、ヴァイさんは俺に話しかけてきた。
「ランディ。オレはよ……。どんな手を使ってでも、GTフリークスドライバーとして走り続けたかった」
「ヴァイさん……」
「ジョアンナが死んだ後もだ。きっと天国から、オレの走りを見守ってくれている。あいつは走っているオレを、カッコいいと言ってくれていたからな」
「ヴァイさん……」
「だから使えるものは、なんでも使おうと思った。手段は選ばねえ」
「ヴァイさん……もういいです」
俺は首を横に振った。
もうこれ以上は、見ていられない。
なんてこった。
こんなに辛いもんなのか?
他人のヘボい芝居を、見せつけられるってのは。
「なんだよ? 若えのに、ノリが悪いな? あー。そういやお前、転生者だもんな」
「刑事さん、困ってるじゃないですか。あんまり悪ふざけしていると、本当に逮捕されますよ?」
実際、麻薬捜査官さんは困った顔をしていた。
俺がヴァイさんに演技をやめさせたことで、ホッとしたように話を続ける。
「ベセーラをはじめとする、GTフリークス関係者の中に複数人いた『クロノス』常習者、売人を逮捕できました。ヴァイ・アイバニーズさん、あなたのご協力のおかげです。感謝いたします」
ビシッと敬礼する麻薬捜査官さんに対して、ヴァイさんも冗談めかした敬礼で応える。
「……ランディは、全部わかってたのか? てっきりお前は、オレが『クロノス』常習者だと疑ってるんじゃねえかと思ってたぞ?」
「実際、疑ってた時期もありますよ? だけどラーメン屋の帰りとか、演技過剰で全然ダメです。あれで、『ああ、違うな』って思いました」
「お前、自分は大根役者チャンピオンのくせに……。他人のそういうところは、分かるんだな」
「自分が一流の大根役者だからこそ、見えるものもあるんです。……それにヴァイさんは亡くなった奥さんに対して、『カッコつけたい』って言ってたじゃないですか。そんな人が薬物に手を出すなんて、カッコ悪い真似するとは思えない」
「だよなあ……。そんな真似したら、死んで向こうに行った時ジョアンナから捨てられちまうからよぉ。ま、信じていてくれて嬉しいぜ」
ヴァイさんはそう言って、照れくさそうに鼻の下を指で擦った。
「だがよ、『思い残すことはねえ』っていうのは本当だ」
「引退……しちゃうんですか?」
「ああ。お前とニーサお嬢ちゃんの走りを見ていて思ったよ。もうオレみたいな、ジジイの出る幕じゃねえってな」
「そんな……。ヴァイさんはまだ、充分速いじゃないですか」
「そうだな。あと何年かは、やれそうではある。……だけどよ、まだまだ速いうちにスパっと若手にシートを譲るのもカッコいいじゃねえか。老いに抗って走り続けるカッコよさは、この10年でたっぷり見せた。ジョアンナもそろそろ飽きて、別のカッコよさを見たいと思っているはずだ」
天国の奥さんへと視線を向けるように、偽りの夜空を見上げるヴァイさん。
ちょうどその時、星降る夜空が消えた。
立体映像装置の作動が止まり、「ドリームシアター」は元の姿へと戻ったんだ。
目に入るのは、無機質でのっぺりとした天井と壁。
――夢の時間は終わりだ。
「……ドライバーを辞めた後は、どうするんですか? タカサキ系チームのどこかで、監督になったりとか?」
「いや。しばらくはレースから離れて、旅にでも出ようと思う。幸い金はあるしな」
ピットへ帰ろうと、歩き始めた俺達。
ヴァイさんは一旦立ち止まり、ホームストレートの奥を眺めた。
もうそこには、存在しない。
魂を震わす、レーシングカーの咆哮も――
それに熱狂する、観客達も――
撤収作業をするチームクルー達の声と作業音が、遠くに聞こえるだけだ。
「あばよ、サーキット」
ヴァイさんが告げた別れの言葉は、やけに反響して俺の耳にこびり付いた。
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GTフリークスの年間王者になってから、2週間が経過した。
最終戦直後からテレビ出演やら何やらで忙しくしていたけど、今日はようやく自宅のタワーマンションでゆっくりできる。
俺は朝のトレーニングこそさっさと終えたものの、その後は何もする気力が湧かなかった。
今はベッドに横たわり、ボーっと天井を見上げている。
そこへ――
「とうっ!」
掛け声と共に、紫色と褐色で構成された物体が降ってきた。
鍛えられた俺の腹筋も、油断して弛緩し切った状態では防御力皆無。
みぞおちに走る衝撃に、思わず苦悶の声が漏れてしまった。
「ぐえっ! ひどいな、ヴィオレッタ。なにするんだよ?」
ボディプレスを受けた俺の抗議を、最愛の妹は無視。
そのまま腹の上を、ゴロゴロと転がる。
「だってー! お兄ちゃんがボーっとして、全然構ってくれないんだもん!」
「ああ、ゴメンゴメン。色々と、考えごとしててさ」
「……ヴァイさんロス?」
「それがひとつ」
俺にとってヴァイさんは、GTフリークスを――プロドライバーを象徴するような人だった。
すぐ身近にいる、目指すべき頂。
そんな存在を失って、これから何を目標に走ればいいんだろうか?
来年俺は、カーナンバー1を付けて走る。
その重荷に、1人で耐えられるんだろうか?
新しい相方とは、上手くやっていけるんだろうか?
