ターン124 第1戦の前哨戦だ!
「こ……こんなところに住むなんて! 1ケ月で、破産するんじゃないのか!?」
俺とジョージが訪れていたのは、マリーノ国東地域で最も賑やかな中心都市ブラックダイヤモンドシティ。
ここからだとタカサキの本拠地であるスモー・クオンザサーキットや、同社の研究所に近いという理由で引っ越してきた。
それで、住むことになるタワーマンションに入ってみたんだけど――
これがまた、とんでもなく豪華な部屋だ!
なんと間取りは、2LDK!
おまけにその位置は、地上30階!
壁一面に広がる大きなガラス窓からは、透き通るような青空とスタイリッシュな摩天楼を一望できる。
そこから足元に視線を向ければ、道路を行き交う人々と車が豆粒のように小さく見えた。
落ち着かない。
別に高所恐怖症ってわけじゃないけど、こんなに高いところで寝起きするっていうのは落ち着かないぜ!
高いのは、高度だけじゃないだろう。
お家賃、いくらなんだ?
俺とタカサキとの契約金は2億モジャと世間に報じられているけど、実際には税金でけっこう持っていかれてるんだぞ?
「心配しなくても、今年の契約金だけで40年ぐらい住めますよ。ヴィオレッタが言ってました」
「お金の管理や部屋選びを、ヴィオレッタに任せたのは失敗だったか……。こんなに贅沢な部屋を、選んでくれちゃうとは……。俺はヌコさんのアパートみたいな部屋の方が、落ち着くのに」
前世は裕福な家庭で育った俺だけど、こっちの世界に転生してもう20年目だ。
質素・倹約を重んじる体質に、すっかり上書きされてしまっている。
贅沢は敵だ。
「部屋選びに関しては、チームの意向も入っています。セキュリティのしっかりしたマンションでないと、ストーカー紛いのファンが押しかけてくるかもしれませんからね」
「そんな大げさな……とは、言えないか……」
ここへ来る途中、リニアモーターカーの中であったサイン騒動を思い出す。
「俺ってスターみたいじゃん」なんて、浮ついた気分にはなれない。
むしろ気を遣うことが多過ぎて、げんなりしちゃうぜ。
「さて。それじゃ僕は、これで帰ります。自分のアパートへ行って、荷解きしないといけないので」
「……え!? ジョージはここに、住むんじゃないの!?」
「なにを言ってるんです。メカニックの給料なんて、そんなに高くないんですよ? こんな高級マンションには、住めません」
「い……一緒に住んでくれよ。家賃は俺が、全額持つからさ。1人だと、眠れないんだよ。都会は慣れていないし、心細いんだよぉ~」
俺は玄関に向かおうとするジョージのワイシャツを掴み、なんとか引き止めようとする。
奴は無慈悲にも、
「ええい。離してください、気持ち悪い」
なんて言いながら、俺を押しのけ去ろうとする。
怪力の俺とジョージの引っ張り合いでも破けない、ルイス・ブランドのシャツって凄いな。
破けはしないけど引っ張ったもんだから、ジョージのシャツは淫らな感じにはだけてしまった。
「ジョージ~! 俺を、捨てないでくれ~!」
――と、そこで突然玄関のドアが開いた。
ああ。
さっきからチャイムが鳴っているような気がしていたけど、気のせいじゃなかったんだな。
勝手にドアを開けたということは、カードキーを持っている人?
乱入者は俺とジョージの状況を見て一瞬固まると、意外そうな口調で話し始めた。
「これは……どっちなのかしら? 情けない台詞から考えるとお兄ちゃんが『受け』っぽいけど、状況はジョージさんが襲われてる。まさかのお兄ちゃん『攻め』?」
「ヴィオレッタ~! ジョージが……ジョージが俺を捨てるって……」
「よしよし。私が一緒に住んであげるから、リアルで薔薇の世界に入るのはやめようね。ただでさえお兄ちゃんに群がる女どもを殲滅しないといけないのに、男もなんてことになったら体がいくつあっても足りないわ」
そう言ってニッコリ微笑みながら、頭を撫でてくれる最愛の妹ヴィオレッタ。
彼女は俺を救ってくれる、天使に見えた。
物騒な発言は、聞かなかったことにしよう。
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タワーマンションに引っ越してきた、翌朝のことだ。
AM6:00。
俺はマンションの隣にある公園内を、ランニングしていた。
住む場所が変わっても、やっぱり毎日の習慣ってやつは変わらない。
目覚まし時計のアラームが鳴る前に、自然と目が覚めてしまう。
身体中の細胞が、運動させろと騒ぎ立てるんだよな。
公園内の木々や芝生は、朝日と朝露で瑞々しい緑色に輝いていた。
都会なのに、公園内の空気は実に爽やかだ。
二酸化炭素の吸収率が半端ないユグドジーナスの木を、いっぱい植えているからかな?
