ターン130 ハイテク魔犬の腹の中
樹神暦2637年6月
金曜日
GTフリークス 第4戦
アンセムシティ市街地コース
フリー練習走行
俺が昨日、昼じゃなくて夜にコースの下見をしていたのには理由がある。
第4戦のレース開始時刻が、19:00なんだ。
もちろん昼間の明るい時刻にも、路面の細かい状況とかを調べている。
でもレース本番と同じ夜間に、ネオン風看板や街灯に照らされた道路がどう見えるかも確認しておきたかった。
今日のフリー練習走行も、夜になって道路が閉鎖されてからのスタートだ。
18:30の現在、まだ道路は閉鎖されていない。
俺とラウドレーシングのスタッフ一同は、設置された仮設ピットガレージの中で走行のための準備を進めていた。
「凄いですわね。こんな大きな建物が、仮設だなんて」
ピットにきていたマリーさんが、キョロキョロと建物を見渡しながら感嘆の声を上げる。
その気持ち、分かるよ。
同じ公道レースであるパラダイスシティGPの時は、ピットってただのテントだったもんな。
マシンが小さなカートだからあれで良かったんだろうけど、GTフリークスマシンはデカい。
参戦5車種の中では小柄な部類に入るウチのさーべるちゃんでも、全長4500mmの全幅2100mmというワイドボディだ。
というわけでそのデカいマシン達を収めるために、2階建ての立派な仮設ピットガレージが建っている。
レース1ケ月前から、コツコツと組み上げられたらしい。
「マリー社長。せっかくピットまで、おいで下さったのです。〈サーベラス〉の運転席に、座ってみませんか?」
「よろしいのですか? アレス監督」
「ええ、遠慮なくどうぞ。……ランディ、手伝ってやってくれ」
へえー。
アレス監督、サービス精神旺盛だね。
監督だけじゃなく、このチームのスタッフ全員がマリーさんに親切なんだよな。
スポンサー様だからっていうのもあるだろうけど、たぶん可愛いからだ。
メインスポンサーであるロスハイムギルドの社長さんより、優遇されているような気がする。
今日のマリーさんは、パンツルックで動きやすい恰好。
彼女は意気揚々と、〈サーベラス〉の運転席に乗り込んでいった。
GTフリークスマシンは、ドアの縁にあたるサイドシルが高く張り出している。
それを跨いで乗り込むのは、慣れないと結構大変だ。
でもマリーさんは、護身術とかやってて運動神経いいからな。
割とすんなり、〈サーベラス〉のシートに収まった。
「凄い……。なんてホールド性が高いシート。まるで自分の体が、マシンの一部になったようですわ」
「驚くのは、まだ早いよ。次は、GTフリークスマシンのハイテクな部分をご覧いただこうか」
俺はセンターコンソールにある、メインスイッチをONにした。
これで、マシンに電気が通う。
「まあ! 不思議ですわ……。空中に、文字が浮かんで見える……。意外と、見やすいものですわね」
「前窓に直接情報を投影する、ヘッドアップディスプレイさ。タイヤ内圧。シフトインジケーターとタイミングランプ。レース運営側からコース全域追い越し禁止やペナルティの情報なんかも入って、投影されるよ」
「後方モニターは、TPC耐久の〈レオナ〉とあまり変わりありませんのね」
「そう見えるだろ? ところがこいつもハイテクで、なんとレーダー機能付きなんだ。後ろから来る車には、マーカーと距離カウンターが表示される。んでモニター画面外から抜きにきても、左右どっちから仕掛けられてるか矢印で警告してくれる」
「まあ! レーダーですの?」
「ああ。前方や側方の車両にも、マーカーと距離を表示してくれるんだよ。ドアの横窓も、ヘッドアップディスプレイになってるんだ」
「ハイテクの塊ですのね……。ワタクシ達一般人では、とても使いこなせそうにありませんわ」
さすがのマリーさんも、あまりのハイテク度合いに圧倒されたみたいだ。
恐々と、運転席から降りてきた。
正直俺も、いまだにGTフリークスマシンに乗るのは怖いからな。
ハイテク度合いがじゃなくて、その価格が。
1台約3億モジャって聞いてから、壊したらどうしようというプレッシャーが半端ない。
とんでもないものに俺は乗っているんだなという実感を噛み締めながら、マリーさんと並んでさーべるちゃんの車体を眺めていた。
すると背後から、ヴァイ・アイバニーズさんに声をかけられる。
「おいランディ、マリーお嬢ちゃん、話は聞いたぞ? 正気か? デイモン・オクレールのクソガキと、とんでもない賭けをしているんだってな?」
104歳のオクレールより、今年で55歳になるヴァイさんの方がずっと若いのにクソガキ呼ばわり――
確かに見た目だと、オクレールの野郎は若造だからな。
豪放で大概のことには動じなさそうなヴァイさんが、ちょっとうろたえているみたいだ。
なんでヴァイさんが、賭けの話を知ってるの?
俺もマリーさんも、言いふらしたりしてないのに。
まさか俺達の退路を断つために、オクレールの野郎が言いふらしているのか?
「あー。ジジイの余計なお節介かもしれねえが……。お嬢ちゃん、もっと自分を大切にしろよ。親御さんが泣くぞ?」
――妙な態度だ。
表面的には、賭けの景品はデートの約束のはず。
実質、マリーさんの貞操の危機ではあるんだけど。
「あ……あの、ヴァイ様? どのようなお話を、聞いているのですか?」
「この場で言って、大丈夫なのか? ランディとオクレール。このレースで勝った方に、その……。お嬢ちゃんの初めてを、捧げると……」
あまり周囲に聞こえないよう、ひそひそと囁くヴァイさん。
一瞬で確信した。
これ、言いふらしているのはオクレールじゃないよね?
