ターン121 お星さまが見てる
■□3人称視点■□
ブルーレヴォリューションレーシングのピット前を、レイヴン〈RRS〉3号車が通過する。
少しでも早く自チームのピットに辿り着き、給油、タイヤ交換、ドライバー交代を終えてコースに復帰したい。
なのにピットロードにおける60km/hの速度制限が、それを許してくれない。
スピードリミッターで回転数を抑制されたレイヴンエンジンは、苛立たし気な唸り声を上げていた。
それを見たケイト・イガラシは、拳を握りつつ歓喜の声を上げる。
「やったで! 5周もアクセル・ルーレイロを抑え込んだおかげで、3号車は相当なタイムロスや! ウチより1回多く、タイヤ交換義務が残っとったのにな」
「ランディに詰まった時、すぐにピットインさせる決断をしなかったのが致命的でしたね」
ジョージ・ドッケンハイムは冷静に分析していた。
あと1回多くピットに入らなければならない〈RRS〉が勝つためには、速い周回タイムを刻み続ける必要がある。
〈レオナ〉より軽くした燃料タンクに、走行距離が短く元気なタイヤ。
ドライバーも体力充分とくれば、難しいことではなかったはずだ。
ランディが乗る〈レオナ〉に、前を塞がれなければ。
「ピットタイミング的に、早すぎるというのもあるんやけど……。たぶん向こうのディータ・シャムシエル監督には、アクセル・ルーレイロに対する遠慮があったんやろな。大スターに向かって、『どうせ抜けないだろうから帰ってこい』とはなかなか言えへんで」
自分は違うと、ケイトは思う。
勝つために必要であれば、ドライバーがムッとしてしまうような戦略も実行させる。
なにより長年一緒にレースをやってきたランディとケイトの間には、信頼があった。
仮にルーレイロと同じ状況になった時、ランディはケイトが指示すれば迷わずピットに戻ってきてくれるはずだ。
「まあレイヴンワークス最大の失敗は、甘く見とったことやな。ウチのドライバーとマシン。それと、『ノヴァエランドサーキット』の抜きにくいコースレイアウトを」
腕を組んで、レイヴンワークス3号車のピット作業を見つめるケイト。
自動車メーカーチームだけあって、さすがに速い。
不利な状況に追い込まれたのに、スタッフの誰1人として勝利を諦めてはいない。
「こら、まだ油断はできひんな」
交代したドライバーは、ルドルフィーネ・シェンカー。
彼女が集中した時の非現実的な速さは、ケイトとジョージもよく知っている。
なにせカート時代は、同じチームだったのだから。
そしてルディの後は、ブレイズ・ルーレイロが最後まで走り切るはずだ。
「総合的な強さなら、断然アクセル・ルーレイロみたいなベテランが上だニ。……だけど若手っていうのは、時々わけわからん速さを発揮するもんだニよ」
ヌコ・ベッテンコート監督は、しみじみと語る。
先程ランディに無線で「勝ったようなもんだニ」と言ってはいたが、最後まで何が起こるかわからないのがレースだということも経験上よく分かっていた。
「ウチのドライバーだって、3人とも若手ですよ? その内2人は、肉体に限っての話ですけどね」
ジョージ達は、ニーサが断片的に前世の記憶を持っていることを知らない。
転生者として認識しているのは、ランディとクリスの2名だけだ。
「よく考えたら、転生者って反則的だニね~。ベテランの経験値に、若い肉体っていうのは……。クリス、最後は頼んだだニよ。……クリス?」
クリス・マルムスティーンの肉体は、ランディの1歳上で18歳。
だが魂の年齢は、ランディ、ヌコと並ぶ39歳である。
重ねた年齢に相応しい、落ち着いたレース運びを期待したいところだったが――
クリス・マルムスティーンはピット内に設置された椅子に腰かけ、モニターでライブ映像を見つめていた。
現在カメラが追っているのは、〈RRS〉3号車のピットインによってトップに返り咲いたランディの〈レオナ〉だ。
〈BRRレオナ〉は他のチームに比べ、1走行時間あたりの走行距離が長い。
その分燃料タンクが重く、タイヤも消耗している。
だがそれを感じさせないほどハイペースで、夜の帳が下りつつあるサーキットを疾走していた。
このまま〈レオナ〉と〈RRS〉が共に最後のピットストップを終えると、その時点で前に出ているのは〈レオナ〉だ。
それなのに、クリスの顔色は蒼白を通り越して土気色。
足はガタガタ震えている。
おまけにトレードマークである逆立った箒頭もヘナっと垂れ下がって、普通のロン毛になってしまっていた。
「なにをガタガタ震えているのです。情けない」
明らかに怯えているクリスに、そう声をかけたのはメイドレースクイーン姿のキンバリーだ。
「う……うるせぇっ! 俺は震えてなんか……」
「自分の足を、見てから言いなさい。いつもあなたは、虚勢ばかり。派手な髪型や、ドリフト走行だってそう。本当は自分に自信がないから、強そうに見せようとしているだけ」
辛辣な言葉を投げつけるキンバリーに、ケイトやヌコはうろたえる。
