ターン122 ユグドラシルが呼んでいる
■□ランドール・クロウリィ視点■□
最後の担当走行時間を終えた俺は、ピットで椅子に座りライブ映像モニターを見上げていた。
隣には、同じようにモニターを見上げているニーサ。
その尻尾が、落ち着きなく揺れている。
ええい!
うざったい!
少しは落ち着けよ!
注意してやろうかと口を開きかけた瞬間、先にニーサが苦情を言ってきた。
「ランドール! そのうざったい貧乏ゆすりをやめろ! 少しは落ち着いたらどうだ?」
「自分の尻尾を、止めてから言えよ」
俺は自分の膝を。
ニーサは尻尾を両手で押さえ、再びモニターを見上げる。
レース終了時刻の21:00まで、残り2分。
カメラが追っているのは、俺達の〈BRRレオナ〉だ。
「心臓に悪いものだな。他人が走っているのを、ただ見守るだけというのは」
「同感だね。自分が走っている時の方が、よっぽど気が楽だよ」
俺とニーサの仕事は終わった。
あとは最後のドライバーであるクリス・マルムスティーン君に、全てを託すだけだ。
チームクルーのほぼ全員が、固唾を呑んでモニターに注目している。
ここまで、クリス君の走りは素晴らしかった。
よそのチームより重い燃料タンクで、タイヤも労わりつつの走り。
なのにペースは、相当速い。
ウチのチーム内最速周回タイムは、クリス君が記録した。
これがカートやフォーミュラに乗ってた頃だったら、かなり悔しいと思ったはずだ。
だけど今は、不思議と悔しさを感じない。
素直に凄いと感心する。
きっとこれが、耐久レースだからだろう。
別々の車に乗るフォーミュラカーだと、チームメイトは比較される対象でライバル。
だけど耐久レースだと、同じ車を一緒にゴールまで運ぶ仲間だからな。
問題はだ。
そんな素晴らしいクリス君の走りを上回る勢いで、敵が――
レイヴン〈RRS〉3号車が、俺達の〈レオナ〉に迫ってきているってことだ。
まずはルディが、レース中の最速周回タイムであるファステストラップを記録。
その後も彼女は少しずつ自分のファステストを更新しながら、驚異的なペースで自分の走行時間を終えた。
そして、最後のドライバーであるブレイズ・ルーレイロ。
奴は車に乗り込む直前、遠くから見ていた俺に凄まじい殺気を叩きつけてきた。
5周も自分の父親を抑え込んだ俺に、思うところがあったんだろう。
あいつは親父越えにこだわっている、ファザコン野郎だからな。
最近はヴィオレッタに近づく悪い虫って印象しかなかったけど、思い出したぜ。
あいつは俺の、ライバルなんだってな。
そこからはもう、ブレイズ・ルーレイロ劇場だ。
ルディの出したファステストを、あっさり更新。
予選のタイムアタックみたいなキレた走りをずっと続け、クリス君の2秒後方まで迫ってきていた。
「クリス君のタイヤ、もうヤバいで」
ケイトさんはわざわざ口に出したけど、そんなことはみんな分かっている。
ブレイズに比べると、かなり長い距離を走っているんだからな。
一方でブレイズのタイヤには、まだ余力がある。
前の周のタイムなんて、丸々1秒差があった。
これを、抑えきるのはキツい。
「あかん。この周やと、まだチェッカーは出えへんで。もう1周や」
距離制の耐久レースでは、周回数がきっちり決まっている。
だけどこの「ノヴァエランド12時間」みたいな時間制の耐久レースだと、ちょっと違う。
所定の時間を過ぎた後、最初にトップがコントロールラインを通過する時にレース終了だ。
できればこの周で、終わって欲しかった俺達。
そしてもう1周あることで、逆転の目が出てきた〈RRS〉3号車。
2台の差はさらに縮まり、連なった状態でピットの前を通過した。
「ランディ。クリスが弱音を吐き始めただニ。おみゃー何か、励ます言葉はないだニか?」
ヌコさんはずっと無線で声を掛け続けてきたから、励ます言葉も品切れなんだろう。
ヘッドセットを差し出してきた。
俺はそれを受け取り、クリス君へと呼びかける。
「クリス君、聞こえる?」
『ランディか? 正直、よく聞こえねえ。頭がガンガンして、おめーの声が遠くに感じるぜ』
「このコースは、抜きにくい。ロングストレート後の2コーナーさえ抑えれば、大丈夫だ」
すでにクリス君は1コーナーを回り、2kmのロングストレートに入っていた。
その横に設置されているグランドスタンドでは、お客さん達がペンライトを振って応援してくれている。
ウチの〈レオナ〉の青色と、〈RRS〉3号車の赤色。
