ターン141 一緒に踊っていただけますか?
そうか――
1号車は給油時間を削って、俺の前に出る戦略を選んだのか。
「それで、1号車は最後まで燃料もちそうなんですか?」
『ギリギリだがもつと、ウチのエンジニアは計算している』
――だよな。
昨年のチャンピオンチーム――ヤマモト企業チームの中でもエース格である天下の「バウバウ」に、計算ミスでガス欠なんて展開は期待できない。
期待はできない。
ならば――
「じゃあ、ガス欠させるように追い込みます」
『よし、やれ』
燃費走行なんて、させないぜ?
追い掛け回して、燃料を使わせてやる。
俺はハンドルに備え付けられたダイヤルを操作し、エンジンマップを変更した。
燃費とパフォーマンスが高レベルでバランスしているマップ4から、1発アタック用のマップ6へ。
このマップ6は、耐久性・燃費無視。
パワーと反応を、最優先している。
立ち上がり加速を良くする、ターボのアンチラグも強めに調整。
「さあ、ニーサ・シルヴィア。俺と度胸試しをしようか? ガス欠へのチキンレースをな」
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レースは残り5周。
俺とニーサの位置関係は、1.5秒差のまま動いていない。
ただ、順位は変わってきていた。
『また、1台抜いたな。これで3位だ』
「了解」
飛び抜けたハイペースで走る俺とニーサを、誰も抑えられない。
ピットインのタイミングがよそと違って理想的だったこともあり、3位まで順位を戻していた。
すぐ前を走る、ニーサが2位。
その前にいる、1位のマシンは――
まずいことに、ヤマモト〈ベルアドネ〉24号車だ。
なにがまずいかって?
同じメーカー同士であるニーサはすんなり抜かせて、ライバルメーカーである俺には鬼ブロックをかます可能性が高いんだ。
特に24号車は今シーズン成績が振るわず、王座獲得の可能性が残っていない。
優勝は欲しいだろうけど、ヤマモト陣営からチャンピオンを出す方が重要だ。
チームプレーに徹するだろうな。
「そうなる前に、ガス欠させてやる。おらおら、もっと燃料使え」
俺にできることといえば、後ろからニーサを追い立てて無駄に燃料を使わせるぐらいだ。
これだけ追い掛け回してやれば、奴も燃費走行なんてできていないはず。
パワーモードのエンジンマップを使わされて、燃料はカツカツのはずなんだ。
だって、燃料を多く積んだ俺の方だって――
『ランディ。このままじゃ、チェッカーまで燃料がもたん。しばらくマップ4で我慢しろ』
――ってな具合に、ギリギリだったりする。
今頃ウチのエンジニアは、大変だろう。
テレメトリーシステムから送られてくる燃料残量の情報を見ながら、真剣な顔して計算しているに違いない。
ニーサ達「バウバウ」のエンジニアなんか、ガス欠の恐怖で顔面蒼白かもな。
残念ながらガス欠に追い込む前に、ニーサが24号車に追いついてしまった。
「コークスクリュー」入口のブレーキングで、あっさり追い抜く。
やっぱり24号車は、ニーサを先に行かせやがったな。
なら、俺は――
「コークスクリュー」は入り口が急な左コーナーで、その後は中速の右、左と続くS字コーナー。
急な下り斜面をかけ下りながら切り返すその区間で、俺は24号車に仕掛ける。
まさかこんな危険な区間で仕掛けてくるとは思っていなかったらしく、24号車は俺をブロックする心構えができていなかった。
右コーナーで外側から被せ、続く左コーナーで内側に入る。
「コークスクリュー」を下り切った頃には、完全に抜き去ることができた。
よし、あと1台。
ニーサの〈ベルアドネ〉1号車から、トップを奪うだけだ。
36号車が優勝して1号車が2位なら、ランキングポイントは同点。
その場合は優勝回数でチャンピオンが決まるから、俺達の勝ちになる。
〈ヒサカマシーナリー・バウバウベルアドネ〉の後部に輝く、カーナンバー1。
来年あれは、俺とヴァイさんのものだ。
ガス欠寸前だとは思えないほど、ニーサのペースは速い。
燃料を無駄遣いできない分、タイヤを惜しまず使ってペースを維持しているな?
