ターン129 マリーさんは渡せない
乱闘騒ぎ――それも薬物絡みの事件となれば、警察署で事情聴取されるぐらいは覚悟していた。
ところが俺は、事件現場で軽く聴取を受けただけで解放される。
後の事情聴取は、ガゼールさんが引き受けてくれるらしい。
「ランドール君、気を付けたまえ。『クロノス』は、君の周りにも蔓延っている」
別れ際に、ガゼールさんがそう警告してきた。
俺はホテルへの帰り道を歩きながら、警告の意味を反芻する。
――俺の周りにも?
ガゼールさんは、ニーサに頼まれて調査をしていたと言っていたな。
ということは、ニーサの身近にも『クロノス』の濫用者、あるいは売人がいたってことか?
俺とニーサの共通点――
「まさか、GTフリークス関係者の中に……?」
恐ろしいことを呟いてしまって、俺は思わず口元を手の平で押さえた。
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俺やジョージをはじめとした「ラウドレーシング」の関係者が宿泊しているホテルは、割と高級な宿だ。
安宿だと、セキュリティの面で不安があるからというのが選択の理由。
白い大理石がふんだんに使われたホテルロビーに足を踏み入れた瞬間、何か銀色の物体が飛んできた。
「ランディ様! 助けて下さい!」
物体の正体は、カジュアルな薄桃色のワンピースに身を包んだマリーさん。
けっこう勢いよく突撃してきたので、怪我しないようにふわりと抱きとめる。
「どうしたの? マリーさん?」
今回はスポンサーであるマリー・ルイス社長自ら、現地まで応援に駆けつけてくれていた。
宿泊も、同じホテルだ。
おかしいな?
いつも一緒にいるはずの、ベッテルさんやキンバリーさんはどうした?
「下郎。余の花嫁から、その薄汚い手を離せ」
艶のある美声。
だけどねっとりとして不快な気分になる男の声が、マリーさんの飛んできた方向から聞こえた。
「こんな夜中に女性の宿泊先に押しかけるなんて、ずいぶん非常識だね。……デイモン・オクレール」
俺は背中にマリーさんを庇いつつ、声の主を半眼で睨みつける。
視線の先にいるのは、アラブ風の衣装に身を包んだ男。
チャイナタウンっぽいアンセムシティに、その恰好は合わないぜ。
この白い服、確かカンドゥーラって言うんだっけ?
この世界でも、砂漠地帯の人達は着用するんだよな。
いかにも、石油王の息子ですって感じの出で立ちだ。
「他人の花嫁に馴れ馴れしくする輩の方が、よっぽど非常識であるぞ」
そう言って、余裕のある笑みを浮かべるオクレール。
褐色の肌と、鍛え上げられた肉体。
髪色は頭に被ったグトラで見えないけど、公式ガイドブックの写真ではマリーさんと同じ銀だったな。
薄く桃色の光沢を放つマリーさんの縦ロールに対して、オクレールは冷たい青みががった短い銀髪だ。
金色の瞳には、俺に対する侮蔑の光が宿っていた。
エキゾチックな美男子だけど、癪に障る野郎だぜ。
「あんなこと言ってるけどさ、マリーさんあいつと結婚したの?」
振り返って尋ねると、マリーさんは自慢のドリルが全方位に射出されるんじゃないかって勢いで首を横に振った。
「結婚した覚えは、無いんだってよ。早起きし過ぎて、寝ぼけてるんじゃないの? 帰って棺桶で寝直したらどうだい?」
俺がシッシッと追い払うように手を振ると、余裕ありげだったオクレールの表情が不機嫌そうに歪む。
「下郎。それは余達吸血鬼に対する、種族差別発言だ。取り消せ」
「えっ、そうなの? ゴメン、取り消すよ」
知らなかったこととはいえ、種族差別は良くないと思う。
GTフリークスドライバーがそんな発言をしたと世間に知れたら、スポンサーに見限られたりシートを喪失したりすることだって考えられる。
今のは俺の失言だった。
録音したりしてないよな?