どちらの色のペンライトも、同じ数ぐらい振られていた。
そんな幻想的で感動的な光景も、クリス君は見ている余裕なんてないだろう。
『ようランディ、俺は感謝してるんだぜ? 俺をこのチームに呼ぼうって言い出したの、おめーなんだってな』
意識が朦朧としているのか、死亡フラグみたいなことを言い出した。
これは不味い。
なんとか集中力を、取り戻させないと。
「違うよ! 最初に言い出したのは、キンバリーさんだ!」
『……は?』
厳密に言うと、キンバリーさんは目で訴えてきただけ。
言い出したわけじゃない。
でも最初にクリス君の力が必要だと判断したのは、キンバリーさんなんだ。
その時、俺の頭からヘッドセットがひったくられた。
奪い取ったのは、キンバリーさんだ。
彼女はそのままヘッドセットを自分の頭に装着し、クリス君に呼びかける。
「クリス・マルムスティーン、あなたは速い」
いつもは決してクリス君を褒めないキンバリーさんの口から、そんな台詞が出たことに皆が驚く。
その言葉が効いたのか、クリス君は何とか2コーナーでブレイズを抑えきった。
だけど2台は、テール・トゥ・ノーズ。
いつ順位が入れ替わってもおかしくない密着状態で、曲がりくねった山側区間の上りへと突入していく。
「クリス・マルムスティーン、あなたは上手い」
コーナーが連続する忙しい区間では、あまりドライバーに無線で話しかけるべきじゃない。
だけど、誰もキンバリーさんを止めなかった。
みんななんとなく、感じていたんだ。
これが1番、クリス君を速く走らせる方法だと。
「クリス・マルムスティーン、あなたは強い」
モニターの中、山の頂上付近で花火が上がり始めた。
12時間経過の合図だ。
もうすぐレースが終る。
花火の光に照らされて、2台のマシンは駆け下る。
排気口から煌めくアフターファイア。
真っ赤に燃えるブレーキローター。
そして路面を擦って舞い散る火花で、山の斜面を彩りながら。
「クリス・マルムスティーン、あなたは負けない」
〈レオナ〉のタイヤがズルズルに滑っているのが、モニター越しでもよく分かる。
信じられない。
なんであれで、コントロールできるんだ?
なんであれで、ブレイズに抜かれない?
2台は山側区間を下りきって、平地区間へと入る。
突然、ブレイズが大人しくなった。
優勝は、諦めたのか?
いや。
アイツは、そんなタマじゃない。
最も追い抜きの可能性が高いポイントに合わせて、走りを組み立てているんだ。
狙いは間違いなく、直角左ターンの最終コーナーでブレーキング勝負。
前置きエンジン後輪駆動の〈レオナ〉より、ミッドシップエンジンの〈RRS〉はケツが重くてフルブレーキング時の前後重量バランスがいいからな。
最終コーナーの手前。
ここは短めな全開区間だけど、速度は200km/h近くまで伸びる。
クリス君は、ギリギリまで遅らせてブレーキング。
だけどブレイズは、そんなクリス君よりさらに奥でブレーキング。
〈レオナ〉の内側に、飛び込んだ。
まだコーナー進入前なのに、〈RRS〉の鼻先が完全に前だ。
ピット内で、悲鳴が上がる。
俺も思わず、叫んでしまった。
だけどキンバリーさんが叫んだのは、悲鳴じゃない。
「クリス!! 勝って!!」
〈レオナ〉の鼻先が、ゆらりと内側を向く。
〈RRS〉は――
内側を向けない!
アンダーステアだ!
さすがのブレイズも、タイヤに負担をかけ過ぎたんだ!
ダートに車体半分はみ出させながら、なんとかコーナーを曲がり切った〈RRS〉。
だけどそんなコーナリングで、満足な加速ができるはずもない。
モニターを見るのはやめて、俺達は駆け出した。
ピットの外に出て作業エリアを、ピットロードを横切りサインエリアへ。
チーム全員が、金網にしがみつく。
聞こえる――
ロータリーエンジンの甲高い排気音が――
〈レオナ〉とクリス君が上げる、勝利の雄叫びが――
『2634年ノヴァエランド12時間耐久レース! 優勝はカーナンバー55! 〈BRRレオナ〉!』
実況放送もマシンの走行音もかき消してしまいそうな勢いで、俺達は叫んだ。
それはもう、めちゃくちゃに叫んだ。
チェッカーを受け、悠々とピット前を通過するクリス君と〈レオナ〉に向かって。
「勝った!! 勝ったぞ!! 俺達は、勝ったんだ!!」
嬉しさでわけがわからなくなっていた俺は、隣にいたヤツを抱き上げてそのままクルクルと回転した。
誰だか確認しないで抱き上げちゃったけど、ウチのチームっぽかったからいいよね?