俺もだよ。
おかげで走行距離には余裕あったはずなのに、もうタイヤがズルズルだよ。
頼む――
もうちょっとなんだ。
頑張ってくれ、さーべるちゃん。
俺やヴァイさんと一緒に、チャンピオンになろう。
大丈夫だよ。
ヤマモト〈ベルアドネ〉は凄いマシンだけど、お前の方がもっと凄いよ。
その証拠に、ほら。
じりじりと、差が詰まり始めた。
『最後の1周だ。丸々1周、マップ6を使え』
待ってました!
アレス監督から、お許しが出たぜ!
手元でエンジンマップを変更。
パフォーマンスを開放する。
ホームストレートの「アナザー・ケメル」で、俺とニーサは完全に2台横並びになった。
上空を飛ぶ立体映像の飛竜達が、激しく火炎の吐息を吐く。
最後の1周の特殊演出らしい。
ニーサの〈ベルアドネ〉1号車も、ドアの横にある排気口からドラゴンの吐息に劣らない激しいアフターファイアを吐き散らかしていた。
前置きエンジンのレーシングカーって、前輪のすぐ後ろ辺りから横に向かって排気するんだよね。
ウチのさーべるちゃんはエンジンが後ろにあるミッドシップだから、排気口も後ろなんだけど。
そんなニーサの〈ベルアドネ〉と並んだまま、1コーナーへ向けてブレーキング。
コーナーを曲がっている間も、ずっと横並びだ。
右ターンである1コーナーから、左ターンである2コーナーへ。
内と外が入れ替わる。
それでもまだ、横並び。
坂を駆け上り、「コークスクリュー」入口まできても並んだまま。
おいおい、ニーサ。
まさかこのまま、並走状態で「コークスクリュー」に突っ込む気じゃないだろうな?
お前は不利で危険な、外側なんだぞ?
意地を張ったら、コースから飛び出しちゃうぞ?
俺の心配をよそに、ニーサは並んだまま「コークスクリュー」に突っ込んできた。
危うさは感じない。
そのままずっと並走しながら、コークスクリューを駆け下りた。
なんだコレ?
楽しい!
この一体感は、どういうことだ?
まるで2人で、ダンスでも踊っているみたいだ。
よくよく考えてみれば、俺とニーサが直接コース上でやり合ったのって今年GTフリークスに乗り始めてからが初なんだよな。
それまでも競い合ってきたけど、パラダイスシティGPの時は俺が先にリタイヤしちゃったし、ブルーレヴォリューションレーシング時代はチームメイトで同じ車を共有してきた。
コース上で一緒に走ることが、こんなに楽しい相手だったなんてな。
知らなかったぜ。
視界の端――前窓に、燃料残量警告のアラートが表示されていた。
だけど今は、そんなことどうでもいい。
踊ろうニーサ。
俺と一緒にな。
さて、ダンスもいよいよフィナーレだ。
最終区間である、「オー・ルージュ」が迫ってきた。
当然のように、並走して突っ込む俺とニーサ。
高速コーナーである「オー・ルージュ」も、その後に続く急な上り坂のS字も、ピッタリ息を合わせたように並走を維持。
ホームストレートである、「アナザー・ケメル」へと戻ってきた。
グランドスタンドのお客さん達が、総立ちになっているのが見える。
そりゃ、大興奮ものだろう。
コース丸々1周2台横並びなんて、滅多に見られるもんじゃない。
俺が観客席にいても、立ち上がって興奮していただろうな。
コントロールラインが迫る。
ポストの中で係員さんが、チェッカーフラッグを構えていた。
「また踊ろうな、ニーサ」
右サイドにいた彼女に向かって、軽く手を挙げた瞬間――
1号車は失速した。
――ガス欠だ。
残り僅か50mで、骸姫〈ベルアドネ〉は飢えて力尽きたんだ。
チェッカーフラッグが振り下ろされる。
俺達が優勝。
ニーサ達は2位だ。
サインエリアから、両チームのスタッフ達が身を乗り出していた。
「ラウドレーシング」は皆、歓喜を爆発させている。
「バウバウ」の面々は、絶望に表情が凍り付いていた。
残酷だけど、これがレース。
