ターン140 欲張りジジイの要求
俺達のピットに、怒鳴り込んできた男。
なによりもまず、彼の個性的な髪型が目に付く。
ボリュームたっぷりのアフロヘアだ。
頭上には、ヤマモト企業チーム「バウバウ」の赤いキャップを被っている。
だけど髪の毛がボワンと氾濫していて、帽子としての役目を果たしていない。
丸型のサングラスが、なんとも胡散臭かった。
針金のように細い手足は食生活が心配になるほどで、売れないミュージシャンかアーティストって雰囲気だ。
でもこの人――
アッツ・ミレーさんの肩書は、ヤマモトワークスの中でもエース格チームである「バウバウ」の監督だったりする。
「ミレーか……。どういうつもりもなにも、レーシングアクシデントだろうが? お互い、リタイヤしなくて良かったな」
興奮してるっぽいミレー監督に応じたのは、我らがアレス・ラーメント監督。
腕を組み、悠然とした態度だ。
「けっ! よく言うぜ! ウチのラムダを、コースアウトに追い込んどいてよぉ」
なんだと?
それは、聞き捨てならないな。
「ちょっと! ミレー監督! おたくのラムダさんだって止まり切れてないんだから、ブレーキングミスをしているんでしょう? ヴァイさんがわざと押し出したみたいな言いがかりは、やめてくれませんかね?」
俺の抗議に、ミレー監督の唇が歪む。
目はサングラスに隠れて見えないけど、どうやら不可解って感じの表情だ。
「んん~? ランドール・クロウリィ。てめえ、分かんなかったのか? 純粋っつーか、若えっつーか。……まあウチのニーサも分からなかったみてーだし、しゃーねーか。……とにかく! この後は、フェアに頼むぜ! フェアによぉ!」
ミレー監督はビシリとアレス監督を指差すと、足早に自分のピットへと戻っていった。
「なんなんだよ!? まったく! ヴァイさんだって、突っ込み過ぎたのはわざとじゃないに決まってるだろ!」
「いや……。たぶん、わざとだ」
その言葉に驚いて、俺はアレス監督の方を振り返る。
「ヴァイは曲がり切れなかった体で膨らみ、ペナルティにならない範囲でラムダ・フェニックスにプレッシャーを掛け、当てずに押し出すつもりだった。ブレーキング時や曲がり始めの走行ラインが、それを物語っている」
「ええっ!?」
「一方のラムダも、ヴァイの思惑には気づいていた。ブレーキングの我慢比べに乗ったフリをしてヴァイをオーバーランさせ、ラインを交差させて抜き返す。あるいは今度は自分が、内側から押し出すぐらいのつもりだったのかもな」
「マジですか……。2人とも、黒い」
「いや。黒じゃなくて、グレーゾーンさ。黒なら絶対にやってはいけない。ペナルティを食らって、負けるからな。グレーなら勝つために、やることもある。プロの世界っていうのは、そういうもんさ」
「失敗すれば、順位を落とす可能性が高かったでしょうに……。現にこうして、最後尾近くまで落ちてるわけですし」
「それでもお互いに、ポイント争いをしているライバルを潰しておきたかった。後ろのランキング3位までは、少しポイント差が開いていることだしな。このレースの順位より、年間王者になれるかどうかの方が遥かに重要だ」
涼しい顔をして答えるアレス監督。
この人も、腹黒いな。
「アッツ・ミレーの奴が怒鳴り込んできたことは、気にするな。あれはパフォーマンスだ。後半走るお前に、プレッシャーを掛けたかったんだろう」
黒い人だらけ。
GTフリークス界って、恐ろしいね。
「俺、素直過ぎるんですかねぇ……」
幼児期や少年時代は中身が大人なだけに、腹黒い子だった俺。
けれども百戦錬磨の兵が多いGTフリークスでは、どうも単純過ぎるような気がしてきた。
「駆け引きや戦略、それもプロドライバーにとっては大事な要素だ。だが何よりも、周りがドライバーに求めるもの……。それは……」
そこでアレス監督は、モニターに映る映像へと視線を向ける。
ちょうどヴァイさんが、前を走る19号車に追いついたところだった。
車種は同じ、タカサキ〈サーベラス〉。
マシンセッティングが思うように決まらず、予選では最後尾に沈んだマシン。
ヴァイさんはブレーキングを遅らせて、19号車の内側に飛び込んだ。
そんなヴァイさんに便乗し、ラムダさんも続いて内側に飛び込む。
2台はまるでクラス下のマシンを処理するかのように、軽々と19号車をかわしていった。
「……それは、速さだ」
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「2台とも、なんて速さですの……」
タイミングモニターを見上げながら、マリーさんが呆れたように呟く。
レースは65周中、すでに15周を消化。
この15周の間に、ヴァイさんとラムダさんが抜いたマシンの数――なんと13台!
