ターン137 ドラフティングパートナー
樹神暦2637年7月
GTフリークス 第5戦
ガンズ国家連合タイラー州
エアロスミスサーキット
決勝日
路面状況:晴れ
レース中――
〈サーベラス〉を走らせている俺は、とてつもない重さを感じていた。
重い!
重すぎる!
車の重量の話じゃないぜ?
さーべるちゃんの車重は900kgと、日本の軽自動車並みに軽い。
重いのは、俺の体。
頭から下半身に向けて、強烈なGがかかっている。
身長が子供の頃にまで、縮んでしまいそうな程に。
そう――
レースでコーナーを曲がる時、いつも感じている横Gじゃない。
久しぶりの縦Gだ。
昔ジュニアカートのモア連合統一戦で走った、イトゥーゼアリーナ以来。
あのコースと、同じような状況だ。
俺とさーべるちゃんは今、傾きの付いたコーナーを走っている。
エアロスミスサーキット名物、「テンペスト」。
360度、ぐるりと左に1周旋回するループコーナーだ。
そのバンク角は40度。
ほとんど壁を走ってるようなもん。
350km/hの速度で突っ込むと、そんな壁みたいなコーナーでも下に落っこちることなく走れる。
その代わり殺人的な遠心力が、俺とマシンを押し潰そうとするんだけどね。
そんな特殊なコースレイアウトに備えて、今回のレーシングスーツは特別製だ。
戦闘機パイロットや航空機レースパイロットが装備するような、耐Gスーツになっていた。
縦Gが掛かり過ぎると、脳の血液が下がって失神しちゃう。
そうならないよう液体を流して下半身を締め上げ、脳への血流を確保するハイテクスーツだ。
さらに俺達レーシングドライバーは鍛えられた筋肉を使っていきむことで、常人よりかなりGに耐えることができる。
それでも、限度はあるけどね!
きついことは、きついんだけどね!
重く感じるものは、自分の体以外にもうひとつある。
それは大気。
350km/hもの速度になると、とんでもない空気抵抗がかかって車体を押し戻そうとする。
GTフリークスマシンは、700馬力ものパワーがあるにもかかわらず。
ドラッグ・リダクション・システムでウイングを寝かせて、空気抵抗を減らしているにもかかわらずだ。
「くっそ……伸びるな……。87号車は……」
バンクで火花を散らしながら、俺の4秒前を走る87号車。
その姿が、少し小さくなった。
87号車は、ナイトウィザード社の〈シヴァV12〉。
のっぺりとした空気抵抗の少ない車体と、7ℓV型12気筒エンジンの絞り出すパワーで直線はアホほど速い。
このコースは全開区間が長いから、直線番長の〈シヴァ〉と相性がいいんだ。
さて――
そんな車を、どうやって捕まえたもんか。
コーナーの連続するテクニカル区間では、俺の方が速いんだけど――
悩んでいると、後方モニターに縦長のヘッドライトが写り込んだ。
車の色は、赤と黒のツートン。
カーナンバー1、〈ヒサカマシーナリー・バウバウベルアドネ〉。
ドライバーは、ニーサ・シルヴィアだ。
前を追わなきゃいけない状況なのに、後ろも気にしなきゃいけないとは――
――ん?
待てよ?
いいこと思いついたぞ!
このクソ重い大気の壁をぶち破るのを、ニーサの奴にも手伝ってもらおう。
ニーサの〈ベルアドネ〉が、俺の背後にベッタリくっついた。
この前走車を風よけにして最高速度を上げる技を、日本やマリーノ国では「スリップストリーム」って言う。
だけどガンズ国家連邦では、アメリカ式に「ドラフティング」って呼ぶらしい。
分かってるんだろうな? ニーサ。
俺とお前は、今から「ドラフティングパートナー」だぜ。
ニーサに風よけとして使われる俺には何もメリットが無いかっていうと、そんなことはない。
実は超高速域になると、前走車も恩恵を受けられる。
マシン後方で発生する空気の渦が無くなって、後ろの車ほどじゃないけど速度が引き上げられるんだ。
1.5kmの裏ストレートで速度を乗せ、俺とニーサは「テンペスト」へと突入する。
また、強烈な縦Gが襲ってきた。
ぐえーっ!
しんどい!
しんどいけど――速度は前の周より、確実に伸びている。
ニーサを引っ張ったまま、「テンペスト」を脱出。
そしたらニーサの奴、ドラフティングで稼いだ勢いを使ってそのまま俺を抜きにかかりやがった。
――いいぜ、交代だ。
俺はあっさりと、ニーサを前に行かせる。
コース前半のテクニカル区間では、あまりニーサの後ろに張りつかない。
風が当たらなくなるとエンジンやブレーキが冷えなくなるし、空気の力で地面に車体を押し付けるダウンフォースも使えなくなってコーナーが遅くなる。
そんなわけで、再び裏ストレートに戻ってきてからベッタリと貼り付かせてもらった。
おお!