不安と喪失感で、グッタリしてしまう。
「もうひとつは何?」
「ニーサ・シルヴィア」
俺の出した名前に、ヴィオレッタの眉が歪む。
母さん以外の女性の名前を口にすると、すぐヴィオレッタは不機嫌になるんだよな~。
「ニーサさん? あんな負け方をしたから、落ち込んでるんじゃないかって? 大丈夫よ。ニーサさんって、メンタル強そうじゃない」
「あいつああ見えて、けっこう繊細で泣き虫だからなぁ……。最近いつもの公園でランニングしている姿を見かけないし、心配だよ」
「ふーん。女同士である私より、お兄ちゃんの方がニーサさんのこと分かってるって感じよね」
「ああ。なんせ一緒に……」
――危ない!
ついうっかり、ルームシェアして一緒の部屋に住んでいた過去を漏らしてしまうところだった。
もう3年も前の話だし、時効な気がしないでもない。
だけどやっぱり、ヴィオレッタには黙っておこう。
両親にバレたら、怒られそうだし。
「……一緒に、ヌコさんのショップで働いていた仲だしな。ブルーレヴォリューションレーシング時代は、チームメイトだったし」
「なーんか怪しいわね? お兄ちゃん、私に隠してることあるでしょ?」
俺の取り扱いに慣れている家族に、隠し事をするのは不可能に近い。
けれども隠し事を抱えているというのはバレバレでも、その内容までは分からないだろう。
「秘密だよ。大人には、色々あるんだ」
「む~、何かいやらしい! いいもん! 私も適当な男の子と、秘密の関係になってやる!」
「そんなことは、許しません」
「そんなの理不尽よ~!」
――む。
確かにこれは、理不尽かもしれない。
例えばブレイズとヴィオレッタの間に、何やら秘密があるとしよう。
そしたら俺はためらいなく、ブレイズの奴を拷問にかけて吐かせるだろう。
「そのうち話すよ」
「ほんと~? お兄ちゃんが話してくれないなら、ニーサさんに拷も……いえ、直接聞いちゃうから」
拷問なんて、我が妹ながら怖いこと言うなぁ。
誰に似たんだ?
怖いところは、シャーロット母さんかな?
拗らせ具合では、オズワルド父さんかもしれない。
鋭く追及してくる紫の瞳から、どうやって逃れようかと考えていた俺。
すると、携帯情報端末の着信音が鳴った。
ゆっくりと手を伸ばす俺より早く、ヴィオレッタがひったくり勝手に音声通話を始めてしまう。
「もしもーし、ニーサさん? ちょうど良かった。ニーサさんに、聞きたいことが……え? お兄ちゃん? いま尋問中だから、出られませーん。……やぁん♡」
勝手なことを言うヴィオレッタの脇腹を指でつつき、くすぐったさで身をよじった瞬間を狙って俺は携帯情報端末を取り戻す。
「ニーサ、代わったよ」
『ランドールか? 今の艶めかしいヴィオレッタちゃんの声はなんだ? 尋問というのは? まさか兄妹で、背徳的なプレイをしているんじゃないだろうな?』
「尋問という単語を聞いてそういう想像ができるなんて、お前もキンバリーさんに負けず劣らずの変態だな」
『……ち、違う! 私をキンバリーさんと、一緒にするな!』
「それで? なんの用だよ?」
『あー、それがな。なんというか……。もし、時間があったらでいいんだが……その……』
「なんだよ? 歯切れ悪い。ニーサらしくないな」
『う……うるさい! あのな……あのな……。一緒にお昼ご飯を、食べに行かないか?』
「……は?」
どういう風の吹き回しだ?
一緒に飯を、食いに行こうだなんて――
「ちょっとニーサさん! ウチのお兄ちゃんを借りたい時は、マネージャーの私を通してくれないと困るわ!」
ヴィオレッタが、携帯情報端末に向かって叫ぶ。
この大声なら、ニーサにも聞こえたな。
はあ――
俺は飯を食いに行くのにも、妹の許可を取らないといけないのか。
ヴァイさんとラーメン食いに行った時は、何も言わなかったのに。
「……いいわよ、行ってきても。お兄ちゃんはいつも誰にでも、優しすぎると思うけどね。ヘコんでいそうなコを放置するお兄ちゃんなんてらしくないし、そんなの私は見たくない。……面白くはないけどね」
「ありがとう、ヴィオレッタ。お昼ご飯は、なんでも好きなものを食べてくれ」
俺は財布から紙幣を抜き出し、かなり多めにお小遣いを渡す。
「ふふーん、贅沢しちゃお」
とりあえず、マネージャー様のご機嫌取りには成功した。
「ああニーサ、話の途中で悪いな。俺の都合は、大丈夫だ。行こうか?」
『……! そ……そうか! よし! それじゃあ30分後に、いつもの公園の駐車場でどうだ?』
「いいよ。車は俺が出すから」
『ちょっと距離があるけど、いいお店を知っている。車で行くなら、ちょうどいいな』
へえ、どんなお店だろう?
服は何着て行こうかな?
ちょっとワクワクしながら通話モードを終了すると、再びヴィオレッタが不機嫌そうな表情になっていた。
「やっぱり面白くない! 私と一緒にいるより、ニーサさんとデートする方が楽しいのね?」
「よせよ、デートだなんて。ご飯食べに行くだけだろ? ヴィオレッタも一緒に行くか?」
「お兄ちゃんの車、2人乗りじゃない! もう、いいですよーだ!」
べーっと舌を出して、ヴィオレッタはリビングから出て行ってしまった。
本気で怒っているわけじゃないだろうけど、帰りにお土産でも買ってきてもういちどご機嫌取りをしよう。
それにしても――
リビングルームの隅に置いてある、姿見のスタンドミラー。
そこに写る、金髪碧眼、長身の男。
なんだか楽しそうに見えるそいつに向かって、俺は確認するように話しかけた。
「これって、デートじゃないよなぁ……?」