ほんの少し歯車が狂っていたら、絶望していたのは俺達の方だった。
『よくやった、ランディ。……本当に、よくやってくれた』
いつも冷静なアレス監督も、感極まった声で無線を入れてくる。
ああ俺は、ワークスドライバーとしての責務を果たせたんだな。
なんだか喜びよりも、安堵感の方が大きい。
深く息を吐き出して全身の力を抜いた時、今度はヴァイさんが無線で呼びかけてきた。
『おめでとう、ランディ』
「ありがとう、ヴァイさん」
耐久レースは、この瞬間がたまらなくいい。
チームメイトと一緒に表彰台に上がれる、チャンピオンになれる。
思えば俺は、フォーミュラカーレースより耐久レースの方が向いていたのかもしれない。
フォーミュラの世界だと、チームメイトは最大の敵だからなぁ――
地球にいた頃も、耐久に乗ればよかった。
ふと空を見上げると、何かが降ってくる。
花火のしだれ柳みたいに、キラキラと瞬きながら降り注ぐ光の粒子。
それが幻の空を、埋めつくした。
これも、レース終了の演出かな?
綺麗だ――
幻想的な光景にぼんやりしながらウイニングランをしている時、突然ガクンという衝撃が襲ってきた。
――俺もガス欠だ。
下り坂は惰力で走れるけど、最終区間の上り坂はもう自力じゃ上れない。
このコースで1番低い位置にある「オー・ルージュ」の底で、俺は自走するのを諦めた。
邪魔にならないようコース外に出て、コーナーポスト近くに停車する。
すぐに、コース係員さんが駆け寄ってきてくれた。
「ガス欠ですか?」
「ええ、自走は無理です。引っ張ってもらえます?」
「わかりました。すぐにFROが来ますから。……それにしても、凄いレースでしたね。おめでとうございます」
「……! ありがとうございます!」
なんだかヴァイさんに言われた時よりも、ずっと強くチャンピオンの実感が湧いてきた。
コース係員さんの言った通り、すぐに車両が到着する。
ファースト・レスキュー・オペレーションと呼ばれる、ドクターや消火・救助のスペシャリストで構成されたチームの車両だ。
見事な手際で素早く牽引ロープが接続され、ゆっくりと〈サーベラス〉が動き出す。
優勝マシンがドナドナ状態で運ばれていくなんて、前例があるんだろうか?
エンジンが止まっているから、観客の歓声がよく聞こえる。
速度がゆっくりだから、表情もよく見えた。
みんな祝福してくれている。
俺とさーべるちゃんを。
ひたすら観客に向かって手を振り続けているうちに、ピットロードへとたどり着いた。
今回はここが、レース終了後の車両保管場所であるパルクフェルメだ。
停車するなりヴァイさんが走り寄ってきて、パンパンと軽くボンネットを叩く。
でかした〈サーベラス〉ってところかな?
ヴァイさんはそのまま車体側面に回ってドアを開け、降りようとする俺の手をガッチリと握り締めた。
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表彰式や記者会見の間、俺は珍しく緊張しなかった。
喜びのあまり――というわけじゃない。
隣でニーサが泣き腫らした目をしていたから、それが気になってしまったんだ。
さすがにベテランのラムダ・フェニックス選手は泣いていなかったんだけど、滲み出る落胆の色は隠せていない。
そんな2人と「バウバウ」のスタッフ達に配慮したコメントを考えるのに気を取られて、マイクもカメラも大勢の視線も気にしている余裕がなかった。
俺は優勝した時、スポンサーや応援してくれた人達の気持ちを考えて大喜びするようにしている。
だけど今回、ヤマモト勢が見ている前ではどうしてもそういう気分にはなれない。
ヴァイさんも同じ考えみたいで、静かな受け答えをしていた。
淡々とインタビューを受け、後片付けへと入る。
その後片づけの途中で、俺はヴァイさんから呼びだされたんだ。