早朝にもかかわらず、園内に人が多い。
みんなジョギングやランニング、散歩をしている。
俺の目の前にも、真っ赤なトレーニングウェアに身を包んだ竜人族の女性が――
――あれ?
プラチナブロンドの長い髪。
それを、先端の方だけ括っている髪型。
そして、黄金の鱗に覆われた尻尾。
こいつは――
走るペースを上げて並びかけて見れば、やっぱりニーサ・シルヴィアだ。
そういえばこいつも、この辺りに住むって聞いてたな。
「まさかこんなに早く、再会することになるとはね」
「なんだ? 私に再会できて、そんなに嬉しいか? どうせ貴様のことだから、都会の1人暮らしが寂しくて眠れなかったのだろう?」
「はっ。ニーサに心配してもらわなくても、昨日はぐっすり寝られたよ」
「まあヴィオレッタちゃんがついてるなら、当然だろう」
――こいつ!
ヴィオレッタが一緒に住むこと知ってて、からかってやがったのか!?
性格悪ぅ~。
っていうか、ヴィオレッタの同居について知らなかったの俺だけみたいなんだよな。
いつの間にか学校の転入手続きとかも済ませていて、進学もこちらで短期大学を受験するつもりらしい。
「……ニーサ。ひょっとしてお前、毎朝この公園をロードワークのコースにするつもりか?」
「なんだ? 何か問題があるのか? 公園を使うのに、貴様の許可が必要なわけでもあるまい」
「そりゃそうだ」
そりゃそうなんだけど、俺もこの公園をロードワークのコースにしたい。
敵対するメーカーのドライバー同士が、仲良しこよしで一緒にトレーニングというのはいかがなものか?
ワークスドライバーの自覚が足りないとか、チームから説教される可能性があるな。
まあ距離さえ取っておけば、同じ公園内を走るぐらいは問題ないか。
ニーサを振り切るべく、俺はペースを上げる。
そしたらなぜか、ニーサもペースを上げやがった。
「なんで、ついてくるんだよ?」
「別に、ついていってるわけじゃない。貴様を振り切ろうとしているだけだ。立場上、あんまりくっついて走るわけにもいくまい」
「ニーサが大人しくペースを落とせば、俺は勝手に離れていくけど?」
「ならば、貴様がペースを落とせ。きついのだろう? 無理をするな」
「そっちこそ、無理するなよ」
ちっ!
この負けず嫌いめ!
上等だ!
サーキットだけでなく、ランニングでもぶっちぎってやる。
GTフリークス第1戦の前哨戦だ!
俺とニーサのペースはもう、全力疾走に近かった。
あまりのスピードに、他のジョギング客や芝生の上で体操していたおじいちゃんがビックリしている。
だけど、そんなの構うもんか。
この公園の通路は、1周が1kmと立札に書いてあった。
すでに俺達は、2周を消化。
もちろん、全力疾走に近いペースのままでだ。
カーブの度にお互いが内側を取ろうと、体をぶつけ合う。
ノリは完全に、サーキットでバトル中のそれだ。
ああ。
さすがに3km、このスピードを維持するのはきつい。
ニーサの奴も、相当に息が上がっている。
勝負は距離が書いてある立札までだと、勝手に心の中で決めた。
ニーサも同じことを考えているらしく、立札に向かってスパートをかける。
負けてたまるかー!
結局、俺とニーサはほぼ同時に立札の前を通過した。
たぶん俺の勝ちだと思うけど、勝利宣言をするような余力はない。
そのまま仰向けに、芝生の上へと倒れ込む。
やばい、酸素を――
酸素をもっと取り込まないと、死ぬ。
俺は全身の力を完全に抜き、目も閉じた。
肉体のリソースを全て、心肺能力に集中だ。
すぐ隣から、ニーサの荒い息づかいも聞こえてくる。
音源の低さからして、奴も芝生の上にぶっ倒れているみたいだな。
2年前のノヴァエランド12時間でクールスーツが壊れて、マシンから降りれなかった時よりも苦しそうだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……。見たかランドール。私の勝ちだぞ!」
くだらない妄想を口にする暇があるなら、呼吸を整えたらどうだ?
