ターン133 ワタクシのドライバー
■□マリー・ルイス視点■□
大歓声が、ワタクシの体を震わせました。
ちょうどピットの前には、コースを挟んで超満員の仮設スタンド。
雨が上がったので、雨具を脱いだ方が多いです。
観客の皆様は総立ち。
拳を握り締め、振り上げる方。
指笛を吹き鳴らす方。
携帯情報端末で、動画を撮影する方。
新たなスター誕生の瞬間に立ち会えた、興奮と喜びが渦巻いています。
熱狂するスタンドの前を、2台のマシンが通過しました。
低いターボサウンドを響かせて、ライムグリーンの魔犬〈サーベラス〉。
それに従えられて、イエローとシルバーに塗り分けられた〈スティールトーメンター〉。
ドラッグ・リダクション・システムを作動させて、2台はさらに速度を上げます。
リヤウイングの端から、飛行機雲を引き始めました。
ネオンの光が映りこむ、濡れて鏡のようになった路面。
2台は激しい水煙を巻き上げながら、その路面を引き裂いていきます。
美しい――
先程までGTフリークスマシンのスピードが怖くてたまらなかったのに、今はその走る姿が愛おしくてたまりません。
現金なものです。
あれだけランディ様の身を案じておきながら、いざ勝利が近づくと狂おしいほどの喜びが湧き出してきます。
落ち着きなさい、マリー・ルイス。
あなたは、お金を出しただけですのよ?
これはランディ様と、チームスタッフ達が掴む勝利。
自分が勝ったように喜ぶのは、筋違いなのではなくて?
そう自分に言い聞かせて、落ち着いている様を装います。
ワタクシのそんな様子を見て、ジョージ様が「ふっ」と短く息を吐き出しました。
「マリー社長、何をそんなに我慢しているのですか? 確かにチェッカーフラッグを受けるまでは、何が起こるか分からないのがレースですが」
「ジョージ様……。いえ……その……。何もしていないワタクシが、そんなに喜んでいいものなのかと……」
「何もしていない? したじゃないですか? あなたは『選んだ』。ランドール・クロウリィというドライバーを」
体の中を、風が吹き抜けたような感覚でした。
――そうですわ。
出資するということ。
それは単に、お金を出したというだけではありません。
選んだのです。
自分の代わりに、レースを戦う分身を。
ならば――
ならばよいのでしょうか?
この勝利を、自分の勝利として喜んで。
「あ、まだダメですよ? ちゃんとチェッカーを受けてからです」
ランディ様並みに、ジョージ様から心の中を見透かされてしまいました。
それぐらい、ワタクシは興奮を抑えられなくなっていますの。
体が熱い――
じっとしていられない――
ワタクシはサインエリアまで行き、金網に貼り付きました。
帰ってくるのが、待ち遠しい――
ワタクシの選んだドライバーが。
ふと視線を感じて、ビルの隙間から覗く夜空を見上げます。
もちろん、誰もおりません。
雨雲が去った夜空で、2つの月が静かに輝いているだけです。
なにか、嫉妬の混じった視線を感じたのですが――はて?
――ああ。
あなたの視線でしたのね。
「ごめんなさい、エリック・ギルバート様。あなたが育てていたドライバーなのに、ワタクシがおいしいところをいただいてしまって……」
月の向こう――
天国で悔しがっているはずのエリック様に向けて、微笑みかけます。
ワタクシのことですから、きっと悪役っぽい笑顔になってしまっているのでしょうね。
「気分は最高ですのよ? 天国まで聞こえますの? この大歓声が。見えますの? GTフリークスマシンを駆る、ランディ様の雄姿が」
水平対向4気筒のエンジン音が、近づいてきます。
大変申し訳ないのですが、あれはもうワタクシのドライバーなのです。
マシンの各所に散りばめられたブルーレヴォリューションの企業ロゴは、ワタクシのものであるという証。
チェッカーフラッグが振られました。
はしたないぐらいに大声を上げて、勝利を喜ぼうと思っていましたのに――
零れたのは涙。
そして、静かな感謝の言葉。
「……ありがとう」
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■□ランドール・クロウリィ視点■□
ヴァイさんと並んで登った、表彰台の1番上。
みんな窒息するんじゃないの? っていうぐらい密集した観衆に見上げられて、俺が緊張のあまり固まっていた時のことだ。
「……教えてくれ。どうしたら、そなたのようになれる?」
隣の2位表彰台にいた、デイモン・オクレールが話しかけてきた。
おっ。
「下郎」呼びから、「そなた」になったな。
「そなたのようにって……。走りのことか?」
「いや。マリー・ルイスとの関係だ」
そっちかよ!?
「余はマリー・ルイスに、あまり好かれてはおらぬようだ」
「そりゃ、あんな態度で迫ればね」
「余の態度に、なにか問題があったのか? 父の秘書が持ってきてくれた女性向け恋愛小説では、やや強引な迫り方が喜ばれていたようだが……」
それはあれか?
ティーンズラブ小説ってやつか?
その中でも、特に参考にしたらいけないやつをチョイスしちゃったんじゃないのか?
うーん。
確かにオクレールは、そういう小説のヒーロー達みたいにイケメンでお金持ちだからなぁ――
小説のやり方を真似て、通用してしまう場合もあるだろう。
でも、マリーさんにはなぁ――
「教えてくれ、ランドール・クロウリィ。余は、マリー・ルイスに好かれたい。そなたは4人もの女性と同時に関係を持っている、恋愛超上級者だと噂で聞いているぞ?」
「名誉毀損で、訴えるよ!?」
あと、そういうのは恋愛上級者とは言わない。
ただの浮気野郎だ。
「頼む。余は女性と交際したことがないので、どうしたら良いのかわからぬ。恋愛指南役になってくれ」
「女性を部屋に引きずり込むことはできても、まともな交際は未経験ってわけ?」
「……なにを言っておる? 余は生まれてからいちども、女性と関係を持ったことなどない。追い払った財産目当ての女どもが流した、デマであろう」
えっ!?