順位はヴァイさんが16位、ラムダさんが17位まで戻してきている。
「これは……36号車と1号車が速いというのもありますが……。周りが遅いですね」
けっこう酷い言いようだけど、タイムを見るとジョージの言う通りだったりする。
「ひょっとしてみんな、路面温度にタイヤが合っていない……?」
俺の推理に、ジョージが軽く顎を引いて応じる。
「ええ。ミディアムタイヤ勢は路面温度が想定より上がり過ぎていて、思うように食い付かないようです」
ウチと1号車だけが、硬めのハードタイヤを選択していた。
普通は柔らかいタイヤの方が食い付きが良く、周回タイムも速くなるもんだ。
だけどこういう風に路面の状況や温度と噛み合わないと、逆転現象が起こることもある。
「そうか……。よそは気温と路面温度の変化を、甘く見積もり過ぎたな」
「ええ。このドリームシアターは、地下にある屋内施設。天候の影響は受けない。だからフリー練習走行や予選の時と、大して変わりないと踏んでしまったようですね」
実際には、昨日、一昨日と比べるとかなり暑い。
原因はおそらく、決勝日ゆえの観客数の増加。
もうひとつの原因は、立体映像関係の機器を長く使用していることによる発熱。
それらに対して空調設備が、追いついていないんだ。
初めてのサーキットで初めてのビッグレース開催だから、誰もそんな変化を予想できなかった。
ラウドレーシングとバウバウ以外はね。
「よく考えると、凄いことですわね。周りより硬いタイヤを使ったのに、予選1番手と2番手なんて……」
「エンジニアとメカニック達による、努力の賜物ですね」
「ジョージそれ、俺達ドライバーが言うやつ」
自分で言っちゃったら、自画自賛な感じがして感動が半減しちゃうだろ?
でもまあ、ジョージの言う通りではあるんだけどさ。
確かにマシンは、最高の仕上がりだよ。
これで速く走れないドライバーなんて、クビになっても文句は言えない。
「この展開だと……ミディアムタイヤ勢は、最小周回数でピットに戻ってきますね」
ジョージの言葉を裏付けるように、周りのピットではタイヤ交換やドライバー交代の準備が始まった。
路面に合っていないせいで、タイムも出ないし摩耗も早いタイヤ。
そんなモノは、とっとと交換してしまいたい。
だけど1人のドライバーがレース全体の2/3以上走っちゃうと失格になっちゃうから、1/3までは頑張って走らないといけない。
このレース距離で2回以上ピットインするなんて、確実に負ける戦略だからな。
「いいぞ~。ウチはタイヤが長持ちするから、まだまだ長く引っ張れる。そしたら給油時間は短くて済むし、俺も後半タイヤを温存せずにハイペースで走れる」
ヴァイさん達が飛び出しちゃった時は焦ったけど、流れは完全に俺達へと向いているな。
「やれやれ……。さっきは『単純すぎるかも?』なんて言っていましたが、今のランディも充分腹黒い顔をしていますよ?」
ジョージとマリーさんの白い視線に気づいて、俺は顔を背けた。
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40周目。
ウチと1号車が同じタイミングで、ようやくピットイン。
コース上で生き残っている27台中、1番遅いピットインだ。
「ふぃ~、疲れたぜ。後は任せるぞ! ランディ!」
ドライバー交代作業を終えた後、ヴァイさんはドアを閉める前にそう言ってきた。