このデイモン・オクレール。
健康的に日焼けしてるような肌をしているくせに、種族はなんと吸血鬼だ。
この世界には、不死者が生息している。
怪我をしても簡単には死なない、プラナリア並みの再生能力を持つ種族だ。
その中でもオクレール達吸血鬼は、俺達人間族の5倍近い寿命を持つ長命種。
いかにも長生きしそうなイメージのエルフだって、人間と変わらない寿命なのにね。
この野郎も見た目は20歳ぐらいだけど、「GTフリークス公式ガイドブック」によると実年齢は104歳なんだよな。
104歳が20歳の女の子を追い回すのは、外聞が悪いんじゃないの?
「ふん、まあ良い。実際に200年ほど前までは棺桶の中で眠る習慣もあったし、夜行性だったらしいからな。脳のアップデートが追いついていない下郎では、誤解もやむなしであろう」
「さすが。不死者の王と呼ばれる吸血鬼は、度量が広いね。そんじゃ、お休み。明日からお互い、良いレースをしようぜ」
俺はマリーさんの肩を抱き、そそくさとエレベーターへ歩き出そうとした。
その時マリーさんに向かって、オクレールの言葉が投げかけられる。
「遠くない未来の花嫁、マリー・ルイスよ。今宵は確認にきたのだ。余との約束は、忘れておらぬだろうな?」
――約束?
今週のレースで俺に勝ったら、デートしてやるとかいうアレか?
「……忘れてはおりませんわ」
「そうか、それは良かった。では余がそこの下郎より前でチェッカーを受けた場合は、ひと晩付き合ってもらうぞ」
「ええ、よろしくてよ」
――んんっ!?
「しかと聞いたぞ。そなたも大企業の長。約束を、違えるような真似はすまい」
「当然ですわ」
「ちょ……ちょっと待って、マリーさん! それは……」
俺は慌てて止めようとしたけど、遅かった。
オクレールの野郎は「さらばだ」とか言いながらカンドゥーラを翻して、ホテルの外へと出て行ってしまったんだ。
――なんてこった。
「マリーさん、どういうつもりだい? 女の子が軽々しくあんな約束をするなんて、感心しないな」
「負けたらデートというのは、以前にも約束してしまっていますわ。今さら反故にはできません」
「そうじゃなくて! 『ひと晩付き合う』なんて、どう考えてもデートだけじゃ済まない言い方だろう?」
「えっ……?」
マリーさんは顎に指を当て、オクレールとのやり取りを振り返る。
失態に気づいたのか、顔を真っ赤にして小刻みに震え始めた。
「わ……ワタクシ、そんなつもりでは……」
あー、もう!
この子は頭いいのに、どうしてこうも隙があるんだよ。
――そうか。
小さい頃にワガママ令嬢という噂が立ってたから、近づく男がいなかったんだな。
それで言い寄ってくる相手のあしらい方に、慣れていないというわけか。
「とにかく今は部屋に戻って、ベッテルさんやキンバリーさんと一緒にいるんだ」
今度こそマリーさんをエレベーターに乗せ、自分も乗り込む。
確かマリーさんの部屋は、俺達チームと同じ階だって言ってたな。
エレベーターはドア以外の壁がシースルーになっていて、アンセムシティの夜景が一望できた。
闇の中に宝石が散りばめられたような、ロマンチックな景色。
そんな景色を前にしても、エレベーターのガラスに映るマリーさんの表情は浮かない。
不安そうに、俺が着ているワイシャツの裾を握り締めていた。
「怖かったですわ。宿泊先を教えてもいないのに、いきなりホテルに押しかけてくるなんて……」
「マリーさんにとってのキンバリーさん達がそうであるように、奴もなんらかの情報収集手段を持っているんだろう。気を付けないとね。……そういえば、そのキンバリーさんやベッテルさんはどうしたの?」
「あっ……。その……」
俺が訪ねると、マリーさんはすごく気まずそうな表情になった。
「実は……。あの2人を撒いて、こっそりロビーに降りてきたところだったのですわ」