勝負は俺の勝ちだっての!
反論するのも馬鹿らしいので、そのままスルーしていた。
すると不意に、朝日が遮られる感覚が瞼の裏に走る。
「おーおー。ずいぶんとイキがいいじゃねえか、若造ども。レーシングドライバーって生き物は、そんぐらい負けず嫌いじゃねえとよ」
誰かが俺を見下ろしながら、話しかけてきている。
これは、聞き覚えのある声だ。
ゆっくり目を開けると、やっぱり見知った顔があった。
ワイルドに刈り込まれた長めの白髪と、赤い瞳。
頭上には犬の耳――に見えるけど、彼は犬獣人じゃない。
狼の獣人だ。
そこそこの皺を刻みつつも、張りのあるお肌。
長めの犬歯をむき出しにして、ギラついた笑みを浮かべている。
トレーニングウェアの腰辺りでは、ふさふさの尻尾が悠然と揺れていた。
その容貌から、40代半ばぐらいのイケてるオジサマと見る人が多いだろう。
首から下なんて、20代のアスリートみたいに鍛え上げられているのを俺は知っている。
だけどこの人、実年齢は54歳だったりするのです。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ヴァイさんも、この辺に住んでたんですね……」
――ヴァイ・アイバニーズ。
GTフリークス界の生ける伝説。
歴代最多となる、3度の年間王者経験者。
昨年も、年間ランキング4位を獲得している。
去年のタカサキ勢では、トップの成績だ。
恐ろしいことにこの人まだ現役で、今年もGTフリークスマシンのハンドルを握る。
乗り込むマシンはタカサキ企業チームの36号車、〈ロスハイム・ラウドレーシングサーベラス〉。
つまりは、俺のパートナー。
GTフリークスは、2人1組で1台の車を走らせるセミ耐久レースなんだ。
「元気なのは、いいけどよ……。レース前に無茶して、怪我すんじゃねーぞ? そこのお嬢ちゃんもだ」
うつ伏せに倒れているニーサは、先程の戯言で力を使い果たしたらしい。
ヴァイさんへの返答は声に出さずに、尻尾だけピタンピタンと動かす。
偉大なる先輩に向かって、失礼な奴め!
「ヴァイさんも、早朝トレーニングですか?」
「おうよ。オレみてえなジジイはキッチリ鍛えておかねえと、お前ら若造どもにやられちまうからな。まだまだ負けるつもりなんて、ねえんだけどよ」
実際、この人には敵う気がしない。
2週間前にセブンスサインサーキットで、GTフリークス参戦チーム全体の合同マシンテストがあった。
そこで同時に、俺やニーサの新人テストが行われたんだ。
GTフリークスマシンは化け物じみて速く、ドライバーにも超人的な技量と体力が要求される。
だから国際競技者ライセンスを持っているだけじゃ、参戦できない。
この新人テストで規定のタイムを叩き出さないと、運営団体から出場許可が下りないんだ。
その新人テストの時、ヴァイさんはたくさんのアドバイスをくれた。
エンジニアとのコミュニケーションも、手伝ってくれた。
ヴァイさんの言う通りにすると、タイムはぐんぐん良くなる。
その上で車のセッティングを、徹底して俺好みに振ってくれた。
おかげで俺は、余裕のタイムで新人テスト合格だ。
ヴァイさんの凄いところは、指導力だけじゃない。
俺に合わせて仕上げられた車で、俺より速く走ってみせたんだ。
「怪我だけじゃなく、風邪にも気をつけろ。体冷やすなよ? 来週はもう、開幕戦なんだからな。……お嬢ちゃん、ラムダの奴によろしくな」
ラムダっていうのは、ニーサの相方を務めるラムダ・フェニックス選手のことだ。
ヴァイさんは踵を返し、公園外へと走り去る。
50代とは思えない、身軽で躍動感溢れるフォームだった。
「カッコイイよな……。俺も、あんな風になりたい」
うつ伏せに倒れたままでいるニーサの尻尾が、またピタンピタンと動いた。
これは、「ヴァイさんカッコイイ」という俺の意見に同意しているのかな?