ってことはオクレールって、104年間ずっと童て――
「ご……ゴメン!」
俺は素早く、二重の意味で詫びを入れた。
「まあ良い。よろしく頼むぞ、師匠」
「なんだよそれ!? 勝手に師匠にするなよ!」
「師匠と呼ばせてもらう代わりに、余のことは『閣下』と呼んでよいぞ?」
どういう師弟関係だよ!?
抗議しようとした時、背後からシャンパンを浴びせられた。
「な~にくっちゃべってるんだよ、ランディ。オラオラ! 勝利の美酒を味わえ! ノンアルコールだけどな」
やったのは、ヴァイさんだ。
「ちょっとヴァイさん、そんないきなり……」
時間差を置いて、オクレールからも浴びせられた。
完全に、出遅れたぜ。
このシャンパンファイトは、全員敵だな。
5人とも示し合わせたように、俺を集中砲火してきやがる。
シャンパンの瓶を持って反撃しようとした時には、全員が素早く表彰台から逃げてしまった後だった。
くっそ~。
さすがはGTフリークスドライバー達。
逃げ足も速いぜ。
仕方ないので俺のシャンパンは、表彰台の下にいる皆様へぶっかけさせてもらおう。
この表彰台は建物2階相当の高さにあるから、一気に広範囲へと振り撒ける。
さあ!
食らえ食らえ食らえ!
雨が止んだ、アンセムシティ市街地コース。
代わりに俺は、シャンパンの雨を降らせてやった。
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人々の熱狂。
そして夜を照らす人工の光に彩られた、数日間だけの夢。
決勝レースが終ると市街地コースはすぐさま解体を開始され、あるべき日常の姿――乗用車行き交う、公道へと戻される。
参加チームも撤収作業で忙しく、スタッフ達が眠りにつけるのは朝方だ。
そんな状況なのに、俺はチームからさっさとホテルの部屋に帰るよう促された。
そりゃ手慣れたスタッフ達に比べたら、手際が悪いだろうけど――
雑用でもなんでも、手伝えることぐらいはありそうなのに――
「急いで部屋に戻り、シャワーを浴びて着替えろ。だが、まだ飯は食うな。寝るな」
アレス・ラーメント監督から下された、謎の指示。
何それ?
祝勝会でもやるの?
でも、撤収作業が朝までかかるんでしょう?
俺は訝しく思いながらも部屋に戻り、指示通りにシャワーを浴びた。
レースでかいた汗と表彰式で浴びたシャンパンが洗い流され、言いようのない爽快感で満たされていく。
はぁ~。
最高だな。
アレス監督の口振りだと、また呼びだされたり来客があったりするのかもしれない。
そう思って、寝間着じゃなくてカジュアルな私服に着替えた。
ドライヤーを当て、ブロンドヘアーがふわふわ感を取り戻した頃だ。
ドアをノックする音が聞こえた。
「誰だい?」
俺はカメラ式のドアアイで、訪問者を確認してみる。
モニターに映ったのは、見知った相手。
だけど、その恰好に驚かされた。
マリーさんが、白いチャイナドレス姿で立っていたんだ。
所々に施された可愛らしい桜の刺繍が、輝く銀色縦ロールヘアと恐ろしくマッチしていた。
「こんな時間にどうしたの? マリーさん? もう、日付が変わっちゃうよ?」
「あら、忘れてましたの? ランディ様とオクレール。この第4戦で勝った方と、デートするお約束でしたのよ?」
「あれ? そういう約束だったっけ?」
オクレールが俺より前でフィニッシュしたら、マリーさんとデートできるって話じゃなかったっけ?
俺が勝った時の報酬は、特に決めてなかったような――
「ワタクシにこんな格好までさせておいて、まさか追い返す気ですの?」
深いスリットの入ったチャイナドレスが、恥ずかしいのかな?
マリーさんは顔を少し赤らめて、モジモジしている。
いや。
そんな、俺の趣味みたいな言い方はやめてくれよ。
俺は別に、チャイナドレスなんて――
――いいな!
チャイナドレス!
「すごく似合ってるよ、マリーさん」
「うふふ、ありがとうございます。顔に書いてありましたが、声に出して言われるとさらに嬉しいですわ」
バレバレか。
なんかちょっと、照れくさいな。
あんまりジロジロ見ないようにしないと。
「デートか……。でも、こんなに夜遅くから出掛けるなんて……」
「心配ご無用です。夜遅くまで開いているレストランも、下調べ済みですわ」
綿密に、計画してたのね。
あー。
ラウドレーシング全員が協力者か。
アレス監督の指示も頷ける。
スポンサー様の接待も、ドライバーの仕事の内だよな?
そう、これは仕事だからな。
浮かれるなよ。
マリーさんに見惚れるなよ、俺。
「護衛のベッテルさんや、キンバリーさんもついてくるの?」
「さすがにそんな野暮な真似、許しませんわ。あの2人は今、重要な監視任務に就いておりますの。それにランディ様が守って下さるなら、自分達は必要ないと言っておりましたわ」
その発言って、護衛としてどうなの?
まあ、それだけ俺が信用されてるってことにしておこう。
「……それではお嬢さん、行きましょうか?」
「ええ、よろしくお願いしますわ」
ふわりと微笑むマリーさん。
その手を取って、俺はホテルの廊下を歩き始めた。