「疲れたぜ」なんていう台詞の割に、あんまり疲れてなさそうな声で。
「任せられました! あのドラゴン娘は、俺が撃墜します!」
「おいおい、そりゃ意味深だな。レースで勝つって意味か? 車をぶつけて、リタイヤさせるって意味か? それとも恋愛的な話か? ……なあランディ。オレはよ、人生であと1回ぐらいGTフリークスのチャンピオンになりてえ」
「3回も獲っておいて、まだ欲しいんですか? 欲張りですね」
「そうだよ。欲張りジジイなオレに、プレゼントしてくれよ」
「俺もチャンピオン欲しいですからね。……奪い取ってきます!」
強く打ち合わされる、俺とヴァイさんの手の平。
託されたんだ。
想いを、夢を、勝利を。
これに応えられなきゃ、レーシングドライバーじゃない。
ドアが閉められたのを確認して、視線を前方へ。
同じくピット作業中だった、〈ヒサカマシーナリー・バウバウベルアドネ〉のドーナツ型テールランプが見えた。
すでにドライバーはラムダ・フェニックス選手から、ニーサ・シルヴィアへと乗り換え作業が終了している。
「……えっ!? 速い!?」
俺の〈サーベラス〉とニーサの〈ベルアドネ〉は、同時に作業が終わりジャッキダウン。
タイヤが地面に着地する。
俺達ラウドレーシングの方が、手前にピットがある。
つまり向こうの方が、作業時間が短かったということ。
そして同時にピットから出たんじゃ、先に行かれてしまうということ。
「クッソ! お前のケツなんか、興味無いんだよ! どけよ!」
どいてくれるわけがないのに、俺は思わず毒づいてしまう。
コース上へと復帰したニーサは、軽く蛇行を繰り返した。
おいおい。
それはタイヤを温めるのに見せかけた、ブロックじゃないのか?
直線で2回以上の進路変更は、ルール違反だぜ?
うーん。
でもたぶん、ペナルティは取られないだろうな。
俺も前にいたらやるし。
レース終了までに、なんとかこいつの前に出ないといけない。
後ろでゴールしたんじゃ、5ポイント差は埋まらないからな。
ピット作業の時間差で、前に行かれたのは辛いぜ。
でも、不思議だな?
ニーサ達「バウバウ」は、ピット作業の速さには定評のあるチーム。
だけどラウドレーシングだって、トップクラスだ。
タイヤ交換の速さは、引けを取っていないはず。
なぜ、ピットで先に行かれたんだ?
それにしてもニーサの奴、速いな。
まだタイヤだって、温まり切ってないだろうに。
コースに復帰してから1周。
ほんの少しずつだけど俺とさーべるちゃんは、ニーサの〈ベルアドネ〉に引き離されつつある。
んー。
なんだか向こうの方が、こっちより動きが軽いような?
元から最低重量は、FRの〈ベルアドネ〉が50kg軽くなるようルールで設定されている。
その分MRである〈サーベラス〉の方が、ブレーキング時の重量バランスとか蹴り出し性能で有利。
だから、速さは互角のはずなんだけどな?
タイヤが温まった〈ベルアドネ〉1号車は、さらに走りの鋭さを増した。
「コークスクリュー」や「オー・ルージュ」で火花を散らしながら、まるで空を舞うツバメのように駆け抜ける。
デカくて威圧感のあるボディに、似合わない軽快さだ。
待てよ?
あの軽快な動き――
そして、短いピットストップ時間――
これは、ひょっとしたらひょっとして――
その時アレス監督から、答え合わせの無線が届いた。
『ランディ。1号車は、給油時間が短かった。燃料タンクが軽いぞ』