吸い込まれるように、速度が伸びる。
〈ベルアドネ〉の特徴であるグラマラスなデザインの尻と、ドーナツ形状のテールランプ。
そこに、さーべるちゃんの鋭い鼻先がギリギリまで接近した。
なんか――
変な気分――
これ、絶対あとからニーサに言われるだろ。
「人の尻を追い回して、貴様は変態だな!」
とか、
「ストーカー野郎め! 通報してやる!」
とか。
罵られて喜ぶ趣味はない。
だから「テンペスト」脱出後、今度は俺が前に出る。
ニーサはブロックしてこない。
よーし、いい子だ。
俺がやろうとしていることを、しっかり理解しているみたいだな。
普段からこれぐらい、物分かりが良ければなぁ。
こうやってお互いが交互に風よけになり、ペースを上げるのが「ドラフティングパートナー」。
元々は普通のサーキットじゃなくて、競輪場みたいな形状をしたオーバルコースの超高速レースで使われる駆け引きだ。
まあこのエアロスミスサーキットは全開走行区間が長くて、後半はほとんどオーバルみたいなもんだけど。
俺とニーサは数周に渡って交互に風よけになり、ペースを引き上げる。
おかげで87号車の〈シヴァ〉を、ドラフティングの射程圏内に捉えられた。
ただ、レースはもう最後の1周だ。
すでに前半のテクニカル区間は終わり、残りは〈シヴァ〉の得意とする高速区間しか残っていない。
普通に考えれば、抜きどころはないはずだけど――
「へへへっ。俺が1番、ドラフティングの恩恵を受けられる位置なんだよね」
現在の並びは、
1位 87号車 〈シヴァ〉
2位 1号車 ニーサの〈ベルアドネ〉
3位 36号車 俺の〈サーベラス〉
という順番だ。
3台が密着して走れば、1番後ろの俺が最も速度を伸ばせる。
「よーし、最後は両側から行くぞ。合わせろよ」
もちろん敵チームのドライバーと、無線交信なんてできない。
けれど俺の呼びかけに対し、ニーサの声が聞こえたような気がした。
「分かっている、貴様もしくじるなよ?」という声がね。
40度バンクの「テンペスト」を旋回中、俺とニーサは隊列を崩した。
87号車の両側から、抜きにかかる。
俺が内側、バンクの下段。
ニーサが外側、バンクの上段から。
両サイド――斜め後ろに車体をねじ込むことによって、87号車の速度が引き下げられる。
なんで下がるのかって?
87号車の車体側面を流れて行くはずだった空気が、俺とニーサの車が邪魔になって自車のリヤウイングに当たってしまうんだ。
ブレーキ時やコーナーを曲がる時は、リヤウイングに風を受けて車体を路面に押し付けたいところ。
だけど直線をかっ飛ばしている時は、速度が下がるのでノーセンキュー。
「そんなに要りません」と訴える87号車ちゃんに、「遠慮するなよ」と意地悪く空気を強制プレゼントだ。
空気ハラスメントとでも言うべき俺とニーサの嫌がらせに耐えかねた87号車ちゃんは、泣きながらトップ争いから脱落した。
いや~。
V型12気筒エンジンのソプラノ排気音が、本当に泣き声みたいに聞こえてさ。
ゴメンね。
悪いのは全部、あの腹黒生意気竜人族だから。
俺が仇を取ってやるから、許してくれ。
そのまま87号車に接近していると、今度はこっちが風を受けて遅くなっちゃう。
それを嫌って、俺とニーサはバラけた。
俺はバンクの最下段に。
ニーサは最上段、外側の壁ギリギリまで寄せる。
――あれ?
なんか俺より、ニーサの方がスピード乗ってね?
あんなに外側を走ってるのに。
その瞬間、俺は思い出した。
ケイト・イガラシさんがブルーレヴォリューションレーシング時代に、話していたことだ。
『ガンズ国家連合のオーバルレースではな、わざと外側の壁ギリギリを走るドライバーもおるねん。なんでかっちゅうと、壁と車の間に挟まれた空気が車体を押し返すんよ。ほんで、曲がるのを手助けしてくれる。これを、「サイドフォース」言うてな……』
サイドフォース!
そういえばあの時、ニーサも俺と一緒に話を聞いていたな。
なんてこった。
あいつは今、それを取り入れて走ってやがるのか?
理屈は分かっていても、いきなり実戦でやれるもんなのか?
壁まで数cmしかないんだぞ?
ちょっとでもミスったら、激突して終わりだ。
だけどニーサは、ミスしなかった。
「テンペスト」のバンクを駆け抜け、そのままホームストレートへ。
畜生!
俺の〈サーベラス〉より、奴の〈ベルアドネ〉が頭ひとつ前だ!
チェッカーフラッグが振られる。
ニーサ・シルヴィア、GTフリークス初優勝。
そして俺は――2位だ。
「あ~っ! くっそ~! もう少しだったのに!」
めちゃくちゃ悔しいけど、ハンドルを叩いたりはしない。
さーべるちゃんは良くやってくれたのに、八つ当たりするわけにはいかないだろう?
代わりに拳をギュッと握り締めて――あっ、これもグローブが可哀想だ。
しょうがない。
思いっきり叫んで、悔しさを発散しよう。
「憶えてろー!! ニーサ・シルヴィアー!!」
ついでにニーサの〈ベルアドネ〉に向かって、中指を立ててやる。
車載カメラに写ったら問題になりそうだから、手元でこっそりとだ。
『2位なのに、ずいぶん荒れてるじゃねえか。前回まで、表彰台にも登ったことなかった奴がよ』
突然入ったヴァイさんからの無線に、俺はビクリと身を震わせた。
あ――あれ?
無線の交信ボタン、押してました?
「……そりゃあとちょっとのところで、優勝が手から零れ落ちたんですからね」
『へっ! これで悔しがってなかったら、ケツを蹴り上げてやるところだ。……イイ感じで、勝利に飢えているな』
「いちど味を知っちゃうと……ですね」
『次は、年間王者でも味わってみるか?』
――年間王者。
その言葉の甘美な響きで、2位の悔しさが薄れていった。
優勝ほどじゃないけど、2位だってランキングポイントはかなり稼げる。
王座争いに加わるためには、大きな1歩だ。
「いいですね、年間王者……」
俺の少し前を、クールダウンでゆっくり走っている〈ヒサカマシーナリー・バウバウベルアドネ〉。
その車が身に着けているゼッケン1を――去年のチャンピオンカーである証を、俺はじっと見つめていた。