「……マリーさん? 俺こないだ、1人にはならないようにって言ったよね?」
「だって……。ランディ様がコース下見に出かけられたと聞いて、ご一緒したいと思ったのですもの」
口を尖らせて拗ねる様子は可愛らしいけど、危険に対する意識が低すぎる。
「……これは、お説教が必要かな?」
「あうぅ……。ごめんなさい……」
縦ロールの巻き数が減っているのを見るに、かなり落ち込んでいるみたいだな。
これ以上は、怒らないであげよう。
「……ワタクシ、嫌です。あんな強引な男とデートなんてしたら、何をされるか……。噂では、むりやり部屋へと連れ込まれた女性が何人もいるとか……。そうですわ! あんな輩に奪われる前に、いっそ自ら捧げて……。ランディ様!」
「大丈夫、俺に任せて」
「あ……あの……。優しくしてください」
「いや、容赦はしない。徹底的に、やってやる」
「そんな……! ワタクシ初めてですのに、いきなり激しくされたら……。これも、心配かけたお仕置きなのですか?」
どうも、話が食い違っている気がする。
さっきからマリーさんは赤くなったり青くなったり、信号機並みに忙しく顔色が変わっていた。
「あの吸血鬼野郎に、マリーさんとのデート権なんて与えない。奴の〈スティールトーメンター〉のどてっ腹に〈サーベラス〉の鼻先をぶち当ててでも、俺より前でチェッカーを受けさせるもんか」
「あ……そっちですのね。珍しいですわね。マシンが傷つくのを嫌がるランディ様が、『ぶつけてでも』だなんて……」
「それだけ腹を立てているのさ。マリーさんに怖い思いさせた、あいつにね」
熱くなってしまっているのは、自覚している。
はっきり言って、ワークスドライバー失格だろう。
チームの順位より――
年間ランキングのポイントを稼ぐことより――
プロドライバーとして、シート争いに生き残ることより――
俺は今、デイモン・オクレールを叩きのめすことに集中してしまっている。
こんな精神状態で運転しても、マシンは応えてくれないかもしれない。
それでも力を貸してくれ、さーべるちゃん。
あんな風に「自分のものになるのが当然」って態度の野郎に、マリーさんは渡せない。
お前のランニングコストも、マリーさんが払ってくれているんだぜ?
メインの出資者は、ロスハイムギルドさんだけど。
明日から戦場になるアンセムシティのメインストリートを見下ろしていると、ポーンという優しいチャイムが響いた。
ワンテンポ遅れて、エレベーターのドアが開く。
「ひっ! ベッテル、キンバリー……」
開いたドアの先で待っていたのは、執事兼護衛のベッテルさん。
そしてメイド兼変態――いや。
諜報員とか、護衛も兼ねるキンバリーさんだ。
マリーさんが、引きつった悲鳴を上げる気持ちも分かるよ。
俺でも後退りしたくなるぐらい、2人とも怒ってらっしゃるからね。
「お嬢様、分かっていますね?」
物静かに――だけど押し殺した凄みのある声で、ベッテルさんが告げる。
するとマリーさんはしおらしく、
「はい……」
と呟いた。
「うう……。どうせお説教を受けるなら、ランディ様の方が良いですわ」
そうこぼしたマリーさんに、キンバリーさんは意外そうな反応をした。
「あら? お嬢様は、そっちに目覚めたのですね。てっきりSの方だとばかり……。これではお説教しても、ご褒美になってしまうのでは?」
なんの話をしているんだか。
でもキンバリーさんが相変わらずの変態思考で、なんだかホッとする。
2人に任せておけば、今夜は安心だろう。
俺はマリーさん達と別れ、自室へと廊下を歩いて行った。
あの2人は護衛として、マリーさんを守る。
俺はレーシングドライバーとして、オクレールの野郎をぶち抜く。
そうさ、俺はマリーさんに選ばれたドライバーなんだからな。