しかし、チームオーナーのマリー・ルイスは動じない。
なぜならこれは、見慣れた光景だからだ。
ジュニアカート時代「シルバードリル」に所属していたクリスは、レース前にこのような状態におちいることが多々あった。
その度にキンバリーが今のような発言をし、怒りを爆発させたクリスは怯えと緊張を忘れる――というのがお約束である。
だが、キンバリーもマリーも見誤っていた。
今回のクリスが、どれだけ大きなプレッシャーを感じているかを。
カート時代よりも、遥かに巨額の資金が動くレース。
周りには、プロのスタードライバーもいる。
チームメイトは国内スーパーカート王者と、カート世界一決定戦であるパラダイスシティGPの勝者。
そんな一流どころが集まる大舞台で、自分が走るのは場違いだとクリスは思っている。
現に周回タイムは、ランディとニーサの方が常に速い。
キンバリーの挑発に乗ってこのチームへ入ると決めたことを、クリスは深く後悔していた。
「……わかってんだよ、俺がつまんねー男だっていうのはよ。誰よりも、俺が1番わかってんだよ」
震えは止まっていたが、代わりに虚脱感がクリスの全身を支配していた。
キンバリーとマリーは致命的な失策を犯したことに気づいたが、すでに遅い。
「わ……私は……。クリス……あなたを……」
「もう、いいだろ? 少しほっといてくれ」
そう言って項垂れるクリスに、キンバリーはそれ以上声をかけることができない。
重苦しい沈黙が、ピット内を占拠した。
だが、そんな沈黙を破る女性が現れた。
「そんなつれないこと言わないで、少し私とお話しない?」
「シャーロットさんか……」
顔を上げたクリスの隣にいたのは、ランディの母シャーロット・クロウリィだ。
「私のような、オバサンとじゃ嫌?」
「……そんなことはねえよ」
シャーロットの夫であるオズワルドが、「ああ!? クソガキてめえ、嫌とか言ったらぶっ殺すぞ!」という視線を向けてきている。
あれは逆らってはいけないオッサンだと本能的に悟ったクリスは、大人しくシャーロットの提案を受け入れた。
何よりシャーロットは、クリスが憧れていた女性でもあるのだ。
初等部時代にランディから「熟女好き」とからかわれていたが、割と本気でもあった。
「ウチのランディね……。カート時代にクリス君のこと、とっても警戒していたのよ。『あの野郎は、存在自体が反則だ。転生者を、ジュニアのレースに出すべきじゃない』ってね。自分だって転生者だから、盛大なブーメランよね」
「俺は……同じ転生者でも、ランディとは違うよ。あいつは地球で、フォーミュラに乗ってたエリートだ。夜の峠で、ドリフト決めて喜んでいただけの俺とは違う」
「そうね、確かに違うかもね。あの子はタイヤが滑るのをやたらと嫌がるし、接触には神経質だし、夜間の走行経験なんてほとんどないわ。……クリス君と違ってね」
「でもあいつは今、夜のノヴァエランドサーキットを問題なく走れている」
「本当にそうかしら? クリス君なら、もうちょっと速く走れるんじゃない? 特に峠道みたいな、山側区間」
悪戯っぽく笑うシャーロットは、本当に魅力的だとクリスは思う。
自分に辛辣な言葉を浴びせてくるだけの、どこぞの変態メイドとは違って。
そんな女性に励まされてやる気を出さない男など、地球にもこの世界にも存在しないのだ。
「……へっ、へっへっへっ。分かってるじゃねーか、シャーロットさん。そうだな。ランディもニーサも、山側区間の走り方はまだまだだ。俺がサクっと、最速周回タイムを叩き出してやるぜえ。ちょうど夜になって、路面温度も気温も下がってくることだしな」
――単純!
ピット内にいる誰もがそう思ったが、口に出す者はいない。
せっかくドライバーの精神状態が、良くなったのだ。
わざわざ指摘して、台無しにする必要はない。
シャーロットは良い仕事をしたという表情で、ピットの裏手からパドックへと出た。
「ありがとうございます。馬鹿がご迷惑をおかけしました」
シャーロットの背後から話しかけてきたのは、追ってきたキンバリーだ。
「クリス君が、特別馬鹿っていうわけじゃないわよ? 男っていうのは、みんなああいう生き物。意外と繊細だから、おだてるのも大事よ」
「分かってはいるのですが、つい……。能力はあるのに、ウジウジしているあいつを見ると……」
「彼の力を、信じているのね。例の攫われかけたって事件の時も、クリス君が助けにきてくれるって信じていたの?」
「別に……。車で追って来させて、カートをやめたクリスの腕が鈍っていないかチェックしてやろうと思っただけです」
「素直じゃないわね。好きなんでしょ? クリス君のこと」
「違います。あいつは出来の悪い、弟みたいなものです。私があれこれ言ってやらないと、本当にダメな弟……」
「そう? お姉さんは、大変ね」
意味ありげに微笑んで、夜空を見上げるシャーロット。
きっと夜空の星からは、何もかも見られているのだ。
サーキットで火花を散らす、人々の熱い戦いぶりも――
そして、不器用な若者達の青春も――