「キンバリぃーーーーーー!!!!!!」
うはっ!
700馬力を誇るGTフリークスマシンの排気音も真っ青な、どりる令嬢怒りの咆哮だ。
マリーさんは焼けた排気集合管みたいに顔を真っ赤にしながら、キンバリーさんの姿を探す。
当然、影も形も見当たらない。
今頃ビデオカメラの撮影可能距離ギリギリから、物陰に隠れつつマリーさんの様子を盗撮しているんだろう。
いつもの、ぬらりとした笑顔を浮かべながら。
あの人って自分の性癖を満足させるためなら、主人の世間体とかを気にしないんだろうか?
「……ヴァイさん。その噂って、どこまで広がってます? 『ラウドレーシング』の中だけですか?」
俺の問いに、絶望的な答えが返ってきた。
「いや。オレが聞いたのは、ヤマモト自動車メーカーチーム『バウバウ』の関係者からだ」
他社にも広がってるのかよ!?
マリーさんはその場でしゃがみこみ、顔を両手で覆ってしまった。
あああああ!
これは、マリーさんだけの問題じゃないぞ!?
俺までオクレールと同じ、ゲス野郎のレッテルを貼られるんじゃないのか?
せめて――せめてヤマモトのところまでで、噂が止まってくれないものだろうか?
――ん?
ヤマモト?
そこで俺は、思い出した。
ヤマモトワークス1号車、〈ヒサカマシーナリー・バウバウベルアドネ〉には知ってる奴が乗っていることを。
ふと視線を感じて、ピットの裏――パドックの方を振り向く。
するとちょうど、赤いレーシングスーツの竜人族が通りかかったところだった。
「に……ニーサ……。違うんだ……その……」
汚物を見るような視線が、容赦なく俺に浴びせられる。
今のこいつに何を言っても無駄な気がするけど、弁解せずにはいられない。
また「変態ゲス野郎め!」とか大声で罵ってくるのかと思いきや、ニーサは冷静に――だけど底冷えする声で、ハッキリと告げた。
「……最低」
それだけ言うと、ニーサはさっさと歩き去ってしまった。
今までも散々罵られてきたけど、今回のが1番堪えたぜ。
――クソっ!
それもこれも、みんなデイモン・オクレールのせいだ!
あの野郎!
絶対に、許さないぞ!
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樹神暦2637年6月
土曜日
GTフリークス 第4戦
アンセムシティ市街地コース
予選終了後。
仮設ピット内でのことだ。
「ランディよぉ、このタイムはなんだ?」
予選結果が印刷された用紙。
それを指でピシピシ弾きながら、ヴァイさんが仏頂面でクレームを入れてきた。
「遅いですか?」
「いや、充分速え。お前いままでの3レース、手を抜いてたんじゃねえだろうな?」
「そんなわけないでしょう? 今回は絶対勝ちたいヤツがいるんで、安全マージン削ってるんですよ」
「なるほどな。そんなにマリーお嬢ちゃんの初めてを……」
「怒りますよ?」
「冗談だよ。でもよ、ランディ。あの子のためにも、負けんじゃねーぞ。ピットで待っていてくれる女がいるんなら、誰よりも速くレースを終わらせて帰ってくる。それが男の仕事ってもんだろう?」
「ワークスドライバーが、そんな個人的な感情で走っちゃってもいいんですか?」
「いいんだよ。結果が全ての世界だからな。個人的な感情だろうが企業の看板を背負う責任感だろうが、速く走れりゃ誰も文句は言わねえ」
逆に言えば、速く走れない奴に用は無い。
そう、突き付けられたような気もした。
「オレと、ほぼ同タイムとは……。生意気だな」
「ヴァイさんの教え方が、良かったからですよ。生意気ついでにこの後のスーパーラップ、俺が走りましょうか?」
「へっ! 調子に乗るんじゃねえよ。オレもここまでの3戦、少し抑えてたからな。クラッシュして、後半お前が走れないなんてことがないようにな。……いいぜ。この後のスーパーラップ、ヤバいところまで攻め込んでやる」
ヴァイさんがそう宣言してから、2時間後。
スーパーラップが終了して、決勝レースのスターティンググリッドが決定した。
1番手から3番手までを、ヴァイキー〈スティールトーメンター427〉が独占。
規制緩和によるエンジンパワー上昇と、重量が軽くなったことが効いているみたいだ。
もとからこのコースとは、相性のいい車種でもあったしね。
俺達の36号車、〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉は4番手。
その後の5番手から7番手までも、〈スティールトーメンター〉。
これじゃ、〈スティールトーメンター〉祭りじゃないか。
オクレールの野郎が乗る〈スティールトーメンター〉430号車は、2番手につけている。
ヴァイキーのエース格である、427号車に続く位置だ。
レース展開次第では、オクレールも充分優勝可能な位置。
あいつに勝つためには、優勝しないといけないかもしれない。
自然と、そんなことを考えていた。
俺はまだ、このGTフリークスで表彰台に登った経験すらないっていうのに。
できないとは、思わなかった。
〈ベルアドネ〉1号車のスポンサー名が思いつかなかったので、骸姫ベルアドネさんの実家からお名前を拝借しました。
https://book1.adouzi.eu.org/n4276el/29/
由房さんすんません。