よく見たら、ニーサだった。
普段だったらブチ切れ案件なんだろうけど、今はニーサもそんな固いこと言わない。
俺も気にしない。
彼女ははち切れそうな笑顔で目にうっすら涙を浮かべて、「勝った!! 勝った!!」とひたすらはしゃいでいた。
へっ。
なんだよ、泣き虫め。
――なんて思っていたら、俺も涙が溢れてきてしまった。
だけどニーサも、それをからかってきたりはしない。
ヴィオレッタ。
オズワルド父さん。
シャーロット母さん。
ジョージ。
ケイトさん。
マリーさん。
ヌコさん。
俺は色んな人達と握手し、抱き合い、喜びを分かち合う。
そうしているうちに、クリス君と〈レオナ〉がウイニングラップを終えて戻ってきた。
このレースでは走り終えた車を、メインストレート上に並べて停めてしまうという慣習がある。
係員の誘導に従い、〈レオナ〉もストレートに対して斜めに停車。
シザーズドアを跳ね上げて、クリス君がマシンから降りてくる。
ヘルメットを外す暇なんて、与えないぜ。
もみくちゃにしてやる!
そう意気込んで駆け寄ろうとしていた俺の隣を、影が走り抜けた。
キンバリーさんだ。
真っ先にクリス君へと駆け寄ると、そのまま彼に抱きついて泣きだしてしまう。
ありゃりゃ。
これは、邪魔しちゃ悪いな。
仕方ないので、少し離れたところからクリス君に向かってサムズアップ。
キンバリーさんに抱きつかれて硬直していたクリス君だったけど、俺のジェスチャーに気付いたみたいだ。
力強いサムズアップで、応じてくれる。
クリス君の隣では、ジョージが走り終えた〈レオナ〉にそっと手を触れ何か囁いていた。
声は聞こえなくても、何を言っているかは分かる。
「お疲れ様でした」って、言ってるんだよな。
本当に、お疲れ様だよ。
ありがとう、〈レオナ〉。
空ではまだ、花火が上がり続けていた。
その光に照らされて、みんなの顔も色とりどりに染まる。
今のみんなの表情を――
この夏の思い出を――
俺は一生、忘れないだろう。
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時刻は深夜。
ノヴァエランド12時間決勝日から、日付が変わってしまった。
どこのチームも、撤収作業は明日だ。
今はただ、ゴールの余韻を噛みしめていた。
優勝したBRRはもちろん、完走しただけでお祭り騒ぎをしているチームもある。
喜ぶのも当然だ。
参加台数72台。
そのうち、決勝のスターティンググリッドに並べたのが70台。
チェッカーフラッグを受けられたのは、54台しかいない。
自動車メーカーチームだって、何台か潰れているからな。
完走は、誇れる偉業なんだ。
優勝したウチなんか、そりゃもうとんでもないことになっている。
お祭りどころか、危険な宗教儀式みたいな騒ぎ方だ。
明日の朝、ヌコさんとマリーさんは他のチームに頭を下げて回らないといけないかもな。
俺はそんな狂乱の宴にちょっと疲れて、頭を冷やそうとパドックの隅にやってきていた。
そこで、出会ったんだ。
積み上げたタイヤに腰かけてドリンクを飲みながら、夜空を見上げるルドルフィーネ・シェンカーに。
「あーあ、負けちゃったか。悔しいな。先輩達を、絶対に捕まえられると思ったのに」
「正直、冷や汗ものだったよ。ルディとブレイズは、めちゃくちゃに速かったからね」
「えへへへ……。ランディ先輩に認めてもらいたくって、頑張りました」
「なに言ってるんだい。俺はカート時代からずっと、ルディは凄いと思っているんだよ」
「まだまだですよ。ボクはもっと速くなって、『ユグドラシル24時間』に出られるようなドライバーになりたい。先輩と、一緒にね」
「『ユグドラシル24時間』……か。少し、距離が近づいた気がするな」
俺は瞳を閉じた。
意識はそのまま、「ユグドラシル24時間」の舞台であるユグドラシル島へと飛ぶ。
島の真ん中で世界樹ユグドラシルが天を貫いている光景が、脳裏に浮かんだ。
今回乗った〈レオナ〉とは比べ物にならないぐらい、ユグドラシル24時間で使用されるGT-YDマシンは速い。
そのGT-YDマシンの排気音が、俺には聞こえたような気がした。
ニーサ・シルヴィアだ。
4章まで読んでくれたのだな。礼を言う。
おかげで私達は、優勝することができたよ。
5章では、さらに厳しい戦いが予想される。
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……何? 評価するから尻尾でビンタしてくれだと?
貴様は変態か!?




